第2話

文字数 4,178文字

 午後八時、早々に食事を終わらせた大河(たいが)はすぐに入浴を済ませ、自室に戻った。
「タイムリミットは十二時だからね」
 と(いつき)が念を押したということは、その時間になったら暗記テストをするつもりなのだろう。あと四時間で真言を五つ。調伏などの真言と違って後半部分だけだ。何とかなる、と言うか何とかしないと何かされる。
「と、その前に」
 ベッドの端に腰を下ろし、携帯を手に省吾(しょうご)のアドレスを呼び出す。この時間なら食事が終わってくつろいでいるはずだ。コール三回で繋がった。
「あ、もしもし俺」
「ああ。何だ、もうホームシックか?」
 そう来ると思った。大河はベッドの奥へと移動して、壁に背中を預けた。思った通りの反応に安堵を覚えたが、悟られるとさらに茶化される。
「そんなわけないだろ」
「じゃあ何だよ」
「何だよって何だよ。お前が心配してると思って連絡したのに」
「別にしてない」
「何だよ、可愛くないな」
「お前に可愛いとか思われても嬉しくない」
「あっそ」
 一瞬沈黙が流れ、同時に噴き出した。互いに素直になれないのは、どこか妙な照れ臭さがあるからだろうか。島を出てまだ一週間しか経っていないのに、省吾の声と遠慮のないやりとりが懐かしいと思う。
「元気か?」
 少し落ち着いた声色で問うと、ああ、とそっけない返事が返ってきた。
「お前は?」
「うん、元気」
宗史(そうし)さんと(せい)さんは?」
「元気だよ」
「お前、なんか迷惑かけてないだろうな」
「か、かけてない」
「嘘だな。何やらかしたんだ」
「やらかすって言い方やめろよ。まあ、間違ってないけど……」
「ほら見ろ」
「わざとじゃないっ」
「当たり前だ。わざとやらかしたら救いようがないだろ」
「ひっでぇ」
「自分で選んだんだろうが。甘えんな」
 ぴしゃりと指摘され、大河はうんと口角を上げて頷いた。
 昼間に昔のことを思い出したせいで、少しナーバスになっているのだろうか。聞き慣れた声と、幼馴染みゆえの忌憚のなさが、酷く落ち着く。
「あ、そうだ」
「え?」
独鈷杵(どっこしょ)だったか。おばさんから聞いてお前んち家探ししたんだけど、どこにもないんだよ。何かそっちでヒント見つかったら連絡しろ。探すから」
「探してくれたんだ。ありがとう、ごめん迷惑かけて」
「いいよ別に。高い場所とか、おじさんたちじゃ危ないしな。でも、屋根裏まで捜してないってことは、どこか別の場所じゃないのか?」
「別の場所って、外ってこと?」
 外と言われても、家の周りはただの山と畑ばかりだ。独鈷杵を千年以上も隠しておける場所なんてないはずだが。
「ああ。あの辺一帯、お前んとこの所有地だろ。裏山も……」
 何か気付いたように言葉を切った省吾に、大河も気付いた。
「御魂塚!」
 弾かれたように壁から背を離し、同時に叫んだ。
「そうか、気付かなかった。前に行った時は塚しか見てないから、もしかしたらあの辺に何かあるのかも」
「他人が入れる場所には置かないだろうし、可能性はあるな。明日おじさんたちに言って案内してもらう。お前、明日はいつ頃連絡取れる?」
「明日は一日中独鈷杵の訓練するから、いつでもいいよ」
「独鈷杵あるのか?」
「うん。宗史さんが昔使ってたやつ借りてるんだ」
「そうか。じゃあ探し終わったら連絡するから」
「うん、よろしく」
 ああ、と頷いた省吾の声を聞いて、大河はふっと笑みをこぼした。
 京都と山口。こんなにも離れた場所にいてそれぞれ違う毎日を送っているのに、どうしても省吾には迷惑をかけてしまうらしい。
 省吾はしっかりしているし、頭も良い。けれどもし、もしもいつか省吾が何か困るような時がきたとしたら、誰よりも一番先に手を差し伸べてやろう。そして、絶対に手を離さずにいてやろう。あの時、そうしてくれたように。
「省吾」
「うん?」
「ほんとはさ、話したいこといっぱいあるんだけど、今から真言覚えなきゃいけなくて」
「そうか。じゃあそろそろ切るな」
「うん、また落ち着いたら連絡する」
「分かった。あ、おい」
「うん?」
風子(ふうこ)に連絡したか?」
 う、と声を詰まらせると、省吾が溜め息を漏らした。
「やっぱりか。忙しいのは分かるけど、せめてメッセージくらい送ってやれよ。毎日愚痴聞かされるこっちの身にもなってみろ」
「ご、ごめん。すぐ連絡する」
「そうしてくれ」
「はい……」
 予想はしていたけれど、まさか毎日愚痴をこぼしていたとは。しょうがないな、と大河は覚悟を決めた。長時間は無理だが、できるだけ話を聞いてやろう。
「じゃあな、頑張れよ」
「うん、明日よろしく」
「ああ」
 携帯を耳から離し、少し名残惜しげに通話を切った。待ち受け画面に戻った液晶をじっと見つめ、よしと気合を入れ直して風子のアドレスを呼び出す。何故か自然と正座をして、呼び出し音を数える。一回、二回、三回、四回、五回。風呂かな、と思って切ろうとした間際に、呼び出し音が切れた。
「あ、もしもし? 俺」
 できるだけ平静を装って口を開いた大河に、沈黙が返ってきた。
「風?」
 もしや相手を間違えたか、と携帯を耳から離そうとした時、心底機嫌の悪そうな低い声がぼそりと言った。
「遅い」
 めっちゃキレてる。大河は頬を引き攣らせた。
「ご、ごめんなさい……」
 ここは言い訳をせずに素直に謝るのが得策だ。それにしても、相手が目の前にいるわけでもないのに頭を下げてしまうのは何なのか。肩を竦めて謝罪した大河に、電話の向こう側で盛大な溜め息が漏れた。
「別に、いいけど。あたしも勉強忙しいし、たーちゃんも忙しそうだし。でも……」
 心配した、と言った何とか聞き取れるほどの小声に、大河は相好を崩した。
「うん、ごめん。ありがと」
 今度は小さな溜め息が聞こえた。
「今、何してるの?」
 いつもの声に戻った風子に安心し、大河は足を崩して壁に背を預けた。
「うーん、一言じゃ言えないかな。色々」
「ヒナから聞いたけど、霊符描いてるって。描けた?」
「う、うん、まあ、ぼちぼち……」
「描けてないんだ」
「頑張ってます……」
「たーちゃん、昔から絵、下手くそだったもんね」
「うるさいな。お前だって人のこと言えないだろ」
「たーちゃんよりマシだよ」
「大して変わんないだろ。それより風、お前勉強は? ちゃんと夏期講習行ってるか?」
「行ってるよ」
「俺らの学校だったよな。お前の成績で大丈夫なのか」
「たーちゃんが受かったんだから大丈夫だよ」
「どういう意味だよ! つーかお前さっきからやけに突っかかるな!?」
 ムキになって突っ込むと、風子はけらけらと楽しそうに笑い声を上げた。連絡が遅かった仕返しか。まったくお前は、とぼやきつつも頬は緩む。ふと風子が笑い声を収めた。
「あのさ、たーちゃん」
「うん?」
 あの、と酷く言い辛そうに口ごもる風子に首を傾げる。思ったことをストレートに口にする風子が珍しい。
「どうした?」
「あのね……宗史さんと、晴さんのことなんだけど……」
「うん」
 あの二人がどうかしたのか。
「じいちゃんの、お葬式の時に、あの……」
 葬式と聞いて思い当たった。やっぱりか、と息が漏れる。もごもごと言いあぐねる風子に、大河は言った。
「いいや特にって言ってたよ」
「え?」
「話の流れから葬儀の話になって、お前が何か言ったんじゃないかと思って聞いたら、いいや特にって言ってた」
 京都に行くことを告げた時の風子の言葉を鑑みれば、風子が宗史と晴を責めたことは間違いない。けれど宗史は、いいや特にと言った。それを、晴は否定しなかった。二人の潔さは、風子に伝わるだろうか。
 しばらく沈黙が流れ、風子が迷いのない声で言った。
「たーちゃん、宗史さんと晴さんに、ごめんなさいって伝えてくれる?」
 大河はふっと笑みを浮かべた。
「分かった、伝えとく。けど、会う機会があったらお前からも言えよ?」
「うん、分かってる」
 元々単純で分かりやすい性格だ。省吾とヒナキが何か言ったのか、それとも冷静になって考え直したのかは分からないが、こうして謝罪しようと思ったのなら、次会った時はきっと笑ってくれるだろう。
「風、あのさ、今のところ大体夜は連絡つくから」
 唐突に変えた話題に一瞬間が開いて、風子が落ち着いた、けれど少し寂しそうな声で頷いた。
「うん、分かった」
「つかない時もあるかもだけど、メッセージ入れといてくれれば後で連絡するし」
「うん」
「俺からもできるだけ連絡するから」
「うん」
「だから、あんまり心配するなよ」
 こんな言葉、気休めにしかならない。こんなこと言われても、逆の立場だったら心配するに決まっている。けれど、風子を安心させるための言葉が、他に浮かばない。
 しばらく沈黙が流れたと思ったら盛大に溜め息をつかれ、風子がまくしたてた。
「たーちゃん、あたし受験生なんだよ? 夏期講習だってあるし、夏休みの宿題もあるし、友達と遊ぶ約束もしてるし、盆踊りの手伝いとか浴衣も出して干さなきゃいけないし。やることたくさんあって忙しいの。さっきは心配したって言ったけど、別に心配ばっかりしてるわけじゃないからね?」
 合間に小さく相槌を打ちながら、風子の虚勢を張った言い訳を聞く。普段ならば可愛気がないなと思うけれど、今はその強気な性格に、救われた気がした。
「そっか、それならいい」
「あっ、でも連絡はちゃんとちょうだいよ!」
「分かってるって」
 慌てて念を押した風子に、大河は声を殺して笑った。
「じゃあ、そろそろ切るな。今から真言覚えなきゃいけないんだ」
「うん。頑張ってね」
「お前もな」
「うん、じゃあね」
「ああ」
 大河は携帯を耳から離し、液晶をじっと見つめた。「通話中」の表示は、まだ変わらない。大河は一瞬目を伏せ、通話を切った。
 長く息を吐き、よしと一人ごちる。
 ベッドから下りて椅子に腰を下ろす。昼間、(しげる)が書いてくれたメモを引き寄せ、マル印が付いているものから目を通す。
 すぐに、ぶつぶつと呟く大河の独り言が、部屋に響きはじめた。
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