第11話

文字数 3,702文字

 やっとひと段落ついて空気が緩んだところで、宗一郎が言った。
「少し休憩しましょうか」
 はーい、と気の抜けた返事が上がり、それぞれ腰を上げる。
 お手洗いをお借りできますか、と言った熊田を茂が案内役を買って出て、佐々木と共にリビングを出た。冷蔵庫を開ける者、固まった体をほぐす者、脱力して机に突っ伏す者。
 大河も腰を上げ、縁側に出た志季と一緒に背伸びをした。湿気と熱気は気持ちのいいものではないが、重苦しい話で少々気が滅入った今ばかりは清々しく、呼吸が楽になった気さえする。
大河は、両腕を上げて「んーっ」と声を絞り出し、一気に脱力した。
「こんな天気のいい日に、なんでこんな話ししてんだろうなぁ……」
「確かに」
 遠い目をしてぼやいた志季に、大河は苦笑した。仕方がないとはいえ、もったいないと思わなくもない。
 華と夏也がかごに入れたお茶菓子を用意してそれぞれのテーブルに配り、美琴と香苗は麦茶を足して回る。弘貴と春平はさっそくお茶菓子に手を伸ばす。個包装の焼き菓子と一口サイズのせんべいだ。携帯の向こうでも小腹を満たし中らしい。これおいしいですね、と陽の声が聞こえる。
 樹がいるのにいいのだろうか。体をほぐしつつ見ていると、目にも止まらぬ早さで伸びた樹の手は、意外にもせんべいを掴んだ。
「お。あいつ、意外と頑張ってんな。絶対甘い方食うと思ったんだけど」
「延長されるからじゃない?」
「あー」
 ならば素直に我慢した方がいいに決まっている。ただ、処分期間が終わったら恐ろしいほど食い散らかしそうだ。
 宗史と晴にすすめられ、床に腰を下ろしてそれぞれマドレーヌやせんべいをつまむ柴と紫苑を見て思い出した。
「そうだ、志季。今日、柴と紫苑に精気あげるから、頼んでいい?」
 椿がいないため、志季頼りだ。志季は渋い顔で嘆息した。
「了解。あのくらいの傷なら余裕なんだけどなぁ」
「いつもありがとう。助かる」
 へらっと笑って礼を告げると、志季は大河を見下ろして「おう」と笑った。
 時間はすでに三時近い。頭を使ったせいだろうか、小腹がすいてきたので、大河は窓を閉めて志季と一緒に戻った。
 大河はクッキーとマドレーヌとせんべいを一つずつ失敬して宗史の隣に、志季も晴の向こう側に腰を下ろす。
 雑談とせんべいをかじる軽快な音が響く中、小腹を満たした下平が携帯をいじった。
「樹、今のうちに写真送っとくから、そっちで回してくれ」
「うん」
「それなら、こちらも写真を送っておきましょうか」
 そんな提案をしたのは明だ。
「あ、そうだね。でも僕たちのは昨日撮った写真あるから大丈夫」
「俺が送っておく」
「うん」
 言いながら樹が着信を確認し、怜司も携帯を手に取った。
「写真を撮ったのか?」
 グラス片手に、宗一郎が尋ねた。女性陣が席に戻り、そこここから着信音が鳴り響く。樹からだ。
「うん。柴と紫苑も一緒に集合写真をね。宗一郎さんたちはいないから、今から撮ったら? 式神も一緒に。あ、椿と鈴がいないけど」
「ああ、それならちょうどいい写真があるだろう」
 グラスを置きながら、ふふ、と意味深に笑った宗一郎の思惑に気付いたのは、宗史ら両家と寮の者全員だ。携帯片手に、あーあれか、と一様に笑顔が浮かぶ。
 何だろう。ぼりぼりとせんべいをかじりながら送られてきた写真を確認していると、三柱がまさかと目を剥いた。志季がテーブルに手をついて腰を浮かせる。
「待て待て待て、もしかして去年のやつか!?」
「あれか!」
「おい、やめぬか! 誰が送っている!」
 珍しく右近と左近が泡を食うので、大河は驚いて顔を上げた。どうやら全員がその写真を持っているらしい。写真の確認のため、寮の者たちは全員携帯をいじっていて、誰が送っているか分からない。大河の隣で宗史と晴が肩を震わせた。あれ楽しかったわよねぇ、と華たちが何やら思い出話に花を咲かせ始める。
「送ったぞ」
「怜司、貴様!!」
 見事に揃った式神一同の怒声が響いたと同時に笑い声が上がり、下平の携帯が着信を知らせた。写真の一枚や二枚で、何をそんなに慌てているのか。もしや恥ずかしい写真とか。
「ねぇ、どんな写真なの? 持ってる?」
「ああ、見るか?」
「宗史てめぇ!」
 腕を伸ばした志季を、晴がまあまあと言いながら体を張って止めた。
「いいじゃねぇか別に」
「よくねぇ! 大体お前らが……っ!」
「はいはい、いいからこれ食って大人しくしてろ」
 わめきたてる志季を抑え付けながら、晴は剥いたマドレーヌを口に突っ込んだ。そしてダイニングテーブルの方では、受け取った下平が笑いを噛み殺して紺野へ携帯画面を向けた。
「ほら、これだ」
 宗史に携帯を差し出されて覗き込む。とたん、
「あはははは!!」
 大河と下平の弾けた笑い声が響き、紺野がぶはっと噴き出してテーブルに突っ伏した。志季が突っ込まれたマドレーヌをごくりと飲み込み、声を荒げた。
「無理矢理やらされたんだよ!」
「そうだ! 好き好んでそんな恰好をしたのではない!」
「勘違いするな!」
 顔を赤くして必死に弁解する式神一同が妙におかしくて、大河は背中を丸めて腹を抱えた。
 写真の場所は、寮のリビング。時期は間違いなく、ハロウィン。椿は小悪魔、鈴は魔女、志季はフランケンシュタイン、閃は吸血鬼、右近と左近はどちらがどちらか分からないが、揃って死神のコスプレをしている。定番なものばかりだが、それゆえに衣装や小道具はもちろんメイクもばっちりで、なかなか本格的だ。だが、椿と志季は引き攣った笑顔を浮かべ、閃たちは諦めの境地に入ったような無の表情をしているのが残念だ。
「か……っ、神様にコスプレ……っ!」
「死神って……!」
「そ、宗史さ……っ、それ、送……っ」
 紺野、下平、そして大河が笑い声の隙間から途切れ途切れに要求すると、宗史は無言で頷いた。
「大河てめぇ、なに要求してんだ! てか宗史も送ってんじゃねぇ!」
 志季が怒声を響かせた時、廊下から熊田の大笑いする声が響いた。式神が全員揃っていないので、どうやら向こうにも送られてしまったようだ。右近と左近はもう諦めたのか、体を半分に折って背中を震わせる宗一郎を恨めしい視線で睨みつけている。余計なこと言いやがって、といった目だ。
「どいつもこいつも……!」
 志季は忌々しげに歯噛みし、八つ当たりのようにせんべいを引っ掴んだ。大河は長く深い息を吐き、乱れた息を整えながら腰を上げた。さっそく届いた写真を開きつつ、ソファを後ろから回り込む。
「いいじゃん、皆よく似合ってるんだから。椿と鈴めっちゃ可愛いし、志季たちもかっこいいよ」
「そういう問題じゃねぇんだよ! 神道の神が別の宗教のイベントに参加してどうすんだ!」
「えー、じゃあさぁ、クリスマスとかバレンタインやらないの?」
 志季がうっと声を詰まらせた。それはやるのか。と、トイレに行っていた茂たちが戻ってきた。右近と左近が苦い顔をし、俯いて肩を震わせる熊田と佐々木を目で追いかける。にこにこ笑顔で席へ戻った茂は、懐かしい写真見てるねぇ、とのんきなことを言って輪に加わった。
「ケ、ケーキやチョコを食っただけで参加したことにはならねぇ」
「往生際が悪いなぁ。柴、紫苑、ほらこれ」
 紫苑の隣にしゃがみ込んで携帯を見せると、二人は覗き込むなり怪訝な顔をした。ああ馬鹿お前! と飛んできた志季の苦言は無視だ。
「また、奇妙な恰好だな」
「別の宗教と言っていたが、あめりかなどの宗教か?」
 さすが、歴史を学んだことはある。まじまじと画面を眺める二人に、大河はうーんと曖昧に首を傾げた。
「確かそのはずだけど……」
 そういえば、ハロウィンの意味など調べたことがない。ニュースで他人事のように見るくらいで、ここ数年では、マナーが悪いだの警察沙汰だのという報道ばかりが目に付くようになった。コスプレ祭りのようになっているが、本来はどんな意味なのだろう。
 いつも通りに大河からちらりと視線を向けられ、宗史は心得たように答えた。
「アメリカじゃなくてヨーロッパ、アイルランドやスコットランドだ。古代ケルト人のドルイド信仰で行われていた、秋の収穫祭や悪魔払いが起源だと言われている。十月三十一日は死者の魂が家族の元に戻ってくると信じられていて、食事を用意して迎え入れていた。その際、一緒に来る悪魔や悪霊に子供が間違って攫われないよう、お化けの格好をさせて追い払っていたらしい。戻ってきた魂が悪魔や悪霊の姿をしているという説もあるが、どちらにせよ、今じゃ宗教的な意味は薄れて、イベント――お祭り色が濃くなってる」
 へー、ほう、と大河と柴、紫苑が感心した声を漏らす。
「なんか、お盆みたいな感じだね」
 どの国でも、亡くなった家族に戻ってきて欲しいという思いは同じらしい。一緒にくっついてくる悪霊は余計だが。
 そういえばそろそろお盆だなと、ふと気付く。島では、毎年集会所の広場で盆踊りが行われる。さすがに屋台はないけれど、その代わり酒やつまみ持参で集まり、大宴会になるのだ。楽しみにしていたヒナキの祖母のおはぎは、柴が復活した日にいただいたけれど、やっぱり毎年のことだから残念だ。
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