第5話

文字数 4,214文字

 ホストクラブは風営法で営業時間が限られている。
 一部と呼ばれる十八時から二十四時、二部と呼ばれる五時頃から十二時頃だ。また、三部と呼ばれる昼過ぎから夕方頃の時間帯に営業している店もあるが、一般的にその時間帯は需要が極端に少ないため採用している店は非常に稀である。
 ミュゲは一部営業のみで、十九時から二十四時までがオープン時間だ。閉店作業などを入れて、早ければ午前一時過ぎには店を出られる。一方アヴァロンは絶賛開店中。それどころか一番賑わう時間帯である。
「…………誰だ?」
 冬馬の実家へ行ってから、立て続けにアフターが入り来るに来られなかった。一週間後の午前二時前。良親はアヴァロンに到着するなり、事務所へと足を踏み入れた。
 そして今、ソファにいる見知らぬ男の顔に首を傾げたところだ。
 不躾なほどじっと見据えてくる彼をしばらく見つめ返し、良親はデスクにいる冬馬へと視線を投げた。それでも彼は良親から視線を外さない。警戒されているのだろうが、その目からは感情が読み取れない。
(いつき)
 冬馬が名を呼ぶと、樹と呼ばれた男はやっと視線を逸らして冬馬へと投げた。椅子から立ち上がりこちらへ向かってくる冬馬に合わせて視線が動く。まるで主の指示を待つ従順な犬のようだ。
「系列店のホストクラブの店長で、良親だ。怪しい奴じゃない」
 隣で足を止めた冬馬を見上げ、樹はこくりと頷いた。何やら心外な説明が入っていたが、彼は納得したらしい。良親からしてみれば樹の方がよほど怪しいのだが。
 良親は閉め損ねていた扉を後ろ手に閉め、樹の前で足を止めた。
「で? こいつは?」
 見事なほどの無表情。端正な顔立ち、伸び切った真っ黒な髪、薄い体躯はまだ十代に見える。
「俺の知り合いだ」
「知り合い? お前の?」
「ああ」
 ぽん、と冬馬が気安く樹の頭に手を置いた。その動作がやけに自然で、良親は目を疑った。こんなことをする奴だったか。
 前に来たのは三週間ほど、いやもっと前になるだろうか。冬馬の態度は、スタッフを含め皆平等だった。もちろん良いことではあるが、とどのつまり、冬馬にとって「特別」な相手はいないということだ。さらに誰に対しても一線を引いているように見えていた。それは、以前来た時まで変わっていなかった。
「樹、お前いい加減髪切れ」
「うん」
「前見えてんのかそれ」
「……一応」
「危ないだろ」
 言いながら樹の前髪を指ですくう冬馬の目は、別人のように穏やかだ。この短期間で、一体何があった。
「それで?」
 不意に冬馬が良親に視線を投げた。一瞬でいつもの冬馬の目に戻っている。人を近寄らせない目だ。
「何か用か?」
 いつもならフロアに直行し、遊び疲れた頃に休憩がてら冷やかしに事務所に入っていた。いつもと違う行動をすれば、何か用事かと思われて当然だ。
 良親は本来の目的を思い出し、ああうん、と少し動揺したらしくない返事をした。冬馬が怪訝そうに目を細めた。
「ちょっと面白いもん手に入れたんだよ。お前に見せようと思ってさ」
 ちらりと見やると、樹はまた視線を向けた。やはり警戒されているらしい。一方冬馬は、良親の言い回しと視線から何か感じ取ったようで、訝しげに眉を寄せたまま樹に言った。
「樹、見回り行ってこい。そろそろ酔い潰れた客が増えてくる」
「……分かった」
 開いた間に不満の色が見えた。
 樹が静かに事務所を出ると、冬馬はデスクへと踵を返した。
「何だ? 見せたい物って」
「そう急かすなって」
 椅子に腰を下ろしながら見上げてくる冬馬に、良親は携帯を操作しながら近寄った。聖羅から送られた件の写真を表示し、にっと口角を上げる。
 冬馬の目の前で足を止め、
「これ」
 液晶を向ける。とたん冬馬の顔がわずかに強張った。だがすぐに顔を逸らし、デスクに広げてあったファイルに視線を落とした。
「誰だ?」
 あくまでもとぼける気か。
「そんじゃもう一枚」
 良親は素早く画面をフリックし、もう一枚の写真を見せつけた。冬馬は顔を向けるや否や、今度は分かりやすく息を呑んだ。良親の口元が緩んだ。
「さっきのじいさんは桐生冬月。華道翠月流の家元。こっちは息子の梅斗と孫の柊斗。それと――」
 にっこりと笑みを浮かべる。
「お前もだ。だろ? 桐生冬馬」
 冬馬はしばらく良親を見上げ、やがて深く息を吐き出した。
「そうだ。それがどうかしたか」
 隠し切れると思っているのだろうか。良親は踵を返し、ソファの肘掛けに腰を下ろして冬馬を見据えた。
「別に。たださぁ、お前じいさんにそっくりっつーか瓜二つだろ? ここまで似るのって、ちょっと珍しくね?」
「隔世遺伝だ。特別なものじゃない」
「それにしても似すぎだろー」
「何が言いたい。まさか俺が母と祖父の間の子供だとでも思ってんのか? それとも祖父の不義の子とでも言うつもりか」
 虚をつかれた。養子ではない以上、てっきり前者の確率が高いと思っていたのだが、自ら話を持ち出してくるとは。だがそれは、以前誰かに言われたことがある、あるいは自分で思っていたからこそ出てくる考えだ。口をつぐんだ良親に、冬馬は再び呆れた溜め息をついた。
「俺はちゃんと両親と血がつながってる。間違いない」
「証拠は?」
 食い下がる良親に、冬馬は心の底から不快気に眉を寄せた。
「ここまで似ていれば、他人なら疑っても仕方がない。母が不貞を働く人じゃないと分かっている父でさえ疑ったほどだからな。けど親子鑑定できちんと証明されてる。俺と父は間違いなく親子だ」
 父親に疑われたことを自ら喋った。信頼度は高い。なるほど、弱味はこちらではないのか。良親はつまらなさそうに息をついた。
「なんだ、せっかく面白いネタ手に入れたと思ったのになぁ」
「残念だったな」
 冬馬は、話が終わったのなら帰れと言わんばかりに、手元のファイルに視線を落とした。
「じゃあさぁお前――」
 良親は携帯をポケットに突っ込んだ。
「何で自分の居場所教えてねぇの?」
 弾かれるように視線を上げた冬馬に、良親は形勢逆転と言いたげに笑みを浮かべた。
「柊斗は生意気そうだけど、葵だっけ。なかなかの美人だよな、あの子。今大学生か?」
 二人の名を出したとたん、冬馬が荒っぽく椅子を蹴って立ち上がった。目を丸くしたままデスクに両手をついて良親を見据えている。すぐに目を鋭く細め、ピリッと肌を刺すような警戒心を放った。
「お前、家に行ったのか。どうやって知った」
「企業秘密」
「答えろ!」
「答えられませーん」
 小馬鹿にする態度に苛立ったのか、冬馬はデスクに拳を強く打ち付けると、大股で良親に歩み寄った。すぐ目の前で立ち止まり、良親を見下ろす。
「二人に何かしてみろ。殺すぞ」
 躊躇いなく言い放った物騒な言葉に、良親はきょとんと目をしばたいて冬馬を見上げた。しばらくして噴き出した。
「お前の口からそんな言葉が聞けるとはなぁ。あの二人がそんなに大事か?」
「目的は何だ。金か」
 質問には答えず、質問で返した冬馬に良親は肩を竦めた。
「あいにく金には困ってねぇよ。女にもな」
「じゃあ何だ!」
 金も女も好きだ。しかし、それ以上に今は――。
「別に何かしようなんて思ってねぇよ。ま、お前の態度次第だけど?」
 優越感が欲しい。
 冬馬は唇を噛み締めたまましばらく良親を睨むように見下ろし、やがて舌打ちと共に踵を返した。
「あえて聞くけどさぁ、お前、何で居場所隠してんだよ」
 親子関係に問題がないのなら柊斗のあの態度は何だ。絶対に何かあるはずなのだが。
「理由なんかない! 話が終わったんなら帰れ!」
 怒声とデスクを叩きつけた拳の音が事務所に響き渡る。
 冬馬もそんな言い訳が通るとは思っていないだろうが、ここは一旦引いた方がよさそうだ。これ以上つつくと本気で殴られかねない。顔は仕事道具だ。それに、これでも十分だろう。
 良親はゆっくりと腰を上げた。
「お前でも、そうやって感情任せに怒鳴ることあるんだな。そっちの方がよっぽど親近感湧くわ」
「そんなもの必要ない。迷惑だ」
「冷たいねぇ」
 溜め息交じりにぼやき扉の方へ足を踏み出して、ふと思い出した。
「そうだ、彼女から伝言預かってるぜ。連絡待ってるってさ。いいねぇ、一途な女って可愛いよな」
「うるさい、早く出て行け!」
「はいはい」
 再び響いた怒声に肩を竦め、押されるようにして事務所の扉を開ける。じゃあな、と肩越しに振り向いて挨拶をすると、舌打ちが返ってきた。
「なかなか可愛気が出てきたじゃねぇの」
 エレベーターへ向かいながら、良親は一人笑い声を噛み殺した。と、ちょうどエレベーターが到着し、樹が出てきた。良親に気付き、無表情でじっと見据えたまま向かってくる。
「よ、見回り終わったか?」
 足を止めると、樹はこくりと小さく頷いてそのまま通り過ぎた。無視されると思っていたが意外だ。
「ちょっと待てって」
 咄嗟に腕を伸ばした。
「お前、冬馬の知り合いって言ってたけど、っと」
 掴んだ腕を反射的に強く振り解かれて、良親は思わず身を引いた。躊躇ない拒絶。
 樹は良親を一瞥し、事務所へと足を向けた。当たり前のように扉を開けて入って行くその背中を見送り、良親は盛大に舌打ちをかました。
「こっちは可愛くねぇ」
 つい先ほどまでの良い気分が台無しだ。少々くさくさした気持ちでエレベーターへと向かう。
 冬馬は知り合いだと言っていたが、見回りに行かせるのなら、制服は着ていないけれどアヴァロンで仕事をさせていることになる。しかも一人でとなると腕が立つのだろう。それにあの見た目は、下手をすれば高校生だ。
 良親はエレベーターの下行きのボタンに手を伸ばしかけてずらし、上を押した。多分智也と圭介は出勤している。冬馬が店長に就任した頃に入っているらしいから一年ほどになるだろうか。仕事ぶりは真面目でお人好しだが、気の弱いところが玉に瑕の二人組だ。やけに冬馬のことを慕っていたし、冬馬の方も二人を気にかけていた。樹のことを何か知っているかもしれない。
 もう少し後になって気付いたことだが、冬馬の智也と圭介へ対する態度が妙に厳しくなっていたのは、この頃からだったように思う。
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