第4話

文字数 4,822文字

「なんか、妙に懐いたよなぁ」
 会合前に用を足しながら、大河(たいが)は今朝の様子を思い出して声を殺して笑った。
 あの後、怜司(れいじ)の訓練に付き合うために紫苑(しおん)が縁側を離れたため、(さい)(あい)(れん)を両膝に抱えて様子を眺める羽目になった。朝食前に下りてきた茂と(すばる)が、その様を見るなり噴き出したのは言うまでもない。しかしそれが緊張をほぐしたのか、昴も昨日は二人に怯えていたけれど、おはようと笑顔で声をかけたところを見て、一安心した。ただ、
「柴、重いでしょ。藍ちゃん、蓮くん、どっちか僕の方においで」
 と言って腕を伸ばした茂に、双子は無言で首を横に振ったのだ。笑顔を張り付かせたままショックで固まった茂はちょっと可哀相だった。
 藍と蓮が二人を怖がることなく懐いてくれたのは喜ばしいが、懐き過ぎて問題があった。朝食の時間になっても離れようとしなかったのだ。そんな、(はな)夏也(かや)の言うことを聞こうとしない双子を諭したのは、柴だった。
「お前たちが言うことを聞かぬのなら、私もお前たちの言うことを聞かぬが、それでも良いか」
 淡々とした口調に本気度を感じたのか、藍と蓮は頭が取れそうなほど首を振り、大慌てでダイニングテーブルについた。
「子供の扱いに慣れてるねぇ」
 おお、と皆が拍手を送る中、感心したように言った茂に柴はこう答えた。
「配下の者たちの中にも、幼子(おさなご)はいたのだ。たびたび、遊んでいた」
 今度は「へぇ」と意外そうな声が皆から上がった。三鬼神というくらいだ、もっと崇め奉られているのかと思っていたが、意外と身近な存在だったらしい。影正(かげまさ)が話してくれた日記の内容では触れられていなかったが、もしかして影綱(かげつな)も鬼の子供たちと一緒に遊んだりしていたのだろうか。
 だが、藍と蓮以上に手を焼いたのが、柴と紫苑の質問攻めだった。
 樹がいないとはいえ、ダイニングテーブルは満席だ。ローテーブルで食事をすることになった柴と紫苑にどことなく疎外感を覚え、大河も一緒にローテーブルに移動した。
 いただきます、と全員で声を揃えて食事が始まったとたん、柴が問うた。
「その、いただきます、とは何だ?」
 は? と皆が箸を持ち上げたまま一斉に視線を投げた。
 命に感謝をする挨拶だと影正からは聞いている。そういった作法は昔から受け継がれているものだとばかり思っていたが、違うのか。
「え、いただきますって昔からあるもんじゃねぇの?」
 弘貴(ひろき)の質問に、大河は箸を置いて携帯で検索をかけた。行儀が悪いから食事中に携帯を触るなと影正から厳しく注意を受けているが、今だけは勘弁してもらおう。
「えーと、おそらく昭和時代から普及したものであり、古くからの伝統であるかは疑問視されている。えっ、そうなんだ」
 へぇ、意外、初めて知った、と口々に驚きの声が上がる。柴と紫苑が知らないのなら間違っていないのだろう。
「意味としては、食事の提供者、農業や労働に携わった人たちへの感謝の言葉。また宗教学的には、神への感謝とされているが、近年ではマナー……えっと、作法としての意味合いが強く、薄れてきている。これら人や神への感謝と共に、命を支える動植物や、それを生み出す大地の恵み、我々が生かされていることへの感謝の言葉であるという説も、しばしば取り上げられている。だって」
 携帯から顔を上げると、柴と紫苑はほうと感嘆の息をついた。
「労をねぎらい、犠牲になった命への感謝と礼の言葉、ということか」
 柴のあからさまな表現に、皆がうっと声を詰まらせて箸を止めた。
「ちょ、柴、間違ってないけど、もう少し遠回しに……」
 犠牲とか言われると食べ辛い。こんがり焼けた鮭や鮮やかな黄色のふわふわ卵焼きが、恨めしい目で見ているような気がする。何故だ? と言いたげに首を傾げる柴に苦笑いを浮かべ、大河はもう一度手を合わせて「ありがとうございますいただきます」と口の中で呟いて箸を持った。
「では、ごちそうさま、とは?」
 来ると思った、と言って携帯を操作したのは弘貴だ。えーと、と言いながら検索し、眉を寄せた。
「食後にする挨拶……知ってるわ!」
 一人突っ込みをして液晶に目を走らせる。
「んー、なんか言葉の成り立ちは書いてあるけど、はっきりとした意味は書いてねぇな」
「僕は母から、美味しくいただきました、ありがとうございますって意味だって教えられたよ」
「あ、俺もじいちゃんからそう聞いてます」
 卵焼きをつまんで追随すると、茂はそうだよねと笑ってほうれん草のおひたしを口に運んだ。
「ごちそうさまも、いただきますと同じでお礼の言葉なのね」
「俺はそう思ってましたけど」
 そう、と華は微笑ましげに頷いた。
「でもさぁ、二人も昨日手ぇ合わせてなかった? あれは?」
 弘貴が鮭の身をほぐしながら問うと、柴は味噌汁の椀を持ち上げて答えた。
「あれは、弔いの意だ」
 皆が思い当たったように口をつぐんだ。食らった人や動物への弔いの意味で、彼らは手を合わせていたのか。しばらく食器がぶつかる音だけが響く。
「でも」
 どことなく居心地の悪い沈黙を破ったのは、茂だ。
「どんな意味にしても、そうやって命を支えてくれているものに心を傾けるのは、人と同じなんだね」
 穏やかな笑みを浮かべて言った茂に、皆がそうですねと笑って同意し、柴と紫苑は少し驚いた表情を浮かべた。
 そのあと、やたらと麦茶を飲む柴へと話題が移り、今朝のひと騒動を皆に話して聞かせた。ニヤついた顔で、俺の髪はどうよ、と弘貴が尋ねると、紫苑はからかわれていると察したようで、
「柴主の足元にも及ばぬ。艶もしなやかさもない、ひじきのようだ」
 と辛辣に言い返した。弘貴はひじきに例えられたことに憤慨したが、それ以上にひじきが平安時代にあった事の方に皆が気を取られ、一人で落ち込んでいた。流れで実は夏美(なつみ)が元美容師だと知り、後で宗史に頼むことになった。
 さらに、食事が終わって茂がテレビをつけると、柴と紫苑が食い付いて至極真顔で訴えた。
「人が箱の中に……! どのような呪詛をかけられたのだ!?」
「呪詛を解いてやれぬのか。このような狭い場所では、あまりにも不憫だ」
 仕方ないと思いつつも、リビングは爆笑の渦に飲み込まれた。そこから、昨日「質問すると夜が明ける」と言った柴の言葉の意味を実感することとなった。
 携帯をはじめ、コーヒー、エアコンや冷蔵庫、オーブンレンジ、ガスレンジ、換気扇などなど、キッチンの家電と洗面所にある洗濯機や掃除機を一通り見学し、終いには電気やガスとはなんぞやという質問まで飛び出した。
 現代に生きているからと言って、電気やガスがどうやって作られて供給されているかなど詳細に知らない。ましてや家電の構造の知識など皆無だ。結果、たまらず弘貴が、
「こういう物だって認識してください。俺たちも同じようなもんです!」
 と何故か敬語で訴えた。柴と紫苑、特に柴は少々残念そうな雰囲気を漂わせながらも頷いた。意外と好奇心が旺盛なのかもしれない。
 そして、柴と紫苑の現代家屋見学が終わって部屋に下がった数分後に、宗史からメッセージが届いて電話を入れた。
「なんか、イメージ違うなぁ」
 大河はトイレから出て一人ごちた。影綱の日記と戦っている姿しか見なかったせいだろうが、落ち着いているというか、何事にも動じないクールなイメージがあったのだが、朝の事といい初日で見事に崩れ去ってしまった。
「まあ、とっつきにくいよりいいか」
 変に澄ましているよりは、少々個性的だからこそ皆と馴染めたのだから。
 いやでも今朝の紫苑はちょっと怖かった色んな意味で、とフェチの怖さに一つ身震いしながらリビングに戻ると怜司の姿が見当たらず、華と夏也、香苗(かなえ)がお茶の支度をしている以外の大人組みは自席についていた。双子はと言えば、相変わらずソファに座った柴と紫苑の膝の上を陣取っている。
 昨日二人が座ったU字の短い部分のソファは、いつもはダイニングテーブルに背を向ける形で置かれているが、今はダイニングテーブルと対面するように、ローテーブルを挟んだ向かい側に移動されている。
 だんだん見慣れてきたなと大河はこっそり笑みを浮かべ、会合では定位置となったソファに腰を下ろしながら、未だ空いたままの樹の席に目をやった。結局、朝食だけでなく昼食にも下りてこなかったのだ。
 怜司は樹の様子を見に行ってるのだろう。大丈夫かな、と心配した時、リビングの扉が開いた。
「おや、ずいぶんと懐かれたじゃないか」
 姿を現すなり柴と紫苑を見てそう言ったのは、宗一郎だ。後ろから三兄弟が続いて入ってきて、挨拶が飛び交う。
「もうずっと二人から離れないんですよ」
 さっそくお茶を配りながら、華が苦笑した。
「二人に懐いてくれたのは嬉しいけど、ちょっと寂しいなぁ……」
 ぼやいたのは茂だ。皆から朗らかな笑い声が上がる。
「あれ、樹と怜司さんどうしたんだ?」
 (せい)が宗史の向こう側に腰を下ろしながら尋ねた。
「結局、昼にも起きてこなかったんだ。今怜司さんが様子を見に行ってる」
「ふーん……」
 曖昧な相槌を打って、晴はリビングの扉へ視線を投げた。言葉にはしないが目が心配そうだ。
「晴、宗史くん、志季(しき)椿(つばき)を召喚しておきなさい」
「ん、ああ」
「はい」
 明からの指示が飛び、二人は腰を上げてソファの後ろへ霊符を放った。宗一郎と明もそれぞれ式神を召喚したが、やはり(すず)がいない。大河は前のめりになった。
「あの、明さん、鈴は……」
 大河が問うと、皆が一斉に明を注目した。全員から心配した視線を向けられ、明は嬉しそうにふっと笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、すぐに治る。心配してくれてありがとう」
 穏やかな声に、皆から安堵の息が漏れる。神様でも死ぬことってあるのかな、と縁起の悪い考えが脳裏を掠り、大河は小さく頭を振った。
「椿、志季、大丈夫か」
 気遣う宗史の声が聞こえ、大河は後ろを振り向いた。
「おう、全然平気だぜ」
「はい、もうすっかり。ご心配おかけしました」
「そうか」
 笑った二人に安堵した宗史に、大河も笑みをこぼす。お前も少しは心配しろ、椿は心配したぞ、俺を心配しろよ、といつもの軽口を叩き合う晴と志季に苦笑しながら、ふと大河は首を傾げた。昨日、あれだけ破れていた着物が綺麗になっている。同じ柄の着物を持っている、のだろうか。
「椿、その着物、昨日着てたやつと同じ?」
 次第にエスカレートする晴と志季には関わらない方が身のためだ。大河は椿を見上げて尋ねた。
「はい」
「でも、破れてたよね?」
 まさか傷と同じで自己修復能力があるわけではないだろうが、何せ神のお召し物だ。どんな機能があっても不思議ではない。
 隣で、取っ組み合いを始めた晴と志季に宗史が盛大な溜め息をついた。
「大河様は、天棚機姫神(あめたなばたひめのかみ)という女神様をご存知ですか?」
「あめた……え、あめたま?」
 瀬織律姫はまだ覚えやすかったのに、今度の神様の名前はややこしい上に舌を噛みそうだ。眉を寄せて復唱に失敗した大河に椿が苦笑した。
「天棚機姫神様です。簡単に言うと、衣服の神様なんですよ」
「え、服にも神様がいるの?」
 日本には八百万の神がいると言うが、服の神様がいるとは。
「はい。私たちの着物も、天棚機姫神様に織って頂いた物です」
「じゃあその、あめたな……って言う女神様に直してもらったんだ」
「はい」
「いいなぁ。俺も直してもらいたい」
 昨日着ていた服は、一式ゴミ箱行きとなった。あまりファッションに興味がないため大した数の服を持っていないし、手持ちの服を全部持って来ているわけではない。毎度毎度あんなことがあったら破産する。一方で、柴と紫苑のすっかりくたびれた着物は、何か思い入れがあるのか、どうする? と華が尋ねた時に柴が少し寂しそうな目をしたため、できるだけ繕ってみることとなった。
 羨ましげに嘆息した大河に、椿がくすくすと笑う。お前らいい加減にしろ、と宗史が晴と志季を引っぺがした時、リビングの扉が開いた。
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