第6話

文字数 2,808文字

                *・・・*・・・*

 裏山へ出発する前にトイレに立った宗史を待つ間、大河、晴、志季の間で密談が行われた。
 大河が玄関からある物を取ってきて、志季が折り畳みの大きなクーラーバッグを肩にかけて台所から出てきたところで、宗史が戻ってきた。
「お待たせ。行こうか」
「宗、ちょっと」
 玄関へ向かおうとした宗史に、晴が真剣な顔でちょいちょいと手招きをする。
「何だ?」
 宗史が小首を傾げて素直に居間へ入ると、
「はいこれ」
 待ち構えていた大河がすかさず隠し持っていたスニーカーを押し付けた。
「え、おい」
「はいはいはい、お前はこっち」
「こっちこっち」
 つい受け取ってしまった宗史の背中を、大河と晴が笑顔でぐいぐいと縁側へ押しやる。
「ちょっと待て。なに、うわっ」
 肩越しに二人を振り向いていた宗史を、志季がひょいと肩に担いだ。腰に手を回して俵担ぎにし、がっちり固定して庭へ下りる。宗史が慌てて上半身を起こし、首だけで振り向く。
「おい、何のつもりだ! 放せ!」
「じゃあ先に行くぞ」
「おお、頼んだ」
「あとでね」
「待て志季! ちょ……っ」
 とん、と軽い所作で地面を蹴った志季に、大河と晴がひらひらと手を振った。
「待てって言ってるだろうが――ッ!」
 清々しい夏の空に響き渡る宗史の怒声を聞きながら、影唯は苦笑いした。
「大丈夫かなぁ。あとで叱られたりしない?」
 木霊と共に裏山へ消えていく二人を眺めながら呟くと、さてといった顔で大河と晴が踵を返した。ちなみに省吾と雪子は腹を抱えて笑い転げ、鈴と柴は涼しい顔をし、紫苑は溜め息をついている。
「大丈夫だよ」
「不本意でもちゃんと理由があれば納得するタイプだからな。んじゃ、俺らも行くか」
「はーい」
 良い子の返事をする大河と晴を先頭に、ぞろぞろと玄関へ向かう。
 強制的に宗史を志季に運ばせた理由は、「傷は完治しているが体調が万全ではないため」らしい。刀で体を貫かれれば出血も多かっただろう。朝早くに京都から山口まで来て、山を登って訓練をした上で、夜は戦闘になるかもしれない。となると、体力温存は必要だ。
「先に理由説明してあげればいいのに」
 省吾が半笑いで言うと、玄関を出ながら晴が渋い顔をした。
「あー、駄目駄目、時間の無駄。最終的に納得するにしても、あの手のことになると一度は絶対ごねる。強制執行してから説明した方が、効率がいい」
「置いて行っても、あとで絶対追いかけてくるよね」
 そうそう、と晴が深く頷く。どうやら、こちらが認識している宗史像とは少々差異があるようだ。大河たちに続いて、影唯たちもサンダルをつっかけて玄関先まで見送りに出る。
「じゃあ、行ってきます。六時までには帰るから」
「分かった。行ってらっしゃい」
「気を付けるのよ。無理しないでね」
 はーい、行ってきます、と元気な返事を残して、大河たちは背を向けた。どの辺だっけ、覚えてないのかよ、だって一回行っただけだし、と不安になるような会話と足音が遠ざかる。いざとなれば、柴と紫苑に運んでもらえるから大丈夫だろう。
 そんなことを思っていると、雪子が隣で一つ息をついた。
「あの子、ちょっと顔付きが変わったわね……」
 感慨と寂しさ、そして不安が入り混じったような面持ちで、大河たちの背中を見つめている。
「そうだね」
 他愛のない話しをする時は今までと変わらない無邪気な笑顔だけれど、事件の話題になるとこう、引き締まるというか、男の顔になる。もちろん、宗史や晴と比べるとまだまだ子供っぽさが残っている。だがそれでも、島を出る前の彼と今の彼とでは、明かに成長が窺える。
 大河が初めて立った時、言葉を発した時、自分でご飯を食べた時、一人で着替えをした時、なんでどうしてと色々な物事に興味を持ち始め、運動能力が発達し、どんどん服のサイズが合わなくなって、抱っこするにも一苦労で。元気すぎるほど元気に育って、いつか自分たちの手を離れる日が来るのだろうという微かな寂しさはあっても、成長する我が子を見守る日々は喜びに満ちていた。
 でも今は、不安が混じる。
 当然のように指示を出す宗史に、当然のように返事をする大河たち。彼らにとって、すでにあれが日常なのだ。
 これから先、大河はもっと成長する。様々な経験をし、一人の男として、また人として、精神的にも身体的にも変わっていく。分かっていたことだ。
 けれど、彼の急激な成長は、危険に身を投じたゆえのもの。喜びや寂しさの中に不安が混じるのは、そのせいだ。
 京都へ戻る決意をしたのは、大河自身。でもそれを許可したのは、紛れもない自分。
「ねぇ、あなた。気が付いた?」
 不意に、雪子が影唯を見上げた。
「何をだい?」
「柴と紫苑。すごく綺麗にお魚を食べるのよ。姿勢とか、お箸の使い方も綺麗なの」
「ああ、気が付いたよ。上品な感じだったね」
「そうなの。こんなこと言うと失礼かもしれないけど、何だかんだいっても鬼でしょ。驚いたわ。やっぱり、影綱に教わったのかしら」
「うーん、どうだろう。日記には、そういうことは書かれていなかったな。文字の読み書きもそうだけど」
「あら、そうなの? じゃあご両親かしら」
 しっかりしたご両親だったのねぇ、と鬼の親は鬼だということを忘れているかのような呟きに、影唯は小さく笑った。そういえば、二人の親のことも書かれていなかった。話題に上がらなかったのだろうか。
 不意に、大河たちの笑い声が遠くから響いた。まるでこれから友達と一緒に遊びに行くような、はしゃいだ声。
 影唯は頭を切り替えるように目を伏せ、さてと雪子を見やった。
「お母さん、このあとのこと、頼んでいいかな」
「ええ」
 少し切なげに頷いた雪子に笑みを返し、背後で控えていた鈴を振り向く。
「鈴、今日も頼むね」
「承知した」
 先に下ごしらえしておこうかしら、と一人ごちながら雪子は家の中へ戻り、影唯と鈴はそのまま外へ出て庭へと向かう。
 邪気や悪鬼は見えるけれど、どれだけ影正から訓練を受けても、簡単な結界しか張れなかった。だから、心のどこかで諦めていた。自分に陰陽師としての才能はないのだと。
 あの時、大河は笑顔でこう言った。
『何もないよ、学校楽しいよ』
 あの日、影正は笑顔でこう言った。
『陰陽師の先見といっても、必ずしも当たるとは限らん。わしも陰陽師の端くれだ。易々とは死んでやらんよ』
 と。しかし今、影正は殺害され、大河は前線に立っている。このまま、あの時のようにただ見守っているだけの情けない息子や父親に成り下がるわけにはいかない。
 菊池雅臣という少年の過去を知った時、大河はどう思っただろう。
 霊力が弱いのは確かだ。だから、彼らのように強力な術は使えない。それでも、できるだけのことはしなければ。少しでも役に立てるように。これ以上、失わずにすむように。
 庭へ回り込んで鈴と正対し、影唯は尻ポケットから霊符を取り出して構えた。
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