第4話

文字数 7,631文字

 寮を出てしばらくすると、春平(しゅんぺい)の携帯に(はな)から連絡が入った。
香苗(かなえ)ちゃんから電話があって、鬼に襲われてるって! 児童公園! すぐに向かって!」
 後部座席の大河(たいが)たちにまで届く声でそう言い放たれ、華からの連絡は切れた。
「何!?」
「何だって!」
 影正(かげまさ)(しげる)が口々に叫ぶ。
「鬼って、まさか……」
 (さい)紫苑(しおん)の姿が浮かんだ。大河はシートベルトを外し運転席と助手席の間から顔を出した。
「春、どういうこと」
 春平は携帯をいじりながら言った。
「分からない。とにかく行かないと。って、しげさん、近くの児童公園じゃなくて、もう一つの方です。裏手に木が茂ってる」
「あっちか。分かった!」
 向かう方向は同じらしく、茂はアクセルを踏み込んだ。
「春、それGPS?」
 春平の携帯には、青色の丸い印がいくつか付いた近所の地図が表示されていた。
「そう。緊急時用に、宗史(そうし)さんと(せい)さんを含めた全員が設定してるんだ」
 悪鬼の恐ろしさは大河も身に沁みている。哨戒中に危険な目に遭うこともあるだろうし、ましてや学校で凶悪な悪鬼に襲われれば太刀打ちできない時もあるのだろう。
 へぇ、と感心したように大河が覗き込んでいると、茂が険しい顔で言った。
「すみません、予定が変わります」
「いえ、わしも多少ですが術が使えます。何かのお役に立てるかと」
「ああ、協力していただけると助かります。何せ、相手が鬼ではさすがに……」
「ええ……」
 鬼と一戦の経験があるのは大河と影正だが、大河は戦力外だ。しかも今回は、術者が五人揃っているとは言え、宗史や晴、式神はいない。あのメンバーでさえ太刀打ちできなかった相手に、他の術者たちがいくら頭数を揃えても敵うとは思えない。
「なぁ、双子を連れて散歩に行ったにしては、寮から離れ過ぎてない?」
 じっと春平の携帯を覗いていた大河が首を傾げた。
 香苗と昴であろう二つの青丸と、華たちであろう五つの青丸の距離がかなり離れた位置にある。五歳児を連れての朝の散歩にしては距離があり過ぎるように思えるが。
「近くの公園、あんまり遊具がないんだよ。だから少し遠いけどこっちの方まで足を延ばすことがあるんだ。夕方は絶対に行かないけど」
「何で?」
「悪鬼の活動時間が、夕方からの方が活発になるんだ。闇に紛れられるからって理由らしいよ」
「なるほど」
 華も同じことを言っていたが、そう言う理由か。人間の犯罪も夜の方が多いイメージだ。それと似たようなものなのだろう。
「でも、じゃあ何で今日に限ってこんな朝から?」
「そう、僕もそれを考えてた。朝九時の住宅街の公園なんて、人が集まりやすい時間帯なのに。ただ、あの公園、裏手に木が茂り放題でちょっとした林になってるんだ。土地の持ち主が放置してるらしくて。そこに追い込めば人に見られなくて済む。けど、朝に襲う理由にはならないんだよね」
「確かに。確実性なら夕方の方が高いよな」
 推理に詰まって唸った二人に、茂が口を挟んだ。
「二人とも、詮索は後だよ。もうすぐ到着する」
「大河、お前は香苗ちゃんと一緒に双子を抱えて逃げろ」
「うん、分かった」
 ここで、何で俺だけ、と駄々を捏ねるほど自分の立場が分かってないわけじゃない。どう考えても、術を行使できない大河は邪魔になる。それならさっさと退場して、あとから来る華たちへ状況を説明する役を買うのが正しい。素直に頷いた大河に、影正が満足気に頷いた。
 茂が車を路肩に停めた。
「着いたよ」
 公園の入り口がある大通りではなく、横道の路地だ。公園と林のちょうど境目。歩道との間に低い柵が設けられてはいるが、この高さなら簡単に越えられる。歩道に枝が飛びださないように定期的に刈られているのだろうが、柵の中は好き放題に伸びた枝や雑草が茂り、奥の様子は見えない。地図を覗いた限りでは公園の二倍ほどの広さがあった。だが、鬼を相手にしているにしては静かすぎる。
「駄目だ見えない。中に入らないと」
 エンジンが止まる前に、そう言いながら春平がドアを開けて飛び出した。続けて大河と影正も飛び出し、茂も後を追う。
 大河と春平がひょいと柵を飛び越え先行した。その後を影正と茂が続く。
 うちの裏山の方がマシだ、と思うほど中は荒れ放題だった。外から放り込まれたであろうコンビニのゴミや、不法投棄された家電、自転車、タイヤやホイールが散乱し行く手を塞ぐ。しかも伸びた枝に茂った葉が光を遮り薄暗い。こんな中で昴と香苗は双子を守りながら鬼を相手にしているのかと思うと気が急く。
 鬼に気付かれないようにするため、大声で名前が呼べない。とにかく何かしら向こうに動きがあればすぐに分かるのだが、本当にここが現場なのかと思うほど静かだ。
 まさか、と最悪の事態が脳裏をよぎり、大河は頭を振った。これだけ見通しの悪い場所だ。きっとどこかに身を潜めているに違いない。
 息を潜め、耳を澄ませ、目を凝らして周囲の動きに神経を集中する。外を走る車の走行音と、一歩進むごとにカサカサと乾いた音を鳴らす雑草が邪魔だ。
 と、目の前の木の陰から勢いよく人影が飛び出してきた。思わず身構えて体を強張らせる。
「あ……」
 小さく呟いたのは、息を切らし、体中擦り傷だらけの昴だ。後ろに双子と手をつないだ香苗の姿も見える。
「昴さん! 香苗ちゃんと双子も! 良かった無事だった!」
 春平が叫んで四人に駆け寄ろうとしたその時、影正と茂が突然真横に飛び出した。
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(ていたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)!」
 大河たちを背にした影正と茂の真言を唱える声が重なり、それぞれが印を結んだ手の前に五芒星が浮かんで現れた。
 目の前に二つの結界が並んで障壁を成した瞬間、バリバリッ! と感電に似た衝撃音が火花を散らして響き、結界を揺らした。うわっ! と大河たちが一斉に身構えて声を上げる。
「く……っ」
 影正と茂は歯を食いしばって衝撃に耐えるが、踏ん張った足が地面を擦りながら後方へと押しやられる。何かがものすごい勢いでぶつかってきたようだ。
 大河は思わず顔の前に上げた腕を下ろす。覗き見るようにしてそろそろと見えた光景に、大河は目を見開いた。
 何とか耐えたのか、五芒星は目の前で輝いている。だが、その向こう側。結界の数メートル向こう側には、背の高い男が佇んでいた。全身黒づくめにざんばらな真っ白な髪。だが顔つきは若い。頭に生えた二本の角と真っ赤な瞳。鬼だ。
「柴でも紫苑でもない……誰だ……?」
 華からの報告を受けた時、真っ先に浮かんだのが柴と紫苑の姿だった。復活した鬼は柴と紫苑の二体だけ。そう、全員が認識していた。では目の前にいる鬼は一体誰なのか。
雑魚(ざこ)どもが雁首(がんくび)揃えてご苦労なことだ。だが、面倒だな」
 誰に語りかけるでもなく独りごちた鬼は、言葉とは裏腹に嬉しそうに口元を歪ませた。
「大河くん、合図をしたら双子をお願い。僕が後ろフォローするから振り向かずに走って」
 春平が小声で耳打ちした。大河は無言で小さく頷き、ゆっくりと双子の側に移動した。香苗とアイコンタクトを取って頷き合い、腰を屈めて大河は蓮を、香苗は藍を抱き上げる。
 蓮は何も言わずすがるように大河の首にしがみついた。小さな背中が小刻みに震えている。悲鳴の一つも上げたいだろうに、必死に我慢しているのが伝わってくる。
 守らなければ。
 自然と使命感が湧いた。この中で陰陽術を使えないのは大河だけだ。ならばせめて、小さな子供を守らなければ。それが今の自分にできることだ。腕の中の小さな体を、大河は少しばかり強く抱きしめた。
 鬼が舌なめずりをしながら、品定めをするように全員の顔を見渡す。と、
「ノウマク・サマンダ・ボダナン――」
「走って!」
 影正が真言を唱える声と春平の声が重なった。
 弾かれるように大河と香苗は同時に地面を蹴り、来た方へと引き返す。その背後で、影正たちの真言を唱える声と共に、どこからともなく閃光が走った。
 真言が唱え終わる前に茂の呻き声が聞こえたが、振り向きたい気持ちを抑えて走る。ここで振り向いても何の意味もないのだ。大河は歯を食いしばり、片腕で蓮を抱え、もう片方の手で枝や雑草を振り払いながら走った。
 それでも払い損ねた枝が頬を切り、不法投棄されたゴミが足を取る。傷の一つや二つ、なんてことはない。だが、足を取るゴミは厄介だ。
 これ捨てた奴恨むからな! と内心で悪態をつくと、後ろで香苗が小さな悲鳴を上げた。
「!!」
 足を踏ん張ると草で滑る。大河は何度か足踏みをしながら振り向いた。草の中に埋もれるように、香苗が仰向けに転がっていた。とっさに体を捻って藍を庇ったのだろう。
「香苗ちゃん、大丈夫?」
 引き返して一旦蓮を下ろし、藍を預かる。
「ごめんなさいっ」
「いいから早く」
 腕を引っ張って立ち上がらせ、蓮を抱え直そうと両手を伸ばしたその時。
「二人とも走ってッ!!」
 昴の鋭い声が飛んだ。弾かれたように顔を上げる。数メートル先から、笑みを浮かべ悠然と歩み寄る鬼の姿。その後ろには、地面に伏した影正たちがいた。
 大河たちが走ってからほんの数秒だ。その短い間に四人の陰陽師を倒したというのか。いや、不思議なことではない。式神である志季(しき)椿(つばき)でさえ敵わなかった鬼だ。陰陽師が四人揃ったところで敵うはずがない。あの素早さで狙われたらひとたまりもないだろう。
 大河は唇を一文字に結んだ。
「香苗ちゃん走るよ!」
「で、でも……っ」
 大河は藍を抱え、影正たちを気にする香苗に押し付けて背中を押した。
「いいから!」
 蓮を抱えながら、走り出した香苗の後を追う。
 影正たちが気にならないわけがない。むしろ、双子を香苗に預けて残りたいくらいだ。だがそれは意味がない。あの時のように(きば)を召喚できる保証はないし、華たちが到着した気配もない。影正も春平も昴も逃げろと言った。走れと。
 このまま外へ出れば人目がある。鬼が避けることを期待するしかない。と、シュッ、と腰の辺りを上から下へ斜めに何かが素早く通り抜けた。
 何だ、と思った瞬間、香苗が何かに押されたように前のめりに転んだ。かろうじて腕を横に逸らしたお陰で藍を押し潰さずに済んだようだが、一体何に押されたのか。
「香苗ちゃん!?」
 見ると、錆びた鉄製のパイプが一本、香苗のスカートを貫通して地面に突き刺さっている。
「な……っ」
 まさかこの見通しの悪い中、スカートを狙ってパイプを放り投げたとでも言うのか。それともたまたまなのか分からない。
 大河は急いで蓮を下ろし、パイプを両手で握って引っ張った。びくともしない。
「んだよ、これっ。どんだけ食い込んでんだ……っ」
 悪態をついてもう一度引っ張る。香苗が体を捩ってパイプの下の方を持ち、横から蓮と藍も手伝ってくれたが、一ミリも動かない。その間も鬼は余裕面でこちらに近付いている。
 しょうがない、と大河はしゃがみ込んでスカートを掴んだ。
「ごめん香苗ちゃん、あとで弁償するから破るよ」
「う、うん」
 パイプを軸にして引っ張り、びりびりと音を立てて破る。これでまた逃げられる。
「さて、鬼ごっこも飽きてきた」
 のんびりとした口調でのたまう鬼の声と無数の葉っぱが、上から降ってきた。
 ぎょっとして顔を上げると、鬼がすぐ目の前に立ち塞がり、深紅の双眸を輝かせて見下ろしていた。頭の上を飛び越えてきたらしい。
「そろそろ終わりにするか」
 一ミリも笑えねぇ、と省吾(しょうご)がいたら果敢にも言い返すのだろう。実際洒落になっていないが、大河にその余裕はない。
 爪が鋭く伸びた手を広げ、上げた腕を後ろに引いた。大河はとっさに双子を両手で引き寄せて香苗と三人、鬼に背を向けて抱え込んだ。柴に噛み付かれた肩の傷が疼いた。きっとあの時より酷い痛みが襲ってくるのだろう。そしてそのまま、もう目覚めることはないのだろう。
 息を詰めてそんな覚悟を決めた瞬間、
「やめろッ!!」
 昴の声が飛び込んできた。ヒュン、と細い何かが空を切る音がして、続け様に昴の呻き声が聞こえ振り向くと、
「え……」
 目の前に、誰かの背中が迫っていた。
 その背中から、手が生えた。大量の血飛沫(ちしぶき)と共に。
 ごぼっ、という何かを吐き出した音と、視界を真っ赤な血が舞い、頬を濡らした。生ぬるい。
 無意識に頬のそれを指で拭う。ぬるりとした感触が、肌を滑った。
 背中から生えた手は、滝のように血を滴らせた何かを握っていた。
 ズ、と生々しい音を立てて拳が引かれ、引き寄せられるようにぽっかりと穴が開いた背中が遠のく。
 拳が視界から消え、背中――影正の体が力なく前に傾いだ。
 どさりと雑草の上に倒れ、開いた穴から流れ出る血液が雑草を赤く染め上げる。
「……」
 大河はその様子を、ただ呆然と眺めていた。
 遠くの方で、ぐちゃぐちゃと生肉を噛むような音がする。耳にフィルターがかかったような、ぼやけた音だ。
 鬼がごくんと喉を鳴らして何かを飲み込んだ。
「ふん。やはり生肝は若いものに限るな」
 じわじわと赤が緑を浸食していく。飛び散った血が、頭を垂れた雑草の先端から粒となって落ちる。鬼の声に交じって、誰かの叫び声が聞こえる。
「まあよい。陰陽師の生肝はそれだけで馳走(ちそう)だ」
 影正お気に入りのグレーのサマージャケットは、赤と交じりどす黒く変色している。大量の血液が留まることなく流れ出て、地面を覆う雑草に邪魔をされて血だまりになっていく。
「さて、次はお前か? それとも女か。子供の陰陽師は貴重だからな、最後に頂くとするか」
 無造作に蹴り上げられた影正の体がごろんと横に転がり見えたのは、ちょうど心臓の位置に開いた穴。鬼は影正の心臓を抉り取り、咀嚼して嚥下した。
 大河は大きく目を見開いた。
「じいちゃ……っ」
「駄目ッ!!」
 思わず手を伸ばした大河を、香苗が後ろから力強く引っ張った。
 後ろから回り込むようにして大河に抱きついた香苗のなびいた髪越しに見えたのは、突然何かを察知し動きを止めた鬼の姿だった。
 鬼は後ろに大きく飛び跳ねた。続けて細長い金属がものすごい勢いで前を横切り向こう側の幹に突き刺さった。みしみしと音を立て、縦に亀裂が入る。
 鬼が完全に着地する前に、真上から茂った枝や葉をものともせずに何かが降ってきた。それを鬼は交差させた腕を掲げて受け止めた。人の形をしたそれは、鬼が押し返す反動で後転し右足で鬼の顎を蹴り上げた。だが鬼は後方へ少しばかり下がったくらいだった。
 一方、鬼を攻撃した人物は、一回転して着地した。
 その立ち姿には、見覚えがあった。
 一瞬の間の攻防に唖然とした。大河から少し体を離してそれを見ていた香苗も、呆然としている。
「立て」
 不意に耳に飛び込んできた声に、二人同時に顔を上げた。側に立つその人物に、また唖然とする。
「……し、おん……?」
 上から大河を見下ろしていた紫苑は、大河の足元に転がる影正の姿を見て一瞬眉を寄せた。だがすぐに、睨み合う主と鬼へと視線を投げる。
「行け」
 低く言い放ち、大河たちの前に立ち塞がる。それはまるで、大河たちを庇っているように見えた。
 大河は影正へと視線を落とし、じっと見つめたまま動きを止めた。行けと言われても、影正は動かない。では、どうやって連れて行けと言うのか。
 そもそも――どうして動かない?
「皆!」
 雑草を掻き分け、木々の間から(いつき)怜司(れいじ)が駆け寄ってきた。
「樹さん、怜司さん」
 腹を押さえ大河の傍まで来ていた春平と、腕を押さえた茂が足を止め二人を振り向いた。地面に伏していた昴が苦しげに体を起こし、茂が肩を貸して立ち上がらせた。
「三匹……!?」
 咄嗟に状況を察したのか、樹と怜司が紫苑を見据えて手の中に霊刀を具現化させ、同時に大河の足元に転がる影正の変わり果てた姿を見て息を詰まらせた。
「樹くん、怜司くん、後で説明する。とりあえず逃げよう」
 すれ違いざまに茂が二人にそう告げ、昴と共に来た道を引き返す。樹と怜司は一瞬顔を見合わせた。
「春くん、動けるね。先に行って」
「でも……」
「いいから」
 樹に早くと背中を押されながら、春平はちらりと大河を見やり、小走りにその場を後にした。
「怜司くんは香苗ちゃんと双子をお願い。僕は大河くんを」
「了解。香苗立てるか? 蓮、おいで」
 呆然と座り込んだまま微動だにしない大河を見やり、香苗は立ち上がって藍を抱き上げる。怜司は首に抱きついてきた蓮を抱え一瞬だけ影正に視線を投げると、振り切るように前を向き直った。大河を気にかける香苗を促し、背を向けた。
「大河くん」
 傍にしゃがみ込んで声をかけても、まるで反応がない。樹は痛々しげに目を細め、右手を振りかぶって大河の頬に打ちつけた。
 左に首を傾いだまま、え? と大河が呟いた。
「立って」
 樹が立ち上がりながら大河の腕を引いて無理矢理立ち上がらせようとするが、体に力が入っていないのかわずかに腰が浮いただけで、動こうとしない。
 と、ガツッ! と骨と骨がぶつかり合う鈍い音が響いた。
「貴様ら邪魔だ! 早く行けッ!!」
 苛立った声で紫苑が言い放つ。弾かれたように大河がびくりと体を震わせ、顔を上げた。紫苑の向こう側では、柴と鬼の攻防が再開されていた。このままここにいては巻き込まれる。
「大河くん、悪いけど今は逃げる方を優先する。立て!!」
 上から大河を見下ろし言い放つと、樹はさらに強い力で腕を引っ張った。
 抵抗する気も、考える気力もなかった。ただ樹に引き摺られるようにして、その場を後にした。
「樹くん! 大河くん!」
 林から出て、樹に背中を押されフェンスを乗り越える大河に、華が駆け寄って手を貸した。華の背後では、縦列駐車された二台のうちの一台の運転席へ、怜司が回り込んでいる。
「僕が運転する」
「分かったわ」
「怜司くん行って!」
 後部座席に押し込まれた大河に続いて華が乗り込んだ。樹が運転席に回り込みながら、怜司へと指示を飛ばす。怜司はすぐに車を急発進させ、樹も乱暴にドアを閉めると間髪置かずにエンジンをかけて急発進させた。タイヤがアスファルトを擦る甲高い音が、周囲に響いた。
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