第2話

文字数 3,737文字

 土御門家に野菜を届けると、華と家政婦の妙子(たえこ)がひとしきり盛り上がり、「お礼をしなくちゃ。何がいいかしら」と言われて半ば押し切られる形で実家の住所を書いた。その際、明に独鈷杵のことを聞かれて今から取りに行くことを伝えると「いいなぁ、僕も行こうかな」と言って、読書感想文用の本を読んでいた(はる)を連れ、自らの運転で賀茂家へ同行した。意外と時間の融通は利くらしい。晴は哨戒中らしく、陽が連絡をすると「終わったら行くわ」と返事が返ってきた。
 賀茂家への道すがら、気になったことを華と茂に尋ねてみた。
「そう言えば、今日おじさん留守だったんですかね?」
「え? おじさん?」
 誰? と言いたげに聞き返されて、大河は首を傾げた。
「明さんたちのお父さん。会合にもいましたよね?」
「あー……」
 何かを察したような声を漏らす華に、大河はますます首を傾げた。そう言えばさっき、母親も見かけなかったが二人揃って留守だったのか。
「晴くんから聞いてるものだとばかり思ってたけど……そうか、聞いてないのか」
 茂が独り言のように呟いた。
「大河くん、あのね」
「はい?」
 華は言い淀むと、神妙な声で言った。
「亡くなってるのよ、ご両親共。詳しいことはあたしたちも知らないんだけど……」
「え……あれ? じゃああの人……」
栄明(えいめい)さんのこと? あの人は叔父さん。お父様の弟さんなの」
「……そうなんだ……」
 栄明が父親だとばかり思い込んでいたから、考えつかなかった。大河はもう一度、そっかとごく小さく呟いた。
 不思議な感覚だった。一切の感情を排除して、「亡くなっている」という事実だけがすとんと心に収まった、そんな感覚だった。
 それは、彼らが同情されることを望んでいないだろうと思うからか、それとも、自分だったら同情されたくないと思っているからなのか。もしくは、今笑っている彼らを見ているからだろうか。彼らが今笑っていられるのならそれでいい、そう思っているのだろうか。
 大河はよく分からないまま、車窓から流れる街並みを眺めた。
 賀茂家に到着すると、どう説明したのか宗一郎が先手を打ってくれたお陰で初めて訪問した体を装えた。そしてこれまた華と夏美(なつみ)律子(りつこ)が盛り上がった。賀茂家の今日の夕飯は「鶏と夏野菜のオーブン焼き」に決まったようだ。
 盛り上がる女性陣はそのままに、大河は宗一郎に連れられて庭の方へ移動した。ぞろぞろと後ろをついて来るのは帰宅していた宗史と明、陽、茂の四人。今日も桜は部屋で療養中のようだ。宗史いわく、夏は体力を奪われるから体調を崩しやすいらしい。若干疑っているのは秘密だ。
 庭に面した部屋に通され各々席につく。大河はボディバッグを下ろすと、さっそく宗一郎から予備の独鈷杵を渡された。樹が練習用に買ったという小さな物と違い、昴の独鈷杵と同じくらいの大きさで、少々重みがある。以前は宗史が練習用に使っていたものを自宅用として置いておいたらしいが、自宅用独鈷杵って何だ。
 素直に尋ねると宗一郎はそうだなと逡巡した。
「高いところにある物を取ったり、あと動きたくない時に物を引き寄せたり? 扇風機のスイッチを押す時は重宝してるよ」
 不精か。リモコン付きの扇風機を買え。ただ彼の場合、本当か嘘か分からない。夏也とは別のタイプで分かり辛い。はあそうですか、と適当に交わしておく。
「大河、雪子さんから連絡はあったのか?」
 隣で呆れ顔の宗史が言った。父親のおふざけに付き合う気はないと顔に出ている。
「うん、さっきあった。やっぱり見当たらないって。もう一回探してくれるって言ってたけど、どうだろう。家の中じゃなかったら他に心当たりってないような気がする。メモもないみたいだし」
「……どこにいったんだろうな」
「うん……一度帰って探さなきゃいけないかな。省吾たちにも頼んでみようとは思ってるけど」
「そうか。まあでも、こっちで練習してからでも遅くはないだろう。じゃあそろそろ始めようか。大河、今朝は?」
「結界の復習して、破邪の法の続き」
 とりあえず独鈷杵をバッグの上に置いておく。腰を上げ、揃って縁側に出る。入れ替わりに華がお茶を持って入ってきた。
「できるようになったか?」
「さすがにまだ。昨日よりは早く集中させられるようにはなったかな」
「昨日は独鈷杵を使った後だったからな。とりあえず、結界からいこうか」
「うんっと、靴玄関だ。向こうから回れるよね。ちょっと待ってて」
「ああ」
 大河は急いで玄関へ戻った。
 すぐに庭の方へ戻ると、縁側に腰をおろしていた宗史が立ち上がった。
「誘導なしでいけるな?」
「うん」
 とは言ったものの、注がれる視線に緊張する。宗史たちはともかく、宗一郎に明、陽もいる。バイクの免許の実技試験を思い出し、大河は深呼吸を繰り返した。わずかに手が震える。
 落ち着いて、今朝はできた。印も真言も頭に入っている。目を閉じて集中しなくても大丈夫。そう自分に言い聞かせ、胸の前で手を組んだ。
「青龍、びゃっきょ、あ」
「噛んだわね」
「噛みましたねぇ」
「噛んじゃいましたね」
「噛んだね」
「噛んだな」
「噛むな」
「皆して突っ込まないでよ分かってるよ! あと宗史さん冷たい!」
 即座に突っ込むところが関西人気質なのか。余計なところで発揮しないで欲しい。恥ずかし過ぎる。
 真っ赤になって言い返す大河に皆が笑い声を上げた。何だよ、と拗ねてぶつぶつ漏らすと宗史がごめんごめんと謝った。笑いながら謝られても誠意が伝わらない。
「でも、ちょっとは緊張が和らいだんじゃないか?」
 そう言われれば。大河は室内からこちらを眺める皆を見やり、自分の手を見た。さっきまでの震えが収まっている。
 宗史を見上げ、はにかんだ。
「うん、ありがと」
 気を取り直し、再度手を組む。ゆっくりと呼吸を繰り返し、丁寧に真言を声に乗せる。
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(てんたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)
 一言ずつ声に乗せるごとに、目の前に現れた小さな光が次第に形を成して、直径一メートルほどの五芒星が浮かび上がった。そのスピードは、明らかに今までで一番早い。
 大河は満足気に微笑んで五芒星を眺め、誇らしげに宗史を見やった。宗史も満足そうに笑みを浮かべている。
「問題ないな。じゃあ、結界の大きさと強度を変えられるか? 樹さんから、霊力を加減しろって教わってるだろう」
「うん」
 加減の仕方について樹は、
『例えば……思いっきりくしゃみする時と公共の場で遠慮がちにくしゃみする時みたいな。え? 分かんない? じゃあ、普段喋るときと大声を出す時の力み具合』
 何故最初にくしゃみを例に出したのか分からないが、声を出す時の力み具合なら分かる。影正いわく体に流れる「気」を感じ取り、放出する量を調節する。声量を調節する時と同じ感覚だ。ただそれは、真言を唱えながら調節していたから、結界を張った後でしたことはない。
「自在に変えられると便利なんだよ。失敗しても構わないから」
 そうさらりと言われても。大河は低く唸りながら、目の前で仄かに光を放つ結界を見つめた。とりあえず真言を唱える時と同じような感じでいいのだろうか。
 大河はゆっくりと深呼吸を繰り返し、体の中の熱を感じ取る。影正は「気」と表現したが、どちらかと言えば熱や体温に近いと思う。「気」のせいで体温が上昇しているのかもしれないが、自分なりに解釈した結果が熱だった。
 じわじわと体温が上がっているのが分かる。風邪をひいた時や、外からの影響で上がる熱とは違う。細胞一つ一つが熱を持ち、それが押し出されている感じだ。
 その熱をゆっくりと、全て放出せずに調節して、結界へと注ぎ込む。
 少しずつだが視認できる早さで大きくなっていく。座敷の方から、遠慮気味に感嘆の声が上がった。
「ストップ。次、縮小して」
「えっ?」
 直径三メートルほどまで広げた時、宗史がこれまたさらりと告げた。結界越しに宗史を見やると、真剣な面持ちで真っ直ぐこちらを見据えている。面白がっているでも茶化しているでもない。結界の大きさを変えられる利便性を知っているからこそ、至極真剣に指導してくれているのが分かる。
 大河は気を引き締め、今度は「気」を散らすように集中した。興奮を冷ます、熱を冷ますと言った方が近い。
 ゆっくりと息を吐く大河の呼吸に比例するように、結界も小さく縮んでいく。
 初めに張った結界と同じくらいまで縮むと、宗史が息を吐いた。
「よし、上出来だ。これを素早くできるように繰り返して。霊力の扱いに慣れるための最短のやり方でもあるから。大河は飲み込みが早いから、すぐできるようになる」
「うん。分かった」
 霊力を調節しながら放出し、調節しながら散らすこの訓練は、確かに神経を使う。これがすんなりできるようになったら、霊刀もちゃんと扱えるようになるかもしれない。
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