第2話

文字数 2,534文字

「夏也ね……っ」
「弘貴!」
 顔を真っ青にして駆け寄ろうとした弘貴目がけて、横から触手が伸びた。春平がとっさにTシャツを掴んで力任せに引き寄せると、目の前ぎりぎりを触手が素通りした。あっという間に収縮する触手を視線で追いかけ、雅臣に目を止めて弘貴が盛大に舌打ちをかます。ゆっくりとした足取りに、余裕の表情。
「体術は激弱のくせして、マジであいつアレだな。虎のころ」
「虎の威を借る狐」
 そんなつもりはないのだろうが、ふざけている場合ではない。弘貴も分かっているのだろう。二度目の「そうそれ」と頷きながらも、顔は至極険しい。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。尖鋭鋼氷(せんえいこうひょう)堅忍不撓(けんにんふとう)穢澱貫滅(あいでんかんめつ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 神苑から高らかに夏也が真言を唱える声が響き、春平は横目で様子を窺った。
 顕現した氷の針が、犬神目がけて空を切った。弾丸のように降り注ぐ氷の針の隙間を器用に縫い、轟音の中、夏也との距離を縮める。しかし抜け切る直前、一本の針が胴体に直撃した。ギャンッ! と野太い悲鳴が上がる。
「シロっ!」
 真緒が声を上げ、その隙を狙って放たれた華の一蹴が見事に横っ腹に命中した。ぐっと一つ呻きながら横滑りする真緒へ、華が容赦なく霊刀を向けた。真緒がぎりっと歯を食いしばって痛みに耐え、まなじりを吊り上げる。
「シロに酷いことしないでよ! 絶対許さないんだから――――っ!」
 うりゃあ! と雄叫びを上げて、真緒が再び霊刀を振り上げた。硬質な剣戟の音が神苑に響く。
「酷いことをしているのは貴方たちです。やりましたか」
 怒っているのだろうが、どうにも緊迫感がないというか迫力に欠ける真緒の雄叫びに、火玉を顕現した朱雀の背後で夏也が無表情のまま律儀に突っ込んだ。だがその表情が、すぐに驚きに変わる。
 もうもうと上がる土煙の中で、犬神を貫いた氷の針がすうっと溶けたと思ったら、ぽっかり開いた穴から無数の触手が伸びた。互いに絡み合い、傷が修復されてゆく。
 夏也がふむと一つ唸った。
「少し縮んだようですが、調伏するか燃やし尽くすしかないようですね」
 修復もそこそこに、犬神が前足を伸ばした。後ろへ横へと飛び退きながら避ける夏也へ、ぱかっと開いた口の前に黒い塊が形成され、大砲のように勢いよく空を切った。放たれた朱雀の火玉が捕らえ、轟音が鳴り響く。上がる煙の中から触手が伸び、黒い塊を携えた犬神が飛び出した。目の前に火玉が降り注いで急停止し、朱雀へ向かって尻尾を伸ばす。夏也が地面を蹴るが、すぐに触手が伸びて行く手を塞がれた。
 朱雀が犬神の気を逸らし、夏也が術を仕掛ける作戦なのだろうが、犬神が想像以上に敏感に反応してなかなか隙が生まれないようだ。
 黒い塊を放つごとに、犬神の体積が減っているように見える。融合した悪鬼を塊として放っているのなら必ず限界はあるし、夏也は身軽だ。しかし、あのままでは体力が先に尽きる。
 一方、こちらを向いていた真緒は、霊刀を大きく振りかぶり華に駆け寄った。ギンッと甲高い音を響かせて霊刀が交差する。そのまま霊刀を支えにして飛び跳ね、くるりと一回転して華の頭上を飛び越えた。体重をかけられた華はぐっと唸って顔を歪め、不本意にも全身で真緒を支えた。霊刀が離れ、振り向きざまに霊刀を薙ぐが真緒には届かず、しかしすぐに再び霊刀が交わった。
 春平と弘貴は、うねうねと蛇のようにうねる触手を背負い歩み寄ってくる雅臣を睨み付け、少しずつ後ずさった。
 やはり取り憑いている悪鬼をどうにかしなければ。しかし、おそらく先と同じ方法は通用しない。何か手を考えなければ。
「可哀想にな」
 広場から出て、雅臣がふと足を止めた。つられるように、春平と弘貴も神苑の中程で立ち止まる。
 ――可哀想?
 ちらりと華と夏也を一瞥し、再びこちらへ戻したその眼差しが何故か同情めいていて、春平は眉をひそめた。
「望んでもいないのに、こんな戦いに参加させられて。可哀想だな」
「はあ?」
 弘貴が心底不快そうに眉を寄せた。
「何言ってんだ、お前らのせいだろうが!」
 今にも噛み付きそうな勢いで言い返した弘貴に、雅臣が目を丸くしてしばたいた。
「何だ、気付いていないのか」
「ああ!?」
 俺にやられといて偉そうに、と歯ぎしりをする弘貴とは反対に、春平は真意を探るように雅臣をじっと見据える。話が見えない。何が言いたいのだろう。
 雅臣が呆れ気味に溜め息をついた。
「昴さんから聞いていたが、ほんとにのんきなもんだな」
「てめぇ、さっきから……っ」
「お前たちは集まったんじゃない」
 弘貴の声を強く遮った言葉に、思考が止まった。
「当主二人によって、故意に集められた。戦わせるためにな」
「――え?」
「は?」
 目をしばたいた二人に、雅臣がふんと鼻を鳴らして笑った。
「現代において、陰陽師の数は圧倒的に少ない。数少ない貴重な陰陽師が、五年間で自然と十一人も集まるわけないだろ。故意に集めないと無理な数だ。ましてや、青山華以前に、両家が陰陽師を抱えていた形跡がないのならなおさらだ。少し考えれば分かる」
 言葉の意味を理解しようと難しい顔をした弘貴と、意味を理解して唖然とする春平に、雅臣は口角を持ち上げた。
「もっと詳しく言ってやろうか? 両家の当主のどちらか、あるいは両方がこの事件を先見し、事件が起こると知った上で、戦わせるためにお前たちを集めたんだよ。数が少ない貴重な存在だなんて言われれば、誰だって嬉しいだろ。自分は特別なんだって思うだろ。そうやって優越感を与えて、プライドと責任感を持たせたんだよ。仲間を守るための力がある、だから戦わなければならないと思い込ませて、強制参加させるためにな」
 心臓が、どくんと大きく脈打った。故意に集められた。戦わせるために――。
「……違う……」
 じわじわと湧いてくる不信感に反抗するように、口の中で否定する。
 確かに、雅臣の言うことは筋が通っている。でもきっと違う。戦わせるために故意に集めるなんて、そんなことを宗一郎と明がするわけない。先見なんてしていない。
 ――本当に?
 不意に、自分の声が冷静に問い掛けてきた。
 ――本当にそうかな? よく思い出して。彼の言うことに、心当たりはない?
「心、当たり……」
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