第12話

文字数 3,198文字

「ああ、そういえば……」
 GPSを設定し終わり、冬馬がふと思い出したように思案顔をした。
「何だ?」
 表示されたのを確認して携帯をオフにし、下平はグラスに口を付けた。冬馬が逡巡して口を開く。
「実は、昨日聴取が終わってから店に顔を出したんです。スタッフが心配していたので説明をしに。その時、常連客から不穏な話を聞いたんですよ。といっても、少し前の話なんですが」
「どんな話だ?」
 不穏とは聞き捨てならない。下平は心持ち身を乗り出した。
「常連客――万里(ばんり)さんって言うんですが、弟さんがちょっとやんちゃなタイプらしいんです。その彼が、一週間ほど前に変な男に声をかけられたそうで。二十万で、仕事を受けてくれないかって」
「仕事?」
 何やら廃ホテルの件を思い出させる話しだ。思わず眉間に皺が寄った。
「ええ。不審に思ってすぐに断ったそうなんですが、一緒にいた友達が面白がって『内容による』と言うと、こう返ってきたそうです。ある人物を拉致して欲しい、と。さすがに気味が悪くなってその場を離れたらしいんですが、万里さん、変なことに巻き込まれないかって心配していました。質の悪いいたずらですよと言っておきましたけど」
 下平は目を丸くして、喉まで出かかった苦言を根性で飲み込んだ。やはり居酒屋にするべきだった。煙草の代わりに水を飲んで気を落ち着かせる。
 どうしてすぐ警察に通報しなかったと思わなくもないが、関わりたくないからという理由で証言を拒む者はいる。気持ちは分かるし、今さらどうこう言っても仕方がない。
 安直に事件と結び付けるのもどうかと思うが――。
 下平は長く息を吐き出した。ひとまずは万里の身元だ。
「その万里って常連客とお前は、どの程度親しいんだ?」
「七、八年ほどの付き合いです。樹も知ってますよ。美容師をしていて、俺が紹介して髪を切ってもらっていたので」
「ああ、あいつの髪切ってたの、そいつか」
 出会った頃の樹は、金銭的に余裕がなく髪も伸び切っていたが、ある日さっぱりしていた。冬馬に美容師を紹介してもらったと聞いていたが、万里だったのか。
 ふむ、と下平は逡巡した。三年間、樹の髪を切って、それ以前も以降も付き合いがある。人となりはよく知っているだろう。だが、念には念を。
「信用できるんだよな?」
 窺うような眼差しで尋ねると、冬馬は苦笑いした。
「疑り深くなってますね」
「そりゃあな」
「美容師一筋の、真面目で穏やかな良い人ですよ。詳しくは話していませんが、樹の状況を察してくれて、カットモデルという名目で切ってくれていたんです」
「カットモデル?」
「平たく言えば、練習台ですね。無料なんです」
「ああ、なるほどな。三年もか」
「いえ。途中から、樹が悪いからと言って料金を払うようになりました。新人が入った時は、時々やってたみたいですけど」
「そうか。今、万里は同じ店にいるのか?」
「ええ。一年ほど前に店長に昇格して、忙しくてあまりアヴァロンに来ていません。店も順調みたいですよ。良親がうちを辞めたあとに知り合ったので、あいつも知らなかったと思います」
 ということは、良親から漏れたわけではない。
 人はどこでどう誰を恨むか分からないが、疑い出すとキリがない。美容師一筋、仕事も順調。家族との日常会話もある。さらに樹と冬馬からの信頼。こちらは大丈夫だろう。
 では、依頼をした謎の男。
 人を雇って拉致させる。手段としては、陽の誘拐と同じ。だが、同じ手を二度も使うだろうか。
 男の標的の「ある人物」が、樹か冬馬、あるいは陰陽師の誰かだと仮定する。一週間ほど前といえば、ちょうど廃ホテルの事件が起こった頃。その時にはこちらの関係は知られていたのだから、ゲームよろしく何かの罠かと匂わせ、警戒させるのが目的だろう。
 弟と万里が兄弟で、万里はアヴァロンの常連客。彼を調べれば弟がいることや、その弟がやんちゃ、つまり素行不良らしいことも分かるだろう。けれど、弟が万里に話すことは予測できても、アヴァロンから足が遠退いていた万里が冬馬に話すと確証がない。そんな彼に白羽の矢を立てるのは不自然だ。選ぶのなら、もっと足繁く通う常連客を選ぶ。また、弟が先に目をつけられていた可能性はない。冬馬からこちらへ情報を流す目的なら、確実にアヴァロンと繋がりがある人物を選ぶ。目をつけた奴の兄がたまたまアヴァロンの常連だったなんて、行き当たりばったりなことをするとは思えない。
 あるいは、万里から樹へという経路もあるが、今でも彼の店に通っているとは到底思えない。通っていたら、とうの昔に冬馬と再会している。
 あとは報酬額。良親たちには一千万という高額な金額が提示されていたが、今度は二十万。差が大きすぎる。
 廃ホテルの時と比べるとあまりにも不確定な部分が多すぎて、腑に落ちない。
「別件か……?」
 下平は口元に手をあてがって低く呟いた。
「冬馬。万里に、正確な場所と時間を弟に聞いてもらうように頼んでくれ。あと人相。近くの防犯カメラに映ってるかもしれん。こっちで調べる」
「分かりました」
 冬馬は頷いて携帯を操作し、下平は息をついて背もたれに体を預けた。
 正直、事件と結び付けるには違和感しかない。とはいえ、どこぞの馬鹿が拉致計画を立てていると聞いて放っておくわけにはいかない。だが、別件だとしても、それはそれで不自然なのだ。
もし万里の弟や友人がすぐ警察に通報していれば、捜査されていた。内容を聞かれてあっさり答えているところも気にかかる。やはり、冬馬が言ったように質の悪いいたずらだろうか。
 声をかけられてから一週間。いたずらでなければ、考えたくないがすでに実行されているかもしれない。となると、当然被害者がいる。捜索願が出されているか、もしくは解決済みも有り得る。しかし、男の情報をはじめ、府内なのか県外なのか、被害者の性別や年齢すら分からない状態で調べても、さすがに絞り切れない。男は「拉致して欲しい」と言っていたようだが、手口を変えてその場で暴行、殺害した可能性もある。ますます絞り込めない上に、発覚しているとは限らない。
 とりあえず、情報収集が先だ。
 いちいち鬼代事件と繋げていてはキリがない。それは分かっているが、警察ではなく冬馬の元へ情報が入った。彼は、何かしら陰陽師連中と「縁」がある。非科学的ではあるけれど、無視できない程度には関わりすぎているのだ。もしやという考えが、どうしても拭い切れない。
 送信し終わった冬馬が、神妙な顔を上げた。
「そっちの事件と関係あると思いますか?」
「どうだろうな。情報が少ねぇから何とも言えんが、今までの周到さとかけ離れてる感じはするな」
「釈然としませんよね」
「ああ。まあでも、どちらにしろ身元が分かれば様子を見に行ける」
「ですね」
 例の日までに犯人たちが動くとすれば、独鈷杵争奪だ。もちろん油断は禁物だし、大河たちが心配ではあるが、何もできることはない。ならば、懸念材料を一つでも潰し、事件を総ざらいして何か解決の糸口を探す。まあ、それも可能性は薄いけれど。
「下平さん、そろそろいいですか」
「ん、ああ。もう時間か」
「店まで送ってくれるんですよね?」
 にっこり笑って伝票に手を伸ばした冬馬より早く伝票を掴み、下平は腰を上げた。
「はいはい、仰せのままに。お前に何かあったら、樹が暴走するからな」
「あれ、下平さんは心配してくれないんですか?」
「してるしてる、してるぞー」
「うわ、適当」
 結局割り勘にして店を出て、冬馬を店の近くまで送った。
「冬馬、油断するなよ。何か少しでも不審なことがあったらすぐ連絡しろ、いいな」
「分かってますよ。じゃあ、ありがとうございました」
 如才ない笑みを浮かべて背を向けた冬馬を見送りながら、思わず溜め息が漏れた。心配事が多すぎて胃潰瘍になりそうだ。
 やれやれと一人ごち、下平は車を発車させた。
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