第24話

文字数 3,880文字

「そういえば」
 佐々木が難しい顔をした。
「色々と分かったこともあるけど、結局、紺野くんを捜査に戻した人の手掛かりは一つも出てこないのよねぇ」
 解けた謎やまだ解けない謎も多いが、唯一その点だけは何の手がかりもない。そのためか、会合でも話題に上がらなかった。紺野が捜査に戻ることで得をし、本部長に伝手がある人物など誰も心当たりがないのだ。敵なのか味方なのか分からない奴に、裏でこそこそ動かれるのは気味が悪い。
「あ――……」
 佐々木につられて紺野たちが難しい顔をする中、近藤が何か含んだような声を漏らした。
「近藤、何か気付いたのか?」
 下平が問うと、近藤は「うーん」と曖昧な返事をして受け取った鍵を弄んだ。キーリングに指を通してくるくると回す。
「まあ、このくらいは当然だよね」
 人んちの鍵で遊ぶな、と言外に訴える紺野の鋭い視線を受けながら呟き、近藤は回していた鍵を握って止めた。
「あれ、僕が本部長に直談判したんだ」
 まさかの答えに、紺野たちは呆れ半分、不可解半分で怪訝な顔をする。突っ込みどころがいくつかあるが、まずは。
「お前が直談判したからって、なんで本部長が動くんだよ」
「だって、僕あの人の隠し子だもん」
 開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。こともなげにぶっちゃけられた暴露に呆気にとられ、しんと静寂が落ちる。
 本部長とは、人によっては警察学校の入校式や卒業式などの式典でしか目にできない者もいる。つまり、そのくらい雲の上の人で、例えるなら大企業の社長や芸能人と同じ感覚だ。
 そんな人物の、隠し子。
「――はあ!?」
 見事に重なった素っ頓狂な声が病室に響いた。
「かくし……っ」
「声大きい!」
 叫びかけた下平を、近藤が唇に人差し指を当てて制した。下平が大慌てで口を塞ぐ。外には警察官が待機しているのだ。京都府警の長ともあろう本部長に隠し子がいたなんてスキャンダルもいいところだ。こんなこと知れたら大騒ぎになる。
「か、か、かく、隠し子って……っ」
 狼狽を押し殺すように布団を握った北原が、小声でどもりまくった。
「母親が祇園で芸妓やってたって言ったら分かる?」
 平然と返されて、はー、と感心しているのか気を落ち着かせようとしているのか分からない吐息が漏れる。いくぶん平常心が戻った。
「ほんとにあるんだな、そういうこと」
「みたいだね。妊娠が分かったのと、あの人にお見合いの話しが持ち上がったのが同じ時期で、結構な手切れ金受け取って別れたらしいよ」
「そんな、他人事みたいに……」
 北原が困惑顔でぼやく。
「近藤くん。もしかして、それ知ってて科捜研に入ったの?」
 どうやら殊勝な想像をしたらしい。いたたまれない顔をした佐々木に、近藤は虫を追い払うように手を振った。
「まさか、偶然だよ。父親は死んだって聞いてたんだけど、採用が決まった時に母親が話してくれた。さすがに信じられなかったけど」
 近藤はサイドチェストに尻を乗せるようにもたれかかり、腕を組んだ。
「でも、科捜研に入ってしばらくして、たまたまあの人とすれ違ったんだ。そしたらあの人、一瞬だけ動揺したんだよね。僕、母親に似てるからびっくりしたんじゃないかな。だから半信半疑で親子鑑定したら本当だった」
 紺野が問うた。
「親子鑑定って、どうやって」
「掃除のおばちゃんたらしこんで煙草の吸殻もらった。あ、勘違いしないでよ? ご飯一緒にしただけ、寝てない」
「誰もそんなこと思ってねぇよっ」
 即座に突っ込んだ紺野に、近藤は「ははっ」と短く笑った。下平たちからは呆れ気味の息がこぼれる。
「これ、誰にも言ってないから口外しないでね」
「しねぇし、できるわけねぇ……あ、でも明たちには報告していいか? 全部話してんだよ」
 寮の者たちには話すだろうが、べらべらと他言するような無神経ではない。
「いいよ。急いでって言ったのに丸一日開けたんだから、これくらいのペナルティ受けてもらわなきゃね」
 楽しそうに笑う近藤を見て、全員が本部長を憐れんだのは言うまでもない。自業自得とはいえ、本部長はとんでもない息子を持ったものだ。
 ん、と下平が気付いた。
「丸一日って、もしかしてこいつが外された当日に直談判したのか? どうやって知ったんだ?」
 北原と近藤は、結局なんの話もしていない。そこからでないとなると、どこからだ。至極当然の疑問に、しまったといった顔をしたのは北原で、近藤はそんな北原にちらりと顔を向けた。秒で疑問が解けた。
「北原か」
「うん、そう」
「すみません!」
 近藤はあっさり白状し、北原は速攻で頭を下げた。
「北原くんねぇ、わざわざ電話してきて、三宅の鑑定は間違いないのかって疑ったんだよ? 失礼な話だよねぇ」
 うわ、と揃って顔を歪ませる。あっはっは、と明らかな作り笑いを上げる近藤が怖い。鑑定が間違っていれば紺野は捜査に戻れると思ったのだろうが、まさか直接聞くなんて。
「お前、勇気あるな……」
 すみませんすみません、と手で顔を覆って平謝りする北原に溜め息を漏らす。まあ、そのおかげで一日で復帰できたわけだし、このまま引っ張ると可哀想だ。
 紺野は話題を変えた。
「でもお前、よかったのか? 俺なんか戻すのに利用して。立場が悪くならねぇか」
「あれ、心配してくれるんだ」
 にんまり歪む口元に、紺野は気味が悪そうに眉根寄せる。
「自分が原因で無職になられたら目覚めが悪いだろ」
「大丈夫だよ。外に子供がいるなんて知られたら、自分が危うくなるんだから。ただ一応言っておくけど、僕は恨んでないし、他に口外するつもりもない。お金で責任放棄するような男、別れて正解だよ。それに母さんを巻き込みたくないしね。でも、立場としては美味しいでしょ。何かあった時は利用させてもらわなきゃ。そのためには、あの人に今の立場にいてもらわないと困る」
「お前、したたかだな……」
 ちらりと覗かせた母親思いに感心したと思ったら、これだ。
 平たく言えば、父親は母親と自分を捨てて見合い相手を選んだのだ。それを知ってなお、恨むどころか美味しいと言い切り、利用した。これをしたたかと言わず何と言う。
「でも、まさか本当に役に立つとはねぇ。やっぱり切り札は最後まで取っとくもんだよ」
 あっけらかんと言って笑う近藤に、一同驚きを通り越して呆れ顔だ。
「まあ、俺は助かったからな。一応礼を言っとく。ありがとな」
「別にいいよ。だって、紺野さんが捜査から外されたら、事件の真相が詳しく分からなくなるでしょ。面倒な事件だってことは分かってたから、北原くんだって何があるか分かんないし。ほんと、余計なことしてくれたよねぇ」
 つまりは、自分の欲求に従っただけか。礼を言ったことを心の底から後悔し、紺野は深くて長い溜め息をついた。
「まったく、とんでもねぇ秘密を抱えてたな、お前。おっと、そろそろお暇しねぇと」
 熊田が腕時計を見て腰を上げるとお開きの空気が流れ、下平も立ち上がった。
「じゃあな北原。大事にしろよ」
「無理しちゃ駄目よ。ゆっくり休んでね」
「じゃあね、北原くん。お大事に」
「ありがとうございます」
 口々に別れの挨拶を交わし、扉へと向かう。最後は紺野だ。
「また何かあったら来るけど、今は怪我を治すことに専念しろ。間違っても抜け出すとかすんなよ」
「さすがにそこまで馬鹿じゃないです……」
 がっくりとしてぼやいた北原に和やかな笑い声が上がる。
「じゃあな」
「あのっ」
 背を向けた紺野と、戸口で待っていた下平たちが振り向いた。
「気を付けてください」
 真剣な眼差しと、硬い声。紺野たちは表情を引き締めて、無言で強く頷いた。
 じゃあな、ともう一度言い置いて病室を出る。入れ違いに姉たちが戻ってきたので軽く挨拶を交わし、警備の警察官に労いの言葉をかけてからぞろぞろとエレベーターへ向かった。
 とりあえず元気そうで安心しましたね、だな、と安堵の表情を浮かべて前を行く下平たちに続きながら、近藤がふと言った。
「紺野さん、ありがとね」
「は?」
 突然の礼に、紺野は隣を見上げた。
「お礼、ちゃんと言ってなかったでしょ」
「ああ……」
 十七年前のことか。
 あのあと、病院に搬送された近藤は処置に入った。最近では多少緩くなっているらしいが、当時は入校直後に携帯を回収され、一定期間が過ぎて許可が下りなければ外部との連絡はもちろん、自由に外出できなかった。そんな噂を事前に聞いていたため、院内にある売店でチョコや飴やガムなどの小さなお菓子を買い漁り、見舞いに来られないからと事情を話して近藤の母親に手渡した。処置が終わる前に帰宅したためその日は会えず、翌日には警察学校に入校した。
 以降、実家にお礼と退院の連絡はあったものの、結局会えずじまい――の、はずだった。
 紺野は口元を微かに緩めて前を向いた。
「ま、でかく育って良かったな」
 育ち過ぎだし性格に難はあるし、生活能力は皆無だ。だがまあ、命がけで助けた子供がこうも立派に育てば、嬉しくないわけがない。
 何それ、と喉を鳴らして笑う近藤の横顔をもう一度盗み見る。顔を覆うぼさぼさの長い髪に、空手をやっているとは思えない猫背。
 もしかして空手を始めたのはあれがきっかけだったのだろうか、と思いつつ、別のところで眉根が寄った。
 確かに無事だったことは喜ばしい。それは本心だ。だが、まさか男だったとは。本当に女だったら、さぞや美しい女性に成長していただろうに。
 どっかで遺伝子組み替えられたんじゃねぇのか。以前、なんで男なのと言われて怒ったことを棚に上げ、紺野はこっそりと残念そうな溜め息をついた。
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