第5話

文字数 2,175文字

 突如、ドンッ! と一発の轟音と共に地面が揺れた。
「お、何かやらかしたか?」
 平良が楽しげに目を輝かせて霊刀を薙いだ。
 宗史はその霊刀を横へ受け流しながら、右足を水平に振り抜いた。ドゴッとくぐもった打撃音と共に脇腹に入り、平良の体が空を飛んで参道脇の斜面に激突した。土は抉られ、ばらばらと崩れ落ちるほどの衝撃なのに、呻き声一つ上げることも悶えることもなく、長く息を吐きながら平然と顔を上げる。
 こいつには痛覚がないのか。
 鎮守の森から響いてくる派手な火花の音を聞きながら、宗史は息を切らして不気味そうに目を細めた。
「うーん、強ぇのは強ぇんだけどなぁ……」
 溜め息交じりにどことなく不満げに呟きながら、平良が腰を上げた。口の端に滲んだ血を、ぺろりと舌で舐め取る。
 実力でいえば、樹を狙うだけあって大差はないものの、こちらの方が上だ。外灯やベンチ、参道脇に植わる大木に激突した回数も、霊刀や蹴りを食らって負ったダメージも、平良の方が大きい。確実に体力を削られているはずだ。それなのに、何故こうも平然としていられるのか。タフなどという言葉で収まるレベルではない。まるでゾンビを相手にしているような気分だ。
 被害は最小限に、という縛りが敵側にもあるのかは知らないが、行使するのは互いに略式と霊刀のみ。だが、そうも言っていられないのではないか。このままでは秘術を行使できない。
「やっぱ場所が悪いのかぁ?」
 もっと広い場所なら、いやでもなぁ、とぶつぶつ言いながら参道に戻ってくる平良の姿は、満身創痍でありながらも余裕があるように見えて、宗史は眉をしかめた。もしや、これが全力ではないのだろうか。そもそも略式と霊刀のみでの戦いだ。術を交えれば、この手のタイプは何をしでかすか分からない。結論を出すのは早計だ。だからこそ、今ここで制圧しなければ。
 宗史は息を整え、霊刀を握り直した。
 と、今度は落雷に似た痛烈な音が辺りに響き渡った。平良が警戒もなく鎮守の森へ視線を投げる。
「マジで何してんだ?」
 不可解そうに小首を傾げながらも浮かべた表情は、楽しげというよりわくわくしていると言った方が正しい。まるで、プレゼントを開ける前の子供のような、無邪気な笑顔。
 正直に言えば、先程の地面の揺れといい音といい、大河が何をしているのか気にならないわけではない。しかし、平良を放っておくわけには――と。
 あああ――――ッ!!
 突然鼓膜に飛び込んできたのは、大河の絶叫。それと、森の中からするすると木々を避けて姿を現した、悪鬼。
 まさか――。
「一瞬でいい、足止めしろ」
 嫌な予感がして森の方へ身を翻した宗史と、平良が悪鬼へ指示を出したのが同時だった。指示するや否や、悪鬼が無数の触手を伸ばし、平良はその背後から斜面を軽快に駆け登った。
 先程の大河の絶叫と姿を現した悪鬼を見れば、何が起こったのかすぐに理解できる。この大きさの悪鬼では独鈷杵を奪取できないと即座に判断し、自ら奪いに行ったのだ。一瞬、と言ったのも、おそらく独鈷杵を奪取してすぐに撤収するため。
 平良にとって最大の目的は樹と戦うことであり、ここでの目的は独鈷杵の奪取だ。この場に樹はおらず、宗史を殺しても彼の逆鱗に触れるとは限らない。引いては、結界の破壊や樹への挑発、あるいは大河の負の感情を利用するための宗史殺害は、平良にとって特別な意味を持たない。つまり、独鈷杵さえ奪取してしまえば留まる理由がない。さらに言うなら、おそらく独鈷杵奪取すら、奴にとっては「どっちでもいい」のだ。今回はたまたまチャンスが巡ってきただけのこと。
 宗史は舌打ちをかまし、触手を素早く叩き切った。競うように、宗史と悪鬼が同時に参道から森へ飛び込む。
 木々をするすると避けながら前を行く悪鬼のしんがりから、触手が伸びた。足を止めることなく叩き切り、
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 略式の真言を唱える。警戒したか。悪鬼が三分の一ほど残し、残りは奥へと飛び去ってゆく。その方向を一瞥し、宗史は霊刀を構えて足を踏ん張った。左近の結界の方へ向かったということは、大河もそちらにいる。
 宗史は触手を伸ばした悪鬼へ向かって、霊刀を後ろから前へ大きく振り上げた。切っ先が地面に一文字を描き、水塊が木々の間をすり抜けて縦長に飛散した。横に振り抜く方法と違って、これなら無駄に木々を傷付けなくて済む。もちろん、悪鬼の大きさにもよるけれど。
 水塊が見事に触手と本体を捉え、衝撃音と白い煙を上げた。それを横目に宗史は表情一つ変えず走り出し、ちらりと結界を見やった。二重になっている。それと、上から響いてくるこれまた派手な火花の音。外側の結界がじわじわと内側へ動いているところを見ると、収縮させて悪鬼を押し潰しているのだろうが、左近の戦い方にしてはどうにも雑な気がする。大河の悲鳴は聞こえただろうから、手っ取り早さを優先したのだろうか。
 そんな小さな違和感は、やっと見えてきた光景に一気に吹き飛んだ。
 大河と悪鬼の戦闘が繰り広げられていたであろう場所は、木々がなぎ倒され、ちょっとした広場のようになっていた。その中央辺りで、地面に伏した大河が顔だけを上げ、縋るように左手で平良の右足首を掴んでいる。結界を背にして立つ平良の側には悪鬼、そして手の中には――影綱の独鈷杵。
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