第4話

文字数 3,469文字

 昨日、寮の者たちの氏名を聞き出すため、刀倉大河への挨拶を建前にして寮を訪ねた。
 明から伝えられた北原(きたはら)への伝言の内容から察するに、ある程度吹っ切れているのだろうとは予想していたが、それでも目の前で祖父を惨殺されたのだ。完全に吹っ切れてはいないだろうと思っていた。それなのに、大河は陰陽師として訓練を受け、和気あいあいと皆と笑っていた。
 精神的に強いのか、それとも周囲の者たちに支えられているおかげなのか。
 まるで夏休みの旅行を楽しんでいるような、祖父を殺害されたばかりの高校生とは思えない笑顔を見せる大河に安心した反面、疑心が生まれた。
 ほんの数日で、ここまで笑えるものなのだろうか。
 大河への挨拶と、何かあった時のために寮の者たちの名前を知っておきたいと告げると、賀茂宗史は一瞬訝しげに眉を寄せたが、分かりましたと紹介してくれた。四人ほど哨戒中で留守だったが、職業柄、顔を覚えるのは得意だ。庭を背に、勧められたソファに腰を下ろした。ひとまずその場にいる者たちの紹介をされ、続けて宗史から説明される不在者四人の特徴と会合で見た顔を照らし合わせながら、名前と一緒に一枚の絵として記憶する。
 終わった頃、庭に出ていた大河が入ってきて、念のためメモを取っていた北原の顔をひょいと覗き込んだ。
「北原さん、お願いがあるんですけど」
「え?」
「警察手帳見たいです!」
 大河の要求に、ああ、と紺野と北原は気が抜けた声を漏らした。
 気持ちは分からないでもない。警察官になる前、ドラマなどで手帳をスーツのポケットから出す刑事が格好良く見えたのは確かだ。手帳を貸与された時の高揚感は今でも覚えている。
 目を輝かせて見下ろしてくる大河に、北原は苦笑いを浮かべていいよと言って警察手帳を見せた。見たことがないのだろう、キッチンに入っていた野田香苗と小泉夏也、縁側で昴と佐伯茂に抱えられていた双子が小走りに駆け寄ってきて北原の隣によじ登り、大河を中心に輪ができた。
「あれ、紐付きなんですか?」
 手帳からスーツの内ポケットのボタンホールへと繋がった紐を見て、大河が意外そうに北原を見上げた。
「警察手帳って私物じゃないんだよ。貸与品だし、失くして悪用されると大変だから」
「あ、そっか。色も違うんですね。ドラマとかだと黒だけど、焦げ茶色だ」
「ああ、それは俺も思ってた。本物と見分けるためかな? どうしてだろうね?」
「中、開けていいですか?」
「うん」
「あ、制服。北原さん格好良い、似合う」
「え、そう? ありがとう」
「写真の裏側って名刺入れになってるんだ。結構機能的。このエンブレムもいいなぁ。そう言えば、昔の警察手帳ってノート型だったんですよね?」
「うん。あ、そうか、皆若いもんね。俺も実物は見たことないから、なおさらか」
「刑事ドラマの回想シーンとかでなら見たことあるんですけど、今の方が断然格好良い」
 な、と双子に問う大河を見て頬を緩める北原を横目に、紺野はおもむろに自分の手帳を取り出して何か書き記した。ページを破り、腰を上げる。
「昴」
 縁側から微笑ましげにこちらを見やっていた昴を振り向くと、昴は一瞬で顔を強張らせた。いじめている気分になるからやめろ。注目が集まる中、紺野は溜め息をつきながら歩み寄った。
「帰れとは言わねぇけど、せめて無事だって連絡くらい入れとけ」
 そう言いながら差し出したメモを、昴はおずおずと手を伸ばし受け取った。以前と変わっていないが念のために渡したメモには、朝辻(あさつじ)の固定電話と携帯の番号が書かれている。それを見て、昴は小さな声ではいと言って頷いた。
 少々不安が残る反応ではあるが、あまり圧をかけてこれ以上警戒されるとさすがにいたたまれない。紺野は再度溜め息をつき、踵を返した。
「ね、紺野さん、北原さん」
 ありがとうございます、と言って北原に警察手帳を返しながら、大河が神妙な面持ちで尋ねた。
「刑事さんって、いつも銃持ってるわけじゃないって聞いたことあるんですけど、本当ですか?」
 脈絡のない質問に、紺野は眉を寄せた。
「そうだよ」
 宗史と晴以外全員、事件の被疑者だ。警戒心の欠片もなくすんなり肯定した北原に、紺野は肩を落とした。確かにこの程度の情報はネットでも分かるし、最近では刑事ドラマでも現実に近い設定になっていて、知っている者は知っている情報だ。だが、状況を分かっていないのかこいつは。
「じゃあ、犯人捕まえる時とかって素手なんですか?」
「時と場合によるかな。凶悪犯だったりすると拳銃携帯の指示が出たりするし、警棒もあるから」
「そっか。じゃ、警察の人って、皆武道とか護身術身につけてますよね。二人は、強いですか?」
「え?」
 真っ直ぐに見据えてくる大河の表情は、妙に真剣だ。他の者たちは質問の意図が分かっているのかいないのか、誰も口を挟もうとしない。
「まあ、一般人よりは……」
 北原が言い淀んだ。
 警察学校では必須科目であり、実戦を前提にして訓練を受ける逮捕術は、一部の者たちの間では最強だと言われている。だが、犯人に過度なダメージを与えないように指導される。相手を屈服させるための術ではなく、犯人とは言え人権を守るため、後の捜査に影響を与えないために無傷で制圧することを目的とした術だからだ。
 格闘技チャンピオンや武道の達人とやり合って勝てるかと問われれば、正直微妙だ。だが、素人ならば是だ。
 ただの好奇心には見えない。こちらを心配した上での質問なのか、それとも実力を探るためなのかは分からないが、ここは迷いを見せるべきではない。
 紺野は大河に歩み寄り、真正面から威圧感を込めて見下ろした。
「おいこら。逮捕術は最強だって言われてんの、知らねぇのか? 警察官舐めんなよ」
 言いながらがっしりと頭を掴むようにして強めに押さえ付けると、大河は上目遣いに見上げてきた。
「最強なんですか?」
「ああそうだ。何ならやってみるか?」
 高校生相手に大人気ないが、少しは抑止力になるかもしれない。そう思っての提案だったが、手を外すと大河は言った。
「じゃあ、心配しなくても大丈夫ですね」
 俺が心配するのはおこがましいですけど、と言いながら満面の笑みを浮かべて見上げてくる大河に、紺野は目を丸くした。もしや、本当にこちらのことを心配していたのか。
「大河くん、心配してくれたの?」
 北原が尋ねると、大河は照れ臭そうにうんと頷いた。
「そっか……ありがとう。でも大丈夫だよ。俺たちも伊達に警察官やってるわけじゃないから。日々のトレーニングも欠かしてないよ」
 ほら、と北原は自慢気に拳を握って腕を曲げて見せた。スーツの下で盛り上がっているであろう上腕二頭筋に触った大河が、おおっと驚きの声を上げる。
 一瞬、刀倉大河は被疑者から外してもいいかもしれないという甘い考えがよぎった。会合で見せた、躊躇なく昴を庇い草薙に憤慨した姿と、今目の前で屈託なく笑う彼は、確かにこんな凄惨な事件を起こす人物には見えない。
 参ったな。紺野は揺らぎ始めた疑心に頭を掻いた。
「北原、そろそろ行くぞ」
 筋トレの話題で盛り上がる北原を促すと、少々残念そうにはいと返事をして腰を上げた。
 皆に見送られて寮を後にし、署へと向かいながら北原がぽつりと言った。
「やっぱり、どう見ても大河くんは違う気がするんですけど……他の人たちも……」
 揺らぎ始めた疑心を自覚した今では、強く非難できない。しかし。
「外すにはまだ早ぇ。調べてからでも遅くねぇよ」
 これ以上犠牲者を出さないために、厳しい判断をしなければならない。
 捜査は無駄の積み重ねだ。刑事になりたての頃、先輩刑事の熊田がそう言った。ただ一つの真実を探り当てるために、膨大な時間と労力を使うことを厭わない。それが刑事であり、仕事だと。
 ならば、わずかでも疑わしい者たち全員が結果シロであったとしても、真実へと辿り着くために必要な過程なら、調べる意味はある。
「とりあえず、署に戻れ」
「……はい……」
 北原の気乗りしない返事を聞きながら、紺野は窓の外を流れる街並みに視線を投げた。
 事件捜査における身元照会の書類には、警部以上の証人印が必要になる。単独捜査をしている紺野と北原がそれを申請できるわけはなく、ひとまず警察が有している過去の事件・事故関係者のデータや補導歴者のデータをすべて洗った。
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