第18話

文字数 3,434文字

 拝殿は神門と隣接し、社務所と向かい合う形で建っている。後ろは本殿の敷地へ繋がっていて、先程見た限りでは階段が設置されていたから、直接出られるようになっているようだ。参道の両脇には、迎えるようにこちらを向いた狛犬。本殿は珍しい配置になっていたが、拝殿は一般的によく見る造りで、扉はすでに閉まっている。ただ、両脇に建っているのが狛犬ではなく八咫烏の黒くて真ん丸なモニュメントだ。
 参拝する必要がないので石畳の通路を止まることなく通り過ぎ、そういえばと思い出した。
「拝殿の前に、亀石と大黒石って石があって、健康長寿と金運アップの御利益があるそうだ」
 言うや否や、樹が素早く身を翻して参道を駆け戻った。思わず足を止めて振り向く。考えるまでもない。健康長寿、ではなく金運アップだ。
「……奴は、本当に自分の欲望に忠実だな」
 珍しく閃が呆れている。道すがらスイーツの話題ばかりで、今度は金運だ。返す言葉もない。
「今さらだ。行こう」
「ああ」
 待っている時間などない。怜司と閃は、欲望まみれの樹を置いて先へ進んだ。
 拝殿を通り過ぎると、多羅葉(たらよう)という御神木が立っている。葉の裏側に爪などで文字を書いていたことから、「葉書」の語源となった木らしい。その下には、八咫烏ポストという黒いポストが設置されている。今では珍しい、円柱型だ。八咫烏ポスト絵馬を使えば、実際に葉書として送ることができるそうだ。
 ネットが普及し、メールやメッセージでこと済む昨今。暑中お見舞いや年賀状の投函期間を気にせず、いつでも指先一つ。あっという間に送ることができる。それはそれで便利だけれど――。
 今年は、送ってみようか。寮の住所を添えて。
 まだ、お義父さんお義母さんと呼ばせてくれる二人を思い浮かべながら進んだ先は、一気に様子が変わる。左にプレハブ小屋、目の前に平屋の建物が三棟。うち二棟はかなり年季が入っている。一棟はトタンの壁、もう一棟は漆喰だ。木製の戸は色褪せて表面の樹皮がところどころ剥がれ落ち、ビニール傘や赤いコーン、脚立や竹ぼうきが立てかけられ、荒れてはいないが雑然としている。
「作業場や物置みたいだな」
「そのようだな」
 祭事の際の組み物や、掃除の道具などをしまっておく小屋だろう。車一台ほどの幅にせばまった道に沿っていると、樹が追いついた。
「いっぱい撫でてきた」
 無邪気な笑顔でそんな報告をするな。
「良かったな」
 冷ややかに返すが、樹は気にした素振りもなく「うん」と満足そうに頷いて怜司の隣に並んだ。
「この先ってどうなってるんだっけ?」
「確か、熊野古道の小辺路と合流はずだ」
 ふーん、と樹はさして興味なさそうに頷いた。熊野古道はいくつかルートがあり、小辺路はその一つだ。
 消火用ポンプの小ぢんまりとした建物を左手、垣根を右手に通り過ぎる。頭の中の地図だと、本殿の裏へ回れるはずだが、森が邪魔で本殿自体は見えないだろう。倉庫だか車庫だか分からない、シャッターが下ろされたトタンの建物を素通りすると、そこから先は木立が続く。大分陽が落ちてきており、薄暗くなってきた。
「結界張るなら、ここが境界線かな」
「ちょうど道路になってるしな」
「うん。細かい調整は閃に任せるよ」
「承知した」
 この先は特に何もないだろうといった雰囲気になってきて、自然と速度が緩む。と。
「あ、ねぇ、あれって鳥居じゃない?」
 樹がそう言い置いて、奥へと走る。数メートル走ったところですぐに引き返してきた。
「やっぱり鳥居だった。ここ、裏参道になってるみたい。道路の向こうに臨時駐車場もあったよ」
「ああ、体が不自由な人用の駐車場ってそこか」
 なるほど。道は平坦だし、杖や車椅子でも参拝できる。地図ではよく見えなかったが、裏参道の近くにあったのか。怜司たちは確認しながら誰ともなしに引き返す。
 樹が唸った。
「鎮守の森に囲まれてるって言っても、やっぱり民家が近いなぁ。さっきの駐車場の周りにもあるっぽい。悪鬼はどうしようもないけど」
「やっぱり河川敷におびき寄せるか、引き離すしかないみたいだな。でもどうするんだ」
 怜司が問うと、思案顔をしていた樹がにんまりと口角を上げた。
「せっかく鎮守の森があるんだから、利用しないとねぇ」
 時々見せる、この悪役のような笑みはどうにかならないのか。
 それから、樹の説明を聞きながら境内へ戻った。二体に分けるのなら少々小ぶりになると前置きをして使いを形成し、閃は大きく飛び跳ねて姿を消した。
 茜色だった陽射しはすっかり濃さを増し、燃えるような赤と黒が混じって禍々しい色合いに変わる。次第に黒が赤を浸食し、やがて、全てを飲み込んだ。
 待機場所は、表参道の鳥居の前。ここが一番河川敷から近い。だが消防署も近いため、追いやるなら時間をかけられない。さらに、敵のメンツが分からない以上、完璧な作戦などない。メンツが分かってから臨機応変に動くのが最善だ。
 ここから見えるのは、世界遺産熊野本宮館前のバスの停留所。そして個人経営らしい土産物屋と一般住宅。消防署からは死角になっているが、音は響くだろう。幸いなのは、街灯が少ないことだ。神社の前と世界遺産熊野本宮館の入り口に一本ずつ。神社の入り口に灯籠の形をした外灯らしきものがあるが、灯されることなく沈黙している。そして何より、交通量が少ないことだ。しかも、時折車が通っても信号がないため皆素通りしていく。
 午後八時。市街地なら、人の往来や喧騒が激しい時間帯。けれどこの町は、すでに眠りについたような静寂に包まれている。これで消防署や民家がなければ戦いやすかったのだが、すぐ近くにある。厄介な立地だ。
 ただ、星は非常に綺麗だが、明かりが少ない上に月は細く頼りない。河川敷にさえ引き離せれば、音は響いても肉眼で視認するのは難しいだろう。
「上手くいくかなぁ」
 樹が、独鈷杵と携帯をそれぞれ持って呟いた。
「何だ、珍しく弱気だな。自分で立てた作戦だろ」
「そうだけど、こうもメンツが読めないとさすがにねぇ。鬼と式神がいなかったら一番楽なんだけど」
「このままの体勢でいけるからな」
「そうそう」
「来たぞ」
 いつもと変わらない調子の会話に携帯から割り込んだのは、閃だ。怜司のものを渡してある。
「悪鬼が多数。渋谷健人と深町弥生。それと、犬神が一体」
「犬神? 玖賀真緒は?」
「今のところ見当たらぬ」
「ふーん。了解。じゃあ、悪鬼の方はよろしくね」
「承知した」
 報告を受けている間に、禍々しい気配が感覚に触れた。思わず空を見上げる。北――いや、北西。本殿の方だ。樹がふむと一つ唸りながら携帯をポケットに押し込む。
「二体を分けたのかな」
「志季の報告じゃ、深町弥生が犬神を庇ったらしいからな。懐いてるんじゃないのか」
「犬神って、術者がいなくても指示を聞くの?」
「俺に聞くな。玖賀真緒だけ別ルートか、悪鬼の中って可能性もあるな」
「ああ、平良がやってたね、それ。命令次第で何でもありって感じだね」
 寮が襲撃された日、平良は悪鬼の中から姿を現した。ということは、食われても奴らは同化しない。そう千代が命令しているのだろう。
「ま、油断大敵だけど――」
 空を見上げ、駐車場の方を振り向いた樹につられるように、怜司も見上げる。悪鬼の巨大な邪気がすぐそこまで迫り、止まった。そして小さな邪気がこちらへ向かって来る。さっそく、本殿の方から火花が散る音が微かに届いた。
「作戦続行」
 樹がにっと口の端を上げた時、鎮守の森を避けてぐるりと回り込んできたらしい。報告通り、悪鬼にぶら下がった健人と弥生が姿を現した。木々よりも高い位置、真緒がいない。
「警戒心が強いな」
「願ったり」
 小声で話しながら霊刀を具現化する。
こちらを見下ろしたまま、健人と弥生が霊刀を具現化してゆっくりと道路側へ移動した。それに合わせて、怜司と樹も体ごと動く。健人が、弥生に何かぼそぼそと告げた。
 この場所でも戦えないことはない。だが人目につきやすい。それなのに、いくらでも身を隠せる鎮守の森ではなくわざわざこんな所で待機していれば、警戒して当然だ。だが、それすらも想定内。というより、それが狙いだ。
 お互いがお互いの動向を警戒し、隙を狙う。肌を刺すような緊迫感と、これは本殿の方にいる悪鬼の影響だろうか。少々空気が重苦しい。
 悪鬼が道路側、侵入防止用の柵の真上で動きを止めた。次の瞬間。
「右近、左近ッ!」
 樹が鋭く叫び、健人と弥生がぎょっと目を剥いた。
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