第3話

文字数 2,410文字

「作造さん。そちらも確認させていただけますか」
「承知致しました」
 美琴が桐箱を避けて風呂敷をたたみ、一旦蓋の上に置く。
 今度は何だといった注目が集まる中、作造は腰を上げて横たえてあった「品」の側にしゃがみ込んだ。風呂敷に包まれた「品」は、長さは百七十センチほどの長方形。三分割したそれぞれの位置に、結び目が二つ。解くと、中には特にこれと言って特徴のない、真っ白な箱があった。
 作造はそれを両手で慎重に持ち上げ、端っこをテーブルに置いた。やや宗一郎寄りだ。天板の上を滑らせてきちんと置き直す。
「美琴ちゃん、手伝ってもらっていいかい?」
「あ、はい」
 指名を受けた美琴が、箱に手をかけた。
「では、お確かめください」
 恭しい言葉と共に、二人が両側からゆっくりと蓋を持ち上げる。
 出てきたのは、白いサテンの布でくるまれた細長い物体だ。蓋を横に置き、二人がその布をめくったとたん、おおとも、ほうとも形容しがたい感嘆がそれぞれの口から漏れた。
 長い柄は、光沢のある漆黒。先端の装飾は、美琴の独鈷杵よりは若干濃い黄金色だが、ほどよく落ち着いた色味だ。細くなった先端の両側に半円状の輪っかがくっついていて、その輪っかにさらに三つずつ輪っかがぶら下がっている。細部にわたって細かな装飾が施され、ただ横たわっているだけなのに伝わる、重厚な存在感。いっそ神々しささえ感じられる。
「すご……錫杖(しゃくじょう)って、生で初めて見た」
 樹が独り言のように呟いた。確か、ゲームやバトル漫画でよく武器として使われる法具だ。本来は、僧侶が仏教の布教や修行をする際に持ち歩くものだが、少林寺拳法では実際に武器として用いているらしい。
 誰もが釘付けになる中、宗一郎が腰を上げた。熊田と佐々木に、失礼と断りを入れて前に立ち、腰をかがめた。両手で柄を握って持ち上げる。ぶら下がっている輪っかが揺れ、シャラン、と鈴の音に似た音を控え目に鳴らした。
 宗一郎が、微かな笑みを口元に浮かべる。
 錫杖を追って、全員の視線が動く。宗一郎は右手で錫杖を持ち、とん、と床に柄をついた。着物だからだろうか、やけに様になっている。
 宗一郎はまじまじと錫杖を眺めまわすと、おもむろに少し持ち上げ、前後に強く振った。
 ――シャン!
 空気が弾けたかと思うほどの力強い音に、思わず息が詰まった。
 凛として、優しく、華やかで、透明で真っ直ぐ。甲高く、けれど柔らかい。様々な音色が混ざり合った複雑な音が、突風のように襲いかかってリビングに広がってゆく。
 耳から入った音がすっと全身へ、奥深くまで行き渡り、心の内にあった鬱々とした感情を薙いでゆく。あるいは、霧が一気に晴れて、クリアな風景が目の前に広がったような、そんな感覚を覚えた。
 浄化――不意に、その言葉が頭に浮かぶ。
 誰もが言葉を忘れて残響に耳を澄ませる中、宗一郎が満足げに微笑んだ。
「よく澄んだ、聞き心地のよい音だ」
「いい音色でしたね」
 画面の中から明が称賛した。
「ありがとうございます」
 作造はほっと胸を撫で下ろす。千作は隣で腕を組み、納得した顔で頷いている。
「残りは」
「車に。積み替えますね」
「ええ、お願いします」
 余韻に浸ることなくさっさと打ち合わせ、作造は腰を上げて風呂敷を回収し、宗一郎は車の鍵を右近に渡した。右近は玄関へ、作造は縁側へ向かう。
 一方、大河たちは少々夢心地な顔をしている。
「綺麗な音……生で聞くとこんなに迫力があるんだ」
 大河は胸元のTシャツを握り締め、呆然と呟いた。アニメやゲームなどで使われている音は、あれはあれで綺麗だけれど、生音と比べるとどうしても迫力や繊細な感触に違いが出る。熱や勢い、躍動感、空気感などを感じられるかどうかの差だろうか。どちらが良い悪いではないが、やっぱり生の音は圧倒される。
「あっ、宗一郎さん、俺もそれ鳴らしてみたい」
 興奮気味にそんなことを言い出したのは弘貴だ。錫杖を箱に戻そうとしていた宗一郎が手を止めた。逡巡し、ちらりと柴と紫苑を一瞥して、苦笑いを浮かべる。柴は目を伏せ、紫苑はどことなく不快気に眉を寄せている。
「弘貴、すまないが、またの機会にしてもらえるか」
「構わぬ。私たちは席を外そう」
 弘貴が答える前に、柴と紫苑が腰を上げた。どうして二人が席を外す必要があるのだろう。大河が小首を傾げると、すかさず宗史の説明が入った。
「錫杖は、災厄や魔を祓う法具だ」
 宗史の言葉を脳内で反芻し、はたと気付く。
「え、あっ、そうなんだ」
「あっ、そうなんですか? 悪い二人とも。また機会があったらやらせてもらう。ごめん」
 法具だと知ってはいたが、祓うためのものなのか。先程の浄化されたような感覚は、間違っていなかったらしい。鬼は穢れ、魔だ。鬼であることを忘れるわけではないけれど、すっかりなじんでしまっているため、つい油断してしまう。
 弘貴が、立ち上がった二人に「座って座って」と両手を上下に振る。
「しかし、鳴らしたいのだろう?」
「二人を追い出してまで鳴らしたいわけじゃねぇから。大丈夫大丈夫」
 ごめんな、と苦笑いで付け加えて両手を合わせると、柴と紫苑は少し遠慮がちにゆっくり座り直した。
「一度だけならと思ったのだがな。なかなか居心地が悪いようだ。柴、紫苑、すまなかった」
「いや、構わぬ」
 柴は小さく首を横に振った。疑うわけではないが、鬼である二人が居心地が悪いと感じたのなら、本当に効果があるらしい。改めて、柴と紫苑は鬼なのだと思い知らされる。
 美琴と千作の手も借りて箱に収めた錫杖を左近が抱え、玄関の方へ消えた。
 美琴から渡され、独鈷杵を包んでいた風呂敷を宗史へ回しながら、大河が聞いた。
「ねぇ、錫杖そのものが駄目なの? 音?」
「ああ。錫杖を通じて、霊力がこもっているせいだ」
「へぇ……」
 二人には、どんなふうに聞こえるのだろう。あんなに綺麗な音が不快に聞こえるのは、何だかもったいない気がするけれど。
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