第7話

文字数 6,020文字

「藍! 蓮!」
 樹の指示で二階へ駆け上がった大河は、手前からもどかしげに扉を開けて中を覗き込む。
「ああくそっ!」
 思わず悪態が口からついて出た。両側に並ぶ扉は洗面所を加えて十五枚。これを一人で確認するには、少々時間がかかる。
「大河くん!」
 二部屋確認したところで香苗が駆け寄ってきた。
「あたしも手伝う!」
「じゃあ反対側お願い!」
「分か……っ」
 不自然に声が途切れ、ガタンという扉が揺れる音が鳴った。反射的に振り向くと、身を竦ませた香苗が、胸の前で自分の手を握り締めて俯いている。
 すぐに分かった。レバーハンドルでさえ下げ損ねるほどに、震えていると。
 先程の華の剣幕は確かに鬼気迫るものがあった。自分の子がいなくなったと知れば誰でもああなるのは仕方ないし、あんな勢いで迫られると怯えもする。
「香苗ちゃん」
 大河は小走りに寄り、香苗の手を包み込むように両手で握った。怯えた目をして見上げてきた香苗を真っ直ぐに見下ろす。
「大丈夫。華さんは香苗ちゃんを責めたわけじゃないよ。大丈夫だから、落ち着いて。深呼吸できる?」
 笑みを浮かべてやると、香苗はゆっくりと目を閉じながら俯いて、深呼吸をした。香苗の小さな手の震えが収まっていくのが分かった。
 ふっと香苗の肩から力が抜け、顔を上げた。
「ありがとう、もう大丈夫」
「ん」
 微かに笑みを浮かべた香苗を見て、大河は安心したように頷いて手を離した。
「よし、急ごう」
「うん」
 気を取り直して促すと、香苗はレバーハンドルをしっかり下げて部屋を覗き込んだ。
 肩越しにそれを見届け、大河も次の部屋の扉を開けて覗き込む。やはりいない。
 靴の有無を確認した時に、公園での記憶が蘇った。あの時、白い鬼が言っていた。子供の陰陽師は貴重だと。確かに双子はまだ訓練を受けていないし、華の子だからといって霊力があるとは限らない。けれど可能性は極めて高い。柴と紫苑は、まだ術を行使できなかった大河を、影綱の霊力を受け継いでいると察知した。ならばあの鬼も、内通者がいたとすればもちろん、双子の潜在能力を察知したとしても不自然ではない。
 公園での前例がある以上、神出鬼没の鬼と遭遇しないという保証はない。今二人があの鬼と遭遇したら、絶対に食われる。
「昨日の猫かな」
 いつもなら静かに扉の開閉をする香苗も、今ばかりは荒っぽい。向かい側の扉の列を順に覗き込みながら、香苗がぽつりと呟いた。
「そうかも。俺、人のこと言えないけど、子供って懲りないよな」
「うん、そうだね」
 香苗は頷きながら小さく笑い声を漏らした。笑っている場合ではないことは分かるが、少しは余裕が出てきたらしい香苗に、大河は口角を上げた。ただ、自虐ネタがウケたのは身を切った甲斐があるが、すんなり頷かれたのは少々複雑だ。
 まあいいか、と大河は次の扉を開けた――開けて、動きが止まった。
 何だ、この部屋。
「大河くん、どうしたの?」
 香苗の声に我に返り、大河は慌てて扉を閉めた。
「あ、ううん。何でもない。あれ、何? その箱」
 和紙製の赤い小箱を抱えている。
「擬人式神が入ってるの。樹さんに準備するよう言われて。それより、急ごう」
「うん」
 大河は扉に下げられた揺れるプレートを一瞥し、混乱した頭のまま隣の自室に飛び込んだ。いないことを確認し、お守りと置き忘れていた独鈷杵をポケットに突っ込んで、再び飛び出す。
 こちら側の部屋の確認は終わったが、香苗に頼んだ方は後二室残っている。
「香苗ちゃん、残りはやるから先に下りて」
「うん、じゃあお願い」
 いつもなら遠慮する場面だが、さすがに状況をきちんと把握している。すんなり大河に任せて背を向けた。
 慌ただしく廊下を走り去る足音を聞きながら、大河は残りの二室を確認する。やはりいない。階段へ向かう途中、通りすがりに先程の部屋のプレートをもう一度横目で見やり、眉を寄せた。
 有り得なくはない。有り得なくはないけれど、しかし、あれではまるで――。
 足音も荒く階段を駆け下りてリビングを覗くと、縁側に正座した香苗の後ろ姿があった。数十体はあるだろうか、目の前には大量の紙人形が広げられ、順に手をかざしている。黄金色をした煙のような光が、紙人形に吸い込まれていく。
 自分の霊力を紙人形に注ぎ、式神として行使する。それが擬人式神だ。独鈷杵同様、物体に霊力を注ぎ込む作業はかなりの集中力と根気がいる。香苗の邪魔をしないようにと静まり返ったリビングは入り辛く、大河は戸口で立ち止まった。
 しばらくして、紙人形が広げた両腕をもがくようにぱたぱたと揺らし始め、一斉に宙に浮いた。
「皆、藍ちゃんと蓮くんを探して。見つけたらあたしたちに知らせて案内して! お願い!」
 紙人形たちを見渡しながら香苗が告げると、彼らは両腕を羽のように羽ばたかせ空へと舞い、方々へ散って行く。
「すげ……」
 霊力が弱いと聞いていたのに、香苗はあれほどの数の擬人式神を行使できるのか。しかも、風があるのにまったく煽られていない。
「大河くん、報告」
 振り向いてこちらに歩み寄りながら樹が問うた。
「あ、駄目です、いません」
 すれ違いざま、ローテーブルに置きっ放しにしていた携帯を渡された。
「了解。志季もさっき帰ってきたけど見つからない。もう一度行かせた。僕たちも行くよ」
 樹の先導で捜索組が玄関へ向かう。我先にと靴に履き替えながら、樹が注意事項を告げる。
「子供だし猫の件もある、どこに隠れてるか分からないからよく注意して。それと、GPSでお互いの場所の確認を忘れないで。もし鬼と遭遇した場合は逃げることを最優先。絶対に戦わないこと。単独行動は不可。いいね、行って」
 玄関を飛び出し、石畳を駆け抜けて門をくぐりそれぞれに散って行く。
「大河、こっちだ。俺たちはスーパーの方」
「うん!」
 先日、弘貴たちと買い物に出かけた方向だ。
「お前、GPS設定してるよな」
「うん。開いとく」
「頼む」
 住宅街はとにかく探す場所が多い。猫を追いかけて寮を抜け出したのならなおさら、物影はもちろん、隣り合う建物の隙間や車の影、垣根の中。しかも個人宅やアパートだけでなく、歴史ある石碑や小さな神社が点在しているため、小規模ではあるが鎮守の森もある。子供ならば容易に入りこめてしまう場所が多すぎる。
「藍! 蓮!」
「いたら返事しろ!」
 大河と晴の声が住宅街に響き渡る。
「あっ、すみません!」
 通りかかった自転車の女性に声をかけると、甲高いブレーキの音を響かせながら止まってくれた。
「五歳くらいの男の子と女の子見ませんでしたか、双子なんですけど!」
「双子? いいえ、見なかったわねぇ」
「そうですか、ありがとうございました」
 大河は軽く会釈をしてすぐに駆け出した。迷子かしら、と女性の呟く声が聞こえた。
 昨日の時点で夕方から雨の予報が出ていたせいなのか、人通りがほとんどない。これでは誰かに尋ねるどころか目撃者すら怪しい。
「どこに行ったんだよ……!」
 子供の足ではそう遠くには行けないはずだ。だが、猫を追いかけたとするなら夢中になって遠くや知らない場所まで行く可能性がある。
 昨日、仕事中に思い出した風子の件が頭をよぎった。
 あの時、もし本当にあの風が島の神様の恩恵だとしたら、神様がたくさんいるこの地でも同じことが起きやしないかと期待してしまう。そうしたら、絶対に双子の声を聞き逃したりはしないのに。
「くそっ! あいつらGPS持たせてやる!」
 個人宅の石垣の上に茂った木々の隙間を覗き込みながら、晴が悪態をついた。
「それ賛成!」
 握り締めたままの携帯は着信を知らせる気配がない。皆もまだ見つけていないらしい。
 と、頭上で紙が擦れる音がして、大河は空を見上げた。香苗が放った擬人式神だ。と思った矢先、頬に水滴が触れた。雨だ。
 晴が舌打ちをかました。
「まずいな、擬人式神が使えなくなる」
「え? あ、そっか紙」
 和紙でできた擬人式神は水に弱い。良質の和紙が使われており破れにくいが、決して破れないわけではない。雨の激しさによっては破損することもあり、濡れることまでは避けられない。水分で重みが増した紙人形は飛べなくなり、時間が経過すると術が解けてしまう。
「本降りになる前に探さねぇと」
「うん」
「それにしても、式神が四人いるのに見つからねぇってのは、ちょっとな……」
 車の影を覗き込みながら晴が怪訝そうに言った。大河も建物の隙間を覗き込む。
「どういうこと?」
「あいつら双子の気配知ってるから、近くにいたら感じ取れるんだよ。目も人間よりかなりいいし。もしかしたら、建物の中かもしれねぇな」
「じゃあ、コンビニとかスーパーの中!?」
「有り得るな。散歩がてらコンビニもスーパーも行ってるし、店員も双子のこと知ってる。行ってみるか」
「うん!」
「一応回り探しながら行くぞ」
「了解!」
 次第に雨粒が大きくなっていく中、周囲を見渡しながらまずはコンビニに立ち寄った。
 若い男性店員に尋ねると、あの可愛い双子か、と知ってはいたが見ていないと言った。礼を言ってすぐにスーパーへ向かった。
 正面入り口で、店頭の商品を片付けていた女性店員に声をかけると、あら弘貴くんと春くんの、と顔を覚えていてくれた。
「あの、双子を探してるんですけど見ませんでしたか?」
「双子って、藍ちゃんと蓮くん? もしかして迷子!?」
「はい。見てませんか」
「ごめんなさい、見てないわ」
「そうですか……」
 申し訳なさそうに告げられて消沈した大河の肩を、晴が叩いた。
「行くぞ」
「あ、うん。ありがとうございました」
 そうだ、しょげている場合ではない。まだ探す場所はたくさんある。
「気を付けてね!」
「はい!」
 女性の気遣う声に背を向けたまま答え、とうとう本格的に降り出した雨の中を駆け出した。
「手当たり次第探すのは構わねぇけど、効率が悪いな」
「この雨じゃ、擬人式神全滅だよね」
「だな」
 二人一組で五組、式神が四人。擬人式神が使えない現状で、広範囲を探すには人手が足りない。
「大河、着信ねぇのか」
「うん、今のところない。晴さんの方も?」
「ああ。どこ行ったんだあいつら。帰ったらお仕置き決定だな」
「三日間くらいおやつ抜きとか」
「生ぬるいわ。もっと厳しく、あっ、つーか俺の携帯防水じゃねぇんだぞ。壊れたらどうしてくれんだよ」
「うわ、それ悲惨」
「ったく、出世払いであいつらにツケてやるからな」
 気を紛らわすように軽口を叩きながら、物影を探す。
 すっかり濡れてしまった前髪が視界を塞ぎ、大河は鬱陶しそうにかき上げた。髪を切ったのは確か六月の半ばくらいだったから、そろそろ切らなければ伸び放題だ。晴も癖毛混じりの髪が水分の重さで多少伸びている。
 捜索を初めてそろそろ三十分くらいだろうか。もっとかもしれない。これは警察に届けた方がいいのではないのか。
 そう思いながら、個人宅の開けっ放しの車庫から顔を逸らし、後ろで三階建てのアパートの階段を覗き込んでいる晴を振り向く――と。
 視界の上の方に不自然な影が映り、何気なく視線を上げた。
「……え」
 柴だ、と認識するのに少し時間がかかった。
 晴が階段を覗き込んでいるアパートの屋根の上。そこに、降りしきる雨をものともせずに、平然とした表情でこちらを見下ろしている。
「なんで……」
 呆然と見上げていると、柴がこちらに視線を向けたまま隣の一軒家に飛び移った。寮へ戻る方の道。もしかして、と勘が働いた。
 しかし追いかけようとして、今度は理性が働いた。罠だったらどうする。
 敵ではないという保証も確信もないのに信じてもいいのか、と冷静に問う自分と、でも公園で助けてくれた、じいちゃんを丁寧に扱って運んでくれた、だから信じる、と訴える自分がいる。
 どちらが正しい。どちらを選ぶべきだ。ここで選択を間違えるわけにはいかない――混乱する。
 一歩踏み出したまま動かない大河に気付き、柴も止まった。そして、ふいと先へと視線を投げ、再度大河を見下ろした。
 今度は確実に、黒と見紛う深紅の目が、来い、と言っているように見えた。
「っ!」
 大河は一旦顔を逸らして唇を噛んだ。頭の中で自問自答する。信じるか、信じないか。理性か、本能か。
 後悔しない方は、どっちだ――大河は息を詰め、勢いよく顔を上げた。
「晴さん! こっち!」
 いねぇなぁ、とぼやく晴の背中に叫んで駆け出した。柴も、先導するように軽い動きで屋根から屋根へと飛び移る。
「は? え、っておい! どこに……っ待て大河!」
 唐突に走り出した大河に驚いた晴の制止も聞かず、再びスーパーの前を通り、寮へと戻る道を柴に誘導されるがまま走った。近所とは言えまだ土地勘はない。どこに行くのだろう、と思いつつも柴を見失わないよう注意しながら追いかける。
 途中で柴が道路を軽々と飛び越え、北側の民家の屋根へと飛び移った。大河もそちらへ続く道を曲がる。
 高温多湿に加えてこの雨のせいで全身濡れ鼠のようだ。Tシャツが張り付き、汗なのか雨なのか分からない滴が顔や腕を流れる。携帯は防水仕様だから問題ないが、お守りは濡れてしまっているだろう。中の護符は大丈夫だろうか。厚紙で挟まれているにしても所詮紙だし、もしこんな所で瘴気に当てられて倒れでもしたら目も当てられない。
 車一台分ほどの道の角を曲がり、西側へしばらく走ると柴が足を止め、大河は速度を落としながら見上げた。全身で息をするように呼吸を繰り返し、視線を辿る。
 住宅街の中に突如として現れたのは、石造りの白い鳥居が構える神社だ。周囲を囲む鎮守の森は、まるで外界からその存在を隠すかのように木々が葉を生い茂らせ、奥へと伸びる砂地の参道に覆い被さっている。天気が良い日は涼を取るのに良さそうだが、今はこの天気で陽が差さないため薄暗く、どこか陰鬱として見える。社が目視できないということは、かなり奥の方まで参道が続いているのだろう。
 本当にこの先に双子がいるのか。
 葉や地面を叩く雨音が響くばかりで、声も物音も、人の気配も感じられない。
 大河は一度大きく深呼吸をして、柴を見上げた。動かない。と、ザッと木々が大きく揺れた。びくりと体を硬直させて振り向くと、頭上を人影が通り抜け、柴の隣にふわりと着地した。紫苑だ。
 紫苑は大河の姿を確認すると、言った。
「急げ」
 え、と尋ね返そうとした間際、雨音に交じって甲高い悲鳴が微かに届いた。大河は弾かれるように振り向き、強く地面を蹴って鳥居をくぐり抜けた。
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