第4話

文字数 2,615文字

 下平から受けた不穏な報告は、あれだけの情報では事件と関係があるのかどうか結論が出ず、明たちに判断を仰ぐことで落ち着いた。正直、別件なのではと思わないこともない。近藤や熊田と佐々木もそちらの可能性を考えていたが、下平がいう冬馬の「縁」を加味すると、一概に否定もできなかった。この事件に関わっていなければ、まさかと笑い飛ばしていただろうが。
「まあどっちにしろ、事前に止められればそれはそれでいいしな」
 と熊田は言った。同感だ。
 さらに十一時過ぎ、怜司からメッセージが入った。
 昴の荷物をどうするか話し合った結果、身内である紺野に任せることになったらしい。時間ができた時で構わないと添えられてあったけれど、あまり放置しておくのもどうか。茂が携帯や部屋を確認したそうだが、特にこれといって犯人たちの手掛かりは見つかっていない。携帯は柴と紫苑に渡ったらしく確認はできないが、何か見落としがあるかもしれないと思うのは、現場百篇を基本とする刑事の性か。
 ただ、しつこく監視が付けられている。命令違反をして朝辻神社へ行った上に、さすがに二度も巻くわけにはいかない。監視が付けられていることを伝え、とりあえず置いておいてもらうように頼んだ。
 ついでに、大河たちの髪を切ったのは誰か尋ねると、意外にも宗一郎の妻・夏美だと答えが返ってきた。元美容師らしく、だったら信用できると言った近藤が、「そのうちよろしく」とうきうきで勝手にメッセージを送った。すぐに「伝えておきます」と返信が来た。近藤のことは向こうにも伝わっているだろうし、内通者もいない。近藤の写真は渡していないから、顔合わせにちょうどいいか。と、自分に無理矢理言い聞かせた。
 そして今日。
 ニュースは引き続き草薙製薬の話題でもちきりだ。身内の不正を自ら暴き、隠蔽することなく公表したことに対しては評価を得たが、それ以上に大企業の闇だの身内への甘さだのといって、ここぞとばかりに叩かれていた。公表されたのは横領のことのみで、龍之介に関しては、内容が内容だけにまだ伏せられたままのようだ。
 被害者の女性たちがいて、現役警察官が関与している。世間に与える影響は大きく、京都府警の信用問題に直結する。果たしてどこまで公表するのか。
 府警本部に出勤すると、待ち構えていたように緒方に手招きされた。何を言われるかは分かっている。昨日の帰りに一課へ戻った時、他の同僚からは何度も同じ言葉をかけられたが、緒方の姿はなく話をする暇がなかったのだ。
「おはようございます」
「おはよう。北原、目ぇ覚めたんだってな。良かったなぁ」
 相好を崩した緒方に、紺野はええまあと複雑な笑みを浮かべた。心配していたのは確かだし、緒方もからかうつもりはないのだろうが、こう正面切って言われると照れ臭さが先に立ってどうも素直に頷けない。
「今日行ってみるつもりだけど、どうだった?」
「瀕死だったとは思えないくらい元気でしたよ」
「お、やっぱ若いってのはいいなぁ」
 ここで、そうですねと言ったら自分が若くないと認めることになる。紺野は曖昧に笑って聞き流し、ところでと話題を変えた。隣の椅子を引き出して腰を下ろす。
「深町伊佐夫のパソコン、まだ開かないんですか?」
 声量を抑えて尋ねると、緒方は盛大に溜め息をついた。
「それがまだなんだよ。このままだと外部に依頼することになるかもな」
 専門家ってのは意地になるからなぁ、と呆れ顔で付け加える。手強い物ほど燃えると言っていたらしいから、今頃躍起になっているだろう。
「被疑者、送致したんですよね」
「ああ。証拠もばっちり揃ってたし、あれから供述は一貫してたから。鑑定もない。そっちはどうだ? 弥生の居場所について何か分かったか?」
「ああ、いえ。何も」
 反射的について出た答えに、緒方は苛立ったように頭を掻いた。
「被害者のご遺体は親戚が引き取ったし、ここまでくるとなぁ……」
 言葉を濁した緒方の言いたいことは分かる。
 送致したあとも検察の指示で捜査が続けられることはあるが、この事件においては、決定的な証拠と被疑者本人の供述が一致し揃っているのだから、それもないだろう。弥生についても、交流があったらしい仁美の方の祖父母が捜索願を出すだろう。けれど、彼女は成人している。状況から見て自らの意思で失踪したとみなされ、警察は動かない。パソコンが開けば、念のために内容を検察へ報告して終わりだ。
 事件は待ってくれない。真実は別にあって行方不明者は出たが、表向き事件は解決しているのだ。頭を切り替えて、次の事件と向き合わなければならない。それでも、これだけ悲惨だと気にかけるのが人の情だ。
「そっちで何か分かったら教えてくれ」
 溜め息まじりに言われ、紺野ははいと頷いて腕時計を確認した。
 そろそろ出ないと捜査会議に間に合わないが。ぐるりと一課を見渡し、沢村の姿を探す。加賀谷の件の聴取は、ひとまず終わったと聞いている。今日からまた復帰するはずだが、先に行ったのだろうか。絶対に一緒に行かなければいけないわけではないけれど。
「沢村さん、来てました?」
「ん、いや。今日はまだ。いつもなら来てる時間だけど……」
 腕時計を確認して、緒方も視線を巡らせる。と、小走りに沢村が駆け込んできた。
 そう急ぐ時間でもないが、沢村からしてみればいつもと違う時間の到着は遅刻した気分なのだろう。少し息を乱し、紺野の席へ視線を投げてきょろきょろと見渡している。緒方の席は入口から死角になる。
「まあ、疲れてるだろうしな」
「ええ……」
 罪悪感がないといえば、嘘になる。加賀谷が事件に関わっている可能性が出た時点では、沢村のことは頭になかった。けれど、あんな話を聞いた今では。
 聞くんじゃなかった。紺野が後悔を胸の奥にしまいこんで腰を上げると、沢村が気付いてこれまた小走りに駆け寄ってきた。ろくに眠れなかったのだろう。冴えない顔色に、ちくりと胸が痛む。
「おはようございます」
 先に挨拶をすると沢村はおはようと返し、視線を泳がせた。
「悪い……寝坊した」
 バツの悪そうな顔をしてぼそりといった沢村に、緒方がふっと噴き出した。
「遅刻したわけじゃねぇんだから」
「大丈夫ですよ、全然余裕です」
 苦笑いでフォローした紺野と緒方に、沢村は照れ臭そうに頭を掻いた。
「行きましょうか」
「ああ」
「頑張れよ」
 激励の言葉に会釈を返し、紺野と沢村は一課をあとにした。
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