第13話

文字数 3,627文字

 それから機動捜査隊は引き継ぎを終わらせて引き上げ、茂たちはまた後日と所轄の刑事に言われて現場をあとにした。その際、夏也から車を踏み台にしたことを謝られたが、中古で傷もなかったので気にするなと告げてやると、彼女はほっと胸を撫で下ろした。無表情という印象が強かっただけに、少し意外だった。
 そして紺野は、緒方を残して沢村と共に現場をあとにした。来た時とは反対に、警察車両が連なった道をゆっくりと引き返す。
「すみません、沢村さん。帰宅されてましたよね」
「いや。妻のげ……」
 沢村が、小さく首を振って中途半端に言葉を切った。
「げ?」
「……妻の仕事が終わったから、外で食事をしていた。それに、北原の事件の犯人と同一人物かもしれないと聞いたからな」
 切った言葉の続きを気にしつつ、紺野はますます罪悪感を覚えた。
「ほんとすみません。結局別件で……あの、奥さん、大丈夫でした……?」
 ばつの悪い顔で恐る恐る尋ねると、沢村はすんなりああと頷いた。
「理解してくれている」
 なんかもう理想の夫婦ではないか。下平が聞いたら羨ましがりそうだ。そうですか、と紺野が安堵すると、沢村が言った。
「ところで、一つ気になることがあるんだが」
「はい」
「緒方さんから、いきさつは聞いた。お前は、どうしてこんな所まで探しに来たんだ?」
「ああ、そのことですか。科捜研の別府さんから、対象車両が白川通りを北上したと連絡があったんです。白川通りは367号線と合流して、367号線は途中で477号線と合流しますよね。以前、廃墟マニアの友人があの場所に廃墟があると言っていたのを思い出したんです。マイナーな上に周りには何もないと聞いたので、もしかしてと思って。まさか本当に見つかるとは思いませんでしたけど」
 用意していた言い訳を淀みなく口にすると、沢村は一拍置いて「なるほど」と呟いた。
何というか、鬼代事件に関わってから言い訳や嘘が上手くなっている気がする。嫌なスキルが身に付いたものだと、紺野はこっそり嘆息した。
 近くの集落では、けたたましいパトカーや救急車のサイレンを聞き付けた住民らが、あちこちで人だかりを作っていた。滅多にない事態に浮足立っているのか、彼らはゆっくりと進む紺野の車に手を振ってわざわざ止め、何があったのか、大丈夫なのかと質問攻めにした。犯人は捕まりましたのでご安心くださいと告げると、とたんにほっと胸を撫で下ろし、周囲の人たちに伝えに走った。
 沢村に推測の範囲内で犯人の動機や茂たちのことを伝え、左京区の自宅に送り届けたあと、紺野はコンビニに寄って飲み物と弁当を買い、そのまま車内でメッセージアプリを立ち上げた。今すぐ食べてしまいたいほど腹は減っているが、このまま府警本部へ戻って報告書を書くつもりなので、下平たちへの報告を先に済ませておかなければ。
 グループから電話をかけようとして、ふと思いとどまった。近藤にも着信が行くのはまずいか。仕方なく下平だけに報告を入れた。
「じゃあ、お前たち全員無事なんだな」
「はい。近藤は病院に搬送されましたが、大きな怪我はありません。茂さんたちも何とかごまかせたようです」
「そうか」
 安堵した長い溜め息に、紺野は口元を緩ませた。相当やきもきしていたようだ。
「熊田さんと佐々木さんも、すげぇ心配してたぞ。鬼代事件だったらなおさらだし、例の拉致計画の被疑者についても、結局何も分からなかったからな。けど、まさか受験がらみとはなぁ。何年前の話だよ。逆恨みにも程があるだろ」
「まったくですよ。ああそうだ、冬馬に礼を言っておいてください。あいつからの情報がなかったら、警戒度も違っていたでしょうし」
「そうだな、分かった。伝えとく。あ、それとな。お前から連絡をもらったあと、先に明さんに電話したんだけど、繋がらなかったんだよ」
「繋がらなかった?」
 それで宗一郎から連絡が来たのか。
「ああ。仕事だったのか?」
「そうだと思いますけど。香苗の事件の時も繋がらなくて、仕事だったと言われたので」
「そうか。あんな状況だったから、賀茂さんにも聞けなくてちょっと心配だったんだ。それならいい。で、お前はこれから帰るのか?」
「いえ……本部に戻って、報告書と……始末書を」
「やっぱりか」
 もごもごとした答えに豪快な笑い声が返ってきて、紺野は渋い顔をした。
「笑い事じゃありませんよ。こんな時に余計な仕事増やされて」
 くつくつと低く喉を鳴らす下平に、紺野はますますふてくされた。主犯の男は、近藤に向かって絶対許さないと喚いていたが、そのセリフそっくりそのまま返してやりたい。
「まあまあ、近藤の命と引き換えなら安いもんだろ」
 さらりと返ってきた反論に虚をつかれて、紺野は目をしばたいた。その発想はなかった。言われてみればそうかもしれない。始末書一枚で近藤の命を救えたのだと思えば。とは思うものの、口は素直ではない。
「そりゃ……、まあ……」
 視線が泳ぐ。二度目のもごもごとした答えに、下平が笑いを噛み殺したのが分かった。紺野はたまらず頭を掻いた。
「とにかく、熊田さんと佐々木さんに連絡をお願いします」
「はいはい。お疲れ」
「お疲れ様です」
 吐き捨てるように言って、ぶつっと切ってやる。今頃一人で笑っているのだろうと思うと、悔しいやら照れ臭いやら。
「ったく」
 後輩に変わりはないが、こちらもいい年だ。どうにも子供扱いされているようで立場がない。紺野はふくれ面でホルダーに携帯を放り込み、府警本部へと車を走らせた。
 と、ぐるると腹の音が鳴り、紺野は嘆息した。夕飯のメニューも決めていたのに、結局作り損ねてしまった。茂たちや左近にもとんだ迷惑を――と、不意に疑問が頭を掠った。
 あの時、朱雀へと変化した左近は外にいた。窓はかなり薄汚れ、近藤は殺害される寸前だった。ということは、左近は室内の会話が聞こえていたことになりはしないか。
「式神ってのは、そんなに耳がいいのか……?」
 あるいは、室内に精霊がどこかにいて伝言ゲーム的に状況が伝わっていた、とか。
「……まあ、神だしな」
 常識で考えれば有り得ない状況も、その一言で片付けられるのは楽なのか、はたまた思考放棄なのか微妙なところだ。何にせよ、近藤は無事だったのだ。良しとしよう。
 府警本部に到着してまず向かったのは、科捜研だ。
 別府はいるはずだから知っているだろうかと思いつつ顔を出すと、押し寄せるように出迎えられ、半泣きで礼を言われた。
 別府が言うには、花筐には別府の他に男性所員一人、女性所員二人の計四人で訪れていたそうだ。紺野へ連絡を入れたあと、女性所員を一人残し、別府たちは科捜研へ舞い戻って作業に入った。そして事件終息後、母親に近藤から直接連絡が入り、彼女に付き添っていた女性所員経由で科捜研へ報告があったらしい。現在、付き添いの所員は母親と共に搬送先の病院にいるそうだ。
 結局犯人は誰で動機は何だったのか聞かれたが、犯人が明確に証言したわけではないからと言って濁した。ただ、近藤に非はないことだけは伝えると、彼らは一様に全身で脱力した。
「もー、近藤くん失礼なこと言うから、どっかで恨み買ったんだとばっかり」
「有り得ないって言えないのが近藤だよな。仕事はできるのに、そういうとこちょっと抜けてるからなぁ」
「マイペースで気になることがあると他の仕事そっちのけで没頭するしね。あの恍惚とした顔が怖いのよ」
「で、そのしわ寄せが僕たちに来るんだよねぇ」
 そうそう、と神妙に頷き合う別府たちに苦笑が漏れる。でもまあ、と別府が続けた。
「とにかく、無事で良かったよ。ありがとね、紺野くん」
 相好を崩した別府に続いて、野道たちも口々に礼を告げる。
 変わり者扱いというよりは、迷惑がられていると言った方が正しいようだ。だが同時に、こんなに心配するほど慕われてもいる。その理由が、今なら分かる気がした。
 科捜研をあとにして、紺野は少々浮かない顔をした。
 犯人の動機は、あくまでも言葉の端々からの推測だ。だが間違ってはいないだろう。それでも伝えなかったのは、やはり明確に証言が取れていないから。――いや、自分の口から伝えたくなかっただけかもしれない。
 犯人は「お前も、お前の上司も」と言った。おそらく、近藤と奴が試験を受けた時の面接官は、別府だったのだろう。そしてあの男は、近藤だけでなく別府も恨んでいた。もちろん、別府が罪悪感を覚える必要はない。動機は明らかに身勝手で的外れだ。だが、彼はどう思うか。
「……俺が気にしてもな」
 別府は気にしないかもしれないし、したとしても近藤が上手くフォローするだろう。任せるしかない。
 紺野は気持ちを切り替えて腕時計を確認し、眉間にしわを寄せた。報告書と始末書。今日中に帰れるだろうか。近藤の命と引き換えに、という意見に異論も反論もないけれど。
「腹立つもんは腹立つな」
 一課へ足を向けながら、紺野は一つ舌打ちをかました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み