第3話
文字数 5,779文字
平安時代、陰陽師たちは「陰陽寮」という機関に所属していたという。それに倣い、現在両家が抱える総勢十二名の陰陽師たちは「寮」で共同生活をしているらしい。
「寮の客室に泊まることになってるから」
と宗史から聞いていた。昔の寮がどんなものか想像できないが、大河が想像するのはやはり学校の寮だ。マンションみたいな寮。
それなのに、何だこの邸宅は。
数寄屋門が構える広い敷地の中に立派な二階建ての日本家屋がどんと居座り、旅館のような庭が広がり、その上離れまである。寮と言うよりむしろ豪邸だ。
玄関に入るや否や、何やら慌ただしく動き回る数人の足音と叫ぶ声で迎えられ、宗史と晴が溜め息をついた。
陰陽師たちに紹介されることなく、とにかく客室へ、と玄関からすぐの階段を上がった宗史の後に続く。晴は、お前らうっせぇぞー、と言いながら廊下の奥へと消えて行った。
「二階は各個室と客室。あと洗面所になっています」
階段の先に続く長い廊下に整然と並んだ扉は、洗面所を除いて十四枚。廊下を挟んで両側に七室ずつだ。扉には、部屋の主であろう名前が書かれたプレートがそれぞれぶら下がっている。可愛い物からシンプルなものまで。主の趣味だろう。宗史は右手一番奥の部屋、プレートが下がっていない部屋の扉を開けた。
「すみません、うるさくて。また呼びに来ますから、ゆっくりしていて下さい」
宗史はそう言って扉を閉めた。
大河はぐるりと部屋を見渡した。外観も予想外だったが、部屋も予想外だ。
洋室にシングルベッドが二台とクローゼット。窓際のテーブルに椅子が二脚。ドレッサーまで完備され、ティッシュにドライヤーがセットされている。これで浴室とトイレがあればまるでホテルだ。
「まあ、客室だしな……」
大河はクローゼットに荷物を放り込みながら呟いた。影正は窓から外を眺めて、見事な庭だなぁと感心している。
ボディバッグからペットボトルと携帯を取り出し、椅子に腰を下ろす。
昨夜は結局、あのまま眠り続けてしまった。ふと目が覚めると部屋が明るかったため、時間の感覚が狂った。あれ? と思いつつ脳みそを覚醒させようとぼうっと天井を見上げていると、影唯 が様子を覗きに来て、やっと一晩中眠り続けていたと知った。
支度を終えたあと、そう言えばと思い出して通学用のリュックを漁ると、携帯はしっかり入っていた。ただ、地面に落下した衝撃で液晶フィルムに罅が入っていた。故障もしていないし、罅もクモの巣状ではないだけマシだったが、強化ガラスの少々値が張った代物だっただけにショックは大きかった。これから夏休みで出費がかさむと言うのに。
大河は罅が入ったフィルムに溜め息をついて携帯の電源を入れると、時計は十二時半を回っていた。確か会合は一時からだったはずだ。ここでやるのかなぁ、と省吾 たちから届いているグループメッセージを開く。
まず、省吾。
『無事着いたか? 土産は八つ橋の抹茶とチョコな。ニッキは苦手だから。よろしく』
ぴくりとこめかみが動いた。次は風子 。
『八つ橋にミントあるんだって。あとあんこね。それと扇子! 赤いの!』
手が小刻みに震えた。次はヒナキだ。さすがにヒナキは土産の催促なんか、
『ガマ口のお財布とかコンパクトミラーとかつげ櫛かなぁ。あ、でも大河お兄ちゃんとおじいちゃんが無事に帰って来るのが一番だよ』
「お前もかヒナ! 取って付けたように言いやがって! しかも高そうなモン催促すんな! つげ櫛って何だ!?」
携帯をベッドに叩きつけながら迷わず突っ込んだ。まだ完治しきっていない肩が痛んで、テーブルに突っ伏した。
「何だ、省吾たちから土産の催促か?」
突然叫んで自爆した大河に、影正が呆れ気味に尋ねる。うんそう、と声を絞り出して顔を上げた。
「そう言えば、見送りの時には言わなかったな。宗史くんたちがいたから遠慮したのか」
「ぜーったい違う」
絶対、を強調する。
「あいつらがそんな殊勝なわけない」
「じゃあ何でだ?」
「……文字に残した方が俺が間違えないからだろ、絶対」
きっと省吾の指図だ。
ふてくされた二度目の絶対に、影正が溜め息をついた。ちゃっかり育った幼馴染みたちへか、それとも不甲斐無い孫へ向けたものか分からない。
影正が、まったくお前らは、と呆れた声で呟いた時、部屋の扉が鳴った。
「慌ただしくてすみません、そろそろ時間です」
宗史の声だ。
「あ、うん」
慌てて携帯をベッドから拾い上げると、置いて行けと言われて仕方なくテーブルの上に置いて出た。
階段を下りて右手に曲がると、廊下がずっと奥の突き当たりまで伸びていた。右手には扉が二枚と、裏庭が見渡せる大きな吹き抜けの窓。左手には引き戸がずらりと並んでいる。おそらく全て開け放てる仕様になっているのだろう。
扉の向こうから子供の声と食器がぶつかる音が聞こえ、キッチンかリビングであることが分かった。
長い廊下の突き当たりに扉が一枚あり、廊下は右側に続いていた。男湯、女湯と染め抜かれたのれんがかけられた浴室、向かい側には洗面所があった。人数が多いため一階と二階両方に設けたのだろう。
寮というより旅館だな、と思いつつ扉をくぐる宗史の後に続く。
扉の向こうは渡り廊下になっていた。先は離れへと続いている。引き戸を開けると廊下が左右に分かれ、宗史は左手に進んだ。長い廊下の左手には庭が広がり、右手に並ぶ障子の向こう側に人影が透けて見え、ざわついた声が聞こえる。
さらに進むと、豪奢な玄関に突き当たった。御影石の土間には磨き上げられた革靴が整然と並び、中には女性物の草履も見えた。
宗史は廊下を挟んだ玄関正面の障子を迷いなく開けた。途端、中にいた全員が一斉に視線を向け、水を打ったような静けさに包まれた。
大河は思わずぎょっとして身を引いた。
「お待たせ致しました」
臆することなく宗史は一礼し、大河と影正を中へ促した。大河は異様な光景に気圧されつつ、先に入った影正にくっつくように続いた。
「大丈夫。緊張しなくていいから」
宗史が小声でそう耳打ちしてくれたが、田舎の高校生がこの雰囲気に飲まれないわけがない。省吾なら虚勢を張るところだろうが、大河にその度胸はない。緊張気味に小さく頷き、宗史にすすめられた座布団にゆっくりと正座した。
長細い和室は左側を襖、右側は障子で閉め切られている。高額そうな掛け軸を背景に、上座には、向かって左側に二十代くらいの眼鏡をかけた青年、右側に中年の男性が並んで座っている。双方着物姿だ。彼らの前には漆塗りのテーブルを並べて作られた列が二列、間を開けて並んでおり、中年から高齢の男女が五名ずつ等間隔で座っていた。いかにも権力者と言った風体だ。おそらく両家の氏子代表だろう。そのそれぞれの末席に、宗史と晴がついている。
そして襖の前には、奥からスーツを着た男が二人、普段着の老若男女九名が、下座から詰めて正座していた。こちらはおそらく寮の住人だろう。つまり、陰陽師だ。
大河と影正がすすめられたのは、上座からテーブルを挟んで真正面の席だった。これは、と大河は体を硬直させ俯いた。
ドラマとかで見るアレだ、問題を起こした社員とか刑事が責任追及されるヤツ!
大河は頭の中を一気に駆け巡るドラマの映像に、心の中で悲鳴を上げた。宗史は、霊符なしで式神を召喚させた大河に興味を持ったと言っていたが、この雰囲気はそうは思えない。まるで何か失態でも起こしたかのような扱いだ。しかも、向けられる視線もいただけない。人を品定めするかのような不躾な視線が、大河と影正の一挙手一投足に注がれる。
居心地悪過ぎ、と大河が少々苛立ち始めた時、上座の若い眼鏡の男が口を開いた。
「お待たせいたしました。では、始めましょう」
よく通る声に大河は微かに体を震わせ、そろそろと顔を上げた。その前に、と眼鏡の男は大河と影正に向かって微笑んだ。
「本日は特別にご出席いただいた方が四名いらっしゃいますので、自己紹介から参りましょう」
男の言葉に、大河は首を傾げた。大河と影正の他に後二人いるらしい。
「まずは私から。お初にお目にかかります、土御門家当主、土御門明と申します。どうぞよろしくお願い致します」
眼鏡の男はそう言うと、ゆったりとした動作で頭を下げた。深々と頭を下げた影正に倣い、大河も慌てて頭を下げる。
眼鏡の男が姿勢を戻すと、今度は中年の男が言った。
「賀茂家当主、賀茂宗一郎 と申します。どうぞお見知りおきを」
こちらもまたゆったりと頭を下げる。
賀茂家当主が宗史さんの父親で、土御門家の当主はまだ若そうだしお兄さんかな、と考察しつつ頭を下げた。続けて、テーブル席の者たちが言った。
まずは土御門家側、上座に近い男が告げた。
「土御門栄明 と申します。どうぞよろしくお願い致します」
大河は頭を下げつつ、疑問符を浮かべた。同じ名字、容姿からして明の父親の年代だろうが、しかし息子が当主というのはどういうことだろう。早くに家督を譲ったというパターンだろうか。しかし親子にしてはあまり似ていないように見える。
「軽部一郎 と申します。よろしく」
「門園勲 と申します。どうぞよろしく」
「漆原勝利 と申します。よろしくお願いします」
「槇幸雄 と申します。よろしくお願い致します」
次々と名乗られ何度も頭を下げる中、大河は「もう無理」と白旗を上げた。さすがに一度にこの人数は覚え切れない。しかもまだ賀茂家側も残っている。
最後、宗史が名乗ってから賀茂家側へと移った。大河と影正以外の出席者へ向けてのものだろう。
「賀茂律子 と申します。どうぞよろしくお願い致します」
初老の女性は、どうやら宗史の祖母、つまり宗一郎の母のようだ。玄関で見た草履は彼女のものらしい。昨今、白髪を染めずに生かしたグレイヘアと言うのが流行っていると雪子が言っていたが、まさにそれだ。綺麗に結い上げた髪に簪 を挿し、ぴんと伸びた姿勢、落ち着いた声色はとても上品だ。
「草薙一之介 と申します。よろしく」
「越智稔 と申します。よろしくお願い致します」
「小畠和彦 と申します。どうぞよろしく」
「玉木達也 と申します。どうそよろしくお願い致します」
聞いても右耳から左耳へ抜けていく名前に、大河はもう何も考えないことにした。こういった場所での自己紹介は慣例事項にすぎない。覚えていないからと言って叱られるわけでもない。ただ、土御門家の時も思ったが、どこかで聞き覚えのある名前が混じっている。
宗史と同じく晴が名乗ると、一斉に大河と影正へと視線が投げられた。
「お初にお目にかかります、刀倉家当主、刀倉影正と申します。どうぞよろしくお願い致します」
影正が頭を下げると、今度は当主二人、氏子の者たち、寮の者たちが一斉に頭を下げた。
うお圧巻、と初めて見る光景に興奮している場合ではない。大河は全員の頭が上がった所を見計らい、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「と、刀倉大河です。初めまして、よろしくお願いしますっ」
田舎の高校生にこんな重苦しい場所で自己紹介を求めるのは間違っていると言いたい。無駄に気合の入った口調と声量でまくしたてるように言って頭を下げた大河に、寮の列から小さく笑い声が聞こえた。それを咎める声も。
頭を下げたまま、早く帰りたい、と大河は心の中でさめざめと泣いた。
「元気でいいですねぇ。では――お願いします」
今の大河には嫌味にしか聞こえない言葉で褒めて、明は視線をスーツ姿の男二人へ向けた。今度はそちらへ一斉に視線が送られる。
この雰囲気の中、一斉に視線を向けられたスーツ姿の男二人は、物怖じした様子もなくはっきりとした口調で名乗った。
「京都府警本部刑事部・捜査第一課、紺野です。よろしく」
「同じく北原です。よろしくお願いします」
ざわっと一斉にざわついた。大河もぎょっとして二人を見つめる。動揺していないのは、当主二人と影正だけだ。
「刑事って……」
「そんなところだろうと思った」
しらっと呟いた影正に大河はさらに驚いて振り向いた。
「じいちゃん分かってたの?」
「何となくな。顔つきが一般人のものとは違う」
「そ、そうなの?」
顔つきが違うと言われても分からない。大河はもう一度刑事二人を見やるが、やっぱりよく分からない。年の功と言うやつか。生まれてこの方、警察官はもちろん刑事に世話になるようなやんちゃはしていない。生で刑事を見るのは初めてなのだから、分からなくて当たり前だ。
すげぇ生刑事初めて見た、と興奮していると、突然草薙が声を張り上げた。
「刑事が何故ここにいるんだ! 聞いてないぞ!」
草薙は明を睨みつけ、どんとテーブルを拳で叩く。さっきまでとは違う種類の緊張が走る。瞬時に空気が張り詰めたが、それでも落ち着いた口調で明が言った。
「草薙さん、事前にご連絡を差し上げなかったことは謝罪します。しかし、彼らが一連の事件についての重要な情報をお持ちなのは確かです。ご理解ください」
明が弁明をする中、音もなく出入り口の障子がすっと開き、青年と少女がお盆を持って入って来た。茶托に乗ったガラス製の湯飲み茶碗が乗っている。二手に分かれ、それぞれの氏子代表の背後を通って上座へと向かう。
「お二人からお話を聞いたのは、つい先ほどのことです。会合の時間も迫っておりましたので、急遽、宗一郎殿に事情を説明し、了承を頂いて参加していただくことに致しました」
大河以外、誰も彼らを気に止める様子はない。そのことを彼らも気にしていない。彼らはまるで幽霊のように静かに上座へと茶を運んだ。青年は明の方へ、少女は宗一郎の方へ。
青年が明の傍にしゃがみ込んでお茶をテーブルに置こうとした、その時。
「寮の客室に泊まることになってるから」
と宗史から聞いていた。昔の寮がどんなものか想像できないが、大河が想像するのはやはり学校の寮だ。マンションみたいな寮。
それなのに、何だこの邸宅は。
数寄屋門が構える広い敷地の中に立派な二階建ての日本家屋がどんと居座り、旅館のような庭が広がり、その上離れまである。寮と言うよりむしろ豪邸だ。
玄関に入るや否や、何やら慌ただしく動き回る数人の足音と叫ぶ声で迎えられ、宗史と晴が溜め息をついた。
陰陽師たちに紹介されることなく、とにかく客室へ、と玄関からすぐの階段を上がった宗史の後に続く。晴は、お前らうっせぇぞー、と言いながら廊下の奥へと消えて行った。
「二階は各個室と客室。あと洗面所になっています」
階段の先に続く長い廊下に整然と並んだ扉は、洗面所を除いて十四枚。廊下を挟んで両側に七室ずつだ。扉には、部屋の主であろう名前が書かれたプレートがそれぞれぶら下がっている。可愛い物からシンプルなものまで。主の趣味だろう。宗史は右手一番奥の部屋、プレートが下がっていない部屋の扉を開けた。
「すみません、うるさくて。また呼びに来ますから、ゆっくりしていて下さい」
宗史はそう言って扉を閉めた。
大河はぐるりと部屋を見渡した。外観も予想外だったが、部屋も予想外だ。
洋室にシングルベッドが二台とクローゼット。窓際のテーブルに椅子が二脚。ドレッサーまで完備され、ティッシュにドライヤーがセットされている。これで浴室とトイレがあればまるでホテルだ。
「まあ、客室だしな……」
大河はクローゼットに荷物を放り込みながら呟いた。影正は窓から外を眺めて、見事な庭だなぁと感心している。
ボディバッグからペットボトルと携帯を取り出し、椅子に腰を下ろす。
昨夜は結局、あのまま眠り続けてしまった。ふと目が覚めると部屋が明るかったため、時間の感覚が狂った。あれ? と思いつつ脳みそを覚醒させようとぼうっと天井を見上げていると、
支度を終えたあと、そう言えばと思い出して通学用のリュックを漁ると、携帯はしっかり入っていた。ただ、地面に落下した衝撃で液晶フィルムに罅が入っていた。故障もしていないし、罅もクモの巣状ではないだけマシだったが、強化ガラスの少々値が張った代物だっただけにショックは大きかった。これから夏休みで出費がかさむと言うのに。
大河は罅が入ったフィルムに溜め息をついて携帯の電源を入れると、時計は十二時半を回っていた。確か会合は一時からだったはずだ。ここでやるのかなぁ、と
まず、省吾。
『無事着いたか? 土産は八つ橋の抹茶とチョコな。ニッキは苦手だから。よろしく』
ぴくりとこめかみが動いた。次は
『八つ橋にミントあるんだって。あとあんこね。それと扇子! 赤いの!』
手が小刻みに震えた。次はヒナキだ。さすがにヒナキは土産の催促なんか、
『ガマ口のお財布とかコンパクトミラーとかつげ櫛かなぁ。あ、でも大河お兄ちゃんとおじいちゃんが無事に帰って来るのが一番だよ』
「お前もかヒナ! 取って付けたように言いやがって! しかも高そうなモン催促すんな! つげ櫛って何だ!?」
携帯をベッドに叩きつけながら迷わず突っ込んだ。まだ完治しきっていない肩が痛んで、テーブルに突っ伏した。
「何だ、省吾たちから土産の催促か?」
突然叫んで自爆した大河に、影正が呆れ気味に尋ねる。うんそう、と声を絞り出して顔を上げた。
「そう言えば、見送りの時には言わなかったな。宗史くんたちがいたから遠慮したのか」
「ぜーったい違う」
絶対、を強調する。
「あいつらがそんな殊勝なわけない」
「じゃあ何でだ?」
「……文字に残した方が俺が間違えないからだろ、絶対」
きっと省吾の指図だ。
ふてくされた二度目の絶対に、影正が溜め息をついた。ちゃっかり育った幼馴染みたちへか、それとも不甲斐無い孫へ向けたものか分からない。
影正が、まったくお前らは、と呆れた声で呟いた時、部屋の扉が鳴った。
「慌ただしくてすみません、そろそろ時間です」
宗史の声だ。
「あ、うん」
慌てて携帯をベッドから拾い上げると、置いて行けと言われて仕方なくテーブルの上に置いて出た。
階段を下りて右手に曲がると、廊下がずっと奥の突き当たりまで伸びていた。右手には扉が二枚と、裏庭が見渡せる大きな吹き抜けの窓。左手には引き戸がずらりと並んでいる。おそらく全て開け放てる仕様になっているのだろう。
扉の向こうから子供の声と食器がぶつかる音が聞こえ、キッチンかリビングであることが分かった。
長い廊下の突き当たりに扉が一枚あり、廊下は右側に続いていた。男湯、女湯と染め抜かれたのれんがかけられた浴室、向かい側には洗面所があった。人数が多いため一階と二階両方に設けたのだろう。
寮というより旅館だな、と思いつつ扉をくぐる宗史の後に続く。
扉の向こうは渡り廊下になっていた。先は離れへと続いている。引き戸を開けると廊下が左右に分かれ、宗史は左手に進んだ。長い廊下の左手には庭が広がり、右手に並ぶ障子の向こう側に人影が透けて見え、ざわついた声が聞こえる。
さらに進むと、豪奢な玄関に突き当たった。御影石の土間には磨き上げられた革靴が整然と並び、中には女性物の草履も見えた。
宗史は廊下を挟んだ玄関正面の障子を迷いなく開けた。途端、中にいた全員が一斉に視線を向け、水を打ったような静けさに包まれた。
大河は思わずぎょっとして身を引いた。
「お待たせ致しました」
臆することなく宗史は一礼し、大河と影正を中へ促した。大河は異様な光景に気圧されつつ、先に入った影正にくっつくように続いた。
「大丈夫。緊張しなくていいから」
宗史が小声でそう耳打ちしてくれたが、田舎の高校生がこの雰囲気に飲まれないわけがない。省吾なら虚勢を張るところだろうが、大河にその度胸はない。緊張気味に小さく頷き、宗史にすすめられた座布団にゆっくりと正座した。
長細い和室は左側を襖、右側は障子で閉め切られている。高額そうな掛け軸を背景に、上座には、向かって左側に二十代くらいの眼鏡をかけた青年、右側に中年の男性が並んで座っている。双方着物姿だ。彼らの前には漆塗りのテーブルを並べて作られた列が二列、間を開けて並んでおり、中年から高齢の男女が五名ずつ等間隔で座っていた。いかにも権力者と言った風体だ。おそらく両家の氏子代表だろう。そのそれぞれの末席に、宗史と晴がついている。
そして襖の前には、奥からスーツを着た男が二人、普段着の老若男女九名が、下座から詰めて正座していた。こちらはおそらく寮の住人だろう。つまり、陰陽師だ。
大河と影正がすすめられたのは、上座からテーブルを挟んで真正面の席だった。これは、と大河は体を硬直させ俯いた。
ドラマとかで見るアレだ、問題を起こした社員とか刑事が責任追及されるヤツ!
大河は頭の中を一気に駆け巡るドラマの映像に、心の中で悲鳴を上げた。宗史は、霊符なしで式神を召喚させた大河に興味を持ったと言っていたが、この雰囲気はそうは思えない。まるで何か失態でも起こしたかのような扱いだ。しかも、向けられる視線もいただけない。人を品定めするかのような不躾な視線が、大河と影正の一挙手一投足に注がれる。
居心地悪過ぎ、と大河が少々苛立ち始めた時、上座の若い眼鏡の男が口を開いた。
「お待たせいたしました。では、始めましょう」
よく通る声に大河は微かに体を震わせ、そろそろと顔を上げた。その前に、と眼鏡の男は大河と影正に向かって微笑んだ。
「本日は特別にご出席いただいた方が四名いらっしゃいますので、自己紹介から参りましょう」
男の言葉に、大河は首を傾げた。大河と影正の他に後二人いるらしい。
「まずは私から。お初にお目にかかります、土御門家当主、土御門明と申します。どうぞよろしくお願い致します」
眼鏡の男はそう言うと、ゆったりとした動作で頭を下げた。深々と頭を下げた影正に倣い、大河も慌てて頭を下げる。
眼鏡の男が姿勢を戻すと、今度は中年の男が言った。
「賀茂家当主、
こちらもまたゆったりと頭を下げる。
賀茂家当主が宗史さんの父親で、土御門家の当主はまだ若そうだしお兄さんかな、と考察しつつ頭を下げた。続けて、テーブル席の者たちが言った。
まずは土御門家側、上座に近い男が告げた。
「
大河は頭を下げつつ、疑問符を浮かべた。同じ名字、容姿からして明の父親の年代だろうが、しかし息子が当主というのはどういうことだろう。早くに家督を譲ったというパターンだろうか。しかし親子にしてはあまり似ていないように見える。
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次々と名乗られ何度も頭を下げる中、大河は「もう無理」と白旗を上げた。さすがに一度にこの人数は覚え切れない。しかもまだ賀茂家側も残っている。
最後、宗史が名乗ってから賀茂家側へと移った。大河と影正以外の出席者へ向けてのものだろう。
「
初老の女性は、どうやら宗史の祖母、つまり宗一郎の母のようだ。玄関で見た草履は彼女のものらしい。昨今、白髪を染めずに生かしたグレイヘアと言うのが流行っていると雪子が言っていたが、まさにそれだ。綺麗に結い上げた髪に
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聞いても右耳から左耳へ抜けていく名前に、大河はもう何も考えないことにした。こういった場所での自己紹介は慣例事項にすぎない。覚えていないからと言って叱られるわけでもない。ただ、土御門家の時も思ったが、どこかで聞き覚えのある名前が混じっている。
宗史と同じく晴が名乗ると、一斉に大河と影正へと視線が投げられた。
「お初にお目にかかります、刀倉家当主、刀倉影正と申します。どうぞよろしくお願い致します」
影正が頭を下げると、今度は当主二人、氏子の者たち、寮の者たちが一斉に頭を下げた。
うお圧巻、と初めて見る光景に興奮している場合ではない。大河は全員の頭が上がった所を見計らい、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「と、刀倉大河です。初めまして、よろしくお願いしますっ」
田舎の高校生にこんな重苦しい場所で自己紹介を求めるのは間違っていると言いたい。無駄に気合の入った口調と声量でまくしたてるように言って頭を下げた大河に、寮の列から小さく笑い声が聞こえた。それを咎める声も。
頭を下げたまま、早く帰りたい、と大河は心の中でさめざめと泣いた。
「元気でいいですねぇ。では――お願いします」
今の大河には嫌味にしか聞こえない言葉で褒めて、明は視線をスーツ姿の男二人へ向けた。今度はそちらへ一斉に視線が送られる。
この雰囲気の中、一斉に視線を向けられたスーツ姿の男二人は、物怖じした様子もなくはっきりとした口調で名乗った。
「京都府警本部刑事部・捜査第一課、紺野です。よろしく」
「同じく北原です。よろしくお願いします」
ざわっと一斉にざわついた。大河もぎょっとして二人を見つめる。動揺していないのは、当主二人と影正だけだ。
「刑事って……」
「そんなところだろうと思った」
しらっと呟いた影正に大河はさらに驚いて振り向いた。
「じいちゃん分かってたの?」
「何となくな。顔つきが一般人のものとは違う」
「そ、そうなの?」
顔つきが違うと言われても分からない。大河はもう一度刑事二人を見やるが、やっぱりよく分からない。年の功と言うやつか。生まれてこの方、警察官はもちろん刑事に世話になるようなやんちゃはしていない。生で刑事を見るのは初めてなのだから、分からなくて当たり前だ。
すげぇ生刑事初めて見た、と興奮していると、突然草薙が声を張り上げた。
「刑事が何故ここにいるんだ! 聞いてないぞ!」
草薙は明を睨みつけ、どんとテーブルを拳で叩く。さっきまでとは違う種類の緊張が走る。瞬時に空気が張り詰めたが、それでも落ち着いた口調で明が言った。
「草薙さん、事前にご連絡を差し上げなかったことは謝罪します。しかし、彼らが一連の事件についての重要な情報をお持ちなのは確かです。ご理解ください」
明が弁明をする中、音もなく出入り口の障子がすっと開き、青年と少女がお盆を持って入って来た。茶托に乗ったガラス製の湯飲み茶碗が乗っている。二手に分かれ、それぞれの氏子代表の背後を通って上座へと向かう。
「お二人からお話を聞いたのは、つい先ほどのことです。会合の時間も迫っておりましたので、急遽、宗一郎殿に事情を説明し、了承を頂いて参加していただくことに致しました」
大河以外、誰も彼らを気に止める様子はない。そのことを彼らも気にしていない。彼らはまるで幽霊のように静かに上座へと茶を運んだ。青年は明の方へ、少女は宗一郎の方へ。
青年が明の傍にしゃがみ込んでお茶をテーブルに置こうとした、その時。