第12話

文字数 3,165文字

 鬱蒼とした雑木林の斜面にはシダ植物が生え、石段や参道に延びた木の根は苔生し、所々に外灯とベンチが設置されている。登るにつれて濃くなる、嗅ぎ慣れた土と緑の匂い。先程まで照りつけていた日差しは枝葉に遮られ、木漏れ日となって地面に降り注ぐ。時折吹くやや涼しい風が枝葉を揺らし、地面に落ちた光が躍った。
 木々の囁きと蝉の声。そして三人分の砂を擦る足音だけが、参道に響く。
 黙々と進んでいると、突然行く手をロープが阻んだ。長い階段の一番下。脇に植わった木の幹から手すりを経由して逆の木の幹へと渡されており、何やら書かれた半紙がぶら下がっている。腰をかがめて覗き込む。
「非公開特別神事のため、この先進入禁止?」
「閉鎖するために、適当な理由を付けたんだろう」
 言いながら宗史はロープをまたぎ、左近はひょいと跳ねて飛び越えた。なるほど。神社という場所柄、不自然ではない。続けてロープをまたいで先へ視線を投げると、今度は巨木が目に入った。
 近付くにつれ、首が後ろへ傾く。
「でかっ」
 写真で見るより遥かに太くて高い。まさにそびえ立つという表現がぴったりなほど天高く真っ直ぐ伸び、幹も太い。両腕を広げた大人何人分だろう。「麻呂子親王御手植の杉」と書かれた古びた立札、根元は苔が生え、しめ縄が巻かれている。聖徳太子の弟の麻呂子親王(まろこしんのう)が直接植えた杉で、元々三本あったらしいが、落雷などで枯死して、今はこの一本だけだそうだ。
 目をまん丸にして、仰け反るように仰ぎ見る大河に、宗史が短く笑った。
「樹齢千年以上だからな」
「聖徳太子の時代なら、柴と紫苑より年上だよね」
 もう千年以上とか聞いても驚かなくなってしまった。平然と返した大河に、そうだなと宗史が笑った。
「行くぞ」
「あ、うん」
 すぐ側の、申し訳ないが水たまりにしか見えない「真名井の池」をチラ見して階段を上った先には、これまたど真ん中に枯死したと思われる杉の木の切り株が鎮座し、左へ道が別れている。
例の三本のうちの一本と思われる切り株には、やはりしめ縄が巻かれ、苔にびっしり覆われ、そして、真ん中に開いた穴から見上げるくらいまで成長した若木が生えている。古木を苗床にして、新たな命が育まれているのだ。この若木もいつか巨木となり、同じように見上げられる日が来るのだろう。
 元気に育てよと何故か親の気分で語りかけ、後ろ髪を引かれる気分で分かれ道を通り過ぎる。この奥には、厄除けの神が祀られた御門神社と、石で叩くと鐘の音がする「カネのなる石」がある。一瞬「金の成る石」と漢字変換してしまったことに自己嫌悪したのは内緒だ。
 さらに階段を上った右手にある手水舎で口と手をお清めし、またしても階段を上ってやっと境内に到着した。位置はやや右側のため、ここからでは本殿は見えない。
 薄暗い参道から開けた境内は眩しくて、大河は目を細めた。
 階段の左脇から、旧御守りや神札を納める小さな納所、舞殿、授与所兼社務所、本殿への階段を挟んで斎館(さいかん)、そして休憩所が、広場を囲むようにして設けられている。手水舎もそうだが、全てが今にも倒壊しそうなほど年季が入っていて、ちょっと心配になる。授与所がまだマシなくらいだ。
 島の神社もそうだけど、と向小島の古社を思い浮かべながら、さっさと授与所へ向かう宗史と左近を追いかける。
「宗史」
 不意に、左近が呼び止めて立ち止まった。大河と宗史が半歩先で足を止め、左近の視線を辿る。拝殿の前に、装束姿の男性が一人、佇んでいた。ここの宮司だ。真摯に、静かに、けれどとても切実な空気を纏った背中に、大河は唇を引き締める。
 誰からともなく、黙ってそちらへ向かう。
 組まれた石垣は苔生し、灯籠を両脇に携えた階段の上には鳥居が建っている。全国的にも珍しい原初的な様式のもので、ここを含めて数カ所しか存在しない「黒木の鳥居」だ。樹皮がついたままの丸太で作られているため、所々、枝を切り落とした跡が見受けられる。最近建て替えられたのか、傷んでいる様子もなく、苔も生えておらず綺麗だ。階段を上り切る前に一礼し、足を踏み入れる。とたん。
「うわ……」
 思わず声が漏れた。確認した案内図は、イラストではなく味もそっけもない図形のようなもので、写真も一部を写したものだからいまいちぴんと来なかった。だが実際に見ると、ちょっと圧倒される。
 一面砂利が敷き詰められた敷地。正面には、階段を上った先に、菊花紋章の白い神前幕が掲げられた拝殿と、奥に茅葺屋根の本殿。左右には脇宮。右が天手力雄命(あめのたぢからのみこと)。天照大御神が天の岩屋に隠れた時、扉をこじ開けたことから技芸上達、スポーツ向上などの神とされている。そして左が栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の母神であり、織物の神、安産、子宝の神として信仰されている。そして、栲機千々姫命の宮の後ろに立っているものすごい存在感を放つ古木が、龍灯の杉だ。樹齢二千年と伝えられる御神木で、節分の夜、丑三つ時に龍王が天照大御神に捧げる神灯を灯しに来るという、何とも神秘的な伝説がある。
 それらの周囲をぐるりと囲む形で、まったく同じ形をした小宮がずらりと並ぶ。天照大御神ゆかりの摂社や全国の一宮(その地域で一番格式の高い神社)など、全部で八十余りあるらしい。他には、参道を挟んで左側に記帳所、もう一本の龍灯の杉。奥に祓殿、右側に三女神社がある。
 大河はごくりと喉を鳴らし、姿勢を正した。四方八方から、神々に見定められているような感じがする。
 よほど集中していたのだろう。三人が一歩足を踏み出し、砂利を擦った音でやっと気付いた宮司が、顔を上げて振り向いた。六十代くらいだろうか。眼鏡をかけている。宮司は「あっ」と口の中で呟き、階段の上まで小走りに駆け寄ってきた。
「申し訳ありません、気付かなくて」
 階段を上りながら会釈を交わし、宗史がいえと笑顔を返した。
「先によろしいですか」
「はい、もちろん」
 宮司が横へ避け、手を差し出して招き入れる。こちらも石畳ではなく砂利道だ。神前幕をくぐり、賽銭箱の前で横一列に並んで立ち止まる。外観はかなり古く色褪せているのに、中は綺麗だ。十年以上前に本殿の大改修を行ったとあったから、その時に一緒に改修したのだろうか。
 普通に二礼二拍手一礼でいいのかな、と思いながらこっそり横目で宗史を見やると、その向こう側の左近がおもむろにしゃがんで片膝をついた。まるでそこに天照大御神がいて、何か語りかけるようにじっと奥の御扉(みとびら)を見つめたあと、恭しく頭を垂れた。
 何ごとかと思って固まっていると、宗史が小声で言った。
「天照大御神は、左近にとって祖父の兄妹に当たる」
「えっ」
 つい驚いてしまい、慌てて口を塞ぐ。
「……そうなんだ」
 声を潜め、改めて拝殿に向き直る。詳しいことはあとで聞くとして、言われてみれば、神とはいえ何もないところから突然ぽろっと生まれたわけではないだろう。親がいて当然だ。二礼二拍手し、いつもお世話になっておりますありがとうございますと礼を告げ、一礼して再び拝殿を見上げる。
 と、爽やかな風が緩やかに吹き込んで、神前幕を揺らした。
運ばれてくる、土と、緑と、古い木の匂い。蝉の鳴き声と木々のざわめきに、大河は目を閉じて耳を澄ます。
 囁くような葉音は次第に人の声へと変わり、ざわめきになる。楽しげな笑い声に交じって、これはお祭り――いや、神楽だろうか。唄と笛の音が聞こえる。
 古墳時代に建立されたと伝わる、元伊勢内宮皇大神社。古に生きた人々の思いや願い、そして祈りが地層のように幾重にも積み重なり、時を越えて受け継がれ、今もここにある。
 大河はゆっくりと息を吐き出し、瞼を持ち上げた。
「いいか?」
 宗史に問いかけられ、大河は真っ直ぐ前を見据えて頷いた。
「うん」
 もう一度、微かに吹いた風が頬を撫でた。
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