第16話

文字数 5,123文字

「私たちからは以上だ。皆からは何かあるか?」
 今度こそ死ぬかもしれない、と真剣な顔で危惧する大河を横目に、宗一郎の問いに手を上げたのは香苗だ。
「おや珍しいな。どうした?」
 俺の時と声色が違う! と大河が思わず心で突っ込んだほど優しげな声で尋ねた宗一郎に、香苗が遠慮気味に口を開いた。
「あの、ご相談が……」
「何だい?」
 宗一郎の許可が出て、香苗は遠慮気味に口を開いた。
「今日、擬人式神を行使したんですけど、雨で駄目になってしまって。それで、その……」
 香苗は少し口ごもると、意を決したように告げた。
「擬人式神に、耐水性の和紙を使わせていただけないでしょうか」
 ああ、と納得の声を上げたのは宗一郎と明だった。
「耐水性和紙? そんなのあるのか?」
「はい」
 首を傾げながら尋ねたのは弘貴だ。香苗は頷いてテーブルに置いていた携帯を操作した。中央に置くと、皆が前のめりに覗き込んだ。
「へぇ、いくつか扱ってる会社があるんだね」
「俺たちは、擬人式神を行使することはほぼないからな。考えたことなかった」
「水は擬人式神にとって天敵ですからね。なるほど」
「破れにくいけど、水を吸って重くなるのは避けられないものね」
 茂、怜司、昴、華が感心したように感想を口にする。
 向かい側で検索したらしい陽の携帯を宗一郎と明が確認しており、大河も携帯で検索をかけて宗史と晴に見せる。中には、商品名は和紙になっているが素材はアクリル製だったりと、少々紛らわしい物もある。
「ねぇ、普通の紙じゃ駄目なの?」
 ふと思い付いた疑問を口にする。よくよく考えれば、霊符もそうだが何故和紙でないといけないのか。
「駄目ってわけじゃないが、紙はどうやって作られているか知ってるか?」
「木からできてるってことくらいしか」
「普段俺たちが使っている紙は、西洋から伝わった製法で作られていて、洋紙と呼ばれる物なんだよ。作る過程で多くの薬品が使われている。一方で、和紙は日本古来の紙だ。今は薬品が使われている物もあるけど、伝統に則った手法で製造されている和紙は自然の植物を使っているから、霊力が馴染みやすい。霊符に和紙を使用するのもそれが理由だ」
「あ、しげさんが直筆にも霊力が籠るって言ってたけど、それが理由なんだ」
「そう」
 へぇ、と感嘆を吐いて携帯画面に視線を落とす。単純に伝統やしきたりなのかと思ったが、きちんとした理由があったのか。
 刀倉家のしきたりと同じように、陰陽道も長い時間をかけて確立された。今のように便利な物で溢れ返っていたわけではない時代に、地道に少しずつ、時間と手間と労力をかけて研究し色々な物を作り出してきた。その苦労は、今の自分たちには計り知れない。
「なんか、昔の人ってすごいね」
 心の底から尊敬の念を持って呟いた大河に、宗史と晴がそうだなと返した。
「香苗」
 携帯から香苗へと視線を戻した宗一郎に、香苗が緊張の面持ちを浮かべた。
「いいんじゃないか? やってみなさい」
「あ、ありがとうございます。あの、でも、いつもの和紙より高いかと……」
 遠慮気味なのはそれが理由らしい。宗一郎と明が苦笑した。
「金額のことは気にしなくていい、必要経費だ」
「僕もそう思います。良い試みですね」
 宗一郎と明の同意に、香苗が安堵の息を吐いた。
「普通の和紙とは違うだろうから、霊力の注ぎ方にコツがいるかもしれないな。その辺の報告を詳細に頼む。今後の参考にしよう」
「はいっ、ありがとうございますっ」
 嬉しそうに破顔した香苗に頷くと、宗一郎は怜司に視線を投げた。
「怜司。扱っている会社がいくつかあるようだから、香苗と相談して手配してくれ」
「分かりました。試しにいくつか取り寄せても構いませんか」
「ああ、そうしてくれ。どの程度の耐水性か試した方がいいだろうからな」
「了解しました」
 ジッパースタンド袋なんてあるんですね、可愛いわねぇそれ、捻ってリボンにできる和紙もあります、やだ何それ可愛いっ、と別の商品で盛り上がる華と夏也はさておき、今度はそろそろと昴が手を上げた。
「あの、相談とかではないんですけど……」
「どうした?」
 宗一郎が尋ねると、昴は庭を指差した。
「あれは一体……」
 困惑気味に呟いた昴の指の先には、中途半端のまま放置された抉れた地面と、スコップが四本転がっている。あ、と中途半端に放り出した大河ら七人が呟いた。
「忘れてた、地天の術を試した跡だよ。晴くんが受けてくれたんだけど、威力すごかった」
「大河は、術を行使するのは得意だな」
「あとは早く霊符が描けるようになってくれれば、言うことないねぇ」
「体術の方も日々上達しています。飲み込みが早いですね」
 樹と怜司、茂と夏也の指導組から次々と意見が述べられる。ありがとうございます、すみません頑張りますを心の中で繰り返す。
「訓練の進捗は問題なしか。ならばいい。しかし大河、学校の宿題も怠るなよ」
「はい」
 突然の矛先に大河は肩を竦めた。実のところ、仕事の影響で少々遅れ気味だ。
「他には何かあるか?」
 ありません、と一様に答える。
「では、式神四人は、念のため周辺を見回ったあと戻って構わない。本日はこれで終了だ。解散」
 宗一郎が告げると、皆一斉に腰を上げた。取り込み損ねて濡れた洗濯物の始末か、華は香苗を連れてリビングを出て、夏也と美琴はキッチンへ、他の者たちは藍と蓮を連れて縁側へ向かう。式神らは、縁側から外に出た。一瞬、志季と左近が睨み合ったがすぐにふいと顔を逸らし、一斉に四方へ散って行く。
 あそこまで仲が悪いと何があったのか気になる、と思いつつ大河も庭の片付けのために立ち上がる。
「大河」
「うん?」
 陽を連れて庭へ出る晴を横目に、宗史に呼び止められて振り向いた。
「護符だけど、取り急ぎでいいか。墨を磨る時間ないだろう。明日、きちんと描いた物を持ってくるから」
「分かった、ありがとう助かる……え? 墨を磨る?」
「ああ」
 首を傾げた大河と、もしやと察した宗史の間に妙な空気が流れた。先手を打ったのは宗史だ。
「墨汁じゃないぞ。固形墨だ。硯で水を加えながら磨る」
「……マジで? それってまさか、霊力と馴染みやすいからって理由?」
 どんな理由があっても面倒臭いと言ったら怒られるのだろうか。
「察しがいいな、その通りだ。墨汁は防腐剤なんかに薬品が使われるからな。怜司さんが手配してるはずだけど、まだ届かないのか?」
「今日荷物届いてたけど、それかな。届いた時に双子がいなくなったから、まだ開けてないんだ」
 言いながら部屋を見渡すと、茂が書いてくれた真言のメモと一緒にテレビボードの上に移動されていた。
「まあでも、使うのはまだ先か」
 からかうような笑みを浮かべた宗史に、大河は少し唇を尖らせた。晴にはからかうなと言っておいてこれだ。とっとと話題を変えるに限る。
「そうだけど酷い。頑張ります。筆ペンでいいの? 取ってくるけど」
 棒読みの宣言に宗史が苦笑した。
「いやいい。どこかに予備があるはずなんだ、しげさんに聞くから」
 そう言って腰を上げた宗史と一緒に縁側に出る。
 茂が藍と蓮についていて、陽を加えた男性陣がせっせと抉れた地面を埋め直していた。陽も手伝ってくれていたのか。
 宗史を縁側に残し、大河は急いで庭に下りて皆の元へ駆け出した。
「陽くん、ごめん手伝ってもらって。ありがとう」
「いえ、大丈夫ですよ。僕、今あまり外に出てないので皆と一緒にいられるの楽しくて」
 一緒に土を踏み均しながら言った陽の横顔をちらりと見やる。少し寂しそうだ。
 晴は毎日寮での指導や哨戒に出ていて、昼間は家にいない。明はいるだろうが仕事があるし、四六時中一緒というわけにはいかないだろう。家政婦の妙子も、家事や買い物がある。
「必要以上に外に出るなって言われてるの?」
「はい。仕方ないです」
「でも、式神がついてるんだよね?」
 賀茂家の会合の時に宗史がそう言っていたはずだが、それでも外出は控えなければいけないのか。
「ええ。でも、いつ何があるか分かりませんから。もし僕が出掛けていて何かあった時、現場に行ける式神が一人欠けると大きく戦力が減りますし」
 そんなことまで考えているのか。
 そっか、と大河は視線を戻した。せっかくの夏休みなのに、こんな状況でなければ友達と遊びに行ったり、好きな時に寮の皆と会えただろうに。陽の身を案じているのは分かるが、少し可哀相な気もする。
 あ、でも、と陽は足を止めて大河を見上げた。
「明日、自由研究の調べ物をするために友達と図書館に行きます。まったく外に出られないわけじゃないんですよ。コンビニとかは行きますし、妙子さんの買い物の手伝いもします。訓練も兄二人が見てくれますし」
 早口での説明は、まるで明や晴を庇っているように聞こえた。二人が無理強いをしていると勘違いされたくないのだろう。兄思いの良い弟だ。
「そうなんだ、それなら良かった」
 笑みを浮かべると、陽は安心したように大きく頷いた。
「陽くんの訓練って、明さんと晴さん二人が見てくれてるの?」
「はい」
「いいなぁ。明さん、優しく教えてくれそう」
「いえ、まさか」
「……は?」
 速攻で否定された。聞き間違えか。思わず足を止めて見やると、陽は神妙な面持ちで言った。
「明兄さんの指導は洒落になりません」
 大河は室内へ視線を投げた。宗一郎が縁側にちょこんと腰を下ろした藍と蓮に何か言っている。そのすぐあと、二人は飛び降りるように庭へ下り、満面の笑みでこちらに加わった。その様子を、明が口元を押さえて見守っている。
 初陣の時、宗一郎の指導が何やら厳しいらしいことは聞いた。確かにあの二人はどことなく似ているが、雰囲気や発言はやはり明の方が優しいように思える。それが、まさか。
 大河は陽に視線を戻し、へらっと笑った。
「えー、まさか。明さんめっちゃ優しそうじゃん」
「そんなことありません。結界の強度を上げる訓練なんか、ただひたすら明兄さんの攻撃を受けさせられて、最終的には晴兄さんと二人がかりでした」
「げっ」
「体術訓練だって似たようなものです。実力差あり過ぎるって分かっていて二人がかりですよ。手加減してくれていると分かっていても腹立たしいです。マジギレする前に死ぬかと思いました」
 ぷくっと頬を膨らませる陽は、年相応に可愛らしい。それにしても、明はもちろん、晴の実力もおそらく宗史と大差ないだろう。その二人から同時に攻撃を受ければ誰だって死ぬかと思う。そもそも、中学二年生に成人男性二人がかりというのはどうなのだろう。
「そ、それはマジギレしてもいいんじゃ……」
「そう思いますか」
「はい、思います」
 つい敬語で返答した大河を、陽が振り向いた。二人顔を見合わせ、同時に噴き出した。
「よし、こんなもんでいいんじゃない?」
 樹の終了の声がかかり、皆が溜め息と共に手足を止めた。島で庭の土を埋め直した時と同じ、一度掘り起こして埋め直した感がすごい。明らかにその部分だけ土の色が変わっている。訓練の成果とは言え、庭の手入れをしている茂に少々申し訳ない気になってしまう。
「それじゃ道具片して、え? 藍ちゃんと蓮くん、片付けてくれるの? 大丈夫? 重いよ?」
 持っていたスコップを引っ張られ、樹は困り顔で首を傾げた。さすがの樹も子供には気を使うのか。
「大丈夫」
「お片付けする」
「樹さん、僕が一緒に行きます」
 昴が名乗り出た。
「ああ、じゃあ頼もうかな。気を付けてね」
「はい。藍ちゃん、蓮くん、引き摺らないようにしっかり持ってね」
「はい」
 三本のスコップを昴が、一本を藍と蓮が持ち、玄関の方へ向かう。
 三人を見送りながら、とりあえず揃って縁側へ足を進める。
「双子、返事するようになったよね」
「宗一郎さんがよっぽど怖かったんでしょうね」
「俺、その気持ち分かる……」
 大河が遠い目をすると、陽が肩を震わせた。と、
「皆」
 先頭を行っていた樹が神妙な面持ちで振り向き、人差し指を唇に当てた。静かに、の合図。大河は陽と顔を見合わせ、首を傾げた。宗一郎と明の声が聞こえてくるが、内容までははっきりとは聞こえない。
 樹は静かに靴を脱ぎ、ゆっくりと縁側に上がり室内へと入って行く。大河たちは訝しげに眉を寄せながらも樹に倣った。
 ソファへと近付くにつれ、二人の会話の内容がはっきりと届いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み