第31話

文字数 2,459文字

 嫌いだから、冷たく当たっていたわけではない。むしろ逆で、かつ自分勝手な理由だった。
 学生なんだから、華たちより訓練時間が短いことは分かっていた。勉強や学校行事、友達付き合いは大切だ。それでも、茂たちと比べるとどうにも真剣さが足りないように見えて、もう少し気合いを入れてやればもっと強くなれるのではないかと思った。あとから入寮した茂たちにも追い越されているのに、学生なんだからと当然のように受け入れる。同じことを何度指摘されても直らない。初めは、人それぞれだからと思っていたけれど、初陣を経験し、生易しい世界ではないのだと改めて実感した。
 弱ければ殺される。陰陽師の生死は、実力で決まるのだ。
「香苗……っ」
 美琴はぎりっと歯を鳴らし、右腕にめいっぱい力を込めて上半身を持ち上げた。息を切らし、周囲に視線を巡らせる。少し先に見つけたのは、まだ真新しい金色の独鈷杵。ずり、ずり、と両足と右腕を使って地面を這う。
 母から殺されかけたあの時も初陣も。運良く明や樹たちに助けられたけれど、もし一つでもタイミングが違っていれば、自分は死んでいた。弱い奴は、死ぬのだ。
 自分よりも長くこの世界にいるのに、どうしてそんなことが分からないのか。一向に成長しない弘貴たちに、苛立った。でも、弱い自分が何を言っても説得力がない。強くなる理由がもう一つ増えた。いくら楽観的でも、弘貴と春平は男で三年の差があって、香苗だって多少のプライドはあるだろう。
「く……っ」
 指先に独鈷杵が触れ、装飾をひっかくようにして手繰り寄せる。強く掴んで引き寄せ、右腕を支えに背中を丸め、足を縮め、体を起こす。
 強く、もっと強くなって欲しかった。確かに、入寮直後の弘貴の構い方は度を越していて鬱陶しかったし、年上とは思えないくらい直情型で単純で呆れることも多いけれど、常に明るくて前向きで、悪い奴でないことは分かっていた。春平は、考えすぎるきらいはあるけれど、どちらかといえば合理的で、普段は温厚で冷静なタイプなので信用できる。
 そして香苗は、ちょっとどんくさくてお人好しで内向的で、でもいつも笑顔で、誰にでも優しくて、自分を弱いと思っているわりには意外と根性がある。けれど同時に、時々見せる人の機嫌を窺うような目は、あの頃の自分を思い出させた。母に怯えて、弱くて、何もできない惨めな自分。彼女を通して、以前の自分を見ていた。だから距離を置いた。見たくないものを見ないために。
 全ては勝手な願いと、弱い自分のせい。だから嫌われてもいいと思った。ただ、彼らが強くなって死なずに済むのなら、それでいいと。
 それなのに――。
「……か、づくな……」
 こんな傷、長年受けたあの痛みに比べれば、母がかけた呪詛に比べれば一時的なものだ。なんてことない。
「ちか、づくな……っ」
 右腕を支えに左足を立て、ゆっくりと立ち上がる。全身汗まみれの傷だらけで、息も切れ切れで、きっと廃ホテル事件の大河よりも酷い有り様だ。自分の体とは思えないくらい重い。
 ゆらりと瞳を上げると、隗がこちらを振り向いた。
「香苗に……っ」
 誓った。母の呪縛から逃れるために、明たちに恩を返すために、大切な誰かを守るために、強くなると。
『あたしの友達に酷いこと言わないで!!』
 ――友達一人守れなくて、何が強さだ。
「あたしの友達に近付くなッ!!」
 怒声に弾かれたように現れたのは、見事に再現された霊刀。隗を見据え、素早く半身に構える。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!」
 霊刀に大量の水の渦が顕現し、間髪置かずに全力で振り抜いた。木々が傷付くとか、この程度で隗がやられるわけがないとか、そんなこと考えている余裕などなかった。ただ香苗を逃すことだけしか、頭になかった。
 渦巻いていた水が霧散し、隗目がけて勢いよく空を切る。香苗がとっさに頭を抱えてしゃがみ込み、水塊が周りの木の幹を抉り、貫き、乾いた音を響かせた。
「美琴ちゃんッ!」
 悲鳴のような香苗の声が聞こえた。と思ったら、目の前に隗がいた。薄ら笑みを浮かべて腕を後ろに引いている。鋭い爪が結界の光を反射して、綺麗に光った。
 ――ああ、ここまでか。
 頭の中で、冷静な自分がそう判断した。祖母と行った須磨寺。祖父との写真。買ってもらったランドセルに入学式、参観日に運動会。小さなケーキとピザでお祝いしてくれた誕生日。楽しかった修学旅行。瑠香たちと遊んだ公園に、もらったお下がりの制服と服。明と初めて出会った日のことや、寮での日々。
 あんなに辛いことがあったのに、走馬灯で見るのは楽しいことばかりなのだなと、頭の隅で考えた。
「美琴ちゃんッ!!」
 香苗の悲痛な声が、妙に耳に響く。
 皆、悲しんでくれるかな。泣いてくれるかな。いつまで、覚えていてくれるだろう――。
 そんな感傷を打ち破ったのは、不意に隗の背後に降ってきた人影。ドゴッとくぐもった鈍い打撃音と共に、一瞬で目の前から隗が消えた。さらに、人影の後ろにもう一つの人影が降ってきた。木々がなぎ倒される乾いた音が、遠ざかりながら連続して森に木霊する。
 足を横に振り抜いた格好で、忌々しげに土煙が上がる森の奥を睨みつけているのは、右近。珍しく着物が破れているが、悪鬼を全て排除し終わったようだ。
「すまない、遅くなった」
 右近は息をつきながら足を下ろし、こちらを見下ろした。では、もう一つの人影は。
「無事か、香苗。遅れてすまなかった」
 柴の声だ。
生きていた――生きている。柴も、右近も、香苗も自分も。
「右近、柴……」
 助かった安堵と、柴が生きていた安心感が一気に痛みと疲労感を連れてきて、ふっと膝から力が抜けた。霊刀が消え、ガクンと崩れた美琴の体を右近が受け止める。
「よくやった。頑張ったな。すぐに治癒してやりたいが、もうしばらく耐えろ。すぐに片を付けてくる」
 そう言って、右近は再び森の奥へ顔を向けた。もうもうと上がる土煙の中に見えるシルエットは、平然と歩いているように見える。右近の蹴りをまともに食らっておいて、あれか。
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