第6話

文字数 5,238文字

「それにしても……」
 前田が渋面を浮かべてホワイトボードに目をやった。
「他の事件はもちろんですが、草薙製薬の横領が鬼代事件に繋がってたとは……」
「ああ、もうやってたか」
 まだニュースを確認していない上に、課にも寄れなかった。怜司の仲間たちは、もう見ただろうか。ええ、と前田が神妙に頷いた。
「協力者が警察官なんて許されません。しかも揉み消しまで」
 しかめ面できっぱり言い放った榎本に、全員が顔を曇らせる。
「確か、鬼代事件に関わることと六年前の事故のことは口止めされてるんでしたよね」
 大滝の質問に、下平はああと頷いた。
「草薙の会長と社長には、賀茂さんが事前に全部伝えていた。寮に来る前に加賀谷に会ったって言ってたらしいから、その辺のことは言わねぇだろうな」
「てことは、龍之介への被害届の揉み消しだけか」
 溜め息まじりに言った大滝に、新井が眉間に皺を寄せた。
「正直、腹立ちますね。捜査情報を漏洩したせいで、少女誘拐殺人事件の犯人は殺されたわけだし。脅されてたとはいえ、警察官ですよ」
 情報漏洩に関しては耳が痛いが、新井の意見はもっともだ。犯人が殺されたと知った時の衝撃と動揺は凄まじかっただろう。草薙が関与していると気付き、知らなかったとはいえ必要な情報を自分が流していた。加賀谷の心境は察するに余りある。そんな時に、鬼代事件を担当することになった。「加賀谷は焦っているように見える」と言った沢村の勘は正しかったのだ。
「あの、それに関してなんですけど、俺ちょっと疑問が」
 口を挟んだのは牛島だ。
「何だ?」
「草薙が加賀谷管理官を脅してたネタって、会社の取引でしたよね」
「らしいぞ」
 即答した下平に、牛島は腑に落ちない顔をして首を傾げた。
「でも、草薙の会長や社長と面識があったのなら、直接言えばいいじゃないですか。脅されてるって。お互いに人柄は知ってるだろうし、仮にも警察官ですよ? 会話を録音するとか、何かしらの方法は思い付いたはずです。それに、そもそも草薙一之介にそこまでの権限があったんですか? どんな理由で打ち切るつもりだったのかはともかく、最終的な決定権は会長か社長だと思うんですけど」
「ああ、確かにそうだな。明治時代からの付き合いなら、そう簡単に切ったりしねぇよな」
 新井が追随し、榎本が不快気に眉根を寄せた。
「てことは、他に何か理由があったってことですか? お金に目がくらんだとか」
「どうだろうなぁ。実家が会社を経営してて、本人も管理官だし……けど、金は人を狂わすとも言うし……」
 うーん、と揃って首をひねる五人を眺めながら、下平はメモ帳に疑問を書き記す。沢村や紺野の話を聞く限り金に目がくらむタイプだとは思えないが、このあたりのことは紺野の担当だ。加賀谷は聴取で時間を取られるだろうから、すぐには分からないだろうけれど。
「他に質問はあるか?」
「はい」
 前田が小さく挙手し、難しい顔で腕を組んだ。
「犯人側の目的は、犯罪者ですよね。最終的に日本を滅ぼしたいのかどうかはともかくとして」
「ああ」
「となると、一番手っ取り早いのって刑務所や留置場じゃないですか? 人が消えたって話しは聞かないですよね。なんで狙わないんでしょう」
 確かに、と榎本たちから同意の声が上がり、下平はうーんと低く唸った。
「その場合、実際は『消えた』にしろ、逃走や脱走って形で公表して捜索する。普通は人が消えるわけねぇって思うし、一般市民に警戒を呼び掛ける必要があるからな。けど、警察関係者の耳には噂くらい入る。当然両家や寮にも情報が回る。となると、先手が打てる」
「あ、そうか。結界」
「そうだ。まあ、全部の刑務所や警察署に結界張るとなると相当な労力だし、人の出入りが……」
 言いながら気付いた。下平は言葉を切り、思案顔で唇に指を添える。
「待てよ。千代(ちよ)がもし無制限に悪鬼を操れるとしたら、同時に襲えば先手を打たれずにすむ。それに、時間が経てば経つほど出所者が増える。なのに実行に移さないってことは……千代の力には限界がある、のか?」
 もし犯人全員が事件をゲームだと思っていたとしても、あからさまな攻撃をして先手を打たれるのはゲームとして成立しない。先手をどう攻略するかも楽しむ根っからのゲーマーなら実行している。この場合は、千代の力に限界があるのかないのか、判然としない。
 しかし昨日、実際に雅臣と健人に会ったが、ゲームとして楽しんでいるようには見えなかった。少年襲撃事件では追い立てて楽しんでいるように見えたが、あれは時間をかけてゆっくりと尊を憔悴させ、恐怖を味わわせてから殺害するための布石。
 だとすると、やはりゲームだと思っているのは平良一人、あるいは数名で、一番手っ取り早い手段を使わないのは千代の力に限界があるから。だろうか。それとも、両家や寮の者たちを排除したあとでゆっくり、と考えているのだろうか。
 その辺のことは、椿が戻れば分かるかもしれない。
 下平は質問と推測をメモし、顔を上げた。
「他には?」
 尋ねると、つられるように思案していた榎本たちが次々と発言した。何故寮を狙わないのか、玖賀家はどうなっているのか、紺野を捜査に戻した人物は誰なのか、潜伏場所の目星はついていないのかなど、こちらもまだ分かっていないことばかりで、下平はひたすら「分からん」「調査中だ」を繰り返した。
「あの、北原さんは、まだなんですか?」
 榎本の遠慮がちな声に、一瞬しんと静寂が落ちた。
「ああ。まだだ」
 短く答えると、そうですかと榎本は悲痛な顔でメモ帳に視線を落とした。こればかりは、北原の回復力にかかっている。
「もうないか?」
 尋ねると頷きが返ってきたので、下平はメモ帳を閉じた。
「じゃあ、榎本。昨日、あれから尊の様子はどうだった?」
「あ、はい」
 榎本は居住まいを正した。
「帰り道でいきさつを聞いたんですが、なんというかこう、呆然自失って感じでした。現実感がないというか」
「まあ、あんな目に遭えばな」
「ええ。話し終えてからはずっと無言でした。自宅に着く頃には少し正気を取り戻したみたいで、母親がうるさいから帰っていいって言われたんですけど、そうもいかないじゃないですか。でも、出てきたのは父親だけでした。母親の方は寝込んでしまったらしいです」
 あー、と前田たちから不憫そうな納得の声が上がる。
「正直、説明した方がいいのかと思ったんですが、あの時はあたしもちゃんと状況を把握していなかったので、迷ったんです。そしたら、父親に今日はとりあえず帰って欲しいって言われまして」
 どうしたらいいのか戸惑う榎本と、憔悴した父親が対面する姿が想像できる。どちらも、すぐには把握しきれない現実に置かれていた。父親の判断も、引き下がった榎本も正しい。
 そうか、と下平は唇に手をあてがった。
 ひとまず昨日は回避できたが、さて、これから雅臣がどう動くか。少年襲撃事件と昨日。どちらも計画の一環として尊を襲っている。とはいえ、昨日は間違いなく殺すつもりだった。ならばやはり、三度目があるか。だが、護符を渡したことは雅臣も知っている。殺意があるため雅臣自身は尊に近付けないし、あの時の悪鬼でさえ霊感がない自分たちにも見えたのだ。あれ以上は確実に見える。雅臣自身が近付けないと、たかをくくるのは危険だが、悪鬼を使う確率の方が高い。大騒ぎになっても、雅臣を狙うかどうか。
 松井桃子の存在が少しでも抑止力になってくれればと、思わなくもないけれど。
「菊池がこれからどうするかが問題になってきますね」
 前田が溜め息と共に言った。
「ですね。つっても、向こうの情報が何もないんじゃ仮説も立てられませんよ」
 うーん、と悩ましい声が上がる。下平はあてがっていた手を下ろした。
「とりあえず、俺から明さんたちに相談してみる。尊の方にも連絡を入れるから、それまで保留だ」
 はい、と答えが返ってきて、下平は改めて榎本たちを見渡した。
「最後に、言っておくことがある」
 榎本たちが背筋を伸ばして耳を傾ける。
「お前たちは、絶対に動くな」
 端的な命令に、榎本たちは瞬きもせずに固まった。と思ったら、示し合わせたように一斉に身を乗り出した。
「何でですか!」
 息がぴったりで上司としては嬉しい限りだが、うるさい。下平は渋い顔で両耳を塞いだ。
「もう話を聞いたんです、俺たちも……!」
「まあ待て、落ち着け。話を聞け」
 前田の言葉を遮り、下平は迫った五つの顔を押し返すように両手を前に出した。不満顔がしぶしぶと引いていく。
 下平は一つ息を吐き出した。
「いいか、相手は人じゃねぇ。何があるか分からん。陰陽師たちも術を使う上に、かなり強い。だからこそ、お前たちは伏兵に徹しろ」
「伏兵、ですか……?」
 新井が反復した。
「そうだ。明さんたちには、お前たちのことを報告する。もちろん、新しい情報が入ればちゃんと話す。俺に何かあった時や、どうしても人手が欲しい時、顔を知られていないお前たちなら動きやすい」
「でも、あたしは昨日顔を見られてます。多分、深町弥生にも。だったら……」
「だからこそ今は大人しくしてろ。下手に動けば、お前も標的にされるかもしれん」
 率直に警告すると、榎本は息をのんだ。
「でも、下平さんは……」
「ここまで関わっちまったら、もう逃げようがねぇよ。護符ももらってるし、大丈夫だ」
 榎本は納得しかねると言った顔で俯いた。
「それとだ。事件を俯瞰できる奴がいた方がいい。俺も含めて、関係者全員あれこれ因縁があるからな。どうしても私情が入る。その点、お前らなら客観的に意見できるだろ。頼りにしてるぞ」
 疑問や犯人の動きは、宗一郎たちが先に気付く。その証拠に、加賀谷と刑務所以外の質問はすでに気付いているものばかりだった。こんなの、榎本たちを大人しくさせるための方便だ。本当に何かあった時のために報告はするけれど、関わらずに済むのなら関わらない方がいい。
 最後はにかっと笑った下平に、前田が諦めたように嘆息した。
「分かりました。でも、菊池雅臣の捜索のふりをして、潜伏場所を探るくらいはさせてください。菊池を探しているのは本当ですし」
 そうそう、と榎本たちから同意の声が上がり、下平は逡巡した。確かに、菊池は警察に追われていることを分かっているはずだ。京都市内や近隣、いっそ府内に範囲を広げても不自然ではない。人が容易に立ち入れる場所に潜伏しているとは思えないが、灯台もと暗しとも言う。可能性はゼロではない。ただ、弥生をどうするか。すでに聞き込みを行っているし、今さらという気もする。犯人たちがそれを知っているかどうかにもよるが、榎本のことを知られた以上、ここは念のために安全策を取った方が無難かもしれない。
「分かった。ただし、こうなった以上、弥生の名前を出すな。弥生を探していることを知られると、お前たちも事件に関わっていると思われる。あくまでも菊池が対象だ。範囲も様子を見ながら徐々に広げて、絶対に単独行動をするな。それと、お互いの場所を確実に把握して、何かあった時はすぐに連絡しろ。いいな」
「了解です」
 一同表情を引き締めて声を揃える。
「前田。お前の連絡先を向こうに伝えようと思ってるんだが、構わんか?」
「はい、いいですよ」
「あと、これからの予定なんだが、一時から寮で会合があるんだよ。榎本のこと頼む」
「分かりました」
「えーと、あとは……」
 他に伝えておくことは、と下平が思案する隙に、牛島が興味津々な顔で榎本に尋ねた。
「なあ、鬼ってどんな感じなんだ? 俺も会ってみたい。やっぱ厳ついのか?」
「いえ。角はありましたけど、見た目はほとんど人間と変わりませんでしたよ。目は赤、黒っぽくも見えました」
 おー、と感嘆だか驚嘆だか分からない声が上がる。今度は新井と大滝が身を乗り出した。
「陰陽術は? どんなだった?」
「やっぱ札とか呪文とか使うのか? 真言っていうんだったか」
「はい、使ってました。大きな水の塊がいきなり現れて、触手みたいなのが伸びたんです。そして、こう……」
 榎本は両腕を上げ、何かに覆いかぶさるような仕種をした。
「こんな感じで黒いけむ……悪鬼? を飲み込みました」
 おおー、と先程の二倍の歓声が会議室に響く。
「事件が終わったら紹介してもらうか?」
 前田の提案に、いいすねぇ、と盛り上がる部下たちを眺めながら、下平は密かに苦笑した。陰陽師や鬼が実際にいると知れば誰でも興味をそそられるだろう。いい年をした大人ばかりなのに、まるで子供みたいだ。
 と、ポケットの中の携帯が着信を知らせた。確認すると、相手は紺野だ。沢村が一緒のはずだが、何かあったのだろうか。
「もしもし、俺だ。どうした?」
 前田たちが一斉に口を閉じてこちらを向いた。下平の相槌に、少しの緊張感を持って耳を澄ます。
「――え。本当か、それ」
 実は今、という前置きから始まった報告は、まさに青天の霹靂と言うべき内容だった。
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