第12話

文字数 2,614文字

              *

 写真で見た通りの並び。御扉の下は全体が空洞になっていて、しかし狭いため穴から刀を出すには少々気を使う。大河は肩越しに振り向いた。
「晴さん、持っててもらっていい?」
「ああ」
 晴が小走りに駆け寄った。腕に掠り傷があるだけで、他は無傷だ。さすがに晴には敵わなかったのか。
 大河はまず手前、柴の刀を下から両手を添え、しっかり握って台座から持ち上げた。
 鞘の素材は木だろうか。色は光沢のある黒。漆が塗られているのだろう。装飾はほとんどないと言っていいくらいシンプルで、腰に巻き付ける紐がついている。反りがなく真っ直ぐなため、直刀だ。実戦で使用していたからだろう、あちこちに傷がつき、剥げている部分がある。ゆっくり角度を変えて見えた平糸が巻かれた柄も、ところどころ黒ずんでいる。
 ぶつけないように(こじり)の方から慎重に穴から出して、後ろにいた晴へ手渡す。
「晴、どうだ?」
「ちょっと埃っぽいけど、綺麗だぜ。この重さなら、やっぱ打ち直してんな」
「そうか」
 二人の会話を聞きながら、紫苑の刀を取り出す。こちらも同じく真っ黒で、鞘の中央部分に大きな傷がついている。刃を受けたものだろうか。柴の刀と同じ直刀だ。
 晴に手渡し、今度は文献を回収する。日記と同じ装丁で、表紙には何も書かれていない。腰を上げてゆっくりと階段を下りる。片膝を立てたまま、雅臣が誰のものだと言いたげな顔で大河たちを視線で追う。
「晴さん、それ、頼んでいい?」
「ああ」
 使いが二人を呼びに行っているのなら、仲間が捕まったと分かって反撃はしないだろうから、すぐに戻ってくるだろう。早く渡してやりたい。
 両手に刀を握って踵を返した晴を見送り、大河は宗史の隣に並んだ。こちらは掠り傷一つない。密かにほっとして、雅臣へ視線を落とす。よほど気になるのだろう、晴の背中を凝視している。
「昼間、下平さんから連絡があった」
 文献を小脇に抱えてぽつりと言った大河へ、雅臣がついと視線を寄越した。
「河合尊が、親と一緒にお前のうちに謝りに行ったって」
 下平は言った。話を聞けば、今度こそ確実な迷いが生まれるだろうと。どうか、伝えてやって欲しいと。
「あいつも、あいつの親も玄関で土下座して謝って、取ったお金を返そうとしたって」
「それがどうした」
 迷いのない拒絶の声。雅臣にとって、尊がどれだけ反省して謝ろうと何の意味もないのだ。けれど。
「お前の親も、土下座した」
 一瞬で雅臣の表情が変わった。まん丸に見開かれた目に、明らかな動揺が映る。
「どんな理由があっても、河合尊を襲ったことは事実だ。自分たちの対応にも問題があった。そう言って、謝ったんだって」
 雅臣が唇を噛んで俯いた。
 話を聞いた時、影正を思い出した。原因は間違いなく尊たちにあるのに、息子が犯した罪も、自分たちの間違いも認めて、彼らは頭を下げた。影正と同じ、強くて潔い人たちだと思った。
 確かに原因は尊たちにある。けれど、両親に頭を下げさせたのは、雅臣にも責任がある。
「お前、ほんとに後悔してない?」
 言葉を選ぶようにゆっくりと、重ねて尋ねる。
「これが、一番後悔しない選択だった?」
 自分に、こんなことを言う資格がないのは分かっている。
 心配させたくないから、自尊心が傷付きそうだから誰にも何も言わなかった。風子とヒナキにも、不快な思いをさせたくないから、事件のことは最低限のことしか話さなかった。そのことについては、後悔はない。間違っているとも思わない。けれど、いじめられていた時のことは、言うべきだったと思った。
『親というのは、いつも子供のことを心配しているものなんだよ』
 茂の言葉は、とても深く胸に刺さった。
 心配させたくないのに、強がることが余計に心配させることになると気付けなかった。
 雅臣も、同じだったのかもしれない。親に心配をかけたくない、余計なことを話して桃子を怖がらせたくない。親や桃子に話したことをあいつらに知られれば、何をしでかすか分からない。屈辱と恐怖と不安を抱えて、一人で戦っていた。
 比べるものではないけれど、雅臣は自分よりも、はるかに厳しい選択を強いられていた。
 医者を目指していたくらいだから、頭はいいのだ。きっと色々と考えただろう。迷って、悩んで、苦しんだだろう。それでも、誰かに頼るという選択をしなかった。
『もし自分ではどうしようもなくなった時は、迷うことなく誰かに頼りなさい』
 手紙を書きながら、影正はあの時のことを思い出していたのかもしれない。
 色んな恐怖と不安があるからこそ、頼るべきだった。親を、友達を、守りたい人を――周囲の人たちを。
「後悔なら」
 ぽつりと、雅臣が沈黙を破った。霊刀がすうっと消えていく。
 ゆらりと腰を上げた雅臣から遠ざけるように、宗史が大河の前に腕を伸ばして一歩後ろへ下がった。
「後悔なら、何度もしたさ」
 雅臣はゆっくりと顔を上げ、冷たく笑った。
「あいつらを、この手で八つ裂きにしてやればよかったってな」
 つまり、後悔していないということか。大河は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 雅臣にとって、カツアゲやいじめに端を発した全てのことは、尊たちが原因なのだ。それは間違っていない。そう思う気持ちも痛いほど分かる。でも、雅臣にも選択の余地があった。それもまた事実だ。けれど、お前にも責任があるなんて、思っていても自分が口にしてはいけない気がした。
「それに、後悔するのはお前の方だぞ」
 言葉の意味は、考えなくても分かった。大河は真っ直ぐ雅臣を見据えた。
「そうかもしれない」
 はっきりと言い切った大河に、雅臣が目を細めた。
「意味が分かって言ってるのか?」
「分かってる。聞いた。あの日、本当は何が狙いだったのか。あれがきっかけで、お前たちが計画を変更したんじゃないかってことも、全部」
 昨日、宗史から聞かされた真実は衝撃的なものだった。あくまでも状況からの推測だと宗史は言ったけれど、だからこそ、納得できるものだった。
 あの日から経験したことや考えたこと。全部がなければ、とてもではないが心の整理なんかできなかった。皆に、影正に救われた。
 けれど、まだ千代や仲間たちが残っている。もしもこの先、最悪の結末になれば、錯乱するくらい後悔するだろう。
「でも、お前たちの思い通りにはさせない」
 まるで挑むような、わずかな迷いも曇りもない眼差し。雅臣が、不快気に顔を歪めた。
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