第9話

文字数 4,500文字

 ぎゃんぎゃんと喚く二人に皆が笑い声を上げ、宗史が大きく溜め息をついた。
「晴、樹さん、そろそろ始めますよ」
 宗史が呆れ声で告げると、やっと晴と樹が離れた。痛いなぁもう、自業自得だ、と言い合いながら室内へと足を向ける。
「始めるって、何を?」
 何となく縁側へ戻りながら尋ねた。
「樹さんと怜司さんの報告は聞いたか?」
「あ、うん。それのこと?」
「ああ。父さんと(あきら)さんから、皆に伝えておくよう頼まれた」
「そっか」
 なるほど、と大河は口の中で呟いた。それで哨戒を中止して全員集合していたのか。珍しく美琴もいるからどうしたのかと思っていたが。それにしても、宗一郎と明が直接来ないということは、そこまで深刻な案件ではなかったのだろうか。
 華と夏也が麦茶を配り、お誕生日席で話が聞き辛いからと、大河は晴と同じソファへ座った。宗史は向かい側の位置に腰を下ろす。窓が閉め切られ、他の皆がダイニングテーブルの席へつくと、宗史が口火を切った。
「では、樹さんと怜司さんが遭遇した件についてですが、結論からお伝えします」
 かしこまった口調で告げる宗史に注目が集まる。一瞬にして空気が張り詰め、大河は姿勢を正した。
 鬼や悪鬼と対峙した時とは違う、緊張感。緊迫感と言ってもいいかもしれない。宗史がここまで無表情に徹しているところを、初めて見た。まるで感情が読めない。意識的に感情を押し殺しているような、そんな感じが伝わってくる。
「一連の事件の関係者である可能性が高いとのことです」
 晴と樹と怜司以外の皆が、一様に眉を寄せた。
「根拠は二つ。一つはお二人の洞察力と判断力です。樹さんと怜司さんのお二人が、悪鬼が従っているように見えたと判断したのなら、間違いはありません。もう一つは、今回の現象と千代の能力が非常に酷似している点です。ご存知のように、千代は悪鬼を従わせる力を持っています。方法は不明ですが、千代の力によって人間が悪鬼を従わせている可能性がある。つまり、千代はすでに復活していることになります。それと、現時点では件の犯人の思惑が読めない。哨戒時、警戒を怠らないようにとのことです」
「宗史くん」
 つい先まで晴と大人気なく戯れていたとは思えないほど落ち着いた声色で、樹が口を挟んだ。
「何でしょう」
「僕たちの判断を信用してくれたのは光栄だけど、一ついい? 多分、皆も気になってると思うんだけど」
「どうぞ」
「公園で確認された鬼と千代の復活方法は?」
「現在調査中です」
 大河がぎょっとすると同時に、待ち構えていたように宗史が返答した。
「反魂の一択でしょ?」
「蘇生術は存在しない。陰陽師として当然の知識ですが」
「この状況なんだから疑って然るべきでしょ」
「その通りです。だからこその調査です」
「有り得ると考えてるわけだ」
「可能性の一つとして」
「分かった。ありがとう」
 すんなり引き下がった樹に、大河は静かに息を吐いた。何だか、腹の探り合いをしているようだった。
 蘇生術が編み出されたことを完全に肯定すれば、陰陽師が関わっていると確定していることが皆に知られる。そうなると、自分たちが疑われていると気付かれる。だから宗史は曖昧な言い回しを――いや、樹は「一択だ」と、「疑うべきだ」と断言した。ならば、少なくとも樹は気付いている。
 それに今の樹の発言から、「蘇生術は存在しない」という知識への疑いを持たせてしまった。ひいてはそれが、自分たちが疑われる可能性があると皆に気付かせたことになる。陰陽師としての知識は、皆の方が確実に豊富だ。
 ならば、もう気付いているのだろうか。自分たちが、宗一郎たちから疑われていると。
 大河はちらりと樹に視線を投げた。
 確かに話の流れとしては自然だった。公園の鬼のことも、千代が復活したことも確定事項である以上、ではどうやって復活させたのかと疑問に思うことは不自然ではない。
 あれ、と矛盾を感じた。
 鬼も千代も調伏されたと皆が知っている。それならば、蘇生術が編み出されても復活するはずがないと気付くはずだ。自分でさえ気付いた矛盾だ。
 なら、何故樹は蘇生術の可能性を指摘したのだろう。そして皆は、何故矛盾を指摘しないのだろう。
 もしかして、知ってる?
 調伏し切れない場合がある、と。
 そうだ、知識として教えられているかもしれない。術を行使する以上、例え話として教えられていてもおかしくない。
「大河くん」
 突然、目の前に樹がひょっこり顔を覗かせた。しかも、近い。
「うわっ!」
 驚いて思わず身を引くと、隣に座っていた晴に肩を両手で受け止められた。
「俺を潰す気かお前」
「ご、ごめん。びっくりして。樹さん、何ですかいきなり」
 体勢を戻すと、樹が眉をひそめて見下ろした。
「何でって、大河くんがじっと見てくるからでしょ。僕の顔に何か付いてる? それとも喧嘩売ってるの?」
「み、見てましたか……?」
「見てたよ。呼んでも返事しないし。何? 見惚れるほど僕のこと好きなの?」
「はあ!?」
 なんでそうなる。樹の思考回路はどうなっているのか。素っ頓狂な声を上げた大河に、樹はにやりと口角を上げた。
「言っとくけど、僕その趣味ないからね。諦めてよ」
「俺だってないですよッ!」
 けらけらと笑いながら席に戻る樹に向かって噛み付くように叫ぶ大河に、宗史が溜め息をついた。
「大河、まだ終わってないぞ。ぼんやりするな」
「はい、ごめんなさい……」
 会合と言うよりは報告会のようなものだが、それでも事件に関する重要な会であることには変わりない。
 宗史は皆へ視線を投げた。
「他に質問はありますか?」
「あの……」
 遠慮がちに小さく手を上げたのは、春平だ。
「どうぞ」
 春平は手を下ろし、窺うような視線で問うた。
「刑事さんたちから、何か新しい情報はないんですか?」
「今のところありません」
 即答され、春平はそうですかと俯いた。一瞬、また顔を上げかけたが結局俯いた。
「宗史くん、文献と鬼たちの行方の件は?」
 茂が口を開いた。
「手掛かりが少なく難航しています」
 そうか、と茂は残念そうに呟いた。
「他には何かありますか?」
 そう問われ、皆は静かに首を振った。と、樹の携帯が震えた。
「あ、と。ちょっとごめん」
 樹は液晶を確認するとわずかに眉を寄せ、席を立った。リビングを出る樹を見送り、宗史は告げた。
「他になければこれで終了です。お疲れさまでした」
 以前の会合より遥かに短時間ではあったが、何か酷く疲れた気がする。大河は息を吐きながら背をもたれた。宗史と樹のやり取り。原因はあれだ。
 静かに人を威圧する宗史と、何かを探るように樹が放っていた威圧感のぶつかり合い。あれは、見ているだけでも精神的に疲れる。あんな二人、初めて見た。
 皆もどうやら同じようで、一斉に緊張の糸を解くように息を吐き、席を立った。華と夏也は夕飯の献立の相談をし、茂は藍と蓮を連れ、窓を開けて縁側へ、昴は「お手洗いに」と言ってリビングを出て、怜司と学生組は庭へと出ていく。
「そういや大河、霊符描く道具買って来たんだろ」
「あ、うん」
 晴が、テーブルに置きっ放しだった百円ショップの手提げ袋を探りながら尋ねた。大河は気を取り直し、一緒になって袋を覗き込む。
「んじゃ、今から練習だな」
「えー、ちょっと体動かしたい」
「宗史くん」
 不満気に反論すると、昴と入れ替わりで戻ってきた樹が、携帯をいじりながら宗史の側に歩み寄った。
「今警察から連絡があったんだけどさ、昨日の調書の確認がしたいから今日中に来てくれって言われたんだ。どうせ哨戒で夜出るから、その前でもいい? 報告書遅れるけど」
「ええ、確認だけなら新しい情報はないでしょうし。もし何かあればすぐに連絡を入れていただければ。でも、今からでは駄目ですか?」
「うん、嫌。面倒」
「……そうですか。分かりました」
 きっぱりと拒否され、宗史は目をしばたいた。
 ついさっきまで流れていた緊張感が綺麗さっぱり消えている。普段通りに接する二人に、大河は呆気に取られた。二人とも切り替えが早い。
 怜司くん、と庭で柔軟を始めていた怜司の元へ向かった樹の背中を見やりながら、宗史が腰を上げて大河と晴の元へ歩み寄った。
「樹さん、何かあったのか?」
「え? 何かって?」
 華たちに頼まれた物を選り分ける手を止め、大河は宗史を見上げた。
「ああ、俺も思った。あいつ、聞き分けいい方じゃねぇけど今日は特にだよな」
 晴が筆ペンを弄びながら、庭に出た樹に視線を投げる。
 どうしたんだろうな、と言い合う二人から、大河も樹へと視線を向けた。夏也の時もそうだったが、機微を見分けられるほど知っているわけではない。
 と、暢気に眺めている場合ではないのだ。大河はよしっと気合を入れて立ち上がった。
「俺も指導してもらおっと」
 左腕を伸ばしたまま右肩へ曲げ、右腕で押さえ付けながら縁側へ向かう。
「待て大河」
 宗史からストップがかかった。振り向くと、宗史と晴がにっこりと微笑んでいた。もう嫌な予感しかしない。
「お前は部屋で霊符の練習だ。来い」
「えっ何で!?」
「何でも何もあるか。真言覚えたんなら、霊符も描けるようにならなきゃ意味ねぇだろうが」
「そうだけど、ちょっとだけ体動かしたい。三十分くらいでいいから!」
「駄目だ。三十分あれば少しは上達する」
「じゃあ十五分!」
「往生際が悪ぃぞ、大河」
 じりじりと後退する大河に、宗史と晴が逃がすまいと同じだけ迫ってくる。ここは逃げるが勝ちか。大河は振り向きざまに庭の方へと足を踏み出した。だが、
「逃げるな」
「無駄だって。観念しろ」
 すぐに背後から両腕を強く掴まれ、そのままずるずると引き摺られる。テーブルの横を通り過ぎながら晴が手提げ袋を回収した。
「ちょっとだけだって! お願い!」
「お前、好きなことやり始めると止まらないタイプだろう。駄目だ」
 頑張れよー、と笑い声の混じった弘貴の声援と、皆の楽しげな笑い声が憎たらしい。と、戸口で昴とかち合った。捕獲された大河を見るなり、ぎょっとして足を止めた。
「あっ! 昴さん助けて!」
「えっ?」
 すれ違いざま、戸口の脇に避けた昴の腕を掴み、懇願の眼差しで見上げた。
「え……と……」
 足を止めた宗史と晴、助けを求める大河の三人から同時に見つめられ、昴は困惑した表情で各々を見比べた。そして、おもむろに腕を掴んでいる大河の指を一本一本剥がし始めた。
「よく分からないけど、ごめんね、大河くん」
「え――――っ!」
「英断だ、昴」
「ま、当然だな」
 昴の気持ちは分からないでもない。確かにこの二人から無言の圧力をかけられれば誰だって同じ選択をする。でもここは助けて欲しかった。
「昴さ――――ん!」
 申し訳なさそうに、しかし楽しげに笑いながら手を振る昴が、無慈悲にも扉を閉めた。
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