第6話

文字数 3,480文字

 結局智也と圭介からは、今年二十歳になる冬馬の知り合いで、事情があって預かっているらしいとしか言わず、その事情とやらの内容も分からなかった。他のスタッフや見知った常連客にもそれとなく聞いて回ったが、同じ答えが返ってくるばかりだった。
 ただ分かったのは、下平がパトロールのたびに樹のことを尋ねるらしいということ。また樹も下平にはずいぶんと懐いているようで、ここに来る以前からの知り合いで冬馬は下平から預かっているのではないのか、との憶測がスタッフ間でされているらしい。
 しかしスタッフは冬馬のことも下平のことも、また仕事熱心で、手が足りない時は手伝ってくれる樹のことも信用しており、特に探ろうとする者はいなかった。さらにあの容姿と腕っ節の強さから、客や競合店にまで樹の名は知れ渡り、「愛想はないけど素直で可愛い」「無理矢理ナンパされそうになった時に助けてくれた」「愚痴を黙って聞いてくれた」などという理由で人気が出始めていた。
 もし下平が絡んでいたとしたら迂闊に探れない。警察と関わるのはまっぴらだ。冬馬同様、理絵に頼むことも考えたが「さすがに一度切り」と念を押された以上、彼女も仕事を失いたくはないだろうから頼まれてくれないだろう。常連客を失うリスクは避けたい。それに、冬馬にとってあれ以上の弱味はない。
 仕事の評価も売り上げも越えられない。社員登用も店長就任も冬馬の方が先だった。何でもいい、卑怯だと罵られても冬馬の上をいければそれでいい。冬馬を意識する理由は、もうどうでもよくなっていた。ただあの男に勝てば、何か見える気がしていた。
 だから、精神的に追い詰めれば、仕事に支障をきたすのではないかと思っていた。
 翠月流が主催する花展やイベント、恒例行事での様子をチェックして冬馬に伝えるだけでも十分な牽制になる。一度だけ、気まぐれに市内で行われていた花展に足を運んだことがあった。その素晴らしさがさっぱり理解できずに漫然と会場を回る良親に、葵の方から声をかけてきた。顔を覚えていたらしい。彼女はあの時のことを丁寧に詫びた上で、冬馬の消息を尋ねてきた。もちろん話さなかった。けれど、そのことを伝えた時の冬馬の動揺と怒りは凄まじかった。
 改めて確信した。あの二人は、冬馬のアキレス腱だと。
 だが、いつまで経ってもアヴァロンの売り上げが下がることはなかった。それどころか、一年後にはアヴァロン史上、最高額を叩き出した。
 あの日を境に、冬馬との関係は変化した。良親がアヴァロンに行っても事務所に顔を出すまでは我関せずだった冬馬が、自らフロアに下りてくるようになった。余計なことを言わないか監視されているのだろうことは察していたが、それでも冬馬がわざわざ出迎えに来るという状況は気持ち良かった。さらに当たり前のようにくっついてくる樹ともそれなりに交流ができ、嘘をつかないらしいこと、彼の素直だか天然だか分からない反応と、容姿にそぐわない腕っ節の強さを目にした時の衝撃は忘れられない。
 また、それを面白おかしく「お勤め中」の譲二に話してやるのが楽しみになった。
 ただ、評価と売り上げだけは変わらなかった。
 いっそ、ネットで冬馬やアヴァロンのあることないこと流してやろうかとも思った。けれどそんなことをすればすぐに営業妨害や名誉棄損で訴えられる。警察が動けば発信元を特定されてプロバイダーから身元が割れる。ネットカフェも同様、防犯カメラが設置され、身分証の提示義務もある。ネットが普及し始めた頃とは違い、今は匿名だから、ネットだから何をしてもいいという時代ではないのだ。やっと手に入れた今の立場を捨てられるほどの覚悟は無い。
 何が冬馬の支えになっているのか――その答えはすぐに思い当たった。
 樹だ。
 樹がいない時は目に見えて全身で警戒心を放つのに、樹が加わるととたんに薄れていく。硬い表情は穏やかになり、口調も砕け軽口を叩く。また樹も同じだった。良親への警戒心は多少薄れていたように思えるが、完全に消えることはなかった。
 樹と一緒にいる時が、本当の冬馬だ。
 そう気付いた時、これまで以上に心の中がざわついた。

                 *・・・*・・・*

 さらに二年後。あの日がやってきた。
 ほんの思い付きだった。樹に霊感があると知り、面白半分に提案した肝試し。
 話がまとまり、適当に遊んでアヴァロンを出てから携帯を忘れたことに気が付いた。タクシーを捕まえるためすでに四条通りへ出ていたが、さすがに置いて帰るわけにはいかない。溜め息と共に引き返した。
 重い足取りで向かう先に、冬馬と樹の姿が見えた。四条通りとは逆の方向へ向かっているということは、携帯を持ってきてくれたわけではないらしい。気付かなかったのだろうか。
 駆け寄って声をかけようとした時、二人の会話が耳に届いた。
「樹、お前なんで断らなかったんだ」
 件の話しだろうことはすぐに分かった。まだこだわっているのか。そんなに樹が自分の言うことを聞いたのが気に食わないのか。そう思った良親の呆れた溜め息と足を止めたのは、樹の予想外な答えだった。
「だって、僕のお給料、冬馬さんからだから」
 何を言っているのか分からなかった。樹の給料が冬馬から。どういう意味だ。自然と二人に歩調を合わせる。
「まさか、本当に除霊なんて信じてるんじゃないだろうな」
 樹は首を横に振った。
「可能性の話し」
 冬馬は盛大に溜め息をついた。
「金のことなら気にしなくていい。……やっぱり、やめた方がいいんじゃないのか」
「平気。ただの、遊び」
 そうか、と反論することなく承諾した冬馬を、樹はしばらく見つめていた。
「冬馬さん。ずっと、気になってた。どうやって僕のお給料、出してくれてるの? 店長って、そんなにたくさん貰えるの?」
 こんなに喋る樹にも驚いたが、それ以上に耳を疑ったのは内容だ。預かっているわけではなかったのか。つまり、冬馬は個人的に樹を雇っている。何故。
「株の儲けがそれなりに出てるんだよ。だから気にするな」
「株……」
「ああ」
 でも、と迷った様子で俯いた樹を見て、冬馬が改まった声で切り出した。
「樹、前から話そうと思ってたことがある」
 樹が顔を上げ、無言で冬馬を見やった。
「うちできちんと働かないか。バイトからになるけど、フルタイムで働けば福利厚生も付く」
「そうなの?」
「ああ。雇用期間や労働時間の条件はあるけどな、ちゃんと法律で決められてることだ。それに正社員登用制度もあるし、お前ならすぐに認められるだろ。ただ」
 冬馬は一旦言葉を切った。
「今よりも給料は下がる。本当はもっと早く話すつもりだったんだけど、家のこともあったし、今は引っ越し費用も必要だ。金がいる時に給料が下がるのは困るんじゃないかと思って言わなかった。けど、俺は給料は出してやれるけど、福利厚生を付けることはできない。正社員になれば住宅手当や家族手当も付くし、これから先、年金や健康保険なんかがあった方が安心だろ」
 樹は前を見据えたまま、こくりと頷いた。
「今すぐじゃなくていい。引っ越しが終わって落ち着いてからでも構わない。来年の三月には雄大(ゆうだい)が辞める予定だから、それまでに決めてくれれば」
「うん、分かった。……雄大さん、辞めるの?」
「大阪で就職が決まったらしい。車関係の会社だったかな」
「そう。良かったね」
「ああ。かなりの数落ちてやっと決まったらしいから、俺も一安心だ。一時期情緒不安定だったろ」
「テンション、おかしかった。それが原因?」
「そ。ああそれと、新居の保証人がいるなら言えよ」
「……いいの?」
「ああ」
「……ありがと」
「ん」
 いつか見たように、冬馬はぽんと樹の頭に手を乗せた。それを、樹は嫌がる様子もなく受けた。
 遠ざかる二人を眺めながら、自然と足が止まった。
 樹が肝試しに同意したのは、自分の言うことを聞いたのではなく、冬馬のため。
 そして話の内容から察するに、樹は何らかの理由で金が必要だった。だから冬馬は、雇用主という形で個人的に樹の給料を出していた。どんな条件なのかは知らないが、フルタイムで働いても今の方が良いということはかなり高時給のはずだ。それを三年間も。さらに今、樹の将来のことを考えてアヴァロンで働くことを勧め、新居の保証人まで引き受けた。
 冬馬にとって樹は、樹にとって冬馬は、やはり「特別」なのだ。
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