第12話

文字数 2,609文字

「そういえばここ最近、やけに視線を感じるなと思ってたんだよ。それと、今日ここに来る途中で子供と目が合ったんだ。車の中で飯食ってたからだと思ってたんだが、もしかして」
「おお、あったなそんなこと。ありゃわしが屋根におったからじゃ」
「何で屋根……」
 後部座席に入れただろうに。
「普通、わしら白狐の姿は陰陽師であっても人の子には見えん。精霊のようにな。だが、わしらの意思一つでこうして見せてやることができる。ただ幼子の中には、時折見える子がおるんじゃよ。ま、大人は信じんから問題ない」
 へぇ、という感心の声のあと、佐々木がそういえばうちもと続けた。
「二日くらい前からだけど、飼い猫がやけに威嚇するようになったんです。何もない場所に向かって威嚇するから、幽霊でもいるんじゃないかって夫は言うんだけど、私が護符を持ってるからおかしいなって思ってたんです」
「おお。薫子のところは猫がおるのか。犬じゃのうて良かった」
「どういう意味かしら……」
 狐は確かイヌ科ではなかったか。佐々木に付いている白狐個人の問題だろうか。続けて熊田が言った。
「うちはあれだな。息子が飼ってるハムスターが、巣箱だか寝床だかから出てこなくなったって言ってたな」
「はむすたーとは何じゃ?」
「要はネズミだ」
「そりゃあ仕方ないわい。わしらにネズミを食う習性はないが、奴らからしてみれば狐は天敵じゃて」
「あ、そうか。狐って、ウサギとか鳥も食うんだよな……」
 カッカッカ、とおかしな笑い声を上げる白狐に、熊田がいたたまれない声で呟いた。白狐にその気がなくてもハムスターからすれば恐怖だ。可哀想に。最後は下平だ。
「俺のところは特になんもねぇなぁ」
 他人事のように言った下平に、白狐がふと足を止めて振り向いた。
「下平と言ったか」
「ん、ああ」
「食べ物がなくなったりはしておらんか?」
「食べ物? いや別に……、あっ!」
 あるのか。やれやれと言いたげに白狐が溜め息をついて、足を進めた。
「うちの課の後輩が、チョコバーがなくなったって騒いでたんだよ。そのあとも、他の奴らがミニウエハースやらマシュマロやらまんじゅうやら……まさか」
「お前の護衛の白狐はな、優秀だが食い意地が張っておるのが玉に瑕でのぅ。気を付けた方がよいぞ」
「神様が何やってんだ……」
 何やら色んなところに支障が出ている。大丈夫なのか、これ。
 すまん倍返しするから許せ、と同僚らに手を合わせる下平を横目に、紺野はこっそり息をついた。他に心当たりがある。全ての白狐が食い意地が張っているわけではないようだが、近藤誘拐事件の翌日、緒方がデスクで探していたのは、まさか食べ物だったのだろうか。そしてそれは今目の前を歩いている白狐の仕業なのか。さらに言うなら、近藤のデスク周りによく転がっているお菓子が被害に遭っていそうで怖い。神相手でも詫びを要求しそうだ。
 証拠がないので追及できないと分かった上でしらを切っているのかあの白狐。紺野たちは少々複雑な気持ちで林の出口へと向かう。護衛してもらっている身の上でこんなことを言うのは心苦しいが、違う意味で不安だ。
 微妙な空気を漂わせたまま、林の出口で佇む郡司の姿が目に映ったとたん、思わず安堵の息が漏れた。現実に戻ってきた感じがして、やけにほっとする。
「社長、皆さん!」
 郡司が待ちかねたように声を上げ、小走りに駆け寄った。
「お怪我はありませんか。良かったご無事、で……?」
 語尾に疑問符が付くのは仕方ない。行く時にはいなかったメンバーがいるのだ。しかも狐。郡司の足が止まり、目の前で立ち止まった白狐をじっと見下ろしてから、困惑の表情で紺野たちを見やった。
「あの……?」
「白狐様だよ。私たちを護衛して下さっていたらしい」
 栄明の説明に、はあ、と少々気の抜けた返事をして、再び白狐に視線を落とす。さてどんな反応をするのだろう、と思っていたら、郡司は如才なく微笑んでおもむろに膝を付いた。
「そうでしたか。社長の秘書をしております、郡司と申します。このたびはありがとうございます」
「よいよい。堅苦しいのは苦手じゃ」
 頭を下げる郡司に、謙遜しつつも白狐は誇らしげに胸を張った。さすが社長兼陰陽師の秘書をしているだけのことはある。順応力が高い上に冷静だ。
「とても美しい毛並みですね」
「そうじゃろう。わしの自慢じゃ」
 しかも抜け目ない。ますます胸を張った白狐とにっこり笑顔の郡司を、紺野たちは少しだけ白けた眼差しで眺めた。
「それにしても」
 郡司が笑顔から一転、わずかに眉尻を下げ、心配顔で腰を上げた。
「護衛の白狐様がこうして姿を現したということは、やはり何かあったのでしょうか」
「うんまあ、ちょっとね。その辺のことは車の中で説明するよ。とりあえず皆さん、武家屋敷へ行きましょう」
 はい、と各々返事をしつつ車へ向かう。朱雀は栄明、水龍は熊田たちの車へと白狐が指示を出す。
「紺野、悪いが運転頼んでいいか。それと例の手紙、ちょっと貸してくれ」
「ええ、構いませんけど。何するんですか?」
 車の鍵を受け取り、内ポケットから手紙を引っ張り出して手渡す。
「この花。佐々木さんが気にしてただろ。冬馬に聞いてみようかと思ってな」
 下平が後部座席の扉を開けると、白狐がひょいと跳ねて乗り込んだ。
「ああ、実家が華道の家元でしたっけ」
「ああ」
 律義な人だ。紺野は苦笑して運転席に乗り込み、置きっ放しにしていたペットボトルを交換してシートベルトを締めた。
 加古川市の東側にある武家屋敷までは、約三十分。栄明たち、紺野たち、最後に熊田たちと、順に林の入り口でUターンして来た道を戻る。
 助手席では下平が封筒に描かれた花の絵を写真に撮り、後部座席では白狐が後ろ脚だけで立ち上がって窓にへばりついている。車に乗るなんてことはないだろうから、珍しいのだろう。
 紺野に手紙を戻すと下平はごく自然に窓を開け、ワイシャツの胸ポケットの煙草に手を伸ばし、ふと止めて振り向いた。
「なあ、煙草いいか?」
 白狐は一瞥もくれずにああとひと言だけ返してきた。よほど車窓を流れる風景が面白いのか。特に嫌がる素振りもないので、遠慮なく火を点ける。深く吸い込んで、長く紫煙を吐き出した。
「あ――、美味い」
 誰に言うでもなくしみじみと呟かれた感想に、紺野は苦笑した。ひと仕事終えたあとの一服の美味さは、もう懐かしい感覚だ。と、下平の携帯が着信を知らせた。
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