第9話

文字数 4,059文字

 帰宅してから夕食までの時間に、紺野たちから入っていた情報を聞いた。
 平良の身辺調査の結果と良親の携帯の件、廃ホテルで聞いた二人の犠牲者が発見された事件、それと下平の部下が目撃した女の件だ。
 そして現在、午後十時半。宗史は入浴を済ませ、自室のベッドの上に腰を下ろして息をついた。
 昼間、寮で怜司たちを相手にする紫苑を見て、一瞬動揺した。すっかり馴染んでしまっていることにではなく、彼が身に付けている着物にだ。
 あれは、栄晴のものだ。
 昨日まで、明は柴と紫苑を目にしたことがない。念のために大きいものを妙子に選ばせたのだろうが、まさか栄晴の着物を渡すとは思わなかった。
 栄晴は、身長は百九十以上あり筋肉質で大柄な体格だったが、しかし、とても穏やかで温和な人だった。体格は晴に、性格は明と陽に受け継がれている。体格も人としての器も、大きな人だった。
 晴と陽、そして宗一郎は、どう思ったのだろう。
 立ち姿だけならば、紫苑は栄晴に似ている。あれを見て感傷に浸るなと言う方が無理だ。栄晴との思い出は、あまりにも多すぎる。
 宗史は気を取り直すように短く息を吐いて腰を上げると、デスクに置きっ放しにしていた携帯の時計を確認した。大河に、報告することがあるから夜電話するとメッセージを入れておいたのだが、もう部屋に入っただろうか。これ以上遅くなると、今日は睡眠時間がかなり少なかったようだし、寝落ちするかもしれない。
 携帯を操作しようとした時、部屋の扉が鳴った。
「宗史、私だ」
 宗一郎だ。珍しい。いつもなら書斎の方へ呼び出すのに。
「はい」
 少々訝しい気持ちで返事をすると扉が開かれた。
「珍しいですね。どうしたんですか?」
 素直に尋ねると、宗一郎はベッドの端に腰を下ろしながら言った。
「たまには息子の部屋というのもいいかと思ってな」
 何がいいのかさっぱり分からない。分からないが、ここは宗一郎だ。いつもの気まぐれだろう、考えるだけ無駄だ。宗史はそうですかと軽く流し、椅子に腰を下ろした。
「先程、明のところへ新しい情報が入った」
 さっそく話を切り出した宗一郎から伝えられた情報は、少年襲撃事件の詳細と、目撃された女と上京区で起こった殺人事件が関わっているかもしれない可能性、そして龍之介の件だった。
 しかし、特別何か進展があったというわけではない。ただ謎と可能性が増えただけだ。
「確かに憶測ではあるが、私たちから異論はない。お前は?」
「いえ、俺からも特に」
 むしろさすがと言うべきか。目撃された女と殺人事件の関係や龍之介の件も然り。些細な違和感でさえも放置せず、情報と照らし合わせて一つずつ可能性を潰していく。彼らは根っからの刑事なのだ。
「何にせよ彼らの捜査頼りだ。それと龍之介の件だが、明が護符を作って、明日晴に届けさせるらしい」
 まさかの展開に、宗史は目をしばたいた。
「何かまずかったか?」
 小首を傾げた宗一郎に、宗史は少々困った顔をした。
「いえ、実は、大河が紺野さんたちに護符を渡したいと言って、練習しているんです。皆が作ってくれたお守り袋があるからと」
「おや、そうなのか。少しは上達したか?」
 以前送った霊符を思い出したのか、宗一郎は肩を震わせた。
「ええまあ。使えなくはない、と思います」
 濁した宗史に、宗一郎は俯いてますます肩を震わせた。本当にこの人の笑いのツボはよく分からない。ひとしきり笑ってやっと顔を上げた宗一郎は、まだ小さく笑いを漏らしながら腕を組んだ。
「せっかくの努力を無駄にするわけにはいかないな。明の護符と一緒に渡しなさい。護符そのままより、お守り袋に入っていた方がいいだろう」
「分かりました。あとで晴にも連絡してみます」
「ああ。大河に連絡は?」
「今からです。寝落ちしていなければいいんですが」
 溜め息交じりの宗史に、宗一郎は苦笑して腰を上げた。
「確認が取れ次第、すぐ報告するように伝えておきなさい。樹と怜司の方も頼んだぞ」
「はい」
「二人のことだ、例の件は気付いただろうがまだ話すな」
「分かりました」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 静かに扉が閉められてから、宗史は息をついた。宗一郎の言う通り、樹と怜司なら例の件に気付いただろうが、それでも話す気はないらしい。しかも、内通者がいるあの場で話題にしたということは、挑発か。彼らしいと言えばらしい。宗史は携帯を取って大河へと電話を繋ぐ。
「も、もしもし?」
 五度目のコールで繋がったと思ったら、何やら上ずった声が届いた。
「俺だ。……どうした?」
「れ、霊符の練習してたからびっくりして」
 どもっている、怪しい。
「……描きながらうたた寝してただろう」
 沈黙が返ってきた。図星のようだ。
「連絡するとは言ったが、眠いのならしてくれてもよかったんだぞ」
「具現化の練習もしてたし大丈夫かなって思って」
「でも寝たんだな」
「……気付いたら寝てました」
 拗ねたような声に、宗史は短く笑った。
「悪い。もう少し早く連絡すればよかったな」
「あ、ううん。それで、報告って?」
「それなんだが、要点だけ言うぞ。昨日、紺野さんが二人の犠牲者が出たと言っていた事件だけどな――」
 明伝いに宗一郎から聞いた報告は、遺体の身元はもちろん、検視結果や鑑定結果、警察の動向や推測に至るまで、かなり詳細だった。だが、他にも報告事項がある。宗史は、発見された遺体の状態と現在判明している身元、被疑者の情報だけを伝え、続けて少年襲撃事件と下平の部下が目撃した女、さらにニュースで報道されている上京区で起こった事件が関係している可能性までを簡潔に、かつ淡々と伝えた。
「――以上だ」
 そう締め括ると、しばらく沈黙が流れた。予想はしていたが、やはりか。渋谷健人は、大河と同じ被害者遺族だ。犬神事件もそうだったが、橘詠美(たちばなえいみ)の母親は事件に加担していたわけではない。まだ健人が犯人だと決まったわけではないが、もし犯人だとしたら被害者遺族という同じ立場でありながら、敵対することになる。深く考えるなというのは無理か。
「大河」
 返事がない。
「大河」
「あっ、うん。ごめん、何?」
 もう一度呼びかけると、あからさまに我に返った声が返ってきた。ほんの数分後には、健人が犯人かどうか判明する。状況を鑑みれば、彼が犯人である可能性はかなり高い。けれど、違っていればいいと思うのは、甘いだろうか。
「一人で抱え込むなよ。樹さんのこともある、今度こそ志季に殴られるぞ」
 ははっ、と短い笑い声と大きな深呼吸が届いた。
「ありがとう。大丈夫」
 いつもの明るい声に戻った大河に、宗史は安堵の息を吐いた。
「それでだ、お前にして欲しいことがある。紫苑が犯人の一人を見ているだろう。渋谷の顔写真と、一応目撃された女の似顔絵も送るから確認させてくれ。確認次第、すぐに連絡しろ。紺野さんたちにも報告する」
「うん、分かった」
「あと龍之介さんの件なんだが、明さんが護符を作って明日晴に届けさせるらしい」
「そっか。分かった」
 一瞬でしゅんとしぼんだ声に、宗史は苦笑した。
「最後まで聞け。お前が描いた護符と一緒にお守り袋に入れて渡せと、父さんから言われてる」
「え、あ、そうなの? ありがとうございます」
 堪らず噴き出しそうになり、宗史は咄嗟に口元を覆った。謙虚なんだか自信がないんだか。どっちだろう。
「でもさ、そうなると晴さんが一度こっちに来るんだよね。来てすぐに出て行ったら不自然じゃない? お守りのこと、皆に言えないよね」
 昨日、紺野たちはいなかったことになっている。突然、お守りを渡すなどと言えば理由を聞かれるだろう。宗史はこっそり静かに息を吐いて気を立て直した。
「帰りに椿に届けさせようと思ってるんだが、数は足りるか? 冬馬さんたちの分を入れて八枚だ」
「八枚……四枚は用意してたんだけど……うーん、今描いてたやつを入れればなんとか」
 少々自信がなさそうな声と共に、半紙の擦れる音がする。発掘中か。
「四枚? 三枚じゃなくてか?」
「うん。冬馬さんたちにも渡してもらおうと思ってたんだ。あんなことがあったし、ちょっと心配で。それに……」
「それに、何だ?」
 大河はもごもごと言い淀むと、ぼそりと言った。
「樹さんの、大切な人じゃん」
 大河らしい答えだった。冬馬は、下手をすれば殺されていた。家族を奪われたからこそ、余計に強く思うのだろう。大切な人を奪われた悲しみや痛みを味わって欲しくないと。
「それ、樹さんに言っていいか?」
「いいわけないだろ! 絶対茶化してくるに決まってんだからあの人! よく未完成な護符を渡そうと思ったよね、とか言う絶対!」
 なかなかよく樹の性格を理解しているようだ。樹の口調を真似た大河に笑い声を上げると、言ったら恨むから! と苦言が飛んできた。
「分かった分かった、言わない。とりあえず、自信があるものを入れておけ。晴に確認するように言っておく」
「……何枚残るかなぁ」
「自分で言えば世話ないな。まあ、あとから晴にあれこれ言われるのは覚悟しておけよ」
「はーい」
 心の底から憂鬱そうだ。
「じゃあ、椿を行かせてもいいか」
「うん。あ、椿に気を付けてって言ってくれる? よく考えたら、この状況で一人って危ないんだよね。そこまで気が回らなかった。鈴のこともあるし、大丈夫かな? 強くても女の人だし」
 思いがけない気遣いに、宗史は頬を緩めた。確かに、人間の女性ならば夜中に出歩かせるのは不安だが、椿は神だ。そう簡単にやられはしないと分かっているだろうに。
 冬馬のことといい、本当にこいつは。
「大丈夫だよ。でも言っておく。お前も無理をするなよ」
「うん。じゃあ、あとでメッセージ入れるね」
 ああ、と返事をして通話を切り、大河に写真と似顔絵を送る。十一時半近い。このあと晴に連絡を入れて、十二時には哨戒中の樹と怜司にも報告の電話を入れなければいけない。
 本当に大丈夫だろうか。ふと不安に駆られた。健人が犯人かどうかは、大河が一番に知るのだ。
 宗史は思案顔を浮かべ、霊符を放った。
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