第6話

文字数 3,142文字

 動画を送り、テレビと携帯を繋いでいたケーブルを外し、引出しにしまってからソファへと移動する。さっそく、樹と怜司が自分の携帯で動画を確認した。
「ね、晴さんは?」
 すっかり留飲は下がった。会合の時の定位置となった宗史の隣に腰を下ろし、いつも通りに声をかける。
「今日はビデオ通話だ。警察が張り付いていることもそうだが、閃と鈴にかなりしごかれて億劫らしい。志季は明さんから一時間ほど説教をされたそうだ」
「ああ、あれね……」
 志季の粗相だ。話を聞いた明が、閃と鈴に頼んで晴へ訓練という名の処分を、やらかした本人は明自らが処分したのだろう。確かに、志季は手合わせなどよりも説教の方が効果はありそうだ。
 まだ張り付いてんのか、しつこいな。と紺野たちの前では決して口にできない文句を横に置いて、大河は苦笑いした。体力に自信がありそうな晴でも、さすがに式神相手では消耗も激しいだろう。いくら使役する式神の失態とはいえ、主も処分を受けるなんて。
「まあでも、あれはまずかったよね……」
 晴には同情するが、家族としてはかなり恥ずかしかった。宗史がしみじみと深く頷き、大河はお疲れ様と二人へ合掌した。
「皆さん、どれがいいですか?」
 お盆を抱えた香苗が、ローテーブル組を見渡しながら膝をついた。160ミリリットルの、小さいサイズの缶ジュースがずらりと並んでいる。
「缶ジュース?」
「おや、どうしたんだ?」
 宗史と宗一郎、つられるように柴と紫苑が身を乗り出して、テーブルに置かれたお盆を覗き込んだ。実は、と香苗が事情を説明する間に大河はつらつらと品定めし、柴と紫苑は、これがかんじゅーすか、ほう、と言いながら眺め回す。
 オレンジやりんごのフルーツジュース、カルピス、野菜ジュースとお馴染みの商品が並んでいる。酒類はともかく、350ミリの缶ジュースは、ペットボトルが主流の今ではよほど注意していないと目に入らなくなってしまった。いつものスーパーで扱っておらず、しかし小さいサイズはあったからと華たち買い出し組が言っていた。このサイズなら藍と蓮も飲みきれる。柴と紫苑にも勧めやすい。それに、小さい分難易度が上がるため、集中力も必要になってくる。いい訓練になるだろう。だが一つ、残念な事がある。
「あれ、炭酸がない」
 炭酸飲料は定番だと思うのだが、売っていなかったのだろうか。大河がこてんと首を傾げると、キッチンから出てきた華があっと声を上げた。
「大河くん、ごめんね。炭酸があると藍と蓮が飲みたがるから」
 そう言って、申し訳なさそうな顔で両手を合わせた華を見て思い出した。小学校に上がった頃だっただろうか。省吾と一緒に炭酸を飲んでいたら、風子とヒナキが飲みたがったのであげようとしたところ、親たちに止められたのだ。刺激が強く、糖分が多いからと。
「そっか。まだちょっと早いですもんね」
 家庭によって差はあるだろうが、藍と蓮が炭酸を解禁されるのはまだ先のようだ。じゃあ、と言って再び缶ジュースを品定めする。
「なるほど、集中力を上げる訓練か。考えたな」
「そういうことなら、私も協力しよう」
 大河がカルピスを選ぶと、香苗からいきさつを聞いた宗史と宗一郎が納得して、本格的に品定めする。
 大河はプルトップを開けて、カルピスを喉に流し込んだ。ダイニングテーブルの方では、怜司たちがジュースを選んでいる。それを恨めしげに睨みながらしぶしぶ野菜ジュースに手を伸ばす樹を気にしてはいけない。野菜ジュースはいいのか、そもそもジュースは甘味なのか、という疑問も気にしてはいけない。
「オレンジやりんごなら飲みやすいんじゃないか?」
 ほら、と宗史が缶を渡すと、二人は受け取りながら首を傾げた。柴がりんごで、紫苑がオレンジだ。
「この、りんごとは、もしや利宇古宇(りうこう)のことか?」
 パッケージの写真を眺めながら尋ねた柴に、もれなく全員が視線を投げた。
「ああ」
 肯定した宗一郎に、全員から「えっ」と驚きの声が上がる。
「見たことがあるか?」
「ああ。一度、口にしたことがある。食べられたものではなかったぞ」
「昔は酸味が強く、花と共に観賞用だったそうだな。今は改良が進み、食用として出回っている」
「そうなのか」
「ねぇ、平安時代にりんごがあったの?」
 樹が興味深げな面持ちで口を挟んだ。
「ああ。平安時代中期に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)に、りんごとして記述がある。現在市場に出回っているのは西洋りんごと言って、ほとんどが明治時代にアメリカから持ち込まれ品種改良されたものだ。それ以前の種は和りんごとして区別され、かなり小ぶりで、献上品にされていた。今は、長野県や滋賀県のほんの一部で栽培され、寺院に奉納されていると聞く」
 へぇー、と一同が長い関心の息を吐く。宗史も初耳らしい。大河が尋ねた。
「わみょう……何とかって?」
和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)。今で言う、辞書だ」
「あの時代にも辞書があったんですね」
 二度目のへぇに小さく笑いながら、宗一郎はプルトップを開けた。
「では、こちらのおれんじは、もしやタチバナなことか?」
 視線が一斉に紫苑へ移動し、宗一郎が缶に口を付けたので宗史が答えた。
「いや、厳密にいうと別物だ。りんごと同じで、明治時代にインドからヨーロッパを経て日本に輸入された。だが、同じ種に分類されているから、認識としてはそれでいいと思うぞ」
「そうか。しかし、タチバナと同じ種ならば、そう美味くないのではないか?」
 苦虫を噛み潰したような顔をした紫苑に、密かな笑い声が上がる。
「相当酸っぱかったみたいだな。オレンジは甘みも強くて美味いぞ」
「……そうか」
 微妙に空いた間に疑心が見えた。首を傾げながらプルトップを弾くようにいじる柴と紫苑のもとへ、香苗が缶を一本持って回り込んだ。こうやって上げて開けるの、と言いながら開けて見せる。
「宗史さん、タチバナって何?」
 大河は隣の宗史を振り向いた。オレンジと同じ種で、かなり酸味が強いらしいことは分かったが、結局のところ何なのだ。
「オレンジよりみかんに近い、日本固有の果物だ。古事記や日本書紀では、三世紀か四世紀頃、垂仁天皇(すいにんてんのう)の命により、田道間守命(たじまもりのみこと)が常世の国から持ち帰った、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)とされている。本当に同じものかは分かっていないけどな。不老不死の力があると信じられていたそうだ」
 また舌を噛みそうな名前が出てきた。
「果物一つに神話があるんだ。えーと、つまり、ときじくの何とかもタチバナもみかんもオレンジも、別物だけど種としては同じってこと?」
非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)だ。そうなるな」
 ふーん、と大河は曖昧に相槌を打って、お盆の上に残った缶に目を落とした。宗史がプルトップを開けて缶に口を付けたので、つられるようにカルピスを喉に流す。酸味と甘みが絶妙なバランスで口の中いっぱいに広がる。
 カルピスはともかく、多分、植物学的に見てどうとか、遺伝子の違いがどうとかで細かく分類されているのだろうが、要は。
 大河と宗史が同時に缶から口を離した。
「オレンジジュースなんて久々に飲んだが、やっぱり美味いな」
「美味かったら細かいことはどうでもいいよね」
 結局のところ、そうなる。達観したような口ぶりに、ははっと宗史が短く笑った。
 かつて利宇古宇やタチバナを口にしたせいか、多少の警戒心を見せながらもジュースを口に含んだ柴と紫苑は「ほう、今はこうも甘いものか」「こちらは、適度な酸味と甘味でございます」と感動、驚愕し、それを見た華と美琴が「今度色んな果物買ってきましょうか」「生だともっと美味しいですし」と話し合っている。まさか缶ジュースから神話が飛び出した上に、話が広がるとは。柴と紫苑が缶を交換する姿にくすりと笑う。
 と、扉の外から「ただいまー」と弘貴の大きな声が届いた。
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