第4話

文字数 5,784文字

 住宅街と言うだけあって周辺はアパートや個人宅が多いが、高層マンションや高い建物がないせいか、ずいぶんと空が広く開けて見える。何度か、田舎から上京する素人の新居を一緒に探すという番組を見たことがあるが、その時映った東京の小綺麗だが窮屈そうな住宅街とは全く印象が違う。
 京都と言えばやはり観光地だし、人がごった返しているイメージばかりだったが、観光客が来ない住宅街はずいぶんと長閑だ。遠くに見える鮮やかな緑に覆われた山と、白い雲と青い空のコントラストがとても綺麗だ。
 そんな住宅街の中にある唯一のスーパーは、いつも華と茂が買い出しに来ている店だ。毎回大量買いする二人はちょっとした有名人らしい。華と茂は親子で、時々荷物持ちとして同行する弘貴と春平は、同居している親戚の子として勝手に認識されているそうだ。
 裏の自転車置き場から入口へとぐるりと回り込む。店に入るなり、店員から親しげに声をかけられた。
「あら、弘貴くんと春くん。いらっしゃい。今日は華ちゃんたちと一緒じゃないの?」
「こんにちは、おばさん。うん、今日は友達と一緒。夏休みの宿題するんだ」
 弘貴に紹介されて会釈をすると、女性は笑みを浮かべて会釈を返してきた。
「何の宿題?」
「習字。半紙買いに来た」
 さらりと嘘の理由を述べた。嘘は良くないが、こんな立場にいる以上、仕方がないのだろう。それに、広義の意味では間違っていない気がしないでもない。
「高校でも習字の宿題なんて出るのねぇ」
「うん。て言うか、冬休みならともかく、夏休みに習字って何なの」
「確かに、珍しいわね」
 だよね、と愛想良く笑い声を上げながら、じゃあとその場を後にする弘貴に続いて、大河と春平は店員に会釈をして後を追いかけた。と、また女性店員に声をかけられた。
「あら弘貴くん、春くん。今日は、ああ、お友達と一緒?」
 視線を向けられ、また会釈をする。
「こんにちは。うん、夏休みの宿題するから、百均に買い物に来た」
「そう。弘貴くん、春くんに迷惑かけちゃ駄目よ。毎年宿題手伝ってもらってるんですって?」
「何で……って、華さんか。お喋りだなぁ」
「心配してたわよぉ。春くんも、あまり弘貴くんを甘やかしちゃ駄目よ。突き放す時は突き放さないと」
「はい。今年は手伝わないって宣言してますから、大丈夫です」
「偉い! 頑張ってね」
 ひらひらと手を振りながら台車を押し去っていく女性に手を振り返し、足を進める二人の後ろを付いて行く。と、また声をかけられた。
 こんなにも店員に声をかけられるということは、普段から交流があるという証拠なのだろう。二人の体調や夏休みの予定にまで会話が及ぶあたり、かなり可愛がられているようだ。人懐こい弘貴と行儀が良い春平は、確かに年上から受けが良さそうに見える。微笑ましい光景に、大河は終始笑みをこぼしていた。
 とは言え、奥の一角に見える百円ショップには、いつになったら辿り着くのだろう。
 何度か同じ会話を繰り返し、やっと百円ショップに足を踏み入れた時には、店内に入ってから十分はゆうに過ぎていた。
「二人とも大人気」
 感心したように嘆息する大河に、二人が短く笑った。
「俺らって言うより、華さんとしげさんの影響だぜ、あれ」
 弘貴は迷う素振りもなく文房具コーナーへ向かう。
「どういうこと?」
「二人とも老若男女から人気あるからな。特にしげさんなんか主婦にモテモテ。穏やかだし優しいし。俺らは、あの二人と一緒だから気にかけてくれてるって感じ。それに、下世話な話し、店側からしたらいっつも大量買いする客は離したくねぇだろ」
 右手の棚がノートやメモ帳などの紙類、左手はペン類の棚だ。大河はノート類の棚に目を走らせた。
「まあ、それもあるんだろうけど。でも弘貴と春の人柄が大きいだろ、絶対。あ、半紙あった。一袋で足りるかなぁ」
 そう言いながら、昴と香苗の分を入れて合計四袋を手に取る大河の姿を見下ろし、弘貴と春平は顔を見合わせて苦笑した。
「え、何? 多い?」
 百枚入り二袋は多いだろうか。どうしようかと迷っていると、春が笑みを浮かべた。
「いいと思うよ。後は筆ペンだよね。大河くんどうする? 二本買う? 意外とすぐに無くなるけど」
「じゃあ、二本で」
「全部で四本だね」
 春平はペン類の棚を見やり、筆ペンへと手を伸ばした。
「後は、水切り網だったよな。キッチンコーナー……向こうか」
 大河たちは水切り網だけを別払いして領収書をもらい、ついでにスーパーでアイスを一つずつ購入し、店を後にした。
 自動ドアをくぐると、すっかり涼んだ体に熱気が容赦なく絡みついた。
 アイスを食べながら、他愛のない話で盛り上がる。一軒家やアパート、農協、空き地、クリーニング店や個人病院を通り過ぎ、小さな畑では麦わら帽をかぶった短パンにTシャツ姿の年配男性が精を出していた。一日の内で一番気温が上がる時間帯のためか、外出している人は少なかった。ここ数年、熱中症で病院に搬送される患者は年を追うごとに増え、死亡者も出ている。皆、警戒しているのだろう。
 スーパーで失敬してきた半透明のビニール袋にアイスのゴミをまとめ、口をくくってから大河が持つ荷物に放り込む。
「弘貴、今日はどっちに行く?」
 真っ直ぐ進んだ先は、真正面に個人宅が建っていてT字路になっている。足を止め、そうだなと弘貴が逡巡する。
「小学校の方、あんま行かねぇし行ってみるか」
「そうだね」
 そう言って左手の道に進む二人に倣う。
「小学校があるんだ」
「そう。藍と蓮はここに通うだろうな」
「今五つだっけ。二年後かぁ」
 五つにしては少し小さいように見えるが、子供の成長はそれぞれだ。すぐに大きくなる。ランドセルを背負った二人の姿を想像し頬を緩め、はっと気付く。あれだけ可愛ければ、成長するときっともっと可愛くなる。
「……危険だ」
「は?」
「危険って、何が?」
 ぼそりと呟いた大河のひと言に、悪鬼でも出たのかと弘貴と春平が周囲を見渡す。何もないし感じない。二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「藍と蓮。絶対可愛くなる。てか今も可愛いんだから将来はもっと危ない。行動範囲が広がったら危険度上がるし、藍は女の子だから変な虫がつかないとも限らない」
 ぶつぶつと独り言のように呟く大河に、弘貴と春平が同時に噴き出した。
「子供溺愛するお父さんかよお前」
「心配性だね」
「何で。可愛いだろ、藍と蓮。心配じゃない?」
「そりゃ可愛いけどさぁ、今からちょっと心配しすぎじゃねぇ?」
「大河くん、子供好きなの?」
「好きって言うか、まあ好きだけど。俺、幼馴染みがいるんだよ」
「それって、一緒に悪鬼に襲われたっていう? 確か同じ年の男子じゃなかったっけ」
「ああ、省吾とは別。中三の女子二人なんだけど、ずっと世話してきたから癖が抜けなくて」
「年下女子の幼馴染みか! いいねぇ、羨ましい。可愛いか?」
 興味津津に尋ねられ、大河は低く唸った。容姿がどうこうではなく可愛いとは思うが、異性としてではなく、幼馴染み贔屓と言うか、兄としての意味合いが強い。
「どうだろう、そう言う目で見たことないから。あ、でも一人は香苗ちゃんタイプ」
「おっとり系か。もう一人は?」
「あいつはもう、お転婆。落ち着きないし、見ててハラハラする。危なっかしい」
「大河と同じタイプだな」
 皮肉を含んだ笑みで突っ込まれ、ぐ、と声を詰まらせた。自覚があるだけに言い返せない。
「何言ってんの。弘貴だってそうだろ」
 今度は弘貴がうっと声を詰まらせた。春平から見れば二人とも似たり寄ったりなのだろう。
「あ、そう言や、前にしげさんに聞いたことあるんだよな」
 弘貴が思い出したように矛先を変えた。
「しげさん、双子のことめっちゃ可愛がってるだろ。だからさ、蓮は男だからともかく、藍に彼氏ができたらすっげぇ相手の男にプレッシャーかけそうですよねって」
「弘貴、そんなこと聞いたの?」
「別に変なことじゃねぇだろ。でさ、そしたらしげさん、にっこり笑って言ったんだよ。どこの馬の骨とも分からない男に藍ちゃんを渡すつもりはないから、手始めに徹底的に相手の身元を調査するかな、ってさ」
「……手始めって何……」
 次は何をするのだろう。想像したくない。
「さらにだ。もし藍ちゃんを泣かせたり弄んだりなんかしたら、生涯を通じて不幸に見舞われるよう全霊力で呪詛をかけてじわじわと地獄に落とすよって」
「めっちゃ強力なのかけそうな上にスパンが長い! てか怖っ! じわじわってところが怖い!」
「……何気に怖いよね、しげさんって……」
 虚ろな目で呟いた春平に、二人同時に頷く。
「あの人をガチで怒らせねぇ方がいいなって思ったわ、俺」
「俺、心の底から気を付ける……」
 神妙な声色で宣言した大河に、今度は弘貴と春平が同意したように頷いた。
 これが素人ならば冗談として笑い飛ばせるのだろうが、陰陽師を本業としている以上、確実に実行できると分かるから余計に恐ろしい。真夏にも関わらず酷い寒気が走った。
 しばらく行って右へ曲がると、真正面に一軒家、左手には広い公園、右手には一軒家と、向こう側に小学校らしき門が構えていた。真正面の一軒家と小学校の間には、塀に挟まれた小道が先へと延びている。
 と、その小道から、三人組の少年たちが高笑いを上げながら出てきた。同じ年くらいだろうか。
「ったくよぉ、さっさと出せっつーんだよな」
「往生際悪かったよな。で、今からどうするよ。ゲーセンでも行くか?」
「とりあえずどっか行って涼もうぜ。喉乾いた」
 すれ違いざま、何故かじろりと睨まれ蔑むように鼻で笑われた。
 少年たちの声が遠退いたことを確認すると、示し合わせたように一斉に駆け出して小道へと向かう。
「今の会話、ヤバいよな」
「何かしてんな、あいつら」
「大丈夫かな」
 幅二人分ほどの小道は、両側を一軒家と小学校の塀で挟まれ、さらに塀をはみ出した木々で頭上を覆われて薄暗い。涼を取るにはちょうどいいかもしれないが、あの会話は涼を取っていたように聞こえない。入るとすぐに左へ緩くカーブを描いており、外からは見え辛くなっていた。
「あ、いた」
 少し奥へと進むと、道は右へカーブしていた。上から見ると、おそらく緩い「く」の字になっているはずだ。そのちょうど曲がった部分に当たるだろう場所に、一人の少年が地面に倒れ、うずくまっている。
「おい」
 駆け寄りながらかけた弘貴の声に、少年は弾かれたように顔を上げて体を起こした。一見、怪我はないようだがTシャツやジーンズには土がこびりついている。
「だいじょう、あっ! ちょっと!」
 大河が声をかけると少年は素早く立ち上がり、踵を返して脱兎のごとく走り去った。
 三人は足を止め、小さくなる少年の背中を呆然と見送った。激しい雨音のように、蝉の鳴き声が降り注ぐ。
 こんな人目につかない場所で何をしていたのだろう、などと考えるほど、さすがに馬鹿ではない。十中八九、いじめだ。
 酷く怯えた顔をしていた。あの三人組ではないと分かったはずなのに。心配して駆け付けてくれたのか、それとも自分に危害を加える奴らなのかさえの判断すらつかなかったのか。それとも、いじめられていると他人にすら知られるのが嫌だったのか。あの様子からすると、おそらくかなり酷い目に遭っている。人を、信じられない目をしていた。
 大河はビニール袋を握る手に、力を込めた。
「だっせぇな……」
 ぼそりと呟いた弘貴の声に、大河は勢いよく振り向いた。今、なんて。
 目を剥いて見上げた視線に籠った意味を察したのか、弘貴は苦笑いを浮かべた。
「今の奴じゃねぇよ。三人組の方」
「あ……びっくりした、ごめん」
 一瞬、逃げた少年に向けて言ったのかと思った。弘貴がそんなことを言うはずがないのに。
安堵の溜め息交じりに謝ると、弘貴はいやと言って元来た方へと足を向けた。いつまでもここにいても仕方ない。大河と春平も後に続く。
「いじめってさ」
 ぽつりと弘貴が言った。
「要するに、自分より弱い奴を屈服させることだろ。そんで自分は強い気になってんだよな。強さって、まあ色々あるけど、自分より強い奴に勝ってこその強さだと思うんだよ。そもそも、いじめで自分の力を誇示することがだせぇって、何で気付かねぇのかな。俺には理解できねぇ」
 弘貴の持論を聞きながら不意に昔の記憶が蘇り、大河は頭を振った。
「どうにかしてあげられない、かな……」
 名前はおろか、学校すら分からないのにどうにかできるわけがないと分かっている。同情だということも、無責任な発言だということも理解している。けれど、あの怯えた顔が脳裏に焼き付いて離れない。
 独り言のように呟くと、二人は低く唸った。
「もしあいつらが同じ学校だったらどうにかしてやれるかもしれねぇけど、私服だったからな。あんな場所知ってるってことは土地勘があるんだろうし、近所の奴らだろうなとは思うけど……見たことねぇよな」
「うん、知らない顔だった。もし同じ学校ならこっちに矛先向けることもできるけど、そうじゃなかったら、さっきの人が余計酷い目に遭うかもしれないから……」
「だよなぁ……」
 大河は、考えあぐねたように溜め息をつく二人を見やった。
 偶然出くわしただけの見ず知らずの人間を助けるために思考を巡らせ、どうにかしてやりたいと、自分たちに矛先が向いても構わないと言う。それは正義感か、もしくは腕に自信があるからか。いや、きっと二人なら、理由なんかなくても同じように考えてくれたはずだ。
 単純だと、早計だと言われるかもしれない。まだ結論を出すのは早いと。けれど。
「しょうがねぇ、どうにもできねぇもんは。次会ったら何か方法考えようぜ」
「そうだね。話が聞ければ、親や警察に相談する方法も提案できるしね」
 もし内通者がいたとしても、この二人は違う。絶対に。
 組んだ両腕を上げて伸びをする弘貴の背中と、ふっ切るように笑みを浮かべた春平に、大河も笑みを浮かべた。
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