第5話

文字数 3,795文字

          *・・・*・・・*

 晴に報告を入れたあと、悪鬼に腕を絡め取られてこちらへ向かってくる敵を、志季は微動だにせず見据えた。
 悪鬼にぶら下がった五人――いや、一人は犬神だろうか。そして頭上には、雲のように広がった悪鬼の塊。こちらの攻撃を警戒しているらしい。一か所にまとまらず、互いに距離を取っている。
 いくら人より視力がいいといっても、ここから向島はかなり離れている。顔までは確認できず、悪鬼の気配に紛れて誰の気配か読めない。その代わり、近付いてくるごとにおぞましい気配が強まり、肌が粟立つ。
「どこから連れて来やがった」
 向島に潜伏していたとしても、引き連れてきたのならもっと早く気配を感じ取れたはずだ。おそらく冬馬たちが襲われた時と同じ方法を使っている。箱に封印していたのだろう。
 海を渡り切ったらしい。不意に一人の腕の中から犬らしき動物が飛び出し、あっという間に人型へと戻った。先行し、木のてっぺんを伝って向かってくる。
「……まあ……式神がじかに悪鬼に運ばれるとか、屈辱だよな」
 いくら式神といえども、犬ではあの海は越えられまい。どうやら小型化して抱きかかえられていたようだ。気持ちは分かるが、だったら一度戻ればいいのにと思う。自分だったら絶対そうする。晴に抱えられるなんて死んでもごめんだ。
 少々複雑な顔で一人ごちながら刀を具現化する間に、距離はどんどん縮む。まだだ、まだ。ぎりぎりまで引き付けろ。
 そうしてやっと確認できた顔ぶれに舌打ちをかます。雅臣と弥生、皓、見覚えのない若い男はおそらく満流。椿はいないが。
「昴の野郎、すかしたツラしやがって」
 寮に入ったばかりの頃は、こちらが話しかけないと口を開かないくらい人見知りで、いつも何かに怯えた目をしていた。正直、見ていてイライラした。拾われてきた捨て犬か、ちゃんと目ぇ見ろ、下向くんじゃねぇ、と何度言い聞かせたことか。やっと寮に慣れて、初めて笑ったのはいつだっただろう。
 あれは全て演技だったのだと思うと、あの時以上に腹が立つ。
 苛立ちを抑え込むように柄を握った手に力を込めた時、昴たちが完全に結界内に入った。彼らを見据えたまま、携帯の画面を自分の方へ向ける。
「晴ッ!」
 苛立ちをぶつけるように、腹の底から携帯に叫んだ。直後、柴と紫苑が葉を散らしながら飛び上がってきて、晴の霊気が高まるのを感じた。通話を切って袂に放り込む。
 昴たちが警戒を含んだ険しい顔をし、式神と巨大な悪鬼が動きを止めた。
 志季が刀に炎を纏わせた次の瞬間、弥生を運んでいた犬神が動いた。本能だろうか。まるで何かに追い立てられるようにものすごい勢いで集落の方へ向かい、つられるように悪鬼の一部が続いた。先日対峙した時はそうでもなかったが、二匹揃うとかなり速度が出るらしい。ちょっと! と弥生が慌てた様子で苦言を漏らし、満流が「おや」といった顔で見やる。
「あのクソ犬……!」
 志季が悪態をついて刀を構え、紫苑が追いかけようとした間際、足元で五本の黄金色の光が放射線状に走った。
 一度瞬きをする間に巨大な円と五芒星が同時に描かれ、壁がせり上がる。形成途中の結界にぶつけるわけにも、外に出るわけにもいかない。志季と紫苑が咄嗟に動きを止めたのと、犬神と悪鬼が尾を結界の壁に切断されながらも逃げおおせたのが同じだった。
 ははっと満流が面白そうに笑い、皓が不快気に顔をしかめて嘆息した。
「柴と紫苑も了承済みみたいねぇ」
 昴が感心した顔でぐるりと視線を巡らせる。
「結界だったか。この速さ、事前に霊符を仕込んでたみたいだね。さすが晴さん、綺麗な結界」
「いやはや、動物の本能ってすごいですねぇ。仕方ありません。僕が賀茂宗史さんを引き受けましょう。雅臣さん、任せましたよ」
「分かった」
 雅臣が頷いたことを確認し、満流は薄ら笑みのまま右手を掲げて、振り下ろした。とたん、昴、満流、雅臣を残し、皓は柴へ、式神は志季、悪鬼の一部は紫苑へ襲いかかり、残りは勢いよく下降した。
「紫苑。悪鬼を一掃し、大河の加勢へ向かえ」
「御意」
「助かる!」
 志季は語尾に合わせ、悪鬼に向かって力いっぱい刀を振り抜いた。広範囲に飛び散った無数の火玉がしんがりの悪鬼を捉え、低い呻き声と共に勢いよく燃え盛った。それを避けながら、昴たちが捉え損ねた悪鬼のあとを追う。
 志季は横目で見送りながら刀を掲げ、上から振ってきた刀を受け止めた。刀身が真っ黒だ。赤と黒の刀が鈍い音を響かせて交差したとたん、メキ、と木が罅割れる音がした。次の瞬間、メキメキと乾いた音を立てて足元の木が折れ、体が浮いた。このままでは背中から地面に叩きつけられる。
 志季は勢いよく右足を振り上げた。式神は交差させた刀を支えに大きくバック転をして離れ、一方志季は振り上げた足の反動で一回転した。
 枝葉を派手に散らして着地した志季のすぐ側で、ズズンと轟音と砂煙を上げて木が倒れた。隣に植わっていた木も巻き添えだ。
「あーあー、初っ端からなんてことすんだよ」
 少し遅れて、数メートル先に式神が軽い所作で着地した。
「つーか、この前の。寮の庭えらいことになったんだぞ。修繕費払えよ」
 左脇に刀を構えて軽口を叩くと、式神は二度ほど瞬きをした。
「……それは、すまない」
「真面目か」
 まさか謝罪が返ってくるとは思わなかった。つい軽く突っ込んだ志季に、式神は小首を傾げた。何故突っ込まれたのか分からないといった顔だ。先日の真緒といい、調子が狂う。
 まあそれはともかく。志季は柄を改めて握り締めた。先程の一撃は、かなりの重さがあった。まだ腕がわずかに痺れている。そもそも、変化できる式神とできない式神では、雲泥の差があるのだ。変化できる鈴でさえ敵わなかった相手。
 分かっていたことだが、勝てる気がしない。
 志季は苦い顔で小さく舌打ちをかました。客観的に見ても力の差は歴然。根性論が通用する相手でもない。だからといって、勝てる気がしないなんて、らしくない。とはいえ、どう攻略する。
 皓と式神と悪鬼はこちらの足止め要員。先程の会話から察するに、もともと雅臣、弥生、犬神二体で宗史、昴が晴、そして満流が大河と対峙する予定だったのだろう。そうなっていたら、晴はともかく、宗史と大河はかなり厳しい。いくら宗史でも、犬神二匹と人間二人はやりづらいだろう。ずいぶんと買われたものだ。
 そして大河は、間違いなく満流には勝てない。自ら宗史の相手をすると申し出た上に、蘆屋道満の子孫ならばそれなりの実力があるはずだ。あの尖鋭の術を行使したのが奴だったとしたらなおさら。
 だが、結果的に犬神が保身を優先して逃げ出し、雅臣に宗史は止められないと判断し変更した。雅臣の実力がどの程度か分からないが、大河が満流と対峙するよりはマシだろう。犬神に感謝せねば。それと、弥生がどう動くか分からないが、宗史の危惧が当たったとしても、鈴がいる。犬神と悪鬼が一緒とはいえ、どう転んでも敵わない。
 晴と宗史は、まあどうにかするだろう。大河は正直に言って不安だが、下平からの情報もあるようだし、紫苑が加勢に入るまで何とか持ち堪えるだろう。そうなるとフォローを考えなくていいが、ここは山の中だ。相性が悪い。反対に、大地の眷族神は有利。
「そういやお前、名前は?」
 ふと思い立ち尋ねると、式神は一拍置いた。
「……杏」
「京都の京か?」
(あんず)だ」
「ふーん」
 こう言ってはなんだが、浅黒い肌やゴツイ体躯に似合わず可愛らしい名前だ。牙のように目付きは悪くないが、鋭さはある。さらにどこぞの式神らを彷彿とさせる無表情。どうしてこう、自分の周りには愛想のない奴がちらほらいるのか。
「よいか?」
「ああ。あー、いや待て。一つ、いや二つかな。聞きたいことがある」
「……何だ」
 聞いてくれるのか。ずいぶんと律儀な奴だ。志季は構えを解いた。
「お前も、この世に恨みがあるのか」
 さらりと、しかし率直な問いかけに、杏は逡巡するように瞬きをした。それとも意外な質問に驚いているのだろうか。よく分からない。
「何故、そのようなことを聞く」
「何でって、そりゃ気になるだろ。俺たち式神は、この世を護るために使わされるんだぞ。逆のことをしようとしてる式神に何があったのか、気になって当たり前だろ」
 例え契約を結んだとしても、その後、主と反りが合わなければ破棄できる。同意の上で名を奪われるか、主が拒めば殺害するかの二択になるが。だが杏は鈴に大怪我を負わせているのだ。無理矢理とは思えない。
 杏は一拍置いて、口を開いた。
「主に従うこともまた、我ら式神の役目だ」
 ということは、杏自身がこの世に恨みがあるわけではないらしい。
「罰を受けてもか?」
「そうだ」
 ここは即答。
 例外はあるにしろ、思業式神(しぎょうしきがみ)の役目は、陰陽師と共にこの世を護ること。それは上級神らの意向であり、背けばそれ相応の処罰が下される。最悪、消滅も有り得る。分かった上で、主に従っているのか。
 そうまでして忠誠を尽くす相手。
「お前の主は、誰だ」
 杏は一度瞬きをした。
「――満流」
 道元ではないのか。ならば、もう一体式神がいる可能性が出てきた。――いや待て。ということは、宗史が危険だ。満流は、変化できる式神を使役する実力者なのだ。
「分かった。いいぜ、再開だ」
 表情を引き締め、志季は刀を構えた。
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