第9話

文字数 1,372文字

 里見怜司は現在27歳。ある事件の第一発見者だ。その資料から分かった以前の住所は単身者向けのマンションで、入れ替わりが激しく両隣の住民や管理人も変わっていたため、証言は何一つ得られなかった。さらに最後の頼みの綱である「もう一つの方」にも足を運んだが、すでに引っ越した後だった。隣の住民に尋ねてみたが何も言わずに引っ越したらしく、こちらも空振りに終わった。
「まあ、あんな後じゃあな……」
 買い手が付かないのだろう、表札が外されたままの一軒家から目を逸らし、紺野はぽつりと呟いた。
「手掛かりが途絶えましたね」
「ああ」
 とは言え、怜司が被疑者であることに変わりはない。ただ、人となりからある程度判断できればと思ったのだが、それも徒労に終わった。
 紺野は乱暴に頭を掻き回しながら、踵を返した。車をぐるりと回り込んで助手席のドアを開ける。
「しょうがねぇ、怜司についてはもう少し様子を見るか。調べられる隙があるかもしれん」
「分かりました。じゃあ、これからどうします? 捜査員の経歴調査、もう少しですよね」
「そうだな。そっち終わらせちまうか」
「じゃあ府警本部に行きますね」
「ああ」
 右京警察署で大っぴらに経歴調査はできない。ゆえに、府警本部の資料保管室とは名ばかりの倉庫のパソコンを使用する。滅多に人が来ないのは有り難いが、非常に狭苦しいのが難点だ。
 府警本部へと車を走らせながら、ふと時計に目を落とすと正午を回っている。
「北原、先に飯だ」
「あ、はい。お腹空きましたねぇ……って、いつもの定食屋ですか?」
「早い、安い、美味い三拍子揃ってんだ。しがないサラリーマンの味方だろ」
「そうですけどぉ……」
「お前なぁ、昨日彼女と会ったんだろ。いい飯食ったんじゃねぇのか、文句言うな」
 贅沢な、と溜め息交じりに付け加えると、ちらりと横目で一瞥された。
「僻みじゃねぇぞ」
 先手を打つと、北原は冷静に「分かってます」と肯定し、これ見よがしに溜め息をついた。
「俺の不幸は紺野さんのご飯の味を知ってしまったことです……」
 実に深刻な声色のわりに言っていることが意味不明だ。紺野は怪訝な表情で北原を見やった。
「何言ってんだ、お前」
「いいんです、何でもありません気にしないでください」
「はあ……?」
 北原は再度溜め息をついた。何だかよく分からないが、責められている気がするのは気のせいか。
 と、携帯が鳴った。確認すると下平からのメールだった。
「おい、例のカツアゲ被害者の身元分かったらしいぞ」
「本当ですか、さすがですね!」
「名前は菊池雅臣、現在18歳。一年前に家族から捜索願が出されてるらしい」
「失踪してるんですか……」
「みたいだな」
 必要最低限の情報の最後には「今夜空いてるか?」の一文が添えられている。
「北原、お前今日予定は?」
「特に」
「じゃあ、下平さんと合流でいいか」
「はい。この前の店ですかね?」
「さあ、どうだろうな。美味かったよな、あの店」
「雰囲気も良かったですしね」
 そうだな、と同意しながら、終わり次第連絡すると返信する。ついでに明へ報告をと思ったが、手が止まった。報告するのはいいが、詳細を聞かれると困る。下平に話を聞いてからの方がいいか、とひとまず携帯を内ポケットにしまい込んだ。
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