第5話

文字数 3,952文字

 そして今日。
 昨日のうちにアポイントを取った刑事に会う前に明からの依頼を片付けておこうと、科捜研へと足を運んだ。橘詠美の母が夜中に外出した時間帯の、周辺の防犯カメラの映像だ。
近藤(こんどう)、いるか?」
「失礼しまーす」
 紺野は北原と共に、扉を無作法に開けた。
 相変わらず素人には何に使うのか分からない機器で埋め尽くされている。整理整頓されているのだろうが、物が多過ぎてどうしても雑多に見えてしまい、狭苦しい。
「おや、紺野くんと北原くん」
 休憩中だろうか、茶菓子やらマグカップやらが無造作に置かれている真ん中の長机で、湯呑みを両手で包み柔和な笑みを浮かべているのは、科捜研所長の別府一豊(べっぷかずとよ)だ。ふくよかな体型に禿げかかった頭、丸眼鏡にいつも笑顔でおっとりした男だが、あの近藤を手懐けている以上は侮れない。
「お疲れ様です、別府さん。近藤います?」
「いるけど、寝てるんじゃないかな。最近帰ってないみたいだから」
 言いながら別府は近藤の個室に視線を向けた。
「相変わらず忙しいんですか」
「まあねぇ。ほら、鬼代事件の再捜査でこっちも遺留品の再鑑定してるしねぇ」
 二人揃って思わず苦い顔になる。
「すみません。なかなか手掛かりが掴めなくて」
「仕方ないよ。何となく長期戦になるだろうなとは思ってたしね」
 さて仕事しよう、と別府は湯呑みを持ったままのっそりと立ち上がって個室へと入って行った。
 別府を見送り、紺野は近藤の個室をノックせずに開けて顔を仰け反らせた。
「相変わらずきったねぇな。掃除しろよ」
 正面から右手にかけて、二台のパソコンと山積みの資料に占領されたL字型のデスクが設置してあり、左手には小難しそうな専門書がびっしり詰まった天井までの棚が設置してある。床には棚に入り切らない書籍やファイルが積み上げられ、書き損じた紙がゴミ箱の回りに散乱し、棒付きの飴がタワーごと置かれている。
 そして部屋の主は、蓑虫のように毛布に包まり、デスクの下に頭から突っ込んでいた。
「紺野さんち、いつ行っても綺麗ですもんね。意外と綺麗好き」
「意外は余計だ。おい近藤、起きろ」
 毛布からはみ出している足を軽く蹴ると、ごそりと毛布が蠢いてそのまま止まった。
「ったく。近藤!」
 紺野は足首を掴んでずるずると引き摺り、近藤を引っ張り出した。頭まですっぽりと毛布をかぶっているため、聞こえ辛いのか。紺野が引き摺り下ろそうと毛布を掴むと、中から拒否するように握り返された。
「うるさい」
 さらに大変機嫌の悪そうなくぐもった声が返ってきた。
「お前、起きてんなら返事くらいしろ」
「やだ」
 てめぇ、と紺野がこめかみに血管を浮かばせると、近藤は体を捻りながらデスクの下へと戻り始めた。毛虫か。
「器用だなおい。つか戻るな馬鹿。頼みがあんだよ、聞けよ」
 言っても近藤は聞く気配を見せない。紺野は溜め息をつきながらしゃがみ込んだ。
「お前、最近帰ってねぇんだろ。うち来てもいいから」
 近藤の動きがぴたりと止まった。
 紺野のアパートは京都府警本部から徒歩で十五分だ。一方近藤は電車通勤で、以前はしょっちゅう終電を乗り過ごしてタクシーか科捜研に泊まり込むかしていた。そんな中、少女誘拐殺人事件と鬼代事件が重なり、五日も家に帰っていないとぼやくものだから、つい仏心を見せたのが間違いだった。一度泊めた以降、連日来るようになり、「今度来たら公共料金と家賃と食費請求してやる」と脅したら、ぱったり来なくなった。いっそ近くに引っ越せばいいものを、引っ越し自体が面倒らしく未だ電車通勤をしている。
 この際、背に腹は代えられない。慣れ合いたくはないが、近藤の協力なしでは明からの依頼はこなせない。しかし動きを見せない近藤に、紺野は乱暴に頭を掻いた。
「分かった。飯もつける」
「乗った」
 間髪置かずに返ってきた。現金な奴だ。
「その代わり、こっちの頼みを聞けよ」
「んー」
 近藤はやっとごそりと毛布を脱いで体を起こした。だが寝足りないのか、猫背のまま固まってしまった。これ以上しつこくして、自らを犠牲にして取った約束を反故されては困る。ここは覚醒するまで待つか。
「いいなぁ、紺野さんのご飯。俺もご馳走してくださいよ」
 北原の方は、同窓会だかで終電を逃したから泊めてくれと泣きつかれて一度泊めたことがある。友達いねぇのかという疑問はさておき、翌日は互いに非番だったため、ゆっくり起きて朝食兼昼食を作ってやったら味をしめられた。それから何かにつけて催促される。
「何で俺が野郎二人に飯作らなきゃならねぇんだよ」
「だって、紺野さんのご飯美味しいですもん。俺、最近まともなもの食べてないし。いいなぁ」
「お前、彼女いるだろ。作ってもらえよ」
「最近忙しくて会ってないんですって」
「合鍵渡せばいいだろ」
「ご飯作るためだけに来てもらうなんてできませんよ」
「なんだ、結婚前提じゃねぇのか」
「いやぁ、それはまだ早いかなぁ」
 雑談を交わしていると、やっと近藤が大あくびをしながら、ライオンのたてがみのようになった髪を手櫛で適当に整えた。
「やっと起きたか、って」
 立ち上がろうとした間際、近藤の長い前髪の隙間からちらりと見えたのは、額の右側に走る一文字の大きな傷。
「お前、その傷どうした?」
 思わず手を伸ばすと、さりげなく払われた。
「それで? 頼みって何?」
「ん、ああ……」
 まあ触れられたくないことの一つや二つあるか。紺野は立ち上がる近藤を見やりながら自身も立ち上がった。
「調べて欲しいことがある」
「何?」
 近藤は椅子の背にかけていた白衣を着て腰を下ろし、パソコンの側に放置してあったペットボトルのお茶を一気に飲み干した。資料を掻き分け、埋まっていたチョコレートの包装を剥く。起きぬけにチョコとは、こいつの胃は丈夫だ。
「少女誘拐殺人事件の防犯カメラの映像だ。最後の被害者の」
 チョコレートを口に放り込み、近藤はもごもごと口を動かしながら紺野に顔を向けた。
「……もしかして、本当に繋がったの?」
 さすがに察しがいい。だが陰陽師たちのことを喋るわけにはいかない。
「断定はできねぇけどな」
「へぇ、いいね。ちょうど整理してた途中だから、まだ残ってるよ。それで、何を調べればいい?」
 口角を歪に上げた近藤を、紺野は不快気に見やった。難解な事件ほど楽しむこの不謹慎な癖はどうにかならんのか。紺野は小さく溜め息をついた。
「どの範囲のいつ頃までの映像を回収してあるんだ?」
「被害者が誘拐された公園付近から自宅近辺の映像を、誘拐前日の10日から回収した19日の昼まで。解析したのは被害者が誘拐された11日前後だけど」
 近藤はキーボードを叩きながら滑らかに説明する。明が指定したのは、警察が身元を特定した時間から、母親が外出するまでの時間。近藤から渡された資料によると、確か遺体が発見されたのは18日の午前九時頃で、翌日の19日の午前一時頃に母親は外出している。ならば、必ず映っている。紺野と北原は顔を見合わせた。
「18日の午前九時頃から、19日の午前一時頃。自宅近辺の映像から見せてくれ」
「やけに絞り込んでるね」
「いいから」
 尋ねながらも手は休めない上に早い。すぐに呼び出したデータが表示された。
 四分割された画面に、同じ時間帯の別の風景が映し出される。個人宅やコンビニ、自治会から回収した映像だろう。最近では市や自治会などが設置したカメラが至る所にあるが、個人でも設置する家が多くなっている。近藤は時間を飛ばし、紺野が指定した午前九時で再生した。
 出勤ラッシュ時間より少々遅い時間のため、ほとんどが主婦やフリーターらしき若者、犬を連れた老夫婦や子供連れの親子、あとは配達中のワンボックスカーやトラック、一般車と、日常的な風景が漫然と流れる。
「早送りできるか?」
「うん」
 早々に眠気に襲われたのか、欠伸をしながら近藤はキーボードを叩いた。二倍速で映像が流れるが、一向に変わる様子がない。眠くなる近藤の気持ちも分かるが、見落とすわけにはいかない。
 と、一つの画面に動きがあった。正午頃に一人のスーツ姿の男が、慌てた様子で駆けていく姿が映り込んだ。父親のように見える。すぐに一台の軽自動車が通り過ぎた。
「橘さんですかね?」
「多分な」
 警察から連絡を受けたのだろう。数時間後、同じ軽自動車が再び通り過ぎた。さらに夕方頃、先ほどと同じ父親とおぼしき男がスーツ姿のまま、だが落胆した様子で重い足取りで横切った。やはり、父親のようだ。それから帰宅ラッシュ時間が過ぎ、午後九時頃に父親が帰宅してきた。
 結局そこから動きはなく、午前〇時までの映像を見終わったところで、紺野と北原は溜め息をついた。近藤は暢気に船を漕いでいる。
「変わったものは、何も映っていませんでしたね」
「ああ……」
 19日の午前一時頃に母親がキャリーバッグを引いて外出していたということはつまり、バッグの中には犬の首が入っていた可能性が高い。となると、それ以前に一度は母親と例の陰陽師が接触していることになる。そこで母親は犬神のことを知り、飼い犬を殺害し夜中に外出した。
 ならば橘家を訪問した客が映っていると踏んだのだが、それらしい者は見当たらず、近辺の映像にも怪しい人物は映っていなかった。では、どうやって母親と接触したのか。鬼や式神だったとしたら、おそらく玄関でなくても橘家の敷地内に入り込むことは可能だろう。
 紺野は大きく溜め息をついた。人外を使われると打つ手がない。

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