第13話

文字数 6,485文字

「これより、緊急会合を始めます」
 宗一郎の宣言に、大河はごくりと喉を鳴らした。
「まず、(せい)からご挨拶を」
「はい」
 宗一郎に促され、晴はゆっくりと口を開いた。
「皆様聞き及びの通り、我が土御門家当主・土御門明は、鬼代事件の重要参考人として、警察で聴取を受けております。その間、僭越ながら私、土御門晴が当主代理を務めさせていただきます。若輩者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
 指を揃えた両手を畳につき、ゆったりと頭を下げた晴に誰もが頭を下げ返す。大河も慌てて上半身を倒した。落ち着いた口調に、静かに放たれる威圧感と存在感。初めて、似ていると思った。晴は間違いなく明の弟で、土御門家の人間なのだ。
 全員が体勢を戻すと、晴が紺野へ視線を投げた。つられるように、一斉に視線が向けられる。
「さっそくですが、紺野さん。例の映像が届けられた時の状況を説明願います」
「はい」
 紺野は内ポケットからメモ帳を取り出した。
「捜査本部に届けられたのは、本日午前九時半頃です。右京署の近くにある公園の遊具の上に放置され、近所の住民が見付けたそうです。公園内に防犯カメラはなく、目撃情報もなし。周辺のカメラにも不審な人物は映っていませんでした。DVDが入っていた封筒は、大量に出回っている商品で犯人の特定は不可能。使われていた糊も同様で、インクや指紋その他、犯人に繋がるようなものは一切検出されていません」
 紺野が一旦言葉を切ると、氏子らから落胆の声が漏れた。
 郵送ではなく、無関係の一般人に届けさせた理由くらいは想像がつく。防犯カメラに姿が映っていないのも、公園内にカメラがないことを確認した上で、式神を使ったのだろう。
「また映像ですが、現在分かっているのは合成であることと、撮影された場所のみです。撮影場所は、鬼代神社へ向かう途中の国道162号線と府道443号線が合流するT字路。しかし、これまでの防犯カメラ映像を再確認したところ、送られた映像に記録されている時間に、同じ車種はありませんでした。記録が改竄されている可能性もあるので、向こう三カ月分の映像も確認しましたが、見つかっていません。映像が何重にも重ねられていて、ただいま科捜研にて解析中です。以上です」
 紺野が締めくくるや否や、一斉にざわついた。やはり合成か、当然だ、姑息な真似を、三か月以上前から準備をしていたのか、と氏子らが口々に感想を口にする中、大河はほっと胸を撫で下ろした。合成だと分かっていても心配にはなる。
 ふと、視界の端に怪訝な顔をした春平(しゅんぺい)が映った。
「春、どうしたの?」
 小声で尋ねると、春平は我に返って「ううん」とぎこちない笑顔で首を横に振り、晴へ向き直った。何か気になることでもあるのだろうか。
「紺野さん、ありがとうございます。何か動きがあれば、よろしくお願いします」
「はい」
 紺野が返事をすると、春平の顔がますます怪訝になった。
「この件については、すでに合成であることが判明しております。解析が終わり次第解放されるでしょう。心配いりません。では、次です」
 次。やっぱり何かあったんだ。大河は集中して晴の声に耳を傾ける。
「六年前の事故の件において、動きがありました」
 突風に吹かれた木々のように、ざわっと空気が揺れた。動揺というよりは、驚きだ。栄明と律子(りつこ)以外の氏子らが険しい顔で何やら言い合い、スーツ姿の男女九名も目を丸くしている。心当たりがあるようだが、大河には何のことかさっぱりだ。隣の春平も小首を傾げている。
「皆様、お静かに」
 あくまでも冷静な声に、ぴたりとざわめきが止む。
「結論から申します。事故現場から逃亡した、岡部安信(おかべやすのぶ)を発見致しました」
「本当ですか!」
 再び衝撃が走りざわめきが起こる中、テーブルに身を乗り出して声を張ったのは、土御門家側の氏子の一人だ。こちらに背を向けているため、表情は分からないが必死な雰囲気が伝わってくる。
「はい」
 晴が頷くと、彼は全身で脱力して顔を覆った。
「ああ……良かった……」
 くぐもった声でそう小さく呟いた彼に、晴が声をかけた。
軽部(かるべ)さん」
 軽部がゆっくりと顔を上げる。
「貴方が気に病む必要はないと、兄は再三申し上げたはずです」
「しかし、私が仕事を依頼しなければ、あんな事故には……」
「いいえ。貴方の責任ではありません。責められるべきは、事故を装って、父を殺害した犯人です」
 え? と短い疑問の声がそこここから漏れ、時間が止まったような感覚に陥った。
 以前、茂と華から亡くなっていると聞いてはいるが、殺害? それにこの反応は何だ。
 大河は混乱した頭を抱え、目の前にある陽の小さな背中を見た。頭は晴の方を向いているが、緊張しているのか、いかり肩になっている。何も言わないということは、すでに知っていたのか。さらに向こう側へ視線を投げると、気付いた宗史が大河をちらりと見やった。しかし、何の反応も見せずに視線を戻す。宗史もまた、知っていたようだ。
 ならば、話を聞け、ということだろうか。
 大河は俯いてゆっくりと手を上げ、自分の頬を強くつねった。しっかりしろ。分からないからこそ、きちんと話を聞かなければ。
 宗史は、顔を上げた大河を横見で見やり、瞬きをするついでに視線を戻した。
「あの、お待ちください……」
 呆然とした声で言ったのは、軽部だ。
「事故を装って、とは……どういう……」
 言葉を発するごとに、声が震えていく。晴はおもむろに袂を探り、携帯を取り出した。
「まずは、こちらをお聞きください」
 そう言いながら携帯を操作し、テーブルの上に置いた。全員の意識が小さな箱に集中する。
『……何があった』
 座敷に知らない中年男性の声が響いた。誰だろうと考えることなく、大河は次に聞こえてきた男の声が語った「自白」に、耳を疑った。
 長くて、読後感の悪い物語を聞かされているようだった。欲にまみれた二人の男たちが、何の罪もない三人の兄弟の父親を殺害し、挙げ句の果てに自分勝手な言い分をのたまった。これっぽっちも救いのない、ただただ、ひたすら不愉快なだけの、最悪な話しだった。
 けれど、お前も同罪だろうと激怒した男性と、どこまでも自分勝手なと悔しげに吐き出した女性に、少しだけ救われた。
 あれはきっと、熊田と佐々木だ。二人は協力者ではなかったのだ。
 ごめんなさい、と岡部が謝罪したところで、晴は再生を止めた。呆然とする者、俯いて顔を覆う者、なんてことをと悲痛に呟く者。反応はそれぞれだが、皆、悲嘆に暮れている。
 酷い、と隣で春平が俯いて呟いた。膝の上で握っている拳が震えている。春平の向こう側から、弘貴(ひろき)が静かに背中をさすった。さらに向こう側からは、鼻をすする音がした。香苗(かなえ)あたりが泣いているのだろう。
 大河は春平と同じように俯いて、唇を噛んだ。氏子たちは、殺害された可能性を知らなかった。ならば、晴たちはいつから知っていたのだろう。それとも知らなかったのだろうか。どちらにせよ、晴たちはこれを事前に聞いていた。聞いていたのに、昼食や訓練で笑っていた。きっと、寮へ来るまで必死に気持ちを整理したのだ。
 六年越しの真実に、どれだけ悲しんだのか。想像すること自体がおこがましく思うほど、胸が痛い。
 そもそも、実行した奴らもそうだが、黒幕は――そこまで考えて、大河はじわじわと目を丸くした。
 まさか――いや、おそらく間違いない。疑問はたくさんあるけれど、そうだとしたら熊田と佐々木が岡部を確保した理由に納得がいく。
 黒幕は、鬼代事件に関わっている。そしてその黒幕は、この中の誰か。
 思い切り私情を挟めば草薙(くさなぎ)だと思うが、誰にせよ、あの録音を聞いた限りでは証拠がないはずだ。どうするのだろう。
 ふと、そういえばおっさん今日は大人しいなと気付く。一体誰だ! とかなんとか大騒ぎしそうなのに。
「あの事故は」
 口を開いた晴に、全員の視線が集中する。
「不自然な点がいくつかありました。藤本の体内と寝床から睡眠薬が発見されたため、警察は自殺目的だと見ておりましたが、ホームレスである彼らが何故わざわざ盗んでまで車による自殺を選んだのか。藤本の仲間は、自殺どころか浮かれていたと証言しています。また、事故が起こったのは深夜十二時を過ぎていた。交通量が極端に少ないにも関わらず、何故、父は巻き込まれてしまったのか。真実を知ろうにも、藤本は死亡、岡部は逃亡し行方知れず。私たちは六年間、岡部を探し続けました。そして先日、やっと岡部が京都に戻っていることを突き止め、真実を知りました。すでに、警察が動いています」
 確かに、言われてみれば不自然だ。しかし、もし岡部が藤本と共に死亡、あるいは見つからなかった場合、真相は闇に葬られていた。黒幕はそれを狙っていたに違いない。
「あの、それで」
 軽部が切羽詰まった声で尋ねた。
「依頼主は分かっているのでしょうか」
「はっきりしたことは。しかし」
 晴は袂から二枚の写真を取り出した。一枚は栄明へ、もう一枚は宗一郎から律子へと回された。
「岡部に、この男に見覚えはないかと尋ねたところ」
 すぐに手渡された軽部が目を丸くし、そして律子から写真を受け取った草薙が、目を剥いた。
「似ている、と返ってきたそうです」
「貴様ら……ッ!」
 軽部が両手をテーブルについて勢いよく腰を上げた。写真を確認していない氏子らが早く回せとせっつき、大河たちは突然のことに驚いた顔で軽部を見上げる。貴様ら、と複数形で言った。
「よくも栄晴様を……っ」
「お待ちください、軽部さん」
 今にもテーブルを飛び越えて掴みかかりそうな勢いの軽部を止めたのは、晴だ。
「お気持ちは分かりますが、あくまでも似ているというだけです。決定的な証拠はありません」
 冷静な面持ちで制され、軽部はぐっと奥歯を噛み締めた。体の横で握っている拳が、小刻みに震えている。しばらくして、怒りを押し込むように勢いよく腰を下ろした。
 その間に、写真はバケツリレーのようにあっという陽まで回り、大河へ渡された。賀茂家側も、宗史からスーツの男女へと回されていく。
「え……っ」
 大河と春平、弘貴が写真を覗き込み、同時に驚きの声を上げた。驚きつつも弘貴から香苗、一番前の紺野まで回り終え、栄明伝いに晴へ写真が戻る。
 この顔は、今目の前にある。大河は、次々と驚きの顔を見せる男女九人の中の一人に視線を投げた。真ん中に座っているその男は、あんな話を聞いた上で自分の写真を見てもなお、至極平然とした顔をしている。四十代半ばくらいだろうか、吊り目に筋の通った鼻、薄い唇は、気の強そうな印象を受ける。
 軽部の言い回しからすると、もう一人。大河は、男とは別に視線を集める男へ目を移し、睨みつけた。
「まったくですな」
 至極冷静に口を開いたのは、草薙だ。
「似ているというだけで、私たちを犯人扱いしないで頂きたい。無礼にも程がある」
 草薙は軽部に向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ふんと鼻を鳴らした。
 よくそんなことが言える。土御門家を邪険にしていることや先の会合の態度を見れば、誰だってそう思う。桜の件だってそうだ。けれど、晴の言うことも一理ある。決定的な証拠が、何一つ残っていないのだ。
「大変失礼致しました。しかし草薙さん」
 草薙が晴へ視線を向ける。
「我々は、貴方がたを疑っています。理由は、お分かりですね?」
「ええ、もちろん。ですが、さすがに栄晴様を手に掛けるような真似は致しません。私にも立場というものがありますからな」
 したり顔で胸を張った草薙に、大河は顔をしかめた。信用できないのは先入観があるからだろうか。しかも、自覚があってこの態度らしい。ふてぶてし過ぎだ。そもそも何故こんな男が氏子代表なのだろう。
「ぜひ、そうであって頂きたいですね」
 晴が口元に笑みを浮かべると、草薙が片眉を上げて怪訝な顔をした。
 晴はぐるりと視線を巡らせ、改めて口を開いた。
「先日、私の弟・陽が拉致される事件がありました」
 突然の話題転換に、えっ、と氏子たちに驚きが走った。報告されていないらしい。
「黒幕が鬼代事件の犯人へ依頼し、その犯人がさらに一般人に協力させたことが判明しております。依頼内容は、陽を誘拐し、殺害すること。陽自身が何者かに恨みを買う可能性はありません。となると、目的は土御門家。鬼代事件とは無関係の何者かが、偶然このタイミングで犯人へ依頼したと考えるのは、あまりにも偶然が過ぎます。我々は、黒幕は鬼代事件の犯人と繋がっている、共犯者だと考えています」
 草薙以外の氏子全員が目を剥いた。草薙は渋面を浮かべている。何に対しての苦さなのか。
「一般人、つまり実行犯は、一千万の報酬で雇われたと証言しています。岡部たちに提示した額と同じです。さらに、現場に現れた鬼代事件の犯人は、こう言いました。自分たちは依頼を受けただけだ、黒幕はすぐに分かる、と。残念ながら犯人を確保するには至りませんでしたが、身元はすでに割れております。名前は栗澤平良。前科があり、現在行方不明です。また、実行犯のほとんどは悪鬼に食われ、生き残った者たちの身元も分かっておりません」
 ふ、と草薙が嘲笑した。
「確かに、辻褄は合いますな。要は、栄晴様を殺害し、なおかつ陽様の誘拐を企て鬼代事件の共犯者が私だと言いたいのでしょう? しかし晴様。共通点は報酬額のみ。一千万は切りがいいですからな、提示しやすいのでしょう。お言葉ですが、少々浅はかでは?」
 腰を浮かせたのは、栄明を除いた土御門家側の氏子全員だ。
「よさないか」
 怒声が響く前に早々に仲裁に入ったのは、言わずもがな栄明だ。
「しかし……!」
「まだ続きがある」
 え、と氏子らが驚いたように瞬きをし、戸惑いつつも腰を落ち着けた。やはり栄明は全て知っているらしい。
 栄明が見やると、晴が小さく頷いた。それを確認して、栄明は九人の男女の一人へ視線を投げる。
「郡司」
「はい」
 名前を呼ばれ、先の疑いをかけられた男の隣に座る男が、背後からアタッシュケースを取った。ケースを開けてダブルクリップでまとめられた紙の束を取り出し、腰を上げる。歩み寄ったのは、草薙。
「失礼致します」
 郡司は一言添えたものの膝をつくことなく、腰を曲げて草薙の前へ紙の束を置いた。そして、さっさと踵を返して席へ戻ると、アタッシュケースを後ろへ戻した。
「何だ……?」
 紙の束に目を落として、草薙が訝しげに呟く。
「それは、我々が集めた証拠のほんの一部です。どうぞ、ご覧ください」
「証拠?」
 晴の言葉を反復して、草薙は困惑した表情で一枚目をめくる。とたん、顔色が変わった。
「な……っ」
 よほど驚いたらしい、紙の束に飛びつくように顔を近付け、次から次へとページをめくっていく。最後までめくることなく、草薙は勢いよく顔を上げた。さっきまでのふてぶてしい態度は一変、明らかに動揺し青い顔をしている。
「に……っ、偽物だ!」
「いいえ」
 間髪置かずに一蹴したのは、宗一郎だ。一斉に視線が集まる。
「偽造でも捏造でもありません、正真正銘の本物です」
「……宗一郎様……まさか、貴方まで……」
「言ったはずです。我々は貴方がたを疑っている、と」
 微かに浮かんだ笑みに、草薙が怯えたように息をのんだ。ぐっと唇を噛み、しかし何か思い付いたように顔を上げた。
「こっ、これが本物だという証拠はあるんですか!」
 テーブルに身を乗り出して必死に訴える。その態度が、全てを肯定していることに気付いていないらしい。大河は九人の男女――栄明の態度と彼らの立場から見て、おそらく秘書だろう。律子に秘書はいないだろうから、数的には合う――を一瞥した。草薙の秘書らしいあの男が、わずかに顔をしかめている。
 笑みを浮かべたまま、宗一郎が振り向いた。その視線を辿って、全員の視線が移動する。
「では、改めてご紹介しましょう――」
 宗一郎の言葉に合わせて、彼は腰を上げた。
「元草薙製薬社員、里見怜司です」
 唖然とした空気が漂う中、怜司はゆっくりと一歩を踏み出した。
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