第12話

文字数 3,304文字

 七階に到着し、外れかけた扉から姿を見せた冬馬を見るなり、良親(よしちか)はくっと口角を上げた。
「いいツラになったじゃねぇか、冬馬。イケメンが台無しだな」
 ははっ、と良親は嘲笑を浮かべた。合わせるようにして、周囲を囲む総勢三十名ほどの仲間たちからも蔑みの笑い声が漏れる。
 廃墟になる前は、披露宴やパーティーをする洋風の大広間だったのだろう。テーブルや椅子などの備品は撤去されているが、正面の壁一面の大きな窓は白く曇って所どころひび割れ、左右の窓には破れて色褪せたカーテンがぶら下がっている。天井から下がる豪奢な作りのシャンデリアは割れて埃を被り、灰だか埃だか分からない物が積もった暖炉が設えてある。床は白く埃で覆われ、天井や壁の塗装は剥がれ、そこら中にコンクリートの破片や塊が散乱しており、持ち込んだのであろう、鉄パイプや金属バッドが壁に立てかけてある。
 そして、正面の窓の前で良親が尻に敷いている木製のグランドピアノは、木目が消えかけるほど朽ち果て、踏みつけている背もたれの無い椅子は、元の色が分からないほど色褪せている。
 拉致した少年と同じように、今度は自分が両手を結束バンドで縛られた冬馬は、智也と圭介に放り投げられるようにして中央辺りの床に転がった。全身真っ黒な服が白く染まる。
 少年を逃がしたあと、追いかけようとした智也と圭介を止めたのは携帯男だった。その時点で、読まれていたことを悟った。ならば仕方がない、携帯男を倒して智也と圭介に説明し、おそらくまた捕まっているであろう少年を助け出し逃げるしか術はない。
 だが、一つ誤算だった。まさか、携帯男が元プロボクサーだったとは。
 埃に加えて殴られたボディが痛み、冬馬は激しく咳き込んだ。口の中が切れて血の味がする。真っ赤な唾を吐き出した。
 智也と圭介と入れ替わるようにして良親はピアノから飛び降り、ゆったりとした動作で冬馬に歩み寄った。おもむろにしゃがみ込み、髪を鷲掴みにして無理矢理顔を上げた。
「さすがに勝てなかっただろ、お前でも」
 週三日のボクシングジム通いは、アヴァロンで働き始めてから欠かしたことがない。体力作りもそうだが、何より客に脅されて負けるわけにはいかないというプライドがあった。ジムのコーチに「マジでやってみねぇか」と誘われたこともある。だからといって、さすがにプロには勝てない。
 冬馬は、薄ら笑いで覗き込む良親の顔をねめつけた。
「ほんっと、お前はタフだねぇ」
 呆れたような感心したような息を吐き、良親は手を放して立ち上がった。ピアノの方へ戻りながら尋ねる。
「あのガキまだか?」
「もうすぐ来るんじゃないすかね」
 仲間の一人が答えた。
「何やってんだあいつら、しょうがねぇなぁ」
 口では苦言を呈しながらも、その雰囲気はどこか楽しげだ。
 下衆が、冬馬は口の中で罵った。
 良親から「仕事を手伝え」と言われたのは、樹がアヴァロンへ来る三、四日前だった。内容を聞いて迷うことなく断った。中学生を拉致し殺害する仕事など受けるわけがない。
 いくらなんでも節操がなさすぎる、と叱咤すると、良親は言った。
「いいのか、俺にそんなこと言って」
 含んだ言い回しに歯噛みし、それでも首を縦に振らない冬馬に、良親はさらに追い打ちをかけた。
「智也と圭介は手伝うってよ」
 まさかと思った。あの二人がそんな仕事を手伝うなんて有り得ない。あいつらに何をしたと詰め寄ると、良親は耳を疑うような答えを返してきた。
 そんなことをされては言いなりになるしかない。頭に血が上った。お前の狙いは俺だろう、あいつらを巻き込むな、そう掴みかかったけれど、良親はいつもの癪に障る笑みを浮かべたまま、それ以上何も言わなかった。
 冬馬は、視線をぐるりと巡らせた。何故少年一人にこの人数を集める必要があるのか。自分が裏切ると見越していたとしても、携帯男がいるのなら必要ないだろうに。
 と、仲間の中に見知った顔があった。
 なるほど、その目的もあったのか。
 冬馬が顔を歪めると、顔見知りの男二人が蔑むように口角を歪ませた。
「へぇ、覚えてたのか。さすが、頭の出来がいい奴は違うねぇ」
 ピアノにもたれかかった良親は、喉を鳴らしながら男二人に顎をしゃくった。男二人はにやにやと笑いながら冬馬へと歩み寄り、一人が何の前置きもなく腹を蹴り上げた。
 冬馬は息を詰めて歯を食いしばり、微かな呻き声一つ漏らさずに耐える。良親が高笑いを上げた。
「いいねぇ、そういう可愛気のないとこ、俺好きだぜ。あんたら、言いたいことあるんだろ。でもあんまやり過ぎんなよ、そいつにはまだやらせることがあるんだからさ」
「さあ、どうだろうなぁ」
「こいつには恨みが溜まりまくってるから、なッ!」
 体と言わず頭と言わず、容赦なく思い付くまま男二人は蹴りを入れる。冬馬は顔を庇うようにして体を丸め、体中を襲う鈍痛に耐えながら男たちの言い分を聞いた。
「お前さぁ、何様なわけ? オーナーのお気に入りだからって調子こいてんじゃねぇよ」
「お前がいなきゃもっと甘い汁吸えてたんだよ。台無しにしやがって」
「あの馬鹿店長、ちょっと脅したらほいほい金回してきやがったからなー。俺たちにとっちゃ天国、居心地良かったんだぜ?」
「それをあの馬鹿、ヘマしやがって。しかもお前がいなきゃ俺が店長で好きにできてたのによぉ。邪魔してんじゃねぇよクソが」
「マジ邪魔、目障りにも程があるわ。ああ、そういや良親に聞いたぜ? 今じゃ系列店の中で売り上げトップだってな? 評判も口コミも高評価、しかも」
 男は足を止めてしゃがみ込んだ。髪を鷲掴みにして顔を上げさせる。息は荒く、漆黒の髪は埃で白く汚れ、傷と埃と砂まみれの冬馬の顔を覗き込む。
「イケメン店長に会える店ってか?」
 誰かが付けたSNSのハッシュタグだろうか。はっ、と男は小馬鹿にするような笑い声を漏らし、目を据わらせた。
「前々から気に食わなかったんだよ。イケメンで仕事もできて真面目って、何だそりゃ。そのご自慢のツラ、二度と見れねぇようにしてやる」
 言うや否や、男は力任せに冬馬の頭を床に叩きつけた。ゴッ! と鈍い音が響き、赤い液体がじわりと床に広がった。一瞬目の前が真っ白になり、意識が飛んだ。
 動かなくなった冬馬の髪を放し、最後にもう一発ずつ蹴りを入れて踵を返す。智也と圭介が息を詰まらせて顔を逸らし、目をつぶった。扉から入ってきた携帯男と金髪男が状況を察し、鼻で笑った。
 ただの言いがかりだろうが。
 荒く呼吸を繰り返しながら、冬馬は虚ろな意識の中でそう吐き捨てた。
 冬馬が店長に就任したきっかけは、前店長の不正だった。店の売り上げをごまかして計上し、私的に流用していたのだ。それが本社に発覚し、訴えらえてクビになった。その金の一部がこの二人に流れていたらしい。おそらく証拠がなかったため罪に問われなかったのだろう。後、オーナー直々に指名された冬馬が店長に就任し、その「甘い汁」が吸えなくなった。ゆえに、恨んだ。
 そもそも、前店長の不正が発覚したのは冬馬が暴いたわけではない。自分が店長だったという主張も、勤務態度は最悪で接客もおざなりなスタッフが、どうして店長になれると思うのか。どこから出た自信だ。
 つまり、良親の狙いはこれもあったのだ。冬馬に恨みを持つ元アヴァロン店員に、報復させること。
 冬馬が裏切ると予測し、元プロボクサーを同行させ、裏切った時点で動けなくする。その上で二人に暴行を加えさせる。冬馬の実力を知っていた良親だからこそできる、周到な計画だ。
 冬馬は何度か咳き込んだ。
 いつかこうなるのではないかと、ずっと思っていた。良親から向けられる感情が、嫌悪や嫉妬、僻みを通り越して憎しみに変わった時から。
「あーあー、やり過ぎんなって言ったろ。死んだらどうすんだよ」
「うっせぇな。どうせあとで殺るんだろ、同じじゃねぇか」
 男二人は良親の苦言に言い返しながら、同じようにピアノにもたれかかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み