第19話

文字数 3,515文字

「あ、それとさ、線香の匂いで思い出したんだけど、律子さんと夏美さん、会った時にお香の匂いがしたんだよね。いつも焚いてるの?」
「いや、いつもというわけじゃない。それに、あれはお香じゃなくて線香だ」
「そうなの? 何かいい匂いだったけど」
「最近は色々な匂いのものが出てるからな。線香を供える意味は知ってるか?」
「えーと、あの世に逝った人のご飯になるからって、じいちゃんが言ってた。何だっけ、香食(こうじき)?」
「そうだ。他には、この世とあの世を繋ぎ、故人――つまり仏と対話するための橋渡し、浄土への道しるべなど、色々な意味がある。それと、線香の香りには、心身や空間を清める力があると信じられている。だから、占術をする際には必ず線香を焚く。うちではおばあ様と母さんが占術の支度をするから、どうしても移るんだよ」
「それで匂いがしてたんだ。あっ、柴と紫苑大丈夫?」
 浄化する法具の錫杖の音が駄目なら、線香の香りも駄目なのでは。少し慌てた様子の大河に、紫苑が平然とした顔で言った。
「線香の香りに、我々鬼を浄化するほどの力などない。それに、霊力がこもっているわけでもないので、なんら問題はない」
 錫杖を通じて霊力がこもる音と違って、線香は原料そのものが香りを発している。多少の浄化作用があったとしてもほんのわずかで、鬼には痛くも痒くもないということか。
「そっか、それなら良かった。じゃあ、晴さんちは? やっぱり焚くの?」
「ああ。うちは昔っからの線香使ってて匂いがきついから、絶対にシャワー浴びてから出掛けるな。坊さんでもねぇのに線香の匂いさせて店に入れねぇだろ。嫌がる奴もいるし」
「俺もだ。前に父さんがコーヒーの香りがする線香を焚いた時は、さすがに戯れが過ぎると思ったぞ」
「あったあった。うちはラベンダーだったわ」
「コーヒーとラベンダー? そんなのあるの?」
「ああ。紅茶やはちみつ、酒なんてものもある。ただ、戯れだとは思うが、一概に否定できない」
「そうか、香食」
「そうだ。故人が生前好んだ食べ物を、匂いとして届けることができるからな」
 なんでわざわざと思ったけれど、なるほど、そういう意味なら有りだ。
「それなら納得でき」
「だが」
 強く言葉を遮られ、大河は口を開けたまま止まった。
「あくまでも一般家庭の話であって、コーヒーやラベンダーの匂いをさせて占術をする陰陽師がどこにいる」
「ごもっとも」
 占術のことはよく知らないが、リラックスしすぎて占うどころではないだろう。目を据わらせた宗史に、大河が間髪置かずに同意し、晴がうんうんと頷いた。
「まあ、桜の精神安定剤として花の香りの香を焚くことはあるけどな。興奮しすぎるのも良くないから。さて、そろそろ戻ろうか」
 言いながら腰を上げた宗史に続いて、大河たちも立ち上がる。
「お前には、妹君がいるのだったな」
 大河を先頭に部屋を出ながら、柴が尋ねた。
「ああ。生まれつき体が弱くて、あまり家から出られないんだ」
「……それは、気の毒なことだ」
 ぽつりと同情を口にした柴に、宗史は一瞬驚いた顔をしたあと、くすりと笑った。
「ありがとう。でも、確かに窮屈だろうが、時々寮の皆が遊びに来てくれたりもする。最近は調子がいいし、悲観する必要はない」
「そうか」
「ああ」
 二人の会話を背中で聞きながら、大河はこっそり顔の筋肉を緩めた。今さらだが、柴と紫苑を拒否していたことが嘘のように宗史の接し方が自然で、嬉しい。
 と、宗史の携帯が震えた。
 ところでらべんだぁとは何だ、花の名前だよ、などと和んだ会話をしながら部屋を出ると、宗史が引き止めた。
「ちょっと待て、下平さんだ」
 思いがけない名前に全員の足が止まり、緊張が走る。冬馬からもたらされた件の続報だとしても、直接なんて。何かあったのだろうか。再び部屋へ戻って電話に出た宗史のあとに続く。
「お待ちください。スピーカーにします」
 そう言って携帯を耳から離して切り替えた宗史の周りに集まる。
「どうぞ」
「おう、お疲れさん」
 意外に明るい声が届き、少々戸惑い気味に挨拶を返す。
「実はな、つい今しがた、河合尊と両親が菊池の親に謝罪に行ったんだよ」
 そんな前置きから始まった報告は、酷くいたたまれないものだった。
 下平が言うように、原因は尊たちにある。彼らがあんなことをしなければ、こんな事件に関わることはなかった。けれど、雅臣にも選択の余地はあった。
 ――今の自分が一番後悔しないと思う選択をしなさい。
 展望台で見せたという躊躇。雅臣にとって、これが本当に一番後悔しない選択だったのだろうか。
 下平との電話を終わらせて居間へ戻ると、テーブルいっぱいに料理が並んでいた。
「お腹すいたー」
 朝が早かったため、すっかり腹ペコだ。
 席順は、影唯が上座のお誕生日席で、その正面に雪子。縁側の方に柴、紫苑、大河、省吾、廊下側に宗史、晴、鈴。
 いただきますと合掌し、一斉に手を伸ばす。
「てか、なんで省吾いるの?」
「いちゃ悪いかよ。訓練見学させてもらおうと思ってさ」
「ふーん、別にいいけど。そうだ、わざわざありがとな。お出迎え」
「ホットプレート届けに来たついでだ、ついで」
「ホットプレート?」
「晩飯は瓦そばだってさ」
「えっ、マジで? やった!」
「お前、昔から好きだよな」
「瓦そば?」
 晴が豚しゃぶサラダを取り分けながら反復し、影唯が答えた。
「下関の郷土料理だよ。炒めた茶そばに、甘辛く味付けした牛肉や錦糸卵、海苔やネギ、あとはレモン、もみじおろしなんかの薬味を乗せて、温かい麺つゆにつけて食べるんだ。家ではホットプレートで代用するけど、お店に行くと、その名の通り瓦で出てくるよ」
「おお、すげぇな」
「西南戦争の時に、兵士が瓦で野菜やお肉を焼いたのを参考にしたんだって」
「へぇ、すごい発想ですね。……ところで、柴。さっきからそればかり食べてるけど」
「美味い」
「あら、お口に合って良かったわ」
「それも郷土料理だぞ。けんちょう、と言うそうだ」
「ほう。この地ならではの食べ物か」
 豆腐、大根、にんじんを出汁や醤油、砂糖、酒で煮るだけの手軽な煮物で、家庭によっては油揚げやこんにゃく、鶏肉などが入る。ちなみに刀倉家は後者だ。
 鈴の説明に、大河と省吾が手を止めた。
「けんちょうって郷土料理なの? 全国共通だと思ってた」
「給食で普通に出てたよな」
「うん」
「汁仕立てにしたけんちょう汁も美味いぞ」
 うんうん、と鈴に相槌を打つ大河と省吾とは反対に、晴は「この四日で何を学んでんだ」と少々呆れ気味だ。
「柴主、こちらの鮎の煮つけも美味でございますよ。お取りいたしましょうか」
「ああ、頼む」
「こら大河、あんたお漬物ばっかり」
「だって、この千枚漬け美味しいから」
「そういえばお前、この前も漬物ばっか食ってたな」
「やだ、そうなの? ほどほどにしなさい、血圧上がるわよ」
「その年で血圧を心配されるのか……」
 呆れ顔をした宗史に、省吾が笑いながら言った。
「こいつ、昔から味覚がジジ臭いんですよね」
「ジジ……っ、そんなことないっ」
「あるある。風子も言ってたぞ。たーちゃんって年寄り臭い食べ物好きだよねー湿気たせんべいとかさぁって」
「たーちゃん……」
 柴と紫苑が声を揃え、
「湿気たせんべい……」
 宗史と晴は口の中で呟いて肩を震わせ、大河は顔を赤くした。あの呼び方はいい加減やめさせねば。というか、
「何暴露してんだよ! てか漬物と湿気たせんべいに失礼だろ!」
「せんべいをわざわざ湿気らせるお前が失礼だろ」
「うるさいな! いいじゃん、美味いんだからっ」
「ぬれ煎餅食ったらいいだろ」
「あれも美味いけど、もうちょっとパリパリした方が好き」
「何のこだわりだよ」
 くだらない二人の掛け合いに、宗史と晴は手を止めて笑いを堪え、影唯と雪子は深い溜め息をつき、鈴は柴と紫苑にぬれ煎餅の説明をする。
「それより、鈴のこと風とヒナは知ってんの?」
「ああ、俺が教えた。この前、鈴に火の玉作ってもらってリアル火の玉って言って動画撮ってた」
「何してんの!?」
「大丈夫だって、庭先だったし」
「そういう問題じゃないんだけど!」
「お母さんたちも助かってるのよ。鈴ちゃん力持ちだから、野菜を積むのあっという間なの」
「式神に何させてんの!」
「構わん。世話になっているのだ。畑仕事の一つや二つ、どうということはない。それに、仕事を終えて食べる採れたての野菜の美味さは格別だ」
「仕事終わりに一杯ひっかけたサラリーマンか」
「そう言ってもらえると、作ってる甲斐があるよねぇ」
「一番の褒め言葉よね」
 ねぇ、と顔を見合わせて頷く両親に、今度は大河が大きな溜め息をついた。この夫婦に怖いものなどあるのだろうか。
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