第7話

文字数 4,502文字

 縁側に戻ると、晴も携帯をいじっていた。
「明さんか?」
「んー。この分だと決定だろうな」
「ああ。依頼書は?」
「読んだぜ。でも、あの三人で大丈夫なのか?」
「どうだろうな。もしかする、と……っ」
「今日の仕事のこと?」
 突然両肩の後ろからにょきと両腕が伸びてきて、背中にのしかかった樹が顔を出した。重い。宗史は前に傾いだまま、少しだけ首を回す。
「樹さん、重いんですが……」
「ご飯食べたばっかりだもん」
 理由にならない言い訳をし、するりと腕を引っ込めてそのまま胡坐を組んだ。大河が戻り、宗史の隣に腰を下ろした。
「大河くんに仕事のこと話したの?」
「いえ、まだです」
「宗一郎さんと明さんの判断待ち?」
「はい。でも、あの出来だと同行かと」
「だろうね」
「仕事って?」
「これだ」
 大河が体を斜めにして座り直しながら尋ねると、ひらりと一枚の紙が視界に入ってきた。同じく食事が終わった怜司が、プリントアウトした依頼書を大河に差し出して腰を下ろす。
「依頼書? へぇ、仕事ってこんな感じで来るんだ」
 受け取った大河が物珍しげに書類に目を通し始めた時、晴の携帯が鳴った。確認すると「明」の名。宗史が靴を脱いで縁側に胡坐を組むと、大河と晴もそれに倣った。自然と樹が後ろに下がる。
「もしもし?」
「僕だ。揃ってるか?」
「ちょうどな。スピーカーに切り替える」
「ああ」
 携帯を操作し、床に置く。昴と香苗が興味深げに耳を傾け、おやつの時間だろうか、華と夏也が双子を呼んでダイニングテーブルにつかせた。
「いいぞ」
「では、今夜の仕事の話だが、大河くん。聞いたか?」
「あ、はい。今、依頼書を見てました」
「晴と宗史くんからの報告から、同行させてもいいだろうと判断した。依頼書をよく読んで、今夜、樹と怜司に同行するように」
「はい」
「それと、華はいるか?」
「ああ、やっぱりか。華、ちょっと」
 晴が、プリンを両手に持った華に手招きをした。樹の目が子供のように煌いたことは気付かなかったことにしよう。
「なあに?」
 以前は、仕事のほとんどは宗史、晴、そして茂と華が中心だった。しかし、樹と怜司のコンビが固定され、安定し始めた頃からは、複数の仕事が重ならない限り華が駆り出されることはほぼなくなった。
 華は藍と蓮の前にプリンを置いて、首を傾げながら縁側に出てきた。双子がきちんと合掌をしてプリンをすくう。
「華、君も今夜の仕事に同行してくれ」
「あたしもですか? 大河くんも一緒なんですよね。四人も?」
「依頼書を読めば分かるが、おそらく君がいた方がいい」
 明の答えを聞いて、大河が樹の隣に正座する華へと依頼書を渡した。斜め読みをして内容を確認した華の眉が、わずかに寄った。
「……はい、了解しました」
 華が少し戸惑った声で承諾して依頼書を差し出すと、大河はじっと華を見つめて受け取った。
「樹、怜司、分かっていると思うが、浄化は大河くんにやらせてくれ。そのための同行だ」
「はい」
「はーい」
「大河くん、浄化の仕事の際の注意事項を後で聞いておくように」
「はい、分かりました」
「宗史くん、報告書の書き方を教えておいてくれるか?」
「分かりました」
「以上だ。質問は?」
 ありません、と仕事組がそれぞれ答える。
「では、警戒を怠らないよう、十分注意して頼む」
 はい、と四人の声が揃うと通話が切られ、晴が携帯を拾い上げた。
 すぐさま華が腰を上げてキッチンに引っ込んだ。その背中を眺めながら、樹がぽつりと呟いた。
「僕の分のプリン……」
「卑しいなお前は。飯食べたばかりだろう」
「デザートは別腹でしょ」
「女子か」
 怜司と軽口を叩きながら、捨て犬のような眼差しで華を見やる樹に皆から苦笑が漏れる。
 ところでさ、と依頼書に視線を落とした大河が口を開いた。
「注意事項ってなに? 調伏の仕事と違うの?」
「ああ、そのことだが――浮遊霊の定義は?」
「え」
 突然の宗史の問いに大河が一瞬戸惑い、えーと、と言いながら視線を上に向けた。
「自分が死んだことを認識できなかったり、受け入れられなかったり、あと未練があって成仏できない、悪鬼化する前の霊のこと」
 そうだ、と宗史は頷いた。
「この世で一番多いのは浮遊霊だ。見たことないか?」
「子供の頃に見てたよ、白い玉みたいな形で。でも、お守りを渡されてからほとんど見てないかな」
「俺も子供の頃は見てたんだ。でも、訓練を始めて霊力のコントロールを覚えてからは見なくなった。と言うより、見ないようにしてるんだよ」
「何で?」
「浮遊霊は、基本的には死を受け入れるか、自分で未練を解消すると成仏するんだ。昔、興味本位で声をかけて後をついて行ったことがあるんだけど、彼は娘の結婚間近に事故で亡くなったらしくてね。式に出られなくて未練があったようなんだ。でも無事に式を見届けた後、満足して成仏した。霊だからと言ってむやみやたらに浄化する必要がないから、見る必要はない。だから見ない。見ると気になるしな」
「宗、お前そんなことしたのか。危ねぇことすんなよ」
「子供の頃の話だよ」
 晴の呆れた苦言をさらりとかわし、宗史は続けた。
「だが、中には人や物に取り憑いて、霊障を起こす浮遊霊もいる。目的は救いだ。生前の未練や痛みをそのまま引き摺っているから、救って欲しいという思いで憑くんだよ。成仏すれば解放されるからな。霊障があるのも早く気付いて救って欲しいからで、悪鬼が引き起こす霊障とは別物だ。ただし、こちらが陰陽師だと分かると、悪鬼に変貌するものもいる」
「それって……」
 察した大河に、宗史は小さく頷いた。
「まだ成仏したくないと強く思っているからだ。ただ、こちらの対応にもよるんだよ」
 大河が首を傾げた。
「浮遊霊は、全てではないが、言葉は話せなくても意思疎通はできる。だから、こちらが上手く説得するか、もしくは未練を断ち切ってやるかすれば、素直に浄化されてくれる。無理に浄化しようとすると、怒って悪鬼に変貌する場合があるんだ。できるだけ避けたいんだが、中には耳を貸さないものもいるから」
「その場合は強制的に浄化?」
「悪鬼になる前にな、可哀相だけど」
「じゃあ、断ち切るってどうするの?」
「そうだな……」
 どの案件を話そうか迷っていると、晴が口を挟んだ。
「あれだ、病院の子供」
「ああ、あれか……」
 晴が出した案件に、宗史が苦笑いを浮かべた。何? と大河が興味津津に先を促す。
「以前、子供の幽霊の目撃が多発していた病院から依頼があったんだ。目撃されるだけで実害がなかったから、浄化として受けたのはいいんだけど、説得するのに六時間かかった」
「六時間!?」
「あれ、大変そうだったよねぇ」
「俺たちだったら無理だったな」
「六時間はさすがにねぇ」
 樹と怜司が暢気な顔で他人事のように言った。
「六時間って、そんなに何話したの?」
「話もしたけど、ほぼ遊んでたんだよ。肺の疾患で亡くなった子で、生前は外で遊べなかったらしい。それが未練で浮遊霊として彷徨っていたんだ」
「あ、だから遊んであげたんだ。六時間も」
「今までの仕事で一番しんどかった……」
 あの時の辛さを思い出したのか、晴がうなだれた声で呟いた。そのわりには「懐かしいな」と言いながら本気で遊んでいたのは晴と召喚した志季だ。
 椿も加え、鬼ごっこからかくれんぼ、だるまさんが転んだ、陣地取り、逆かくれんぼ、二手に分かれての巨大五目並べなどなど、最後はネットで子供の遊びを検索した。何せ道具が使えないためできる遊びが限られていて、意外と大変だった。気付いた時には陽が昇り始めていて、朝日を浴びた少年の満面の笑みは、今でも覚えている。
「でも、最期は笑って逝ってくれたから」
「そっか、良かったね」
 笑みを浮かべた大河と宗史に、樹が目を据わらせた。
「言っとくけど、そんなほのぼのした仕事ばっかりじゃないからね、大河くん。もう僕あんな仕事絶対受けない。ていうかおかしいと思ったんだよ。対象者の名前が分かってるのに死因以外の情報がないんだもん。教えたら僕が受けないって分かってて黙ってたんだよあの二人。今思い出してもムカつく!」
「あれか、ニューハーフのやつ」
 あー、と宗史と晴が虚ろな目をして嫌な声を漏らした。
「何ですか、ニューハーフって」
 何か察したのか、大河が顔を引き攣らせた。
「対象者がニューハーフの人だったんだ。若くして事故で亡くなっていて、ファーストキスもまだだったらしい。で、生前片思いしてた相手にこいつが似てたらしくて、散々迫られた挙げ句、キスしてくれなきゃ成仏しないって脅された。ジェスチャーで」
「未練ってそれ!? したんですか!?」
「するわけないでしょ!」
 怜司がうんざりした溜め息をついた。
「何故かああいう対象者に限って、はっきり意思疎通ができるんだよな」
「結局どうしたんですか?」
 大河の素朴な質問に、宗史と晴が口を覆って噴き出した。ふてくされた樹がじろりと睨んだ。
「強制的に浄化したに決まってるでしょ」
「でも完全に消える間際にキスされた」
 怜司の補足に樹がぎょっと目を剥き、うげ、と大河がこれでもかと顔を歪めた。その反応は確実に全世界のニューハーフの方々を敵に回す。
「言っとくけど感触とかないからね!? 怜司くん余計なこと言わないでよ! 男の沽券に関わる!」
「自分で振っといて、今さら何言ってるんだ」
「そうだけど余計なこと言わなくてもいいでしょ! ていうか怜司くんだって哨戒中ゲイに迫られたことあったくせに! 人間の!」
 ぶはっ! と宗史と晴が揃って盛大に噴き出し、大河が頬を引き攣らせた。その話は初耳だ。
「あれはお前も一緒だったし、囲まれた人数はお前の方が多かっただろうが」
「いいや! 怜司くんの方が多かった!」
「馬鹿言うな。お前だ」
「怜司くんだって!」
 ぎゃあぎゃあと不毛な喧嘩を始めた二人を、大河が非常に不安そうな眼差しで見つめ、ぽつりと呟いた。
「イケメンじゃなくて良かった……」
 仕事や哨戒におかしな不安を覚えさせてしまったか。
 と、気付けば近くで話を聞いていた昴と香苗、ダイニングテーブルでは華が楽しそうに声を上げて笑っていて、夏也も珍しく顔を逸らしていた。双子はきょとんとしてスプーンをくわえたまま、大人気ない大人たちを見つめている。
 皆をぐるりと見渡し、宗史は笑みを浮かべた。
 樹はすっかりいつも通りに見える。華も垣間見せた戸惑いの表情はもうない。怜司もいることだ、この様子なら心配はいらないだろう。
「お尻撫でられてたでしょ! 知ってるんだからね!」
「お前だって股間触られただろ」
「やめてよ思い出したくない!」
「墓穴掘っておいて俺を責めるな」
「うるさいなっ!」
 感触を思い出したのか、樹が自分の体を抱き締めて竦み上がった。どうやら怜司に軍配が上がったようだ。

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