第2話

文字数 2,589文字

 遠ざかる葉音が聞こえなくなってから、大河はスイッチが入ったように柴の手を振り払った。勢いよく振り向いて見上げる。
「何で行かせたんだよ!」
 反応したのは紫苑だ。不快げに目を細めて身を乗り出す。口を開きかけたところを柴に腕で止められ、しぶしぶと体を引いた。
 柴は、責める視線から目を逸らさずに、静かに答えた。
「拘束しようとすれば、奴らは必ず抵抗する。そうなれば、どうなる」
 ついと視線を投げた先には、影唯たち。影唯や省吾、雪子は心配そうな目でこちらを窺い、風子は雪子に肩を抱かれて俯いている。
 抵抗されれば、戦いは激化する。怪我の一つ二つでは済まないし、集落へもきっと影響が出る。悪鬼を全部使い切った保証もない。島の皆を守るために、影唯たちに凄惨な場面を見せないために、行かせたのか。
 大河はぎりっと歯を鳴らして身を翻し、大股で一歩を踏み出した。決めつけはよくない。でも、どう考えても省吾がこんなことをするとは思えない。
 険しい顔で風子を見据える大河を、影唯と省吾が慌てて止めに入った。
「大河、落ち着きなさい」
「待て、大河」
 二人に腕を掴まれて、大河は風子から少し離れた位置で足を止めた。深呼吸をしてから口を開く。
「風」
 低くて静かな声に、風子がびくりと肩を跳ね上げた。
「お前、鈴や尚さんが何でわざわざここに来たのか、知ってたんだよな。だったら、俺たちがどんな気持ちで戦ってたのか分かるだろ」
 島の皆へ被害を出さないために、尚はわざわざ来てくれた。影唯と雪子を心配して、鈴は四日も前から護衛してくれた。よくよく考えれば、完治していたとは限らないのだ。
 宗一郎と明をはじめ、皆が守ろうとしてくれた。それなのに。
 問いかけに返ってきたのは、沈黙だった。
「風子ッ!」
 鋭く名を呼ぶと、風子はますます肩を竦めた。両腕で抱きしめた雪子の腕に顔をうずめ、小さな嗚咽を漏らして体を震わせる。
「大河」
 やめなさい、と雪子に目でたしなめられ、大河は両手を強く握り締めた。
 さっきから、手の震えが止まらない。
 宗史の判断と指示があと少し遅れていれば、柴と紫苑の反応が遅ければ、紫苑の機転がなければ、影唯は殺されていたかもしれない。影唯だけではない。雪子も、省吾も、風子も。また、大切な人を失うところだった。
 それに多分、この震えはそれだけではない。
 雪子が大河の手元へ視線を落として、痛々しげに眉を寄せた。影唯が省吾を見やる。
「省吾くん、風ちゃんを頼めるかな。ヒナちゃんには連絡しておくから」
「分かった」
 省吾は溜め息まじりに頷いた。俯いたまま動かない大河の腕から手を放し、ぽんと軽く背中を叩く。風子の元へ歩み寄り、帰るぞと小さく促した。
 雪子が腕を解くと、風子がぽつりと言った。
「……ごめんなさい」
 その弱々しい謝罪に、大河は答えなかった。
 風子がくしゃりと顔を歪ませ、しゃっくりのような嗚咽を漏らす。省吾に押されるがまま背を向け、ゆっくりと足を進めた。
 離れていく二人を見送る雪子が心苦しそうに眉尻を下げ、影唯が携帯を操作した。弥生たちは素直に撤退したらしい。戻ってきた朱雀に、鈴が指示を出す。
「二人の護衛を頼む。無事送り届けたら戻ってよい。ご苦労だったな」
 朱雀は一つ羽をはばたかせ、二人を追う。入れ替わりに、宗史と晴を抱えた志季が戻ってきた。道路に半分ほどせり出した枝葉を避けて着地したのは、省吾たちの背後。大河が緩慢な動きで顔を上げ、風子がびくりと体を震わせて勢いよく振り向いた。
「おー、お前ら怪我ないか?」
 軽い口調で尋ねたのは、志季の肩からぴょんと飛び下りた晴だ。反対に宗史は、志季に支えられてやっとといった感じだ。
 省吾が風子の頭を押さえつけて、一緒に頭を下げた。
「大丈夫です。すみません、ご迷惑をおかけしました」
「ごめんなさい……」
 晴が宗史に肩を貸している間に、志季は盛大に溜め息をついて風子の前へ歩み寄った。そして、ぽんと風子の頭に手を乗せ、乱暴に髪をかき回す。
「いいか、風子。お前の気持ちは分かるけどな、おてんばも度を過ぎればただの無謀、いや、向こう見ず? 無鉄砲? まあ何でもいいか。とにかく、二度とすんな。怪我なくて良かったわ。気を付けて帰れよ」
 志季が手を離すと、風子はこくりと小さく頷いた。省吾が会釈をして背を向け、ゆっくりと坂を下っていく。
 朱雀に見守られながら遠ざかる二人の背中を見つめ、大河は唇を噛んだ。
 あれだけ言い聞かせたのに、という気持ちはある。志季が言うように、おてんばなどという軽い言葉では片付けられないのだ。
 けれど、それと同じくらい、自責の念も湧いた。
 何度目だろう。決めたはずの覚悟が揺れるのは。そもそも、自分が事件に首を突っ込まなければ、省吾たちを巻き込むことはなかったのではないか。風子を傷付けなくて済んだのではないか。
 自分の我儘が、選択が、大切な人たちを傷付けている。
 でも――。
「大河」
 影唯がヒナキへの連絡を終わらせて、携帯をポケットにしまった。独鈷杵を持っている大河の手を右手ですくうように持ち上げ、左手で覆う。あやすようにぽんぽんと叩いて、強く握った。
「未来は、誰にも分からない。陰陽師の先見でさえはっきりしたことは分からないし、絶対とは言えない。だから、自分が選んだ道を後悔しないように、全力で進みなさい。おじいちゃんも、そう言ってただろう?」
 穏やかな微笑みを見つめ返し、大河は唇を一文字に結んで小さく頷いた。
「もちろん、お父さんもお母さんも、省吾くんたちだって心配してる。怪我をしていないか、辛い思いをしていないか、いつも心配してるよ。でもそれは、お前がどんな道を選んでも同じだ。だったら、自分で選んだ道を、自分を信じて進みなさい。それに」
 ぐるりと回りを見渡した影唯に倣って、大河は視線を巡らせた。
「お前は、一人じゃないんだから」
 宗史に晴、志季、鈴、柴に紫苑。樹や紺野たち。きっと、皆も何かしらの選択をして、その選択を後悔しないように、全力で立ち向かっている。
 京都へ連れて行ってくれた宗史と晴。許可してくれた影唯と雪子。受け入れてくれた省吾たち。迎え入れてくれた寮の皆。そして、信じてくれた影正。
 皆の選択を、間違いだったと思わせたくない。思わせてはいけない。
「うん」
 小さく頷いた大河に、影唯が満足そうに頷き返した。
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