第17話

文字数 3,404文字

「――鈴!?」
 大河が目をまん丸にして、目の前で足を止めた鈴を見上げた。思った通りの反応だ。省吾は、影唯と顔を見合わせて苦笑した。
 理由は少し考えれば分かることだが、大河のことだ。騒ぐかなと思っていたら、一瞬固まったあと気を落ち着かせるように溜め息をついた。
「怪我は? 大丈夫なの?」
 落ち着いて尋ねた大河に、省吾は目をしばたいた。へぇ、と思わず感心の息が漏れる。
「立ち話もなんだ。とりあえず上がれ」
「ここ俺んち!」
 涼しい顔で言い置いて踵を返した鈴と速攻で突っ込んだ大河に、笑い声が上がる。台所からエプロン姿の雪子がひょいと顔を出した。
「ちょっと大河、うるさいわよ。まあまあ宗史くん、晴くん久しぶり。あら、柴と紫苑は粋な恰好してるわねぇ。よく似合ってるわ。暑かったでしょう、さあ上がって上がって。大河、キャリーケースそのまま持って入らないでよ。雑巾持ってくるから、待ってなさい」
 ぱたぱたと駆け寄りながら口を挟む隙もなく挨拶と感想と苦言を言ったと思ったら、すぐに身を翻して台所に消えた。何この扱いの差、と大河がぶつぶつぼやきながら靴を脱ぎ、ひとまず端に避けた。
「お邪魔します」
「はい、どうぞ」
 宗史に続いて晴たちが続々と上がり、影唯が居間へと誘導する。
 挨拶はまたあとだ。大河が、二人とも帽子脱いでいいよ、と通り過ぎる鬼二人に声をかけた。言われるがまま、帽子を脱いで居間へと向かう背中を目で追いかける。
 二本の角。長い爪。深紅の瞳。それ以外は、人と変わらない。写真で見てはいたが、こうして実際に会ってもコスプレにしか見えない。イケメン度は人の範疇を超えている気がするけれど。ところで、紫苑が抱えている箱は何だろう。
 エアコンが効いた居間へ入っていく宗史たちと入れ替わるように、雪子が雑巾ではなくウェットシート一枚を手に戻ってきた。
「ちゃんと拭いてね」
「はーい」
 大河に手渡すと、お茶お茶、と一人ごちながら忙しそうに台所へ戻る。省吾は、上がり框にキャリーケースを置き、タイヤを一つずつ拭いていく大河を見下ろした。
「ほんとに鬼なのか、あの二人。コスプレにしか見えないんだけど」
「やっぱり? でもそれでいいんだよ。だから新幹線に乗れたんだし。めっちゃ目立ったけど」
「おばさんたちも普通だな」
「一回ビデオ電話で話してるから。ていうか、省吾だって驚かなかっただろ」
「まあ、話は聞いてたし、写真とか式神見てるからな。もう今さらって感じ?」
 ははっ、と大河は短く笑った。
「省吾らしい。それよりさ、鈴っていつからいるの? 今日?」
「えーと、四日くらい前かな」
「四日って……、あーもー、マジか。閃のしばらくってどのくらいなんだよ」
 何か思い返してぼやいた大河の言葉の意味は分からないが、ご立腹だ。
「うちで採れたスイカ差し入れに来たら、鈴が出てびっくりしたわ。晴さんのお兄さんの式神なんだってな」
「うん、明さん」
「影綱の独鈷杵が敵に狙われるかもしれないからって聞いたけど」
「そう。皆が使ってる独鈷杵って真鍮なんだけど、俺の霊力量だと無理みたいでさ。影綱のだったらイケるんじゃないかって」
「無理って、具体的には?」
 こんなもんか、と最後に全体の埃を叩き落として、大河が腰を上げた。
「んーと、小さい箱に無理矢理押し込められてる感じ? 具現化したらちょっと苦しいんだ。すぐに息が上がるから、強度とかあんまり上げられない」
 確か、影綱の独鈷杵は水晶だったはず。
「要は、真鍮だと容量が足りないのか」
「そうそう。さすが省吾」
「お前の説明が下手すぎるんだよ」
「すみませんねぇ」
 大河がむっとして嫌味たらしく吐き出し、キャリーケースの取っ手を掴んで持ち上げた時、居間から宗史が出てきた。
「大河、影正さんにご挨拶するけど」
「あ、行く」
「じゃあ、荷物持ってってやるよ」
「うん、ありがと」
 汚れたウェットシートとキャリーケース、ついでにボディバッグを受け取り、大河に案内される宗史たちを見送る。柴と紫苑も一緒だ。
 居間に入ると、テーブルには人数分の麦茶が入ったグラスと土産物が並んでいた。荷物を持っていたのは晴だけだったから、鞄に詰め込んでいたのだろう。その荷物は柴と紫苑の帽子と一緒に端に寄せられている。
「このバームクーヘンは定番土産だ。美味いぞ」
「へぇ、楽しみだなぁ。この、すぐきって?」
「京野菜の酸茎菜(すぐきな)を塩漬けにして発酵させたものだ。こちらのしば漬けや千枚漬けと合わせて、京都の三大漬物と呼ばれている」
「京野菜なのか。それだけで美味しそうだなぁ」
「私のおすすめは、茶漬けだ」
「お、いいねぇ」
 盛り上がる二人の前には、バームクーヘンや数種類の漬物。それと、八つ橋。
 大河と影正が初めて京都へ行った時、土産に催促したことを思い出した。あの時は、まさかこんなことになるなんて想像もしなかった。
 微かな哀愁が胸に去来して、省吾はほんの少しだけ眉根を寄せた。
「せっかくだし、お昼に出そうか。省吾くんも食べていくだろう?」
 不意に尋ねられ、省吾は我に返った。取り繕うように、入口の脇にキャリーケースとボディバッグを置く。
「うーん、どうしようかな。大河たちはこれからどうするって?」
「独鈷杵は夜に取りに行くって。それまで、裏山で訓練するみたいだよ」
 紫苑が抱えていた箱はそのためか。好奇心がそそられた。
「じゃあごちそうになる。訓練見てみたいし」
「うん、分かった」
台所へ続く襖が開いた。
「省吾くん、お昼一緒でいいのよね」
「うん、ごちそうになる。大河たちの訓練見学するから」
「あら、じゃあ独鈷杵は夜に行くのね。ちょっと早いけどお昼にしましょうか。鈴ちゃん、運ぶの手伝ってくれるかしら」
「承知した」
「お母さん、これ出してくれる? 宗史くんと晴くんからのお土産」
「あら、美味しそうねぇ。それ全部? ひとまずこっちに置いておきましょう」
 こんなにたくさん申し訳ないわ、世話になっているのだ気にするな、と言いながら雪子と鈴が土産を抱えて台所へ引っ込んだ。そんな二人の姿を、影唯が微笑ましそうに見つめている。
「おじさん、なんか嬉しそうだね」
 母親に連絡を入れるため、携帯を尻ポケットから引っ張り出す。
「うん。ほら、うちは大河だけだから。嬉しそうだなぁって思って」
「ああ、風子やヒナが何日も泊まることってないもんね」
 おそらく鈴の方がはるかに年上だろうが、見た目が若いので横に置いておく。
「そう。うちの家系はね、ずっと一人っ子なんだ。僕もおじいちゃんも。もちろん、男の子でがっかりしたなんてことはないよ。女の子も欲しかったなぁってだけで」
「あれ。そう言われれば、親戚の話しって聞いたことないな」
 メッセージを打つ手を止めて、省吾は顔を上げた。
 雪子の実家は山口市内にあるらしく、そちらへ遊びに行ったり、従兄妹の話しを聞いたことはあるが、刀倉家の方は一度もない。もちろん島内にも親戚はいない。
「女系家族ってあるだろう? うちもそういう家系なのかなって思ってたんだけどね」
 影唯は、含んだ言い方をして苦笑した。
 呪詛や呪いというと聞こえは悪いが、つまりはそういうことなのかもしれない。御霊塚の秘密を守るために、何かの、誰かの意志が働いている。そう思っているのだろう。
 今までなら、そんなことあるかと一蹴していたけれど、陰陽師やら式神やら鬼やらを目にした今では、したくてもできない。でも、もしそうなら、いくら秘密を守るためといっても勝手にそんなことをするのは横暴だと思う。いくら神だとしてもだ。
 ただ、柴の封印は解かれた。問題はあるけれど、鬼が暮らすのならこの島が一番安全だろう。
「だったら、それもおじさんの代で終わるんじゃない?」
 らしくない、楽観的な意見。だが、千年も守人を担い続けてきた報酬としては、その程度の願いは聞いてもらわなければわりに合わない。
 再び携帯に目を落として軽い口調で言ってやると、影唯は驚いたように目をしばたいたあと、嬉しそうに笑った。
「そうかな? 兄妹の孫が見られると嬉しいなぁ。あ、でもその前に、大河は結婚できるのかな?」
「それは信じてあげようよ……」
 大真面目に心配される大河が不憫だ。
 省吾のいたたまれない溜め息と影唯の悩ましい唸り声が混じる中、廊下から微かな話し声が聞こえた。と思ったらすぐに静かになり、省吾は携帯から顔を上げて襖を見やった。

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