第5話

文字数 3,322文字

 と、リビングの扉が開いて右近と左近が、縁側に作造が戻ってきた。窓を開けて顔をのぞかせる。
「宗一郎さん、積み替え終わりました」
「ありがとうございます」
 右近から鍵を受け取りながら「ご苦労」と労う。
「お話は終わりましたか」
「ええ。大変参考になりましたよ」
「良かった、お役に立てて光栄です。では父さん、終わったのならそろそろ。仕事も残っていますし」
 作造がにっこり笑顔で促すと、千作は渋い顔でお茶を飲み干し、風呂敷を抱えてしぶしぶと腰を上げた。これ見よがしに盛大な溜め息をつく。
「美琴ちゃんと触れ合いたかったのう……」
 懲りずにそんなことを呟いた千作が悪い。即座に志季ががっしりと腕を掴み、無言でずるずると縁側へ引き摺っていく。苦笑いや呆れ顔で、全員が見送りのために腰を上げた。職人として絶大な信頼を置いていても、男としての信頼は皆無らしい。この落差は酷過ぎる。
「なんじゃい! ちょっと願望が口から出ただけじゃろうが!」
「その願望がいただけねぇんだよ」
「いたたた。志季、老人はもっといたわらんか、仮にも神じゃろうが!」
「仮じゃねぇ、正真正銘神だ」
「こら晴、教育がなっとらんぞ!」
「うちは放任主義なもんで」
「はいはい、さっさと帰れ。ご苦労さん」
 ぽいと放り出すように腕を離す。後ろには刑事と神を加えた陰陽師一同、目の前には笑顔の作造が待ち構えている。この布陣をくぐり抜けてまでちょっかいをかけようとは、さすがに思うまい。
 千作はあからさまに舌打ちをかまし、これまたしぶしぶと縁側に腰を下ろして雪駄に足を突っ込んだ。よっこらせと立ち上がる。
「あの」
 壁のように千作の背後に立ちはだかった宗史ら成人男性組を掻き分けて、美琴が前へ進み出た。千作が顔を輝かせて勢いよく振り向き、即座に樹と怜司が美琴を止める。自業自得ではあるけれど、わざわざ届けてくれたのにこの扱いよう。なんというかもう、だんだん千作が可哀想になってきた。
 あまりにも不憫すぎて涙を堪える大河の横で、美琴が告げた。
「短い時間で作っていただいて、本当にありがとうございました。独鈷杵の訓練、頑張ります」
 頬を染めて深く頭を下げた美琴を眺め、千作が皺をさらに深く刻んで嬉しそうに笑った。製作の依頼に行って、確か五日目くらい。本当は、もっと時間がかかるはずだったのか。
「そう言ってもらえると、頑張った甲斐があるわい。仕方ない、美琴ちゃんに喜んでもらえただけでも良しとするか」
 頭を上げた美琴が、照れ臭そうに俯いた。
「じゃあな」
 ひと言言い置いて千作は背を向け、作造はお辞儀をして玄関へと足を向ける。
「お世話になりました。お気を付けて」
 宗一郎に続いてかけられる挨拶と労いの言葉に、千作がひらりと荒れた手を振った。猫背の背中とひょろりと細い背中が、ゆっくりと遠ざかる。
 流れのままに宗史から借りて、何気なく使っていた独鈷杵。機械化が進み、大量生産、大量消費の時代。安価で使い捨てのものが増え、それはそれで便利だけれど、一方でこうして一生愛用される物もある。それを丹精込めて一つ一つ作る職人たちが、必ずいるのだ。
 やれやれといった様子で縁側から引き上げる宗史らに倣って、大河は新たな気分で踵を返す。ひと癖あるが、話が聞けて良かった。――と、しみじみした直後、千作がくるりと踵を返して両腕を大きく広げた。
「と見せかけて、美琴ちゃあ――――ん!」
 猫なで声にぎょっとして、大河たちが一斉に足を止めて振り向く。本当に懲りない人だ。だが、一歩二歩駆け出した千作へ作造が腕をにゅっと伸ばし、首根っこをがっしり掴んだ。
「無駄ですよ、貴方の行動パターンは把握済みです」
「嫌じゃ、まだ帰らん! 放せ、放さんか!」
「うるさい。若菜に言いつけてもいいんですか」
「それも嫌じゃ! 美琴ちゃ――――ん!」
 やかましい、と作造の一蹴を最後に、二人はぎゃあぎゃあと言い合いながら玄関の方へ消えて行った。うるさいだのやかましいだの、そろそろ作造の堪忍袋は限界かもしれない。
 二人の姿が見えなくなって、やっと安堵の空気が流れる。
「あのジジイ、ほんとしつけぇな」
「やっぱ二百まで生きるんじゃねぇの」
「なんというか、元気なじいさんでしたね」
「強烈だな」
 席へ戻る志季と晴、紺野と下平の会話を聞きながら、大河は二度目の笑い上戸が発動した宗一郎を白い目で見やった。
 どうしてこう、素直に尊敬させてくれないのだろう。
 大河は長くて深い溜め息をつき、宗一郎を置き去りにしてソファへ戻った。
 宗史もいい加減うんざりしたのか、宗一郎を右近と左近に任せてさっさと腰を落ち着かせている。顔色はいいようだが、あんなに動いて大丈夫だったのだろうか。
「宗史さん、貧血大丈夫?」
 声をかけると、宗史は微かに苦笑いを浮かべた。
「ああ」
「そっか、良かった。ところでさ、あの錫杖って何に使うの? 一本だけじゃないみたいだけど」
 グラスを手に取りながら、腰を下ろす。
「あとで説明がある」
「ふーん……」
 どうやら宗史たちは知っているらしい。大河はグラスに口を付けて、改めてリビングを見渡した。
 明兄さんいい加減にしてください、と携帯画面の向こうから聞こえる、ちょっと苛立った陽の声。それにしても綺麗な目ね、と柴と紫苑に話しかける熊田と佐々木。ダイニングテーブルに並べた独鈷杵を見比べる樹たち。右近と左近に引き摺られる宗一郎。それを見て呆れ顔をする宗史と晴と志季。
 きっと、色んな思いを抱えたまま、皆ここに集まった。陰陽師として、仲間として、警察官として、身内として。
 いつもと変わらないノリが、覚悟を表しているようにも、迷いを隠そうとしているようにも見えて、大河は少しだけ切なそうに目を細めた。
「大河、どうした?」
 隣から宗史に顔を覗き込まれて、大河は我に返った。
「あ、ううん。……宗史さん」
「うん?」
「あとで、独鈷杵の手入れの仕方教えてよ」
 へらっと笑うと、宗史は一度驚いたように瞬きをして、ふと微笑んだ。
「ん、分かった」
「ありがと」
「でも、そんなに特別なことをする必要はないぞ」
「そうなの?」
 身を乗り出してグラスをローテーブルに置いた時、宗一郎がやっと戻ってきた。
「申し訳ない。では、続きを始める」
 一応申し訳ないと思って――いや、紺野たちがいるからか。本当に申し訳ないと思っているなら、とうの昔にどうにかしているだろう。まだ少し声を震わせる宗一郎の背後で、右近と左近が密かに息をついた。
 ざわめきが収まり、全員が姿勢を正して頭を切り替える。
「先程の続きですが、下平さん。捜査本部から確認の連絡はありましたか」
 北原の携帯の通信履歴に、下平の番号が残っていたことだ。
「はい、ここへ来る前に。事件の捜査で知り合ったと言っておきました。ついでにお守りのことも聞かれたので、俺から渡したことにしてあります」
「下平さんから?」
 ええ、と下平は苦笑いを浮かべて頷いた。
「実は、北原の彼女が府警本部に来たそうなんですよ」
「彼女!?」
「おや」
「ほう」
 失礼にも驚きの声を上げたのは、鬼と刑事組以外の全員だ。もちろん、明と陽、右近と左近もだ。
「その反応はあいつに失礼だぞ」
 呆れ顔をした紺野の指摘に、ごめんなさいと揃って肩を竦める。下平が喉で低く笑って続けた。
「その彼女も北原の家族も、お守りのことは知らないと証言したらしく、出所をいつまでも探られると面倒だと思ったので。そこで、厄介な事件に関わっていると聞いて、嫁――元嫁が作った手作りのお守りを譲ったと言ったんです。恐竜柄のやつですよねと尋ねたので、信じたみたいですよ」
 北原に恐竜柄が渡ったのか。彼女やら元嫁やら、新たな一面だ。刑事組以外の面々に、意外な顔や驚きの表情が浮かぶ。それはともかく、北原の彼女は目が覚めたと聞いて安心しただろう。面会はまだできないようだが、病院にはいるかもしれない。
「そうですか。ありがとうございます、助かります」
「いえ」
 さすが、と樹から褒められて、下平は「だろ?」とおどけてみせた。
「では次に、茂さん。お願いします」
「はい」
 柔和な笑みを収め、茂は華と寮を抜け出した時のことから詳細に報告した。
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