第7話

文字数 2,956文字

      *・・・*・・・*

 怜司は低い体勢で駆け寄り、弥生の足元を狙って霊刀を薙いだ。弥生が大きく飛び跳ね、空中でくるりと一回転して足を振り抜いた。それを腕で防ぎ、勢いに押されるまま横滑りする。なかなか身軽だ。
 地面を滑って止まった怜司と、着地した弥生が同時に地面を蹴った。
 空中では犬神を挟みうちにして水龍が放った水塊がぶつかり合い、樹たちの方からは爆音が響いてくる。これ大丈夫なのか。近くに消防署があると言ったはずなのに。剣戟の音を掻き消すほどの激しい音を背中で聞いて少々不安に思いつつ、怜司は連続して襲いかかる霊刀を弾き返す。
 横から襲いかかった霊刀を受け、そのまま弥生の腹に蹴りを入れる。
「ぐ……っ」
 顔を歪め、呻き声を上げて地面を後方へ滑る弥生に、怜司はわずかに眉を寄せた。同情も手加減も必要ないと思ったとはいえ、女性に蹴りを入れるなんてやはりいい気分ではない。だからと言っておいそれと殺されるつもりはないし。本当に勘弁してもらえないだろうか。
 向けられる鋭い眼光を受けながら溜め息をつきたい衝動を堪え、怜司は霊刀を構えた。と、腹に手を当て、こちらを睨みつけていた弥生の視線が怜司を通り越した。目が大きく見開く。
「健人さん、結界ッ!」
 悲痛な叫び声に似た忠告が響く。どうやら本格的に追い詰めているようだ。ならばこちらも無駄に長引かせずに制圧してしまわなければ、確実に樹に嫌味を言われる。
 怜司はぐっと強く地面を踏み込んで駆け出した。弥生がはっと我に返り、上から振り下ろした霊刀を弾き返す。ガキンッ! と澄んだ音を響かせて真っ二つに折れたのは、弥生の方の霊刀だ。後方へ飛び退きながら舌打ちをかまし、霊刀を再度具現化する。
 驚かないな。手を休めることなく霊刀を振るいながら、怜司はふむと一つ唸る。折られることを予測していたような反応のなさ。
 力量は昴から聞いて大体の予想くらいしているだろう。それでも、やはり実際に戦ってみなければ分からない。ならば、こちらの力量を見極めて、最小限の霊力で強化するつもりなのだろうか。そうすれば、無駄に霊力を消費しなくて済む。だが、いくらすぐに具現化できるとはいえ隙ができる。その一瞬が命取りになるのに、わざわざ消費量を気にするだろうか。霊力量に難があるか、あるいは何か切り札があって、大量に霊力を消費するから。まさか敵側も秘術があるなんてこと――ない、とは言い切れない。何せ、蘇生術を構築した満流がいるのだ。秘術は大量に霊力を消費することはないけれど、もしこちらと同じ術を仕掛けられたら、全てが終わる。警戒して然るべきだ。
 ますます手を抜けなくなったな。辟易しつつも霊刀を合わせ、刀身に刀身を滑らせて一気に間合いを詰める。
 一瞬だった。弥生の霊刀を抑えつつ、左手を下からくぐらせて弥生の胸倉を掴む。そのまま引き寄せながら、右足を弥生の右足にひっかけて思い切り払った。正式に組み合ってはいないが、つまりは大外刈りだ。
 目を丸くしてバランスを崩した弥生ごと倒れ込み、馬乗りになって抑え込む。
「こう……」
 降参しろ。そのひと言が、喉の途中で引っ掛かった。
 さっきまでの鋭い眼光は消え失せ、酷く、とても酷く怯えた目に見つめられ、怜司は息をのんだ。
「……や……」
 霊刀が形を失い、震える唇から、吐息のような声が漏れた。
「嫌……ッ!」
 拒絶の言葉が絞り出されたと同時に左手が振り上げられ、怜司は息を詰めてとっさに飛び退いた。頬に爪が掠り、じわりと血が滲む。
 つんのめるように数歩後ろへ下がりながら、我に返って素早く体を起こす弥生を見据えた。
 体全体で荒く息をしながらこちらを睨み、霊刀を具現化した。一見気を立て直したように見えるが顔色は真っ青で、霊刀が小刻みに震えている。力づくで押し倒されたことで、義父から受けた暴行の記憶が呼び起こされたのだろう。
 怜司はぐっと唇を噛んだ。
 あの目――香穂と同じだった。二年前、桂木家の庭で何があったのか尋ねた時、栄明が龍之介の名を口にしたとたんフラッシュバックを起こし、酷く怯えた目を自分に向けた。
 香穂と弥生の眼差しが重なり、収めたはずの怒りと憎しみが、胸の内からじわりと滲み出す。
金や地位にしがみつき、それを邪魔する女を虐げてやったという優越感。非道で、非情で、残忍で残酷な方法を使って自分の欲を満たした。香穂にあんな目を向けられてなお、龍之介と仲間は自分の欲を優先した。あいつらは、人ではないのだ。
 ――やっぱり、殺しておけばよかった。
 いつか感じた、腹の奥底から湧き出てくるどろどろとした黒い感情。とっさに理性が働いた。
 ――駄目だ、囚われるな。
 抵抗するように、怜司はさらに唇を噛んだ。わずかに切れて、口の中に血の味が広がる。
 どれだけ覚悟をしても、強気な発言をしようとも、忌まわしい記憶が消えるわけではない。吹っ切れるはずがない。男に押し倒されて恐怖を感じないわけがないのに、迂闊だった。そう思う自分と、覚悟を持って命がけの戦いを挑んできたのは向こうだ。予想外のことが起こるかもしれないと分かっていたはずだ。同情は必要ない。そんなふうに思う自分がいる。
 相反する感情は、かつては自分も彼女たちと同じ場所にいたから。あの時栄明や郡司と出会えなければ、香穂との約束や樹たちがいなければ、自分もあちら側にいたかもしれない。
 駄目だ、落ち着け。ごちゃごちゃ考えるな。もしもなんて不毛な考えは何の意味もない。
 そう自分に言い聞かせ、小さくかぶりを振った怜司の意識を遮るように、突如、犬神の遠吠えが響き渡った。
 はっと我に返った時には、弥生が険しい顔をして地面を蹴っていた。横から襲いかかった霊刀をとっさに弾き返し、右へ避ける。弥生がそのまま側をすり抜けた。先には、樹。怜司が後を追うように駆け出す。
「樹ッ!」
 何ごとかと空中で吠える犬神を見上げていた樹が、弥生へついと視線を寄越した。
 弥生が大きく跳ねて霊刀を振りかぶり、一気に振り下ろす。ギンッ! と鈍い音を響かせて霊刀がぶつかり、さらに体重をかけたのだろう。樹が足を踏ん張って押し返そうとした間際、交差した霊刀を支えにくるりと大きく一回転。そのまま樹の背後に着地し、健人の元へ駆け出した。振り向きざまに薙いだ樹の霊刀が空を切る。
「へぇ、身軽だね」
 言いつつも、特に驚いた様子のない声色だ。弥生に支えられながら距離を取る健人を見据えていた樹が、合流した怜司を振り向いた。
 じっと見つめるその眼差しは、弥生を逃したことを責めているというよりは、こちらの胸の内を見透かそうとしているようだ。
 思わず顔を強張らせると、樹はふいと犬神へ視線を戻した。何かを待っているのか。牙を剥き出しにし、水塊を顕現させて警戒する水龍を威嚇している。
「悪いけど、気持ちを切り替えてね」
 健人と戦いながら、弥生の悲鳴を聞いていたのだろうか。完全に見透かされている。事情を知っているとはいえ、ここまで察しがいいと気持ち悪い。そして何よりも、認めるのは癪に障る。
「何のことだ」
 しらばくれた答えに、樹は満足そうに小さく笑った。この状況でずいぶん余裕なもんだと悔しく思うが、おかげで気持ちは切り替えられた。さて、集中だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み