第7話

文字数 3,171文字

 時間は少し遡る。
 下平は昼食もそこそこに、少年課を出て受付でA5サイズの白い二重封筒を受け取った。リンの職場はここから目と鼻の先だ。だが、ショップ店員をしているらしいリンの休憩が今とは限らない。入口付近で足を止め、念のために電話を入れる。
「もしもーし。下平さんだぁ」
 浮かれた声に脱力した。この状況でその明るさは、まあ彼女らしいと言えばらしい。こいつは悪鬼や邪気とは無縁だな。下平は笑いを噛み殺して本題に入った。
「おー、俺だ。今いいか?」
「うん、いいよー」
「ちょっと渡したい物があってな、すぐ終わるから出て来られるか?」
「いいけど……渡したい物って? あ、もしかしてサプライズ!?」
 本当にこいつの思考回路はどうなっている。下平は肩を落として自動ドアをくぐった。
「何で俺がお前にサプライズ仕掛けるんだよ。どこが分かりやすい?」
「んーとねぇ……下平さん、今警察署にいるの?」
「ああ」
「じゃあ、信号渡ったところで待ってる」
 四条通りに面したショッピングモールのため、かなり人通りは多い。心配ないだろう。
「分かった。五分くらいで行くから、うろちょろするなよ」
「はーい」
 良い子の返事を聞いて通話を切ると、下平は速度を上げた。
 龍之介(りゅうのすけ)の事件において、一番危険なのはリンだ。早く護符を渡しておきたい。智也(ともや)たちは冬馬から渡せるとして、ナナはどうするか。職場はリンが知っているようだし、聞いて連絡を入れてから渡しに行くか。だが、こちらはいつ仕事が終わるか分からない。もしくは、受付で護符を預かってもらい、リン伝いに智也か圭介(けいすけ)に連絡を入れて取りに来させるか。ナナの仕事上がりに合わせれば渡せるし、そのまま二人にも護符が渡る。
 そうするか、と考えがまとまったところで見えたのは、ちょうど青に変わった横断歩道の向こうで大きく手を振るリンの姿。すれ違う人々が、横目でちらちらと見て追い越していく。恥ずかしいからやめろ。
「お前なぁ……」
 呆れた声でぼやくと、リンはクエスチョンマークを頭に浮かべて首を傾げた。まったく、と今度は心でぼやく。
「ね、渡したい物ってなぁに?」
 何故か期待顔で見上げてくるリンに、下平は辺りを見渡した。お守りを渡すだけだし、ここまで人通りが多いとどこでも同じだ。施設内も人でごった返しているだろう。とはいえ、こんな往来ではさすがに。
「ちょっと来い」
「うん?」
 近くの太い柱へ向かう下平の後ろを、リンがちょこちょこと追う。下平は柱の裏で足を止め、改めてリンを振り向いた。店内からは商品の棚が目隠しになり、道路からは死角になる。
「冬馬から話は聞いてるな?」
 率直に尋ねると、リンは顔を曇らせてこくりと頷いた。
「でな、これ」
 封筒を差し出すと、リンは首を傾げた。
「なあに?」
「お守りだ」
「お守り?」
 リンは不思議そうに封筒のセロテープを剥がし、中を覗き込んだ。とたん、
「え――っ! 可愛い――っ!」
 歓声を上げた。可愛い?
「これどこで買ったの!?」
 はしゃぎながら引っ張り出されたそれに、下平はぎょっと目を丸くした。青い布地に白い星がちりばめられ、黒い刺繍糸で「厄除け」と刺繍されている。どう見ても子供向けの生地だ。なんでお守りがこんなに可愛らしいんだ。
「あれ? ていうかこれ、もしかして手作り? え、下平さんが作ったの!?」
「そんなわけねぇだろ!」
「えー、でもどう見ても手作りだよね? じゃあ誰が作ったの?」
 何がどうなっているのかさっぱり分からない。受け取った感触からしてお守り袋に入っていることは分かったが、まさかこんなことになっているとは。
 ねー誰? と迫るリンに、下平は脳みそを高速回転させてネタを捻り出した。そうだ。
「よっ、嫁がなっ」
「嫁って、別れた奥さん?」
 リンはこういう性格だ。アヴァロンで初めて会ってからしばらくした頃、指輪をしていないことに躊躇いなく突っ込んできたため話してやった。
「そうそう。お前たちのことをちょっと話したらえらい心配してな、最近あれだ、ほら、神社巡りにハマっててな。それが高じてそんなもんまで作るようになっちまったんだよ」
 昔、嫁が幼い娘に習い事用の手提げを作っていたことを思い出したのだ。なんとか捻り出した言い訳を、下平はかなり怪しく視線を泳がせながらまくしたてた。背中に冷や汗を流しながらリンの反応を待つ。
 しばらくして、リンは見上げていた下平からふいと視線をお守りに落とした。
「そっかぁ……」
 さすがのリンも信じないだろうか。下平が心臓をばくばくさせていると、リンは満面の笑みを浮かべて顔を上げた。
「優しい奥さんだね。ありがとう、嬉しい!」
 その素直さと太陽のような笑顔が眩し過ぎて、つい顔を逸らした。心なしか後光が見える。下平は、すまんでもしょうがないんだ許せ、と心の中で何度もリンに手を合わせた。
「これ、いっぱいあるけどもしかしてナナたちの分も入ってるの?」
 本当に嬉しそうに尋ねたリンに、下平は我に返った。
「ああ、あるぞ。そうだ、俺の分も入ってるんだよ。一つくれ」
「なんだ、ラブラブだね。復縁しちゃえばいいのに」
 ニヤついた笑みを浮かべるリンに、下平は目を据わらせた。咄嗟に思い付いた言い訳が裏目に出た。
「大人をからかうな。いいからほら」
 ひらひらと手を振ると、リンは「あたしも大人だもん」と膨れ面で逡巡し、先程の星と色違いの赤いお守りを引っ張り出した。
「下平さん、見た目が厳ついからこういう可愛いの持ってた方がいいよ」
「余計なお世話だ」
 お守りを受け取りながら髪を掻き回すと、リンは「やだやめてよー」と言いながらも甲高い笑い声を上げ、ふと顔を曇らせた。力のない、切なそうな顔。
「どうした」
 お守りを内ポケットにしまいながら尋ねる。リンはすぐにううんと首を横に振って顔を上げ、いつものように笑った。
「何でもないよ。じゃあこれ、ナナたちに渡しとくね」
「いや、ちょっと待て。お前をうろうろさせるわけにはいかねぇから、智也たちに届けさせる」
「え?」
 こてんと首を傾げたリンに、下平も首を傾げた。
「下平さん、まだ聞いてないんだ」
「何をだ?」
「智くんと圭くん、これから毎日迎えに来てくれるって。昨日も来てくれたんだよ」
「は?」
 昨日の時点では、夜に出掛けた時だけだという話だったが。夕方冬馬から来たメッセージにも、良親の住所が分かったことだけで、そんなことは書かれていなかった。いつの間にそんな話にと思ったが、どうせ冬馬と会うのだ。あとで詳しく聞けばいい。
「お前だけか?」
「まさか、ナナも一緒だよ。あたしが早番の時って、上がる時間あんまり変わらないから」
「じゃあ、今日もあいつら来るんだな?」
「うん」
「そうか。ならその時に渡してやってくれ。ああそれと、そのお守りすげぇ効果があるらしいから、肌身離さず持ち歩けってさ」
「うん、分かった」
 リンはくすくす笑った。冬馬には店で智也と圭介が渡すだろう。
「――リン」
 封筒の口を折り畳んでいたリンが顔を上げた。
「しばらく窮屈だろうが、我慢しろ。絶対になんとかしてやるから」
 真剣な眼差しで宣言した下平に、リンが眉尻を下げて目を細めた。ぎゅっと唇を結び、また笑った。
「ありがとう」
 えへへ、と照れ笑いを浮かべたリンにつられて下平も笑みをこぼす。
「そろそろ戻らなきゃ」
「悪かったな、昼休み削っちまって。頑張れよ」
「うん、下平さんもね。お守りありがとう。奥さんにお礼言っておいてね」
「おお」
 リンは小さく手を振り、封筒を大事そうに胸に抱えてひらりとスカートを翻した。人波の中を小走りに駆けて行くリンの背中を見送る。
 ふと見せた不安気な顔。あんなこぼれるような笑顔を、たった一人のくだらない男がくだらないことで曇らせた。
 小さく舌打ちをかまし、下平は早足で雑踏に紛れた。
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