第6話

文字数 2,094文字

「あの、晴兄さん」
「うん?」
 大丈夫かと嘆息する晴に、陽が携帯を弄びながら言った。
「僕、ちょっと気になることがあるんですけど」
「ん。何だ?」
 頭の出来は自分よりはるかに良い。横目で見やると、陽が眉尻を下げて振り向いた。
「大河さんと春平さん、喧嘩でもしたんですか?」
 思いがけない質問に、つい苦い顔になった。後部座席で志季が振り向く。
「何でもねぇよ。気にすんな」
「あんなあからさまなの、何でもない方がおかしいです」
 心持ち身を乗り出して反論され、晴は息をついた。陽に弱いのは明や志季だけではない。けれど――。
「陽。今は人のこと気にしてる場合じゃねぇだろ」
 真っ直ぐ前を見据えて言い放った言葉に、陽が顔を強張らせた。視線を落としてゆっくり身を引き、しゅんとして前を向く。少し言い方がきつかったか。
 後ろで、志季がやれやれといった顔で密かに溜め息をついた。
「すみません……」
 ぽつりと返ってきた声はすっかりしょげていて、晴はうっと息をのんだ。これが計算ではないのだから質が悪い。勘弁してくれ。
 八つも年が離れていて、赤ん坊の頃から面倒を見てきた。もっぱら栄晴や明の手伝いだったけれど、栄晴が殺害され、明が当主の座に就いてからは主に世話をするのは自分だった。さすがに参観日や保護者会は明の役目だったが、教科書やノートをはじめ、進級するたびに学校の持ち物全部に名前を書いたり、宿題を見たり、翌日の支度や保護者宛てのプリントの確認、遠足のおやつ選びに修学旅行の準備。陽に言えないことも色々してきたけれど、なかなかできた兄だと思う。
 兄弟のような、親子のような、不思議な感覚。
 晴は短く息をついた。鬼代事件が起こるまでは頻繁に寮に行っていたから、疎外感を覚えているのかもしれない。
「終わったら話してやるから、今はこっちに集中しろ」
 結局譲歩した晴を、陽が勢いよく振り向いた。
「はいっ」
 大河に甘いんじゃないかと言った手前、絶対に宗史だけには知られたくない。満面の笑みで頷いた陽にますます自分が情けなくなって、つい溜め息が漏れた。
「そうだ。夕飯、どこかで食べますよね。調べておきますね」
「おお、頼む」
 あの辺って何があるんだ? と志季が現金にも顔をのぞかせた。
 山口へ出発する前日。陽と一緒に、宗史から影綱の日記のことで報告を受けた。柴の寿命が近いのではないか、と。
 初めて向小島へ行った時、影正は影綱と柴が再会した時のことをこう語った。
『戦での怪我もすっかり治った頃、あの山の同じ場所で柴と再会した。やはり彼も参戦していたのか、ところどころ傷跡が残ってはいたが、とにかく元気そうだった』
 と。日記との差異もなかったそうだ。
 人である影綱の怪我はすっかり治っているのに、鬼である柴の怪我が完治していないのは不自然なのだ。影綱は軽傷で、柴の受けた傷が深かったと解釈もできる。しかし、必要以上の戦闘を避けていたとはいえ、鬼の集団と交戦して軽傷で済むとは思えない。それに、戦が終わって数日で山へ入ろうとは思わないだろう。必ず残党を警戒する。となると、戦からかなりの日数が経っていると解釈する方が自然だ。廃ホテルや向小島での戦闘を鑑みると、鬼の治癒力はかなり高い。それなのに、柴は完治していなかった。
 そこから導かれた答えが、寿命が近いのではないか、というものだった。寿命が近いからこそ、治癒力も落ちている。人と同じだ。
 人を基準に考えるのもどうなのかと思ったが、結果は是。だが、柴の言う通り、二十代くらいにしか見えない彼の容姿を見る限り、人と比べれば寿命はもっと先だろう。
 ここまでは、陽も知っている。
 あの日、宗史は日記の話と、大河に標的になっていると教えたことを報告したあと、一旦電話を切った。そして五分ほどして、もう一度かけてきた。
 春のことを相談された、と。
 陰陽師歴が長い春平と、たった半月の大河。二人の関係は、明と晴によく似ているのだ。違うのは、それぞれの価値観と出した答え。
 わざわざ一度切ったのは、陽に聞かせたくなかったからだろう。
 こんな状況で、仲間内に溝ができているなんて不安要素にしかならない。ましてやそれが二人の兄と関係が似ているなんて、ますます不安を煽るだけだ。
 長男より次男の方が陰陽師としての資質がある事実は、禁句のようなものだった。だからそれを知っていたのは、陽と桜以外の両家全員。名前の順が逆であることに疑問を持っていたとしても、資質について陽が気付いているかいないか、はっきりしていなかった。だから宗史は、気付いていると仮定した上で気を使った。
 結果的には気付いていたし、大河と春平のことを話すと約束してしまった。だからといって、わざわざ自分がどう思っていたかなど話す必要はないし、話すつもりもない。むしろ気付いているだろう。兄の弱さに。
 察しがいいってのも考えもんだ。
「そばもいいけどカレーも捨てがたいな」
「ベタにカツ丼とか?」
「おー、いいねぇ。縁起担ぎは大事だぜ」
 あれこれ盛り上がる二人を一瞥して、晴は苦笑した。もしやとは思うが、志季も一緒に食べるつもりなのだろうか。
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