第10話

文字数 2,341文字

 弘貴が不思議そうに小首を傾げた。
「二人一組じゃないんですか?」
「駐在所の警官じゃないかな。本部から連絡があったんだと思うよ」
「駐在所って、田舎とかにある?」
 そう、と近藤が頷いた。交番は交代制だが、駐在所は山間部や離島などに置かれることが多く、警察官とその家族が住めるよう住居を兼ねている。ゆえに、二十四時間勤務同然の体制だ。彼らは近くの町の「駐在さん」なのだろう。
「僕が対応するよ」
 そう言うと、近藤は駆け寄ってくる二人の警察官に向かってひらりと手を上げた。一人は五十がらみの中年で、もう一人は三十代くらいだ。
 罪悪感もあるのだろうが、脱水症なのにずいぶんと気丈な人だ。だが、こちらはあくまでも「偶然居合わせた」という体なのだ。出しゃばらない方がいい。春平たちは、警察官に場所を譲るように脇へ避けた。
 聞いていた状況と異なるだろう。軽く打ち合わせたあと、若い警察官は悶絶する男たちへ向かい、中年の警察官は春平たちに順に目を止めてから近藤を見やった。
「えーと、被害者は貴方ですね」
「うん。科捜研の近藤千早。荷物があっちの車のトランクにあると思うから、必要ならあとで身分証確認して。で、彼らは運悪く居合わせた人たち。空手やってるらしくて、犯人逮捕に協力してくれたんだ。あそこで転がってる三人が共犯。主犯は建物の中の二階。捜査一課の紺野巡査部長が見張ってる」
 運悪くはともかく、空手は広義の意味では嘘ではない。現状を理解しているからこその言い訳だ。
 見るからにそれらしい風体であり、被害者が科捜研の所員であることは聞いているだろう。簡潔な状況説明に、警察官はすんなりと、分かりましたと頷いた。
「お怪我はありませんか」
「大丈夫。拘束されてたから、手首がちょっと擦り切れてるけど。あと催涙スプレーかけられて脱水症」
「催涙スプレー? 何ともありませんか?」
「水持ってたから、応急処置はした。犯人にも水かけられたし、脱水症もこの人たちに水もらったから何とか」
「そうですか。救急車は手配済みと聞いています。もう少し待ってくださいね」
「うん」
 近藤が頷くと、中年警察官は男たちへ視線を投げた。いてぇよ、水ねぇのかよと半泣きで訴える男たちを、若い警察官が必死になだめている。これでは聴取もできないだろう。
「ひとまず、ここで待っていてください。貴方達も」
「はい」
 春平たちが頷くと、中年警察官は若い警察官に声をかけて建物へと入って行った。
「あ、そうだ」
 近藤が一人ごち、携帯を操作する。
「僕。うん、大丈夫。……大丈夫だから、泣かないでよ。ごめん、心配かけて」
 相手は母親だろうか。つい先ほどの気丈さとは打って変わって、申し訳なさそうな困ったような、けれどとても優しい声だった。
 病院に行くことになると思うから、あとでまた連絡するから、お店は大丈夫? と、とりあえずの連絡と母親の状況確認が終わった時、近藤はついと顔を上げた。
「うん、そう――」
 視線の先には、建物から出てくる紺野の姿がある。
「紺野さんに、助けてもらった」
 ちらりと横目で盗み見た近藤の口元には微かな笑みが浮かび、紺野を見つめるその目には、深い感謝と憧れの色が見えた。
「もう、その話はいいから。聴取があるから切るね。うん、分かってるよ。じゃあ」
 まったく、と近藤が苦笑いでぼやいて通話を切り、顔を上げた。春平は慌てて視線を逸らす。
 施設で弘貴の過去を知り、母のことを思い出したせいだろうか。互いに気遣う様子の会話に胸がほんのり温かくなる一方で、どこかがちくりと痛んだ。
 だがそんな微かな胸の痛みは、響き渡った男の喚き声と、宙に浮かぶ悪鬼に一瞬でなりを潜めた。
「触んじゃねぇよ、クソが! 放せ!」
「暴れるんじゃない!」
 紺野と中年警察官に両脇を固められた男は、全身が埃にまみれ、両手をロープで拘束され、身をよじるようにして暴れている。奴が主犯らしい、体からわずかに邪気が漂っている。そして、長い前髪で片目を隠した顔は、明経由で回ってきた拉致計画の被疑者の写真と同じだ。
反射的に霊符へ手をかけた春平たちを、茂が制した。
「皆、待って。あれは犯人に憑いてるんだ。近藤さんを解剖するために、野良犬や猫を実験台にしたらしい」
 えっ、と驚愕の声が三人同時に漏れた。紺野が護符を持っているせいだろう。男の頭上、かなり高い位置に浮かんでおり、薄暗さもあってよくよく目を凝らさなければ確認できないが、確かに三角形の耳や、獣じみた鋭い目のようなものがいくつか見える。
「じゃあ、あれは……」
 融合して一つの悪鬼になった、複数の動物霊。言葉を濁した春平に、茂は無言で頷いた。
「それに、今調伏するのはまずい。僕たちの素性を調べられるわけにはいかない」
 茂の言うとおりだ。見えない人からすればただの除霊師の真似ごとや宗教の信者、あるいはその手のマニアだと思われるだろうが、それでも無駄に疑われるような行動は避けた方が無難だ。あくまでも一般人、偶然を装わなければ。
 春平たちは、やりきれない気持ちを押し殺しながら、霊符から手を離した。
「酷ぇことするな。どんな神経してんだ」
「同感です」
 弘貴と夏也が痛ましげに呟き、ぐっと歯を食いしばった。
 犬神が古より禁忌の呪となっているように、動物霊は強力だ。このままでは、男は確実に霊障を受ける。最悪の場合は命にかかわるだろう。それが分かっておいて、男ではなく動物たちへ同情を向けるのは、理不尽に命を奪われたから。人間の身勝手な理由で殺された彼らの恨みは、さぞ深いだろう。
 本当は、すぐに調伏して楽にしてやりたいけれど。
 ――ごめんね。
 悲痛な面持ちで悪鬼を見上げ、小さく呟いた謝罪の言葉は、周囲に木霊するサイレンに掻き消された。
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