第3話

文字数 4,102文字

 冬馬たちが再び狙われる可能性が出た以上、平良はともかく雅臣と健人、似顔絵、念のために深町弥生(ふかまちやよい)の顔を彼らに確認させておいた方がいい。
 リンとナナの件は、あくまでも龍之介(りゅうのすけ)が二人を狙っているという前提だ。例えば犬神事件のように、千代が龍之介に従うよう悪鬼に命じ襲わせるだろうという憶測のため必要ないと思っていたけれど、冬馬たちの件はそうはいかない。相手は術者と悪鬼の両方だ。
 昼食を食べ終え、屋上の喫煙所で一人収穫のない聞き込みに頭を悩ましていると、ナナから一本の電話が入った。お守りの礼ともう一つ。その内容は予想していたものでもあり、しかし決して喜ばしくないものだった。
 ナナは下平(しもひら)が龍之介の結果を送ったあと、情報を聞いたキャバ嬢に、改めて詳しい話しが聞きたいと連絡をしたらしい。犯歴どころか被害届すら出ていないことに疑問を持ったのだろう。すると彼女は知り合いを当たってくれたらしく、そこから新しい情報が得られた。被害に遭った女性の何人かは、被害届を出したのだという。被害内容まではさすがに聞かなかったそうだが、間違いないらしい。
 つまり、揉み消された。警察内部の人間によって。噂が噂ではなくなったのだ。
 ここで矛盾に気付いた。
 協力者と揉み消した人物が同一とは限らない。犯人たちが草薙親子のことをどこまで知っているかにもよるが、紺野が言うように、犯人たちの狙いが犯罪者だったとしたら、草薙親子と手を組んだりするだろうか。寮に内通者がいるのは確定済みなのだから、揉み消しを知らなくても龍之介の件は確実に知っている。
 となると、考えられる可能性は五つ。
一つ目は、草薙が黒幕で、龍之介は標的から外された。
二つ目は、二人とも事件に関与し、ゆえに龍之介は除外。
三つ目は、龍之介だけが関与し、草薙は無関係。
 ただし、これらの可能性は龍之介の件を知っているのに仲間、あるいは除外するメリットがあればの話だ。
 四つ目は、二人とも無関係だが龍之介は標的にされている。
 五つ目は、揉み消しのことを知っているとしたら、二人とも無関係だが親子共々標的になっている。
 もし龍之介が関わっていなければ、リンとナナが悪鬼に襲われる可能性はなくなるが、奴に狙われる可能性は残る。また冬馬たちの方も、草薙云々ではなく犯人たちの標的になっているという前提のため、油断できない。
 なんにせよ、警戒を解くのは危険だ。
 宗史は乱暴な推理だと言っていたらしいし、そもそも、全てが憶測に憶測を重ねた上での警戒だ。正解なのか杞憂なのか、判断ができない。
 ひとまず紺野(こんの)北原(きたはら)、当主二人へメッセージを送り、冬馬へは「詳細は夕方に連絡する」と添えて平良たち三人の写真と似顔絵、念のために弥生の写真を送った。樹は会った時にでも話せる。それにどのみち当主から報告がいくだろう。
 そして午後二時頃。樹から今朝送ったメッセージの返信があった。夕飯を終えた八時頃なら時間が取れるらしい。近くに小さな公園があるからそこでと約束をした。
 さらに夕方。相変わらず収穫のない聞き込みに落胆しつつ署に戻り、とりあえず一服と屋上で冬馬に電話を入れた。理由や根拠を伝えるとなると、事件内容まで話さなければいけない。犯人側の目的が犯罪者だと言うのはさすがに気が引ける。さてどうするかと考えた結果、
『また狙われる可能性が出たから気を付けろ。送った写真の男二人は平良の仲間確定だ。女と似顔絵は捜査中だから、分かり次第連絡する』
 と伝えた。冬馬はどう解釈したのか、理由を聞くことなく「分かりました」とだけ返してきた。ついでにリンとナナの様子を尋ねると、今のところ何も変わった様子はないこと、冬馬自身も同行すると聞かされた。何かあった時、確かに冬馬がいた方が心強い。
 そして現在。午後八時前。
 下平は、寮の住所を頼りに探した公園の前に車を停めた。公園内に外灯は一本しかないが、道路にも街灯があるため悪さはできない程度には明るい。住宅街の中にあるだけに、帰宅ラッシュは過ぎているもののちらほらと人通りがある。煙草を吸いたいが、ここでは気が引ける。公園の中に移動するか。下平は預かった紙袋を手に車から降りた。昼間に蓄積した熱を放出するアスファルトの匂いと公園の土の匂いが混じった、夏の湿気た空気が押し寄せる。
 ここはおそらく、双子の散歩コースになっている公園だろう。十字路の角にあり、奥と右側は民家の塀だ。ブランコに滑り台に小さな砂場、奥の壁際にはベンチが二基と、確かに子供には物足りない設備だ。走り回れるスペースがない。もっと設備が整っていれば、あの日、遠くの公園に足を延ばすことはなかったのだろう。そうすれば、影正(かげまさ)も。
 そこまで考えて、下平はうんざりした息を吐いた。事件に関わってから、どうも感傷的になることが増えた気がする。
「下平さん」
 ますます喫煙衝動に襲われた時、名を呼ばれて振り向いた。
「お前、なんて格好してんだ」
 見るなり渋い顔を呈した下平に、樹はむっと唇を尖らせた。
「いいでしょ別に。近くだもん」
 ジャージによれよれのTシャツにサンダル。まさに近所から来ましたといった格好だ。一方、怜司の方はチノパンにTシャツとラフだが、だらしない印象はない。むしろすっきりして爽やか好青年だ。
「抜けてきて平気だったか?」
 尋ねると、怜司が答えた。
「ええ。冬馬さんが渡したい物があるらしいからと言ってきました」
 ということは、全員に冬馬の存在は知られているらしい。廃ホテルの件を話すにあたって、さすがに冬馬たち抜きでは辻褄が合わないだろう。どんな関係だったのか話したのだろうか。
「まあ嘘じゃねぇな」
「そうだけど、おかげで寮に連れてくればいいってしつこく言われたんだよ? なんでそんなに会いたがるのか分かんない」
 膨れ面でぼやく樹に、下平は短く笑った。
「あんな事件の関係者だからな。お前がどんな奴と付き合いがあるのか、実際会って知っておきたいんだろ。心配されてんだ、いいことじゃねぇか」
 素直な意見を言ってやると、樹は何度か瞬きをしてふいと顔を逸らした。それを見た怜司が笑いを噛み殺す。何だ。
「じゃあ、俺ちょっと飲み物買ってきます。下平さんは何か飲まれますか」
「ああ、そうだな……ていうか、一人で大丈夫なのか?」
「ええ」
 短く肯定して空を仰いだ怜司につられて見上げると、頭上を白い物が四つ、蝶のようにひらひらと旋回している。民家の屋根よりさらに上の高さ、人の形に見える。
「なんだ? あれ」
「擬人式神です。時間が時間なので、香苗(かなえ)が心配して付けてくれたんです。近くに何かいたら教えてくれますよ」
「へぇ、あれが擬人式神か。なるほどなぁ」
 思わず感嘆の息が漏れた。正直、紺野から話を聞いた時はたかが紙切れに何ができるのだろうと思っていたが、こういう使い方ができるのか。香苗といえば昨日のことが気になるが、紺野が明から聞いているだろう。
 下平は怜司に顔を戻した。
「じゃあ、コーヒー頼めるか。ありがとな」
「僕カフェオレ」
「甘味禁止中だろ」
「コーヒーは甘味じゃないもん」
 怜司が嘆息して背を向けると、擬人式神の二体が後を追いかけた。そういう指示がされているのだろう。改めて陰陽術の凄さを実感する。
「甘味禁止中ってなんだ?」
 下平はワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出しながら、奥のベンチへと足を進める。樹も自然と横に並んだ。
「報告を怠った処分」
 下平は煙草を口元で止め、若干不機嫌な樹の横顔を盗み見して喉で笑った。
「お前、まだ甘党か」
「嗜好品なんてそうそう変わらないでしょ。下平さんの煙草と同じ」
 確かにな、と苦笑いで呟いて下平が煙草に火を点けて深く吸い込むと、樹が手元に視線を落とした。
「それより、渡したい物ってそれ?」
「ああ」
 煙を吐き出しながら煙草をポケットにしまう。ベンチに腰を下ろしながら提げていた紙袋を三つ差し出すと、樹は受け取りながら隣に座った。
「こんなに何かあったかな」
「それな、ピンクのやつは椿に、ブランドのロゴが入ったやつはハンカチを貸してくれた奴に。冬馬は陽じゃねぇかって言ってる。で、残りの一つがお前だ」
「ああ、なるほど。了解」
 納得するのか。熟年夫婦かこいつら、と下平は少々呆れ気味に煙草をくわえた。
 樹は椿と陽の分を横に置き、自分の分を開けて覗き込んだ。
「あ……そうか、忘れてた」
「何だ?」
 人に預けてまで返そうとする物が何なのか。下平が振り向いて興味本位で尋ねると、樹は中からビニール製の青い袋を取り出した。百均などで売っている、チャック付きの整理袋だ。
「通帳と印鑑」
「は? なんでそんなもん……」
 言いかけて気付き、下平は口をつぐんで前を向き直る。母親の側に置いておけず、冬馬に預けていたのか。そしてそれを三年間、冬馬は自宅できちんと保管していた。人に貴重品を預けておいて忘れるなんてとは思うが、あんなことがあったからか、それとも冬馬だったから忘れたのか。もちろん良い意味でだ。
 改めて気付かされる。樹と冬馬の間には、自分が思っている以上の信頼関係があるのだと。
「ふふふふふ……」
 不意に聞こえた不気味な笑い声に、下平は反射的に振り向いて仰け反った。樹が広げた通帳に目を落としたまま、何か企んでいるような、狡猾な笑い声を垂れ流している。微笑ましい気持ちが一気に吹っ飛んだ。
「おい……」
「事件が終わったら、これでケーキバイキングのはしごしてやる」
 誰に言うともなく呟かれた言葉を頭で反復し、下平は盛大に溜め息をついて煙草をくわえた。あの頃、引っ越し費用を貯めていたからそれなりの額になっているだろう。何を企んでいるのか思いきや。樹らしいといえばらしいが。
「お前な、無駄遣いしねぇでちゃんと貯めとけ。このご時世、何があるか分かんねぇだろ」
「失礼な、無駄じゃない。僕のエネルギー源なの。それに、人間がいる限り陰陽師(ぼくたち)が食いっぱぐれることないもん」
「……世知辛いこと言うんじゃねぇ」
 正論だが認めたくない。まったく、と呆れる下平とは反対に、樹はうきうきした顔で通帳を袋に戻して横に置いた。

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