第4話

文字数 2,140文字

「宮司さん宮司さん、あれ何すか?」
 隣で、弘貴が橋の下を指差した。「人」の形に組まれ、足の部分が二本の棒で挟まれている木材が等間隔で埋め込まれている。Aの方が近いだろうか。
 大が抜けていることをさして気に止めていない様子で、大宮司は橋の下へ視線を投げた。
木除杭(きよけくい)と言って、増水した際に流木などが橋げたに当たらないよう、食い止めるものなんですよ」
「へぇ。初めて見た」
「おや。京都の渡月橋にもありますが、ご覧になったことありませんか?」
 問いながら、宮司は手を差し出して先へ促した。
「渡月橋に行ったことがない、と思います」
「ああ、地元の観光名所はあまり行きませんからね」
「京都の観光名所って、どこも混んでるから余計に避けるんですよねー」
「なるほど」
 人見知りとは無縁の弘貴らしい。親しげに話しながら先行する二人のあとを、春平たちが笑いを噛み殺しながら続く。観光ではないぞ、と鈴がぼやいた。
 宇治橋の内鳥居をくぐると、一面に玉砂利が敷き詰められた参道は三方に分かれる。左右と前方。幅の広い右の参道が正宮へ続いているようだ。大宮司は、まず左の道を示した。
「この先には、霽月(せいげつ)という名の茶室があります」
 経営の神様、昭和最後の大茶人とも呼ばれる、日本を代表する電気機器メーカーの創始者・松下幸之助が寄付したものだ。他にも、高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)、中尊寺、大阪城など、記録に残っているだけでも十五カ所に寄付している。一般公開されるのは春と秋の神楽祭の期間中だけで、主に賓客の接待や献茶式などに使用されている。
 大宮司は右へ歩みを進め、左脇の道へ視線を投げた。
「こちらには、大山津見神(おおやまつみのかみ)木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がお祭りされている、子安神社がございます。安産の神として、厚い信仰をいただいております」
「ああ、あの根性ある女神様。すげぇよなぁ、女の人って。いくら疑いを晴らすためっつっても、火の中で出産とか、俺だったら絶対無理」
 しみじみと言って、想像したのか弘貴は顔をしかめた。
「母上にあのような強行を強いた父上を、私はまだ許してはおらん」
 突如目を据わらせてぼそっと呟いた鈴に、春平たちがうっと言葉を詰まらせた。分からなくもないが、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)も重々反省しただろうし、もう許してあげればいいのに。などと言えば何をされるか分からないので、かろうじて飲み込む。
 幅は何メートルくらいあるのか。玉砂利が敷き詰められた灰色の広い参道を、青々とした御垣(みかき)や木々が囲み、控え目な彩りを添えている。そして、次第に色濃くなってゆくオレンジ色の空とのコントラスト。
 この美しい風景を貸し切り状態で見学でき、さらに大宮司の案内付きだ。どこの賓客だと思うような贅沢すぎる状況なのに、玉砂利を踏む足音は何だかいたたまれない。
「そ、それにしても、広いなー、ここ。走りたくなるよなー」
 堪え切れなくなった弘貴が、わざとらしい笑顔でわざとらしく言った。なっ、と同意を求められ、春平もしどろもどろに頷く。
「う、うん。(あい)ちゃんと(れん)くんがいたら、喜びそうだね」
「あいつら、ちゃんといい子にしてるかなぁ」
「大丈夫じゃない? 懐いてるし」
 少々甘やかすきらいはあるが、妙子をはじめ、律子や夏美、桜にも双子は懐いている。それに、結界を張っているだろうし、家から出られないだろう。そもそも敵側は人数的にぎりぎりで、悪鬼も貴重な戦力だ。この隙を狙って賀茂家を襲撃するようなこともない。
 確かに広いな、と春平たちを戦慄させたことなど忘れたように、鈴が周囲を見渡しながら一人ごちた。
 途中、一部分だけさらに広くなっているのは神苑(しんえん)と呼ばれる、両側にお椀を二つ添えたような形をした庭園だ。春と秋の二度行われる神楽祭、春の奉納大相撲などの会場になる。特別舞台が設置され、舞や力士の取組が間近で見物できる。
 参道はさらに真っ直ぐ伸び、左の脇道へ入ると参拝者用の休憩所や能舞台がある参集殿、トイレ、神馬を飼育する御厩(みまや)、祈祷後の直会(なおらい)(神饌やお神酒を神職と一緒にいただくこと)が行われる饗膳所(きょうせんしょ)が建ち、堀川に架けられた火除橋(ひよけばし)がある。
 大宮司の簡単な説明を聞きながら、春平たちは真っ直ぐ進む。こちらにも同じく火除橋があり、そこを渡ると右手に水手舎が設けられている。その向かい側に、板塀で囲まれた斎館(さいかん)が建っている。神事などの前に、祭主や神職が身を清めるためにこもる場所であり、また天皇皇后両陛下が参拝された際の休憩所や宿泊所などもあるため、一般人が内部を見学することはできない。
「見どころ満載だな」
 水手舎でお清めをし、一礼したあと一の鳥居をくぐりながら弘貴が言った。宇治橋鳥居が一の鳥居だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「くまなく見て回るには、一時間半ほどかかります」
「いちじか……っ」
 先行する大宮司の補足に大きな声を漏らしかけ、弘貴ははっとして手で口を覆った。
「参拝に一時間半……」
 マジか、と呆れたような感心したような顔でぼそりを呟く。これが普通に参拝しに来たのなら、さっさとお参りして美味いものでも食いに行こうぜ、と言い出すところだろう。陰陽師なのだから信仰心がないわけではないだろうが、何せ花より団子の性格だ。
 一時間半かぁ、と何やら複雑な顔をした弘貴を無視し、一行は進む。
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