第4話

文字数 4,369文字

「志季」
 宗一郎の声に、大河は我に返った。樹が頭を上げて、怜司と共に振り向く。
「治癒して差し上げなさい」
「了解」
 黙って成り行きを見守っていた志季が、にやりと口角を上げた。入れ替わるように樹と怜司が縁側へ、志季が龍之介の元へ向かう。すれ違いざまに志季が立ち止まり、したり顔で言った。
「龍之介ぼこぼこにしたの、冬馬だぜ。まあ、気絶したところは殴れなかったみたいだけど」
 遠慮すんなって言ったんだけどなー、と残念そうにぼやいた志季に、樹はくすりと笑った。
「いいんだよ。あの人は、それで」
 そう答えて再び足を進めた樹の背中を見つめ、志季は「そうか」と呟いて微笑んだ。
「さてと。覚悟しろよぉ、クソ龍」
 にやにやと笑みを浮かべ、楽しそうに腕まくりをした志季に、大河はまさかと頬を引き攣らせた。以前、一気に治癒してもいいならしてやれる、と言っていた。しかも、気を失うほどの痛みを伴うと。治癒の痛みは身に沁みている。あれ以上の痛みなど、想像するだけでもショック死しそうだ。同情はしないが、不憫には思う。
 いっそ悪役のような笑みで龍之介に近付く志季を放置して、宗一郎が座敷を振り向いた。
「紫苑」
 言外に二を連れて来るように告げる。紫苑は無言で頷くと、二の首根っこを掴んで引っ張り上げた。戻ってきた樹がしかめ面で「手が痛い」とぼやき、あれだけ殴ればなと怜司が返す。
「なっ、何だ!」
 二は両手で紫苑の手首を掴んで引き剥がそうとするが、離れるわけがない。じたばたする二を引き摺って、紫苑は氏子と秘書が避けた間を通って縁側に出た。そして、躊躇なく二を庭へ放り投げた。先には治癒真っ最中の志季と龍之介、真っ青な顔をした草薙。
 地面に落ちて勢いよくごろごろと転がる。止まってから「くっ」と苦しげな呻き声を漏らしながら、二は肩を押さえて砂まみれの体を起こした。仕立ての良いスーツも、ぴしっと整えられていた髪もすっかり乱れてしまっている。
「先程」
 おもむろに宗一郎が口を開き、紫苑が庭へ下りた。ゆっくり歩み寄る紫苑を警戒した面持ちで見据えたまま、二は尻を滑らせて後ずさる。
「彼は我々に危害を加えないと言いましたが、例外があります」
 後ろについた手に龍之介の足が当たった。邪魔臭そうに一瞥し、再び紫苑を見上げる。
「罪人は、食らいます」
 死刑宣告のような宗一郎の言葉が、冷たく庭に響き渡った。
 草薙の顔からは完全に血の気が引いて真っ白だ。二は必死に唇を噛んで耐えているが、地面についている両手が小刻みに震えている。
 不意に、ぎゃっと龍之介から短い悲鳴が上がったが、すぐに静かになった。こいつすぐ気絶するな、と志季が呆れ気味にぼやく。
「では、経緯をご説明しましょう。椿と志季の報告にあった、桐生冬馬さんら五名のうち、男性三名は樹の友人です。残り二名は女性。数日前、彼女たちはとあるクラブで龍之介さんに声をかけられ、お断りしたそうです。それを逆恨みし、拉致計画を立てた。それが、先程のボイスレコーダーの内容です。会話に出てきた『悪鬼に命令する』という証言は、確認するまでもありません。千代の能力のことを指している。そして『あいつら』。つまり、龍之介さんは鬼代事件の犯人たちと繋がっている」
 やはりか、確定だな、そうとしか思えん、と氏子と秘書たちがひそひそと喋る。ほぼ同時に、志季が満足そうに「よしっ」とかざしていた手を離した。酷い有様だった龍之介の顔には傷一つ残っていない。
「おーい、起きろ馬鹿息子」
 ぺちぺちと失神した龍之介の頬を軽く叩く。反応がないことに舌打ちをかまし、胸倉を掴んで引っ張り起こした。
「お・き・ろ」
 区切った単語に合わせて、右、左、右と今度は強めにビンタした。
「お――い」
 さらに両手で胸倉を掴み直し、前後に激しく揺らすが、龍之介は一向に反応を見せない。大きく深く揺れる首が今にも飛んでいきそうだ。ふと、志季が手を止め、白けた目で「ふうん」と意味深な声を漏らした。
「なあ、こいつもう駄目だわ。どうせだし、紫苑に食わせてやれよ」
 振り向いてされた報告に、え、と全員が虚をつかれた顔をした。つまりそれは、死んで――。
「そうか。ならば仕方あるまい。紫苑、食らって構わん。志季はあとで遺体を燃やせ。髪一本残すなよ」
「了解」
「では、遠慮なく頂こう」
 何でもないことのようなやり取りに、大河たちはせわしなく視線を泳がせる。え、ちょっと、ほんとに? とそこここからうろたえた声が聞こえる。
 志季が胸倉からぱっと手を離して立ち上がり、数歩下がった。二は、近寄る紫苑に合わせ、尻で地面を滑って横に移動する。
 紫苑がしゃがみ込んだのは、ちょうど龍之介の腕のあたり。
「いくぞー」
 腰に手を当てた志季が、気だるい声で言った。
「五、四――」
 唐突に始まったカウントダウンに、大河たちから「えぇ……?」と困惑した声が上がり、宗史だけが深い溜め息をついた。紫苑が、心臓を狙って右腕を高く上げる。
「三――」
「ま、ま、待て……」
 さすがに草薙が狼狽して前のめりになった。
「二――」
 紫苑が広げた指に力を入れると、鋭い爪先が怪しく光った。
「い――」
「待て……っ」
「うわあああぁ……ッ!」
 志季の最後の号令と草薙の制止を求める声、そして龍之介の悲鳴が重なった。
「いっ、生きてる生きてる、生きてるから食わないでぇ……っ」
 勢いよく体を起こしながら体勢を変え、四つん這いで草薙のところへ這う。絡み付くようにして草薙に縋り、背後へ回り込んだ。
 父親の背中に顔をうずめ、ガタガタと震える龍之介を見下ろして、志季が呆れ顔で嘆息した。一方紫苑は、少し残念そうな顔だ。溜め息と共に腕を下ろして腰を上げる。
「気絶してんのに、喉鳴らしちゃあいけねぇなぁ」
 どうやら喉が上下していたらしい。それにしても、樹の時で見逃してもらえないと分かったはずなのに、親子揃って往生際が悪すぎる。学習能力がないのだろうか。
「龍之介さん」
 語気を強めた宗一郎に、龍之介が「ひいぃっ」と悲鳴を上げた。
「いくつか質問に答えて頂きます。虚偽、あるいは答えなかった場合、次はありません。よろしいか」
 問いかけに、龍之介はテンパっているのか答えなかった。
「よろしいかと聞いている」
 さらに語気を強めると、「はいぃぃぃ」と悲鳴に似た返事をした。
 これでは、良親(よしちか)の方がよほど根性が据わっていた。あれだけ偉そうなことを口にして、金と権力に頼り好き勝手してきた男の末路が、これか。情けなさ過ぎて、いたたまれなくなってきた。大河は密かに息をついた。
「では一つ目」
 晴が沈黙を破った。
「加賀谷秀之の役割をお答えください」
 龍之介は噛み合わない歯を鳴らし、定まらない視点で荒い呼吸を繰り返す。
「か、かっ、加賀谷は……」
「龍之介……!」
「うるせぇ! 答えなきゃ俺が殺されんだよ、黙ってろジジイ!」
 カッと目を見開き、火がついたように喚いた龍之介に、草薙が目を丸くして閉口した。まるで、初めて子供に反抗された親のような反応だ。そして龍之介は、これまで散々親の金と権力を利用してきた上に縋りついたのに、この態度。草薙といい龍之介といい、この親子を見ていると気が塞ぐ。
 肩で何度も息を繰り返して、龍之介は逡巡するように地面に目を落とした。
「か、加賀谷は、被害届の、揉み消しを」
「何に対しての被害届ですか?」
 晴が指摘すると、龍之介はぐっと言葉を詰まらせた。しばらくして、ぽつりと呟く。
「……俺が、その……襲ったことに対しての……」
「女性に対する強制性交、強制わいせつですね」
 はっきりと口にした罪名に、女性たちが不快気に顔を歪める。罪名を聞くのも嫌だろう。龍之介はきつく目をつぶり、やけくそ気味に言った。
「そうだよ! あとは六年前の事故の隠蔽。結局なんもなかったけど、あいつも知ってる!」
「少女誘拐殺人事件と鬼代事件においては」
「警察の捜査情報を流してた! 金を渡して共犯者って形で口止めした。これでいいだろ!」
「ご冗談を。貴方の父君が犯した横領について答えてもらいます。二年前、貴方は横領に絡んで何をしましたか」
「何って……」
 龍之介が怪訝な顔をした。不快な表情を浮かべたのは、ここにいる全員だ。もう、本当に救いようがない。
「一人の女性に何をしましたか」
 苛立ちをごまかし切れないまま、晴が早口で問い直す。すると龍之介は、ああと呟いてバツの悪い顔をした。
「……親父に言われて、仲間と一緒に襲った」
「その女性の婚約者が、今ここにいます」
「……は!?」
 間髪置かずに晴が暴露すると、龍之介が目を剥いて顔を上げ、怜司が改めて足を踏み出した。縮む距離に比例して、龍之介の顔がじわじわと恐怖に歪む。
「続けて、陽の誘拐事件について。栗澤平良たちに、陽を誘拐し殺害するよう依頼したのは貴方たちですね」
 龍之介は怜司と晴をせわしなく交互に見やる。どちらに意識を向ければいいのか迷っているのだろう。怜司が紫苑の隣に並び、冷ややかな眼差しで見下ろすと、龍之介は後ろ手をついて見上げた。
「お、お前が、あの女の……?」
「ええ。それより、質問に答えなくていいんですか」
 怜司が指摘すると、龍之介ははっと我に返って晴へ視線を投げた。
「親父だよ、俺はあの件に関わってねぇ!」
「でも、知っていたのは間違いないのですね?」
「そ……そりゃ……」
「では最後の質問です。貴方以外で、全ての件に関わっている人物は」
「親父と二だよ!」
 吐き出された答えに、湯が沸騰したように場の空気が揺れた。決定打だ。
 大河は奥歯を強く噛み締めた。草薙親子と二は、栄晴をはじめ、桂木香穂、矢崎徹、そして影正を殺害した。冬馬たちを利用してたくさんの犠牲者を出し、リンとナナを恐怖に陥れ、智也に怪我を負わせ、北原を殺しかけた。さらに、龍之介に傷付けられた女性たち。
「龍之介、貴様! そもそもお前があんなことをしなければ、揉み消しなどしなくて済んだんだぞ! 何度も手を煩わせおって!」
「はあ!? 横領とあいつらと手ぇ組んだのは、ジジイが始めたことだろ! 俺は巻き込まれた被害者だ!」
「よくもぬけぬけと……っ、お前も乗り気だったではないか! 大体クラブだの拉致計画だの、私は聞いてないぞ! 勝手なことをするな!」
 胸倉を掴み合ってぎゃんぎゃんと責任のなすりつけ合いを始めた二人に、ふつふつと腹の底から苛立ちが湧いてくる。先にあった怒りと合わさって、憤怒へと変わる。体温が上がり、ぼんやりするほど頭に血が上る。こいつらは、多くの犠牲者と被害者を出し、傷付け、悲しませた自覚がないのか。
 ここでまた自分が口を挟めば、以前の会合と同じだ。今の感情だけに囚われるな。
 そうは思っても、もう、すぐそこまで言葉が出かかっている。これ以上は――。
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