第25話

文字数 1,794文字

 美琴と初めて出会ったあの日、会ったのは彼女だけではなかった。
 依頼主と食事を済ませたあと、少し寄りたい所があるからと別れ、駅へ向かった。そこで見つけたのが美琴と、初老の女性だった。
 とても心配そうに美琴を見つめ、時折声をかける。けれど美琴は、体から霊力が漏れているにもかかわらず見えていないようだった。のちに聞いた話から推測するに、霊力がまだ弱かったこともあるのだろうが、霊力があるなしに関わらず、人の負の感情は感じやすいからだろう。それが邪気として見えるか見えないかの違い。
 浮遊霊には違いないが、取り憑いているようではない。霊力のこともあり、接触を図った。あの時、美琴から声をかけられなければこちらから声をかけていた。初老の女性に覚えはありますか、と。
 ラブホテルは防音がしっかりしているのでこれ幸いと話しに乗り、女性に付いてくるように目で伝えると、彼女は驚いた顔で、けれど怪訝そうに付いてきた。
 名は体を表すという。もちろん必ずというわけではない。もしや水属性かと推測し、擬人式神をけしかけた。水属性なら水が呼応する。外れていても、土属性ならホテルが揺れ、火属性なら火の気がないので変化はない。もし稀な風属性なら室内の空気が反応する。火天を発動させても良かったのだが、下手をすれば大惨事だ。仕方ないとはいえ、未成年とラブホテルに入ったことだけでも宗一郎に恰好のネタにされるのに、火事なんぞ起こした日には一生頭が上がらなくなる上に、さすがに閃に殴られそうなのでやめておいた。
 美琴がシャワーを浴びている間に正体を明かし、五十音表を向けると、女性は美琴の祖母だと名乗った。
 美琴の霊力のことや京都行きのことを手短に伝え、話を聞いた。祖母が示したのは、母親、暴力、お金。その三文字だけで、美琴が何故こんな真似をしているのか理解できた。祖母は実に悲しげに、深々と頭を下げた。よろしくお願いします、と。
 話をしている間の美琴の反応は、祖母の話しは間違いないだろうと判断するに十分だった。
 あの日から今日までの四ヶ月間、宗一郎と話し合った上で神戸方面の仕事を全て回してもらい、直接祖母から報告を受けた。だが頻繁にというわけにはいかないので、定期的に閃を向かわせた。
 正直、もっと時間がかかるか、あるいは断られるものだと思っていた。けれど予想と反して、突然かかってきた電話はかなり切迫したものだった。
 ホテルの屋上から閃に乗って向かったはいいが、以前タクシーで送ったので場所は分かっても、どの棟かまでは分からなかった。電話を聞く限り、母親が抱える負の感情はかなりのものだ。近くまでいけば邪気を感じるだろうと思っていたが、感じるより先に、祖母が誘導してくれた。
 母親を取り押さえ、話し合いをし、あの部屋を出るまで。祖母はずっと、母親と美琴を悲しげに、痛々しげに、そして申し訳なさげに見つめていた。
 ホテルで、祖母は言った。美琴に、自分が側にいることを教えないで欲しいと。自分が側にいると知れば京都にはいかないから、傷付けたくないからと。
 彼女は、美琴と母親が離れることを望み、そして自身は母親を――娘を見守ることを選んだのだ。
 母親に訴えた美琴の主張を聞く限り、祖母の懸念は間違っていない。祖母が側にいるという現実は、美琴にとって何にも代えられない救いであり、希望なのだ。それが例え見えなくても、大好きな祖母が自分ではなく母親を選んだのだと、分かっていても。
 さらに言うなら、母親から暴力を受け続ければいつか霊力が暴走し、あるいは悪鬼を生み出して殺害しないとも限らない。美琴は、決して癒えない傷を負うことになる。
 それだけは、どうしても避けたかった。陰陽師として、人として。だから祖母の頼みを引き受けた。
 彼女には、あまり長くこの世に留まらないようにと忠告してある。けれど母親のあの様子では、浄化したとはいえ未練が断ち切れるのは、もっと時間がかかるだろう。
 できることなら、自我をなくす前に旅立って欲しい。そう、願うことしかできない。
 酷く切なくて、健気で、やるせない。必死に声を押し殺す美琴のそんな泣き声を聞きながら、明は前を見据えた。
 ――幸せになってね。
 決して聞こえるはずのない、死者の声。けれど、微かだが確かに届いた。
 祖母の最後の願い。美琴の勇気。決して、無駄にするわけにはいかない。
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