第14話

文字数 2,418文字

 笑顔で言い切った近藤に、母がじわりと目に涙を滲ませた。
「やだな、泣かないでよ」
「な、泣いてないわ」
 言いながらも指先で目元を拭う母に、近藤はくすりと笑った。
「ああ、そうだわ」
 母が、取り繕うように枕元のチェストに置いてあるビニール袋を手に取った。店のロゴも何もない、ただの白いビニール袋。
「これ、千早を助けてくれた人からお見舞いにっていただいたの。紺野誠一さんって方よ」
「来てくれたの?」
 残念、会いたかったのにな。手帳と交換に手渡されたビニール袋を覗き込むと、たくさんのお菓子が入っていた。チョコレートやガムに、棒付きの飴。
「それがね、今日から警察学校に入るから来られないんですって」
「警察学校?」
「ええ。警察官になるための学校よ。全寮制で、しばらく外出できないそうなの」
「そうなんだ……」
 警察官を目指している人だったのか。近藤は改めて袋の中を覗き込んだ。こんのせいいちさん。口の中で、小さくその名前を呟く。ぎこちないながらも、安心させようと浮かべた笑顔。大きな手の感触――覚えている。
 ふと、手帳をしまっていた母が独り言のように言った。
「おまわりさんは、やっぱりヒーローだったわね」
 一体何の話だと逡巡して、はたと思い出す。幼い頃好きだった、特撮ヒーローの話しだ。
 確か、地球侵略をもくろむ悪い宇宙人と戦う、秘密機関の話しだった。主人公は、普段は交番に勤務する警察官。ある日、彼は巡回中に秘密機関が開発した変身道具を拾い、そこへ襲来した宇宙人をなんやかんやで変身して撃退。そこから秘密機関の一員、つまりヒーローとして宇宙人と戦うというストーリー。だった気がする。
 変身道具を落とすなよとか、今見るとあれこれ突っ込みどころがあるのだろうが、幼い頃は夢中になって見ていた。変身ベルトをねだった記憶がある。
「まだ警察官じゃないんでしょ?」
「大丈夫よ。千早を助けてくれた恩人だもの。そうそう、覚えてるかしら。小さい頃、貴方おまわりさんを見るたびに、ヒーローヒーローって言って大はしゃぎしてたのよ。お子さんがいたんでしょうね。決めポーズしてくれたおまわりさんにますますはしゃいじゃって、大変だったんだから」
 懐かしそうな、けれどからかっているようにも見える母の笑顔に、近藤は顔を紅潮させた。うっすらと記憶に残っている。幼い頃の自分があまりにも純粋すぎて照れ臭い。
「覚えてないよ、そんなの」
「あら、そうなの? あんなに大好きだったのに」
 事実とは逆の答えを口にし、近藤は唇を尖らせてビニール袋に手を突っ込んだ。掴んで取り出したのは、棒付きの飴だ。
「その飴、昔から好きよね」
 今度は何が言いたい。近藤がじろりと睨むと、母はふふと笑って肩を竦めた。幸か不幸か、一番お気に入りのソーダ味だけが、他より一本多く入っていた。
 その後、母と祖母から少しだけ小言を言われ、医者からは傷跡が残るだろうと言われた。件の男子生徒三人は、保護者付添いのもとで謝罪に来たが、母と祖母がものすごい剣幕で追い返した。そして、検査と経過観察のため、三日間の入院後に退院した。
 この手の噂は、必ずどこからか回る。それが学区内、しかも警察沙汰にまでなればなおさら。クラスだけに留まらず学校中に広まっていた。故意ではないにせよ、嫌がらせの範疇を越えた行為は、子供や保護者らの蔑視を招くには十分だったらしい。近藤が復学した時には自宅待機となっていたが、その後、数日登校したのち不登校となり、二人は転校、一人は卒業まで登校してくることはなかった。のちに、風の噂で引っ越したと聞いた。
 またその間に、弁護士を交えた親同士の話し合いが行われた。
 怪我をさせた以上、傷害罪に問われる。けれど、少年法が適用されるのは確実で、十三歳以下の子供に刑罰は処されない。もし死亡させた場合は、警察が児童相談所へ通告、調査後に送致し家庭裁判所の扱いとなるらしいが、今回の場合は過失であり、かろうじて命は助かった。そのため、男子生徒が逮捕・起訴されることはなかったが、こちらが監督責任を問う前に、保護者が治療費や慰謝料を支払うと申し出て、示談が成立した。
 母と祖母から言わせると、不服らしい。過失とはいえ死にかけたのにと。だが、法律は法律だ。それに、彼らへ向けられる周囲の辛辣な態度は、逮捕されるよりも辛いものだろう。
 それから年をまたぎ、十カ月後の一月。厳しい真冬の季節だ。
 あの事件以降、心配に拍車がかかった母と祖母に、護身として空手を習わされた。二人の気持ちは分かるが、そこまでしなくてもと思わなかったわけではない。けれど無碍にするわけにもいかず、しかしいざやり始めるとこれが意外と良い作用をもたらしてくれた。体が鍛えられるのはもちろん、飛躍的に集中力が上がったのだ。もともと成績は良い方だったがさらに上がり、かつ体の使い方を覚えたため体育の成績も上がった。
 そんな、空手の楽しさを覚え始めた頃だった。
 同じ道場に通う友人と一緒に寄り道をして途中で別れ、松原通りにある松原交番の前を通りかかった。その人は、観光客らしき人に道案内をしていた。制服に身を包み、目的地であろう方向へ指をさして、丁寧に説明する。ありがとうと言った観光客に、少しぎこちない笑顔でお気を付けてと一声かけて見送った。
 記憶の中の、ぎこちない笑顔と重なった。
 ――あの人だ。
 まさか、こんなところで会えるとは思わなかった。覚えてるかな、話しかけてもいいかな。少しの興奮と戸惑いと期待を伴って駆け寄ろうとした間際、紺野ちょっと、と交番から先輩警察官らしき人から声がかかった。彼は身を翻し、交番の中へ姿を消してしまった。追いかけるように、一組の夫婦が尋ねてくる。
 交番なんだから、別に遠慮することはない。ちゃんとお礼も言わなければいけないし。そう分かっていても、忙しそうな様子に気が引けた。ここに勤務しているのなら、また機会はある。
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