第6話
文字数 2,589文字
全部で十箱以上移動したところで現れたのは、おびただしい数の霊符。扉に収納式の取っ手が付いるところをみると、比較的新しいものに思えた。切れ目に沿って霊符が並び、その中をさらに霊符が埋め尽くしている。ふと、犬神と対峙した橘家を思い出した。
「ここまで多いと、さすがに気味が悪いな」
手袋やスーツの埃を払いながら下平が顔を歪め、軽く笑いが起こる。水龍が栄明の、朱雀が下平の肩に止まった。
「ただの脅しの可能性もありますが……」
栄明が眉根を寄せて低く唸った。感じられるのは霊気であって邪気ではないので、どの程度の悪鬼が封印されているか測れないのだろう。ゆえに脅しの可能性もある。しかし、それは不自然だ。
「脅しの可能性は低いと思います」
「どうしてですか?」
小首を傾げた栄明に、紺野は少しの違和感を持って首を傾げ返した。
「尚をここへおびき寄せるつもりでもあったんですよね? だとしたら、実力を見極めるためにより強い悪鬼を待機させておくかと」
悪鬼と対峙するのは息子かもしれなかったのに、思い至らなかったのだろうか。まさか忘れていたなんてことはあるまい。などと思っていると、思ってもみない答えが返ってきた。
「――は?」
「は?」
あまりにも間の抜けた声に、つい間の抜けた声が出た。何だこの反応。的外れな推理ではないと思うが。下平たちもきょとん顔で二人を見守っている。
「え、待ってください。どうして尚が……」
「どうしてって――」
もしやと感じた嫌な予感を、下平たちの溜め息が後押しした。
「まさか、お聞きになっておられませんか」
無駄に丁寧口調になった紺野に、栄明は何度か目をしばたいてから、唖然とした顔で俯いた。しまった、余計なことを言ったか。そもそも話していない明が悪いのだが、復讐の方法を考えるのはあとだ。今は栄明のフォローが先。息子が自分の預かり知らぬところで危険な事件に関わっていたなんて、親なら心配して当然だ。さてどう言ったものか。
助けを請うように下平たちへ視線を投げると、不意に栄明がぼそりと呟いた。
「あのいたずら当主共と馬鹿息子が……ッ」
絞り出された声と険しい顔があまりにも怒りに満ち満ちていて、紺野たちはびくりと肩を跳ね上げ、水龍が飛び上がるように肩から離れて佐々木の後ろに隠れた。栄明と会ったのは、初めと先日の会合、そして今日で三度目だ。どちらかといえば沈着冷静なタイプだと思っていたが、怒るとこうなるのか。
いたずらってレベルじゃねぇ、と下平が呆れ気味に呟き、紺野たちが揃って首を縦に振る。今日の配置やその他諸々の説明をどう聞いているのだろう。
やがて栄明が長い息を吐き出し、一つ咳払いをして顔を上げた。表情が戻っている。
「失礼。少々取り乱しました。この件に関しては、明と宗一郎に直接問い質しますので、皆さんはお気になさらず」
あれが少々か。まあ何にせよ、全ては当主二人の責任だ。こっちが気に病む必要はない。紺野たちは「はあ」と引き攣った笑顔で返事をし、何とかかんとか頭を切り替え、改めて霊符を見下ろした。
熊田が思案顔で言った。
「悪鬼が封印されている前提で考えた方がいいですよね」
「はい。ですので、皆さんは外へ」
「どうするつもりですか?」
下平が眉をひそめた。
「この中に結界を張ってから扉を開け、調伏します」
「待ってください。どのくらいの強さが分からないのに、危険です」
慌てて止めた下平に、そうですよと紺野たちも追随する。
「ですが、他に方法がありません」
「しかし……」
他に方法がないと言われれば、すぐには反論できない。朱雀と水龍が援護に残るとしても、もし廃ホテルのような巨大な悪鬼だったらどうする。宗史たちでさえあんなにボロボロになったのだ。どれだけ栄明が強かったとしても、一人で太刀打ちできるとは思えない。
何か方法は、と必死に頭をひねらせていると、不意に佐々木が言った。
「あの、こういうのはどうですか――」
佐々木の提案は、方法としては実に単純で、しかし現状ではそれが最善だった。いくつかの確認と変更をし、栄明が納得したところで使いを監視に残して、それぞれ準備に取り掛かる。
まずは、刑事組で地下扉から一番近い壁を塞いでいる物を避けた。そして倉庫にあるロープを使い、端を地下扉の取っ手にくくりつけ、残りを壁の隙間から外に出して準備は完了。その間、栄明は倉庫の大きさを確認。
つまりだ。倉庫の外からロープを引っ張って地下扉を開け、悪鬼を開放。栄明は倉庫全体に結界を張り、そのあとで結界ごと調伏する。朱雀と水龍は栄明の援護だ。
この作戦で重要なのが、ロープを引っ張るタイミングと、結界を張るタイミングだ。ロープを引っ張るタイミングが遅ければ、結界で切れて扉は開けられない。反対に早ければ、悪鬼が結界外に出てしまう。前者はロープさえ繋げ直せばやり直しがきくが、後者は最悪の事態になる。
地下扉にくくったロープを出したのは、倉庫の左側。びっしり霊符が貼り付けてあったので確認できなかったが、地下扉もおそらくコンクリート製だ。それなりに重さがあるだろうから、ロープは残されていた三本全てを拝借したのだが、少々古めかしく強度に不安がある。
紺野たちに結界は見えない。栄明が引いた目安となる線の外側で、全員で手分けをしてロープの状態を確認している最中、熊田が言った。
「佐々木、よく思い付いたな。でかした」
「ありがとうございます。絵本がヒントになりました」
「絵本?」
「はい。ほら、大きなカブを皆で引っこ抜くって童話があるじゃないですか。箱の中にあったのを思い出したんです」
あー、と声を揃えたのは全員だ。会ったのは数回、または数時間なのに、先程のおもちゃの話しの時といい、栄明含め息が合っている。特殊な状況が、自然と仲間意識を持たせているのだろうか。
「なるほど。確かにそんな感じだな」
ははっと笑ったのは下平で、俺たちはカブじゃなくて悪鬼ですけど、という余計な言葉を飲み込んだのは紺野だ。
「よし、何とか使えそうだな」
「こちらも大丈夫そうですよ」
下平と栄明に、紺野たちが「こっちもです」と続く。
栄明が、至極真剣な眼差しで紺野たちを見渡した。少々緩み気味だった空気が、一気に張り詰める。
「では皆さん、よろしくお願いします」
「はい」
緊張感を漂わせて、刑事組が神妙に返事をした。
「ここまで多いと、さすがに気味が悪いな」
手袋やスーツの埃を払いながら下平が顔を歪め、軽く笑いが起こる。水龍が栄明の、朱雀が下平の肩に止まった。
「ただの脅しの可能性もありますが……」
栄明が眉根を寄せて低く唸った。感じられるのは霊気であって邪気ではないので、どの程度の悪鬼が封印されているか測れないのだろう。ゆえに脅しの可能性もある。しかし、それは不自然だ。
「脅しの可能性は低いと思います」
「どうしてですか?」
小首を傾げた栄明に、紺野は少しの違和感を持って首を傾げ返した。
「尚をここへおびき寄せるつもりでもあったんですよね? だとしたら、実力を見極めるためにより強い悪鬼を待機させておくかと」
悪鬼と対峙するのは息子かもしれなかったのに、思い至らなかったのだろうか。まさか忘れていたなんてことはあるまい。などと思っていると、思ってもみない答えが返ってきた。
「――は?」
「は?」
あまりにも間の抜けた声に、つい間の抜けた声が出た。何だこの反応。的外れな推理ではないと思うが。下平たちもきょとん顔で二人を見守っている。
「え、待ってください。どうして尚が……」
「どうしてって――」
もしやと感じた嫌な予感を、下平たちの溜め息が後押しした。
「まさか、お聞きになっておられませんか」
無駄に丁寧口調になった紺野に、栄明は何度か目をしばたいてから、唖然とした顔で俯いた。しまった、余計なことを言ったか。そもそも話していない明が悪いのだが、復讐の方法を考えるのはあとだ。今は栄明のフォローが先。息子が自分の預かり知らぬところで危険な事件に関わっていたなんて、親なら心配して当然だ。さてどう言ったものか。
助けを請うように下平たちへ視線を投げると、不意に栄明がぼそりと呟いた。
「あのいたずら当主共と馬鹿息子が……ッ」
絞り出された声と険しい顔があまりにも怒りに満ち満ちていて、紺野たちはびくりと肩を跳ね上げ、水龍が飛び上がるように肩から離れて佐々木の後ろに隠れた。栄明と会ったのは、初めと先日の会合、そして今日で三度目だ。どちらかといえば沈着冷静なタイプだと思っていたが、怒るとこうなるのか。
いたずらってレベルじゃねぇ、と下平が呆れ気味に呟き、紺野たちが揃って首を縦に振る。今日の配置やその他諸々の説明をどう聞いているのだろう。
やがて栄明が長い息を吐き出し、一つ咳払いをして顔を上げた。表情が戻っている。
「失礼。少々取り乱しました。この件に関しては、明と宗一郎に直接問い質しますので、皆さんはお気になさらず」
あれが少々か。まあ何にせよ、全ては当主二人の責任だ。こっちが気に病む必要はない。紺野たちは「はあ」と引き攣った笑顔で返事をし、何とかかんとか頭を切り替え、改めて霊符を見下ろした。
熊田が思案顔で言った。
「悪鬼が封印されている前提で考えた方がいいですよね」
「はい。ですので、皆さんは外へ」
「どうするつもりですか?」
下平が眉をひそめた。
「この中に結界を張ってから扉を開け、調伏します」
「待ってください。どのくらいの強さが分からないのに、危険です」
慌てて止めた下平に、そうですよと紺野たちも追随する。
「ですが、他に方法がありません」
「しかし……」
他に方法がないと言われれば、すぐには反論できない。朱雀と水龍が援護に残るとしても、もし廃ホテルのような巨大な悪鬼だったらどうする。宗史たちでさえあんなにボロボロになったのだ。どれだけ栄明が強かったとしても、一人で太刀打ちできるとは思えない。
何か方法は、と必死に頭をひねらせていると、不意に佐々木が言った。
「あの、こういうのはどうですか――」
佐々木の提案は、方法としては実に単純で、しかし現状ではそれが最善だった。いくつかの確認と変更をし、栄明が納得したところで使いを監視に残して、それぞれ準備に取り掛かる。
まずは、刑事組で地下扉から一番近い壁を塞いでいる物を避けた。そして倉庫にあるロープを使い、端を地下扉の取っ手にくくりつけ、残りを壁の隙間から外に出して準備は完了。その間、栄明は倉庫の大きさを確認。
つまりだ。倉庫の外からロープを引っ張って地下扉を開け、悪鬼を開放。栄明は倉庫全体に結界を張り、そのあとで結界ごと調伏する。朱雀と水龍は栄明の援護だ。
この作戦で重要なのが、ロープを引っ張るタイミングと、結界を張るタイミングだ。ロープを引っ張るタイミングが遅ければ、結界で切れて扉は開けられない。反対に早ければ、悪鬼が結界外に出てしまう。前者はロープさえ繋げ直せばやり直しがきくが、後者は最悪の事態になる。
地下扉にくくったロープを出したのは、倉庫の左側。びっしり霊符が貼り付けてあったので確認できなかったが、地下扉もおそらくコンクリート製だ。それなりに重さがあるだろうから、ロープは残されていた三本全てを拝借したのだが、少々古めかしく強度に不安がある。
紺野たちに結界は見えない。栄明が引いた目安となる線の外側で、全員で手分けをしてロープの状態を確認している最中、熊田が言った。
「佐々木、よく思い付いたな。でかした」
「ありがとうございます。絵本がヒントになりました」
「絵本?」
「はい。ほら、大きなカブを皆で引っこ抜くって童話があるじゃないですか。箱の中にあったのを思い出したんです」
あー、と声を揃えたのは全員だ。会ったのは数回、または数時間なのに、先程のおもちゃの話しの時といい、栄明含め息が合っている。特殊な状況が、自然と仲間意識を持たせているのだろうか。
「なるほど。確かにそんな感じだな」
ははっと笑ったのは下平で、俺たちはカブじゃなくて悪鬼ですけど、という余計な言葉を飲み込んだのは紺野だ。
「よし、何とか使えそうだな」
「こちらも大丈夫そうですよ」
下平と栄明に、紺野たちが「こっちもです」と続く。
栄明が、至極真剣な眼差しで紺野たちを見渡した。少々緩み気味だった空気が、一気に張り詰める。
「では皆さん、よろしくお願いします」
「はい」
緊張感を漂わせて、刑事組が神妙に返事をした。