第11話

文字数 7,203文字

 昨日の夕方、明から連絡が入った。刀倉大河が京都へ戻ってきたことと、伝言の返事を預かっていると。その返事を聞いた北原の目は、少し潤んでいた。
 そして今日、紺野と北原は滋賀県東近江市(しがけんひがしおうみし)を訪れた。午後一時。
 本当はもっと早くに訪れたかったのだが、一向に進展しない捜査に業を煮やした上層部が管理官の交替を命じ、捜査方針ががらりと変わったのだ。新たに就任したのは、例の少女誘拐殺人事件を担当した加賀谷管理官(かがやかんりかん)だった。心機一転とばかりに捜査のやり直しを命じられ、一からすべてを見直すことになった。紺野が報告を上げた明の証言も、黙殺はされたが報告書は残っている。加賀谷はそれを読み、やはり眉を寄せた。
 ただ一つ、前管理官と違ったのが、明への不信感だった。
「陰陽師ね……今どきそんな身分を名乗る奴がいるとは驚きだ。紺野、北原、奴のアリバイをもう一度調べてこい。徹底的にだ」
 管理官の命令に従わないわけにはいかない。だが、すでに手を組んだ者のアリバイを調べるというのはどうも気が進まない。とりあえず防犯カメラの映像解析は科捜研に任せるとして、紺野と北原は周辺の聞き込みに回った。
 明からの調査依頼と再捜査に追われ、隣県と言えどなかなか時間が取れず、今頃になってしまった。
「着きましたよ、紺野さん」
 北原が車を停めたのは、周囲を畑に囲まれた二階建ての一軒家だった。どうやら今回の事件関係者はでっかい家の金持ちが多いらしい。さすがに土御門家ほど趣ある佇まいではないが、広い庭に車三台とトラック、トラクターが並んでいる。
「なんかもう、驚かなくなりましたね……」
 北原が苦笑いを浮かべて言った。土御門家やら寮やらを見ていれば、申し訳ないがこのレベルではもう驚かない程度には慣れてしまった。
 そうだな、と返しながらインターホンを押す。人の気配はあるから誰かいるはずだ。しばらく待つと、はいと女の声が聞こえた。
「お忙しいところ申し訳ありません。京都府警の紺野と申します。井口宙(いぐちそら)さんのお宅で間違いないでしょうか」
 警察手帳をモニターに掲げて名乗ると、不自然に間が開いた。
「そうですが……あの、京都の刑事さんが息子に何か?」
 県外の刑事が不審がられるのは仕方がない。
「先日息子さんが遭われた事故の件でお話をお伺いしたくて参りました。あくまでも参考程度なので、すぐに終わります」
 またしばらく間が開き、お待ちくださいと言ってインターホンが切られた。
 この少し前、紺野と北原は東近江警察署にいた。
 本部に連絡されると面倒なので、神妙な面持ちで「極秘捜査なので内密に」と対応した若い刑事に告げると、彼は使命感に燃えた顔で元気な返事をしてくれた。大丈夫かこいつ、と思ったのは秘密だ。
 資料によると、7月17日午前七時半頃、山道にて男女四人が倒れているところを、林業を営む近くの集落の住民に発見された。
 全員十九歳から二十歳のフリーター。現住所は全員東京になっているが、内一人の男性は滋賀県出身で、皆同じアルバイト先の同僚らしい。
 前日午後十一時頃から車で山に入り、道に迷ってしまったと言う。出身者がいたとはいえ、全員登山の趣味も知識もなく、かなり軽装であったため所持品もほとんどなかった。憔悴してはいたが命に別状はなく、搬送された病院で翌日には全員意識を取り戻し聴取に応じた。夜中に山に入った理由は、祠を探すためだと証言している。その祠というのが、地域に伝わっている昔話に登場する「鬼が封印された祠」らしい。
 あの山の奥深くには、かつて京都の街で暴れ回り陰陽師に封印された鬼が祀られた祠がある。封印される前、鬼は改心して山の守り神になり、山で粗相をして鬼を怒らせると食われてしまう。
 彼らはその言い伝えの祠を、肝試しよろしく夜中に出掛け探したらしい。四人全員の証言が一致していることと、車が発見されたことで事件性無しと判断され、遭難事故として処理されている。
 だが紺野と北原からしてみれば気になる点が多い。
 現在、井口宙を除いた全員が東京の自宅へ戻っており、直接話を聞けるのは彼だけだ。彼が口を閉ざせば、収穫なしで明に報告をしなければならない。
 しばらくして玄関が開き、母親らしき中年女性が顔を出した。
「どうぞ、お入りください」
 母親に促され中に入ると、二階へと案内された。
「実は、あの事故から部屋を一歩も出ないんです。何かに怯えているようなんですけど何も話してくれないし。ここです」
 階段を上りながら母親はそう言った。何かに怯えているという言葉が、彼が何かを見たという証拠だ。これは何としてでも聞き出さなければ。母親は扉の前で立ち止まり、ノックする。
「宙、刑事さんたちよ。開けるわね」
 返事はない。母親は扉を開け、紺野たちをどうぞと中へ促した。
 カーテンが閉められ、電気も消されている。エアコンが稼働しているため暑くはないが、薄暗い。部屋の窓辺に設置されたベッドがこんもりとしている。部屋の主はどうやら布団の中らしい。
 母親が電気を付けて扉を閉めてから、紺野は声をかけた。
「井口宙くん。京都府警の紺野だ。話を聞かせて欲しい」
 ごそりと布団が蠢き、枕の方から顔の上半分がにょきと出てきた。こちらを見上げるその目は酷く怯えていて、まるで人間嫌いの犬のようだ。もし彼が鬼を見たのなら、この反応は間違っていない。だが、こうも怯えられるとどう切り出せばいいのか迷う。いきなり核心をついてさらに怯えられても困る。
 さてどうしようかと戸惑っていると、北原がすいと横を通り過ぎた。
「こんにちは。北原と言います。宙くん、お話いいかな?」
 ベッドの側に膝をつき、宙と同じ視線でにっこりと笑った。すると宙は身じろぎし、布団にくるまったまま体を起こした。こんな時、もともと人懐こい北原は強い。
 ベッドの端っこで頭から布団にくるまり、口元まで覆った状態で体を縮める宙を見て、北原はその場に腰を下ろした。紺野も倣うように胡坐を組んだ。ここは北原に任せた方がいいかもしれない。紺野は手帳を取り出し、メモを取る準備をした。それを見た北原は小さく頷いて宙に視線を向けた。
「突然来てごめんね。俺たち、ある事件を追ってるんだけど、宙くんたちの件と関連があるんじゃないかと思って話を聞きに来たんだ。すぐに終わるから、いいかな?」
「……」
 無反応を同意と捉えたのか、北原は続けた。
「まず、調書についてだけど。例の言い伝え、読んだよ。祠を探しに行ったんだって? 鬼が封印されたって言う。本当?」
 宙が小さく頷いた。
「そっか。でも、皆は土地勘がなかったんだよね。それなのに山の奥にある祠を探しに行こうと思ったのは、肝試しのつもりだったの?」
 また小さく頷いた。
「じゃあ、他に何か話していないことはある?」
 突然、じろりと睨まれた。この反応は何かある。北原は驚く素振りも見せずに、ゆっくりとした口調で言った。
「何か、あった?」
「宙、開けるわね」
 突然、ノックと同時に母親の声がして、扉が開いた。グラスが乗ったお盆を持っている。紺野が立ち上がってそれを受け取ると、母親は心配そうに宙を見やり、扉を閉めた。お盆を折り畳み式のテーブルの上に置いて再び胡坐を組む。
「どうかな?」
 気を取り直してにっこりと笑う北原を見て、宙は拗ねたようにぽつりと言った。
「……どうせ、刑事さんたちも信じてくれないんだろ」
 えらく卑屈な声だ。これはもしや。
「俺たちもってことは、聴取の時に話したのかな」
 宙は小さく頷いた。
「そっか。ちゃんと話したのに、信じてもらえなかったんだ。ごめんね」
 悲しげに告げた北原に、宙が呆気に取られて覆っていた口元を覗かせた。
「信じてもらえないのは、悲しいよね」
 そうか、と紺野は北原の心情を察した。北原はまだ、刀倉影正の件を引き摺っているのだ。自分たちが明を信じて情報を渡していれば彼は死ななかった。まだ、そう思っている。
 一つの事件を引き摺るのは刑事として失格だ。次々と起こる事件は待ってはくれない。いつまでも囚われている暇はない。だが、それでも北原のような刑事がいてもいいのかもしれないと、少し思う。厳しく、切り替えの早い刑事はいくらでもいる。
「本当に、ちょっとした遊びのつもりだったんだ」
 不意に語り出した宙に、紺野はペンを走らせ、北原は真剣な眼差しを宙に向けた。
「鬼代神社のニュースを見て、言い伝えのことを思い出した」
「え?」
「鬼って字と、京都から陰陽師を連想したんだ」
 なるほど、と北原は頷いた。
「皆に話したら面白がって、旅行がてら祠探しに行こうってなって。どうせ言い伝えだし、ちょっと探してすぐに帰るつもりだった。それなのに、何であんなことに……っ」
 宙は言葉を詰まらせて膝に顔をうずめた。これはよほど恐ろしい目に遭ったのだろう。
「ねぇ宙くん。ゆっくりでいいから、話してみてくれるかな」
 北原の声でゆるゆると顔を上げた宙の顔は、すっかり血の気が引いていた。
「暗かったし、場所は分からない。けど、一時間以上は過ぎてたと思う。初めは広い山道を車で登って、途中で狭いけもの道みたいな道に逸れて、それから車を下りて森の中を探したんだ。あっちこっち歩いて、さすがにもう帰ろうってなった時に、遠くの方で何か光ったって亜紀(あき)が言って」
 亜紀は女性の友人の一人だ。
「行ってみたら、古い祠があった。携帯の明りで照らしたら、御魂塚(みたまづか)って彫られたでっかい岩が後ろにあって。言い伝えは本当だったんだって言って皆で興奮して、じゃあ鬼が封印されてるってのも本当なのか試してみようぜって和哉(かずや)が言い出したんだ」
 和哉はもう一人の男性だ。ぎょっとして紺野は手帳から顔を上げた。
「俺たちは怖くなって止めたんだけど、和哉が岩に下がってた注連縄をちょっと引っ張ったらすぐに切れちゃって。でも、何も起こらなかった。鬼はさすがに迷信かって思ってたら、いきなりこう……後ろから前に岩が倒れてきたんだ」
「倒れた?」
 思わず突っ込んでしまった。はっと口をつぐんだが、宙は特に気にした様子もなく頷いた。
「後ろから前に? 突然、自然に?」
 北原が引き継いだ。
「うん。俺たち岩には触ってないから」
 もともとバランスが悪かったのか。和哉がちょっと注連縄を引っ張った程度で倒れるほど悪かったのなら、台風やら地震やらで倒れていてもおかしくない。不自然だ。それに、亜紀が見た光というのも気になる。
「あ、ごめんね途中で。続けて」
 北原が促すと、宙は素直に続けた。
「皆驚いて固まってたら、岩があった地面から光の玉が浮き出てきたんだ。これはヤバいって怖くなって、必死に逃げた……っそしたら……っ誰かが、追いかけてきて……っ」
 宙ががたがたと大きく震えだし、北原、と声をかけると北原はベッドの端に腰かけた。布団の上から、まるで子供を宥めるように何度か叩く。
「宙くん、大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて。深呼吸して」
 北原の声に従って、宙が深呼吸を繰り返す。何度か繰り返した後、落ち着いた宙に言った。
「大丈夫?」
「うん……」
「ごめんね。本当は、もういいよって言いたいんだけど……」
 確かに、宙の様子を見ているとこれ以上続けるのは酷なように思える。だが、宙には悪いが情報を集める方が優先だ。
「頑張って、話せるかな?」
 紺野は北原を見上げた。今までの北原ならこれ以上の無理強いはしなかっただろうに。影正の一件で、これまで以上に刑事としての自覚が芽生えたか。
 小さく頷いた宙に、北原は満足気に頷いた。宙はもう一度深呼吸をして続きを話した。
「はっきりとは覚えてないんだけど、多分、人……だったと思う」
「一人?」
 宙は首を振った。
「二人くらい、いたかも」
「見たの?」
「見たわけじゃない。でも、目が……」
「目?」
「うん。だと思う。赤い、光だったのかな。四つあった……ごめん、よく覚えてない。よく覚えてないんだけど、でも、とにかくひたすら追い掛けられて、腕を掴まれたのは覚えてる。すごい力だった」
 目を見開いて一点を見つめる宙の恐怖は計り知れない。暗闇の中、正体不明の何かに追いかけられれば誰でもわけが分からなくなる。自分の身を守るのに必死だっただろう。赤い光が目だとしたら、間違いなく鬼だ。しかし、ならば何故彼らは生きている。明たちの話では、復活した直後は空腹で正気を失っているはず。赤い目が四つ、だとすればもう一人も鬼だったことになる。その鬼が止めたと考えるのが自然だが、行動は不自然だ。
「そっか、それは怖かったよね。でも、そいつが誰だったにしろ、宙くんたちが生きてて良かった。後遺症もないって聞いてる。良かったね」
「……信じて、くれるの?」
「もちろん。だって、宙くん見たんだよね?」
 宙は驚いた顔で紺野にも視線を向けた。無言の問いかけに、紺野はしっかりと頷いた。すると宙はくしゃりと顔を歪ませ、堰を切ったように涙を落とした。
「退院して、皆に聞いても覚えてないって言うし……っ警察の人は恐怖で幻でも見たんだろうって言って、信じてくれないし……っでも掴まれた手の感触は残ってるし、俺どうしたらいいのか……っ」
 しゃくり上げながら訴える宙の背中を、北原はゆっくりさすった。
「あの言い伝えが本当で、あれが鬼だったんなら、俺怒らせたかもしれないって思って、ずっと怖くて……っねぇ刑事さん、俺殺されるのかなぁ……っ」
「そんなこと、絶対にない。絶対にさせない」
 初めて聞いた。北原のこんなにも力強い声を。北原は宙の顔を覗き込んだ。
「日本の警察は優秀なんだよ。皆、警察官として誇りを持ってる人達ばかりだから」
「……でも、この前警察官が不祥事起こしたってニュースでやってたけど」
「そ……っそれは、その……その人は警察官として未熟だったってことで……真面目な人の方が圧倒的に多くてね、その……」
 視線を泳がせながらぼそぼそと言い訳をする北原に、宙がふっと噴き出した。
「俺、刑事さんたちのこと信じる。俺の言うこと信じてくれたし」
「うん、ありがとう」
 北原は照れ臭そうに笑った。
「ああ、そうだ。もう一ついいかな?」
「何?」
「あの言い伝えのことなんだけど。あれって、この辺一帯に伝わってるの?」
「うん。俺はひいばあちゃんに聞いた。昔から伝わってる話で、この辺の人は皆知ってる。でも、教訓みたいなもんだと思ってるから信じてないと思うよ」
「ああ、環境保全みたいな?」
「そう」
「いつ頃からその話が伝わってたのか分からない?」
「そこまではさすがに……陰陽師が出てくるくらいだから平安時代かなとは思うけど。でも口伝だし、正確には」
「そっか……」
 宙は自然な動作でかぶっていた布団を脱いだ。
「俺の話、刑事さんたちが追ってる事件に関係ある?」
「え? うーん、まだはっきりとは分からないけど、でも参考になったよ」
 確実にあるが、さすがに断言できない。する必要もない。ふぅん、と不思議そうに首を傾げる宙の顔色は、もうずいぶんと良くなっている。
 これ以上の情報はなさそうだ。さて、と紺野が腰を上げると北原も倣った。
「じゃあ、俺たちはこれで。ありがとう宙くん」
「あ、うん」
 部屋を出ようとする紺野たちの後を、宙も付いて来た。
 階段を下りる足音に気付いた母親が、奥の部屋から玄関まで見送りに出てきた。
「突然すみません、ありがとうございました」
 紺野がそう告げて北原が会釈をする。では失礼しますと玄関を出ようとした間際、
「刑事さんっ」
 宙に呼び止められた。同時に振り向くと、宙は笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
 それは北原が受け取るべきものだ。紺野が北原の脇腹を肘でつつくと、北原ははっと我に返り満面の笑みを浮かべた。
 もう一度会釈をして玄関扉を閉める。
「いい子でしたね、宙くん」
 前庭を車まで歩きながら北原が満足気に言う。
「まあな。それにしてもお前、ガキの扱いやけに慣れてんな」
「ガキって……まあ、年下の相手はそれなりに。俺、五人兄弟なんで」
「五人!?」
「はい。上が兄と姉で、下二人が弟なんです。両親共働きだからどうしても世話しなきゃいけなくて」
「真ん中っ子か」
「はい」
 なるほどな、と紺野は妙に納得した。年上に対しても年下に対しても臆することなく接する性格は、家庭環境で培われたらしい。
「まあ、あれだな。今回はお前の手柄だ。あの様子じゃ、警察に対してずいぶん不信感を持ってたみてぇだからな。よくやった」
 助手席のドアを開けながら言ってやると、北原は呆気に取られた顔を向けてきた。
「何だよ」
「いえ……何でもありません。ありがとうございます」
 ふいと視線を逸らして運転席に乗り込む北原を訝しげに見て、紺野は車に乗り込んだ。北原は無言でエンジンをかけ、フットブレーキを外す。
「にやにやすんじゃねぇよ気色悪ぃなっ!」
「だって紺野さんが素直に褒めてくれることなんてないじゃないですかぁ」
「それはお前がいつも役に立ってねぇからだろ!」
「あっ酷い!」
 宙に対する聴取は上出来だった。彼の心情を考慮しつつこちらの目的も果たした。そんな成長ぶりを見て、ちょっとは刑事らしくなってきたと思ったらこれだ。根本は何も変わってない。早く出せ、と傲慢に言い放つ紺野に、北原はぶつぶつと不満を漏らしつつ発車させた。
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